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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
美しい花は悪人の手を飾りまして
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「なんなのよ、もう。あいつ、最近調子に乗ってるんじゃないかしら?」
キンバリーは密かに屋敷を抜け出し、近所にある酒場で酒をあおりながら一人で喚き散らしていた。
喚き声の中に生じた「あいつ」というのはクリストフのことである。
本当であるのならば「あいつ」のことを含めて実家である侯爵家に戻り、両親にでも心のうちに貯めていた愚痴を吐きたいところであるのだが、生憎と最近では実家に帰ることは拒否されてしまっている。
自分が愚痴を喚き散らすという行為が両親には気に入らないらしい。血を分けた実の両親だというのにどうしてこうも厳しく当たるのだろうか。親ならば可愛い子どもの愚痴くらい聞いて然るべきではないだろうか。
キンバリーには両親の呆れた思いというのが理解できなかった。そんな思いを知る由もないキンバリーは明日の業務のことも考えて、酒をほどほどのところで切り上げ、屋敷へと戻ることにした。そして近道としていつも利用している薄暗い路地裏へと踏み入れた時だ。
背後から見知らぬ女性が声を掛けてきた。
「あの、お花は入りませんか?」
女性は同姓である自分から見ても美しい顔をしていた。まるで、咲いたばかりの花のように美しさであった。こんなに美しかったのならば花の一本くらいは買ってやってもいいだろう。
キンバリーは和かな笑みを浮かべながら花を買うために懐の財布へと手を伸ばした時だ。
その女性がゆっくりとキンバリーの元へと近付いていく。
女性はそのまま困惑して動けずにいる彼女の懐に向かって花の茎を突き付けたのであった。
どうも様子がおかしい。慌てて逃げ出そうとするキンバリーの元へと近付いたかと思うと、黙ってその口を塞ぎ、喉元へと茎を突き立てたのであった。
無論、ただの花の茎で始末などできるはずがない。茎の中には針が仕込んでいる。それが駆除人である彼女の得物なのだ。茎の中に仕込んだ針が動いてキンバリーの喉を突き刺していく。
キンバリーが喉を抑えているところを更に額へと突き刺す。即死であった。
彼女は害虫駆除人である。その名はマルリア。表稼業は花屋でありながら裏に回れば腕利きの害虫駆除人である。
今回のキンバリーの駆除も依頼を受けて行ったものである。
キンバリーを駆除するにあたり、彼女は入念な下調べを行い、どのタイミングでキンバリーが外に出るのか、どういうルートを辿って屋敷に戻るのかを入念に探索し、始末のタイミングを見計らったのであった。
マルリアは裏の仕事を終えて、そのまま自身の家へと戻ろうとしていた。
その時だ。不意に背後から声を掛けられた。
「見事な手際です。お嬢さん。流石は害虫駆除人の仕事を務めるだけのことはありますな」
振り返ると、背後には見知らぬ中年の男性が立っていた。中年の男性は機嫌良さげに両手をパチパチと鳴らしていた。
「あなたは誰?」
マルリアは拍手などに構いもせずに突然現れた中年の男性は訝し気な目で相手を見つめた。
「おや、これは失礼。私の名前はオークス。オークス・ドレイジアと申します。以後お見知り置きを」
オークスと名乗る男性は丁寧に頭を下げると自らの名前を名乗ったのであった。
「ふーん」
だが、マルリアは関心のなさそうな声で対応するばかりであった。いわゆる塩対応というやつだ。マルリアが素っ気ない態度で接することを決めたのは、この男から胡散臭いものを感じたためである。
嘘の笑顔を顔に貼りつつもその裏には何か自分には想像もつかない企みがある。
例えるのならば笑顔という名の厚化粧で本音という醜い素顔を隠しているというところだろうか。
一見すると、和かで紳士的な印象を受ける中年の男性であるが、笑顔をじっくりと見ていくと、そんな風に思えてならないのだ。マルリアが足早にそこを立ち去ろうとすると、オークスが今度はわざと大きな声を上げてマルリアを立ち止まらせた。
やむを得ずに億劫な表情で振り向いたマルリアに向かってオークスは脅すように言った。
「よろしいのですかな?私がここで大声を上げればあなたはたちまち危機に陥るでしょう」
オークスは口元を怪しく歪めなている。恐らく自分がどのような存在であるのかを理解して言っているのだろう。
もし、警備隊や自警団などに捕まって駆除人であるということが明らかになれば、まず絞首刑は免れまい。いや、その前に牢獄の中で仲間に口を封じられてしまう。それが駆除人の掟である。
オークスという男はその掟を理解して言っているのだから相当に性格が悪い。
マルリアは話を受けるより他になかった。しかし、代わりに条件を提示した。それは流石に駆除を行った場所でそのまま話し続けるわけにはいかなかったので、場所を移すというものであった。
オークスはこの条件を承諾し、マルリアを適当な酒場へと案内した。
酒場の適当な四人がけの長椅子の上に腰を掛けていた。
その後代金はオークスが持つという理由から酒場で酒を啜り、つまみを食べるという会食形式での話し合いをマルリアが志望して、その形をもって行われることになった。
マルリアは蜂蜜酒と鳥のモツ煮を注文した。小さな皿の中に盛られた黒い鳥が特徴である。モツ煮であるため臭みが目立つが、それが美味しさを促進するのであった。
オークスは赤ワインとオリーブと鳥の合わせたものを注文していた。
なかなか上手い組み合わせである。通とでもいうべきかもしれない。マルリアは感心した様子でオークスのつまみを見つめていた。
オークスはクックッと笑いながら言った。
「お嬢さん、ジロジロと見ないでくださいな。照れ臭くてたまりませんよ」
「あっ、これは失礼」
マルリアは素直に詫びを入れ、そのまま蜂蜜酒を啜っていく。一気飲みをせずにゆっくりと飲んでいるのは考え事をしているからだ。
このままこの男の開く酒の席に付き合っていていいのかという思いが彼女の中で渦巻いていた。
オークスなる男はどうも胡散臭い。というよりも信用できそうにない。
もしかすれば今駆除人ギルドが抗争を繰り広げているという『ジャッカル』とやらの一因ではないのか。
本来であるのならば美味いはずの酒がそんなくだらない思いを抱いていたためか、今日のところはどうも美味く感じられない。
どこか味の端々から苦味を感じるような不味い酒を啜りながら様々なことを考えていると、不意にオークスがニコニコと朗らかな笑みを浮かべながら言った。
その姿を見て、マルリアは思わず口角を尖らせた。
「なんです!変な顔を浮かべてッ!」
「いや、これは失敬。どうもお嬢さんがあまり美味しそうに酒を味わっているように見られなかったものですからな。何か悩み事があったのかなぁと」
白々しい。マルリアはオークスの態度に不快感を示した。両眉を下げ、鋭い目でオークスを睨む。
だが、オークスは困ったような笑みを浮かべるばかりであった。
「参りましたな。どうもやりづらい」
オークスは頭を掻きながら言った。マルリアにはその姿があくまでも困惑した様子に見せかけるためだけのものであるということを理解していた。
本当のところは全く困ってなどいないのだろう。口元に微笑を浮かべているのがその証拠だ。
「あなたがそうさせてるんでしょう?用事がないのならばもうそろそろ帰らせてもらいたんですけれど」
マルリアは不愉快そうに眉を寄せながら立ち上がる。その姿を見てもオークスは動じない。あくまでも紳士的に落ち着いた口調でマルリアを呼び止めた。
「まぁ、お待ちください。マルリア嬢。あなたは貴族になりたくはありませんか?」
「貴族?私が?じょ、冗談はよしてよ」
マルリアの声には驚愕の色が混じっていた。マルリアの身分は平民である。平民というのはどんな風に努力しても貴族にはなれぬというのが世間一般における常識だ。それを覆すことなどできるはずがない。
だが、目の前でワインを楽しんでいる男は至極あっさりと当然のように非常識なことを言い放ったのである。
もしかすれば現実と区別がついていないのかもしれない。いわゆるロマンス小説の読み過ぎで頭がそうした非常識的なものに囚われているに違いない。
マルリアは呆れたような溜息を吐いてもう一度その場を後にしようとしていた。
例えオークスなる男が呼び続けたとしても気に留めることもせずにその場から立ち去る予定であった。
しかし、どうしたことだろう。思うように足が動かない。足が石のように固まっているのだ。自分の意思とは無関係に立ち止まってしまっている。
そんなマルリアを見てオークスは意味深な笑みを浮かべながら近付いていく。
彼女の耳元へと近寄ると、改めて彼女が貴族となるための方法を教えていくのであった。
マルリアはオークスの語る優しくて甘いロマンス小説の王子様が吐くような台詞を聞いてからしばらくはその場から動けずにいた。青天の中であるにも関わらず雷が鳴った時のような衝撃を受けていたのである。
「お嬢さん、どうです?我々につきませんか?悪いようには致しませんよ」
マルリアはその問い掛けに対して首を縦に動かすより他になかった。
この時マルリアは悪魔に魂を売って、悪事を行う害虫たちの心境を知った。
マルリアはこの時より害虫駆除人の職を辞退し、新たに別組織の刺客となったのである。
組織の名は『ジャッカル』。マルリアは本来であるのならば自分たちにとっての敵である組織に魂を売り、貴族の身分や自身の安寧と引き換えに仲間を売ることになったのだ。
だが、マルリアはそのことに対して後ろめたさなど感じてはいない。むしろ、その責をカーラへと押し付けることで自身の正当化を図ったのである。
マルリアは心の中で強く念じた。
私は悪くない悪いのはカーラ。あの小娘が悪人を執拗に甚振り続けるのが悪いのだ。そのことに対して自分は常々思うところがあったが、もう付き合いきれないと放免しただけに過ぎないのだ、と。
マルリアは己にそう言い聞かせて罪悪感を心の奥底に埋めると、オークスの後をついていったのであった。
カーラにとって悩みの種は尽きなかった。悩みは日常生活のことばかりではない。駆除や抗争といった裏稼業の悩みが常に彼女の頭の中に渦巻いて離れなかった。
たまには酒でも飲まなければやっていられない。ギルドへとクリストフとエミリーの駆除進行を報告するために訪れた際ヒューゴの勧めで酒を飲みに訪れることになった。
酒を飲むのに誘った時ヒューゴは急な仕事が入っていたので後から駆け付けること言い出していた。そのためカーラは一人で夜の闇が支配する王都の歓楽街を歩かねばならなかった。
陽の当たる場所で暮らす女性であるのならば夜の歓楽街をランプのみを持って一人で歩くなど心細くて堪らなかったに違いない。
だが、カーラは害虫駆除人という荒野稼業に勤しむ女性。常に陰を抱えているような女性だ。怖くなどないはずだ。
だが、背後から妙な気配を感じると、流石に心細くなったのか、気まぐれに歩みを止めて振り返るようになった。
気のせいではあると思われたが、振り向かずにはいられなかった。そのため振り向かずにはいられなかったが、その場所には当然かのように振り返ったとしてもその場には誰もいなかった。
しかし、自身が歩いている場所は歓楽街。物陰ならばどこにでもある。建物と建物の間の隙間、店や家の裏側に置かれている巨大な水瓶、それに露天商の起き忘れた巨大な骨董品などが溢れかえっている。身を隠すのには十分過ぎた。
カーラは立ち止まって相手が出てくるのをしばらく待つのだが、音沙汰がないと判断すると、何事もなかったかのように前へと歩いていくのである。
しばらくの間はそうしたイタチごっこが続いた。しかし、いよいよ相手が我慢できなくなったのか、背後から急な殺気を感じた。闇から現れてきた殺気を纏った人物は自身の額に先の尖った凶器を押し当てようとしていたが、カーラは慌てて顔を逸らしたことによって攻撃を間一髪のところで交わしたのであった。
攻撃を交わした後で、体勢を立て直し、用心のため常に袖の下へと仕込んでいる裁縫針を取り出し、自身を襲ってきた相手にその名を問う。
すると、闇の中からマルリアの姿が見えたのであった。
「えつ、そ、そんな!!マルリアさん……なの?」
カーラは信じられないという表情を浮かべていた。ランプの中に生じたわずかなほんのりとした灯りに驚愕した顔が照らし出されている。
「あら、意外だった?」
マルリアは針を仕込んだ花の茎を突き付けながら言った。口元には嘲笑が浮かんでいた。
「あなたどうしてこんなことを?」
カーラの声からは少なからぬ驚きの色が混じっていた。
向こうが自分を嫌っているのは知っていたが、少なくとも同業者。まさか敵に寝返るような真似をするとは思いもしなかったのだ。
ところが、彼女は明らかに自分の命を狙ってきた。明らかな敵対行為だ。
それでもまだ拐かされているだけなのかもしれない。カーラは説得を続けることにした。
「マルリアさん、ご自身のなされていることに対して胸に手を当てて考えてみてくださいな。そうすればいかに自分が愚かなーー」
「うるさいッ!」
マルリアは野生動物のような大声を上げてカーラの言葉を遮った。
どうも説得に応じるつもりはないらしい。だとすればもう雌雄を分つより他にないのだろう。
腹を括ったカーラは針をマルリアに向けた。二人の駆除人が得物を構えて近付いていこうとした時だ。
カーラは物陰に隠れている気配を感じ、その人物に問い掛けた。
物陰からはマルリアを操っていると思われるオークスの姿が見えた。
「あら、オークスさん。あなたでしたのね。マルリアさんに余計なことを吹き込んだのは」
「余計なこととは心外だな。私は彼女に対してより良い人生の過ごし方というのを教えてやっただけさ」
家と家との隙間でどこかの家に背中を預けて腕を組んでいたオークスは初めから実力行使に打って出るつもりであったのだろう。腰に下げていた剣を抜きながらマルリアと肩を並べてカーラと対峙する。
いや、もしかすれば正体を突き止められてやむなく戦わざるを得なかったというべきかもしれない。
どちらの推測が正しいにしろ、カーラが二対一という不利な状況で敵と戦わねばならぬ状況へと追い込まれてしまったということには変わらない。
思いもよらぬ事態にカーラが堪らなくなって苦笑いを浮かべていると、背後から足音が聞こえてきた。
通行人だろうか。それならば奇跡だ。通行人に今の状況を訴え掛ければ自分はこの状況から逃れることができるだろう。
天上界にいる神々は自分のことを見放してはいなかったらしい。
カーラが大きな声を上げて助けを求めようとした時だ。
「カーラッ!」
と、血相を変えたヒューゴが剣を持って現れたのであった。思い出した。ヒューゴは表の仕事を片付けた後に向かうと言っていたのだ。
恐らく仕事を終えたままで向かってきたのだろう。仕事を終えた後で嫌な予感でもして、慌てて駆け付けてきたのだろう。息切れしているのがその証拠であろう。
ヒューゴは疲れているにも関わらず、すれ違い様に剣を抜くと、そのままオークスに向かって剣を浴びせた。
だが、オークスは己の剣を盾にして防いでいた。そのことによってオークスは最悪の事態を防いだのである。
本来であるのならば余裕がないのか、顔の端に冷や汗を垂らしていた。
そんな状況においてもオークスは得意げな笑みを浮かべながら言った。
「お久し振りですな。ヒューゴ王子」
「黙れ、お前に王子だなんて言われる筋合いはないぞッ!」
ヒューゴは剣に込める力を強めていく。こうすることで相手の筋力に負担を生じさせて相手から剣を引き離す算段になっていた。
しかし、剣に込める力を強め過ぎていたことが仇となり、オークスの回し蹴りに気が付くことができなかった。
ヒューゴは左の腰を盛大に蹴り飛ばされ、後退を余儀なくされてしまう。
「ヒューゴさんッ!」
カーラの絶叫が飛ぶ。ヒューゴは地面の上で悶え苦しむ姿が見えた。
慌てて駆け寄ろうとしたカーラの前にマルリアが茎を突きつける。
茎の下には針が仕込まれている。あと少し近ければカーラの額に突き刺さっていたに違いない。当たらなかったのはカーラの駆除人としての本能が足を下がらせてしまったに違いない。
カーラは慌てて後ろへと下がっていく。
先に仕掛けてきたのはマルリアであった。マルリアは茎に仕込んだ針を振り回しながら近付いていく。
戦いは始まったばかりであった。
キンバリーは密かに屋敷を抜け出し、近所にある酒場で酒をあおりながら一人で喚き散らしていた。
喚き声の中に生じた「あいつ」というのはクリストフのことである。
本当であるのならば「あいつ」のことを含めて実家である侯爵家に戻り、両親にでも心のうちに貯めていた愚痴を吐きたいところであるのだが、生憎と最近では実家に帰ることは拒否されてしまっている。
自分が愚痴を喚き散らすという行為が両親には気に入らないらしい。血を分けた実の両親だというのにどうしてこうも厳しく当たるのだろうか。親ならば可愛い子どもの愚痴くらい聞いて然るべきではないだろうか。
キンバリーには両親の呆れた思いというのが理解できなかった。そんな思いを知る由もないキンバリーは明日の業務のことも考えて、酒をほどほどのところで切り上げ、屋敷へと戻ることにした。そして近道としていつも利用している薄暗い路地裏へと踏み入れた時だ。
背後から見知らぬ女性が声を掛けてきた。
「あの、お花は入りませんか?」
女性は同姓である自分から見ても美しい顔をしていた。まるで、咲いたばかりの花のように美しさであった。こんなに美しかったのならば花の一本くらいは買ってやってもいいだろう。
キンバリーは和かな笑みを浮かべながら花を買うために懐の財布へと手を伸ばした時だ。
その女性がゆっくりとキンバリーの元へと近付いていく。
女性はそのまま困惑して動けずにいる彼女の懐に向かって花の茎を突き付けたのであった。
どうも様子がおかしい。慌てて逃げ出そうとするキンバリーの元へと近付いたかと思うと、黙ってその口を塞ぎ、喉元へと茎を突き立てたのであった。
無論、ただの花の茎で始末などできるはずがない。茎の中には針が仕込んでいる。それが駆除人である彼女の得物なのだ。茎の中に仕込んだ針が動いてキンバリーの喉を突き刺していく。
キンバリーが喉を抑えているところを更に額へと突き刺す。即死であった。
彼女は害虫駆除人である。その名はマルリア。表稼業は花屋でありながら裏に回れば腕利きの害虫駆除人である。
今回のキンバリーの駆除も依頼を受けて行ったものである。
キンバリーを駆除するにあたり、彼女は入念な下調べを行い、どのタイミングでキンバリーが外に出るのか、どういうルートを辿って屋敷に戻るのかを入念に探索し、始末のタイミングを見計らったのであった。
マルリアは裏の仕事を終えて、そのまま自身の家へと戻ろうとしていた。
その時だ。不意に背後から声を掛けられた。
「見事な手際です。お嬢さん。流石は害虫駆除人の仕事を務めるだけのことはありますな」
振り返ると、背後には見知らぬ中年の男性が立っていた。中年の男性は機嫌良さげに両手をパチパチと鳴らしていた。
「あなたは誰?」
マルリアは拍手などに構いもせずに突然現れた中年の男性は訝し気な目で相手を見つめた。
「おや、これは失礼。私の名前はオークス。オークス・ドレイジアと申します。以後お見知り置きを」
オークスと名乗る男性は丁寧に頭を下げると自らの名前を名乗ったのであった。
「ふーん」
だが、マルリアは関心のなさそうな声で対応するばかりであった。いわゆる塩対応というやつだ。マルリアが素っ気ない態度で接することを決めたのは、この男から胡散臭いものを感じたためである。
嘘の笑顔を顔に貼りつつもその裏には何か自分には想像もつかない企みがある。
例えるのならば笑顔という名の厚化粧で本音という醜い素顔を隠しているというところだろうか。
一見すると、和かで紳士的な印象を受ける中年の男性であるが、笑顔をじっくりと見ていくと、そんな風に思えてならないのだ。マルリアが足早にそこを立ち去ろうとすると、オークスが今度はわざと大きな声を上げてマルリアを立ち止まらせた。
やむを得ずに億劫な表情で振り向いたマルリアに向かってオークスは脅すように言った。
「よろしいのですかな?私がここで大声を上げればあなたはたちまち危機に陥るでしょう」
オークスは口元を怪しく歪めなている。恐らく自分がどのような存在であるのかを理解して言っているのだろう。
もし、警備隊や自警団などに捕まって駆除人であるということが明らかになれば、まず絞首刑は免れまい。いや、その前に牢獄の中で仲間に口を封じられてしまう。それが駆除人の掟である。
オークスという男はその掟を理解して言っているのだから相当に性格が悪い。
マルリアは話を受けるより他になかった。しかし、代わりに条件を提示した。それは流石に駆除を行った場所でそのまま話し続けるわけにはいかなかったので、場所を移すというものであった。
オークスはこの条件を承諾し、マルリアを適当な酒場へと案内した。
酒場の適当な四人がけの長椅子の上に腰を掛けていた。
その後代金はオークスが持つという理由から酒場で酒を啜り、つまみを食べるという会食形式での話し合いをマルリアが志望して、その形をもって行われることになった。
マルリアは蜂蜜酒と鳥のモツ煮を注文した。小さな皿の中に盛られた黒い鳥が特徴である。モツ煮であるため臭みが目立つが、それが美味しさを促進するのであった。
オークスは赤ワインとオリーブと鳥の合わせたものを注文していた。
なかなか上手い組み合わせである。通とでもいうべきかもしれない。マルリアは感心した様子でオークスのつまみを見つめていた。
オークスはクックッと笑いながら言った。
「お嬢さん、ジロジロと見ないでくださいな。照れ臭くてたまりませんよ」
「あっ、これは失礼」
マルリアは素直に詫びを入れ、そのまま蜂蜜酒を啜っていく。一気飲みをせずにゆっくりと飲んでいるのは考え事をしているからだ。
このままこの男の開く酒の席に付き合っていていいのかという思いが彼女の中で渦巻いていた。
オークスなる男はどうも胡散臭い。というよりも信用できそうにない。
もしかすれば今駆除人ギルドが抗争を繰り広げているという『ジャッカル』とやらの一因ではないのか。
本来であるのならば美味いはずの酒がそんなくだらない思いを抱いていたためか、今日のところはどうも美味く感じられない。
どこか味の端々から苦味を感じるような不味い酒を啜りながら様々なことを考えていると、不意にオークスがニコニコと朗らかな笑みを浮かべながら言った。
その姿を見て、マルリアは思わず口角を尖らせた。
「なんです!変な顔を浮かべてッ!」
「いや、これは失敬。どうもお嬢さんがあまり美味しそうに酒を味わっているように見られなかったものですからな。何か悩み事があったのかなぁと」
白々しい。マルリアはオークスの態度に不快感を示した。両眉を下げ、鋭い目でオークスを睨む。
だが、オークスは困ったような笑みを浮かべるばかりであった。
「参りましたな。どうもやりづらい」
オークスは頭を掻きながら言った。マルリアにはその姿があくまでも困惑した様子に見せかけるためだけのものであるということを理解していた。
本当のところは全く困ってなどいないのだろう。口元に微笑を浮かべているのがその証拠だ。
「あなたがそうさせてるんでしょう?用事がないのならばもうそろそろ帰らせてもらいたんですけれど」
マルリアは不愉快そうに眉を寄せながら立ち上がる。その姿を見てもオークスは動じない。あくまでも紳士的に落ち着いた口調でマルリアを呼び止めた。
「まぁ、お待ちください。マルリア嬢。あなたは貴族になりたくはありませんか?」
「貴族?私が?じょ、冗談はよしてよ」
マルリアの声には驚愕の色が混じっていた。マルリアの身分は平民である。平民というのはどんな風に努力しても貴族にはなれぬというのが世間一般における常識だ。それを覆すことなどできるはずがない。
だが、目の前でワインを楽しんでいる男は至極あっさりと当然のように非常識なことを言い放ったのである。
もしかすれば現実と区別がついていないのかもしれない。いわゆるロマンス小説の読み過ぎで頭がそうした非常識的なものに囚われているに違いない。
マルリアは呆れたような溜息を吐いてもう一度その場を後にしようとしていた。
例えオークスなる男が呼び続けたとしても気に留めることもせずにその場から立ち去る予定であった。
しかし、どうしたことだろう。思うように足が動かない。足が石のように固まっているのだ。自分の意思とは無関係に立ち止まってしまっている。
そんなマルリアを見てオークスは意味深な笑みを浮かべながら近付いていく。
彼女の耳元へと近寄ると、改めて彼女が貴族となるための方法を教えていくのであった。
マルリアはオークスの語る優しくて甘いロマンス小説の王子様が吐くような台詞を聞いてからしばらくはその場から動けずにいた。青天の中であるにも関わらず雷が鳴った時のような衝撃を受けていたのである。
「お嬢さん、どうです?我々につきませんか?悪いようには致しませんよ」
マルリアはその問い掛けに対して首を縦に動かすより他になかった。
この時マルリアは悪魔に魂を売って、悪事を行う害虫たちの心境を知った。
マルリアはこの時より害虫駆除人の職を辞退し、新たに別組織の刺客となったのである。
組織の名は『ジャッカル』。マルリアは本来であるのならば自分たちにとっての敵である組織に魂を売り、貴族の身分や自身の安寧と引き換えに仲間を売ることになったのだ。
だが、マルリアはそのことに対して後ろめたさなど感じてはいない。むしろ、その責をカーラへと押し付けることで自身の正当化を図ったのである。
マルリアは心の中で強く念じた。
私は悪くない悪いのはカーラ。あの小娘が悪人を執拗に甚振り続けるのが悪いのだ。そのことに対して自分は常々思うところがあったが、もう付き合いきれないと放免しただけに過ぎないのだ、と。
マルリアは己にそう言い聞かせて罪悪感を心の奥底に埋めると、オークスの後をついていったのであった。
カーラにとって悩みの種は尽きなかった。悩みは日常生活のことばかりではない。駆除や抗争といった裏稼業の悩みが常に彼女の頭の中に渦巻いて離れなかった。
たまには酒でも飲まなければやっていられない。ギルドへとクリストフとエミリーの駆除進行を報告するために訪れた際ヒューゴの勧めで酒を飲みに訪れることになった。
酒を飲むのに誘った時ヒューゴは急な仕事が入っていたので後から駆け付けること言い出していた。そのためカーラは一人で夜の闇が支配する王都の歓楽街を歩かねばならなかった。
陽の当たる場所で暮らす女性であるのならば夜の歓楽街をランプのみを持って一人で歩くなど心細くて堪らなかったに違いない。
だが、カーラは害虫駆除人という荒野稼業に勤しむ女性。常に陰を抱えているような女性だ。怖くなどないはずだ。
だが、背後から妙な気配を感じると、流石に心細くなったのか、気まぐれに歩みを止めて振り返るようになった。
気のせいではあると思われたが、振り向かずにはいられなかった。そのため振り向かずにはいられなかったが、その場所には当然かのように振り返ったとしてもその場には誰もいなかった。
しかし、自身が歩いている場所は歓楽街。物陰ならばどこにでもある。建物と建物の間の隙間、店や家の裏側に置かれている巨大な水瓶、それに露天商の起き忘れた巨大な骨董品などが溢れかえっている。身を隠すのには十分過ぎた。
カーラは立ち止まって相手が出てくるのをしばらく待つのだが、音沙汰がないと判断すると、何事もなかったかのように前へと歩いていくのである。
しばらくの間はそうしたイタチごっこが続いた。しかし、いよいよ相手が我慢できなくなったのか、背後から急な殺気を感じた。闇から現れてきた殺気を纏った人物は自身の額に先の尖った凶器を押し当てようとしていたが、カーラは慌てて顔を逸らしたことによって攻撃を間一髪のところで交わしたのであった。
攻撃を交わした後で、体勢を立て直し、用心のため常に袖の下へと仕込んでいる裁縫針を取り出し、自身を襲ってきた相手にその名を問う。
すると、闇の中からマルリアの姿が見えたのであった。
「えつ、そ、そんな!!マルリアさん……なの?」
カーラは信じられないという表情を浮かべていた。ランプの中に生じたわずかなほんのりとした灯りに驚愕した顔が照らし出されている。
「あら、意外だった?」
マルリアは針を仕込んだ花の茎を突き付けながら言った。口元には嘲笑が浮かんでいた。
「あなたどうしてこんなことを?」
カーラの声からは少なからぬ驚きの色が混じっていた。
向こうが自分を嫌っているのは知っていたが、少なくとも同業者。まさか敵に寝返るような真似をするとは思いもしなかったのだ。
ところが、彼女は明らかに自分の命を狙ってきた。明らかな敵対行為だ。
それでもまだ拐かされているだけなのかもしれない。カーラは説得を続けることにした。
「マルリアさん、ご自身のなされていることに対して胸に手を当てて考えてみてくださいな。そうすればいかに自分が愚かなーー」
「うるさいッ!」
マルリアは野生動物のような大声を上げてカーラの言葉を遮った。
どうも説得に応じるつもりはないらしい。だとすればもう雌雄を分つより他にないのだろう。
腹を括ったカーラは針をマルリアに向けた。二人の駆除人が得物を構えて近付いていこうとした時だ。
カーラは物陰に隠れている気配を感じ、その人物に問い掛けた。
物陰からはマルリアを操っていると思われるオークスの姿が見えた。
「あら、オークスさん。あなたでしたのね。マルリアさんに余計なことを吹き込んだのは」
「余計なこととは心外だな。私は彼女に対してより良い人生の過ごし方というのを教えてやっただけさ」
家と家との隙間でどこかの家に背中を預けて腕を組んでいたオークスは初めから実力行使に打って出るつもりであったのだろう。腰に下げていた剣を抜きながらマルリアと肩を並べてカーラと対峙する。
いや、もしかすれば正体を突き止められてやむなく戦わざるを得なかったというべきかもしれない。
どちらの推測が正しいにしろ、カーラが二対一という不利な状況で敵と戦わねばならぬ状況へと追い込まれてしまったということには変わらない。
思いもよらぬ事態にカーラが堪らなくなって苦笑いを浮かべていると、背後から足音が聞こえてきた。
通行人だろうか。それならば奇跡だ。通行人に今の状況を訴え掛ければ自分はこの状況から逃れることができるだろう。
天上界にいる神々は自分のことを見放してはいなかったらしい。
カーラが大きな声を上げて助けを求めようとした時だ。
「カーラッ!」
と、血相を変えたヒューゴが剣を持って現れたのであった。思い出した。ヒューゴは表の仕事を片付けた後に向かうと言っていたのだ。
恐らく仕事を終えたままで向かってきたのだろう。仕事を終えた後で嫌な予感でもして、慌てて駆け付けてきたのだろう。息切れしているのがその証拠であろう。
ヒューゴは疲れているにも関わらず、すれ違い様に剣を抜くと、そのままオークスに向かって剣を浴びせた。
だが、オークスは己の剣を盾にして防いでいた。そのことによってオークスは最悪の事態を防いだのである。
本来であるのならば余裕がないのか、顔の端に冷や汗を垂らしていた。
そんな状況においてもオークスは得意げな笑みを浮かべながら言った。
「お久し振りですな。ヒューゴ王子」
「黙れ、お前に王子だなんて言われる筋合いはないぞッ!」
ヒューゴは剣に込める力を強めていく。こうすることで相手の筋力に負担を生じさせて相手から剣を引き離す算段になっていた。
しかし、剣に込める力を強め過ぎていたことが仇となり、オークスの回し蹴りに気が付くことができなかった。
ヒューゴは左の腰を盛大に蹴り飛ばされ、後退を余儀なくされてしまう。
「ヒューゴさんッ!」
カーラの絶叫が飛ぶ。ヒューゴは地面の上で悶え苦しむ姿が見えた。
慌てて駆け寄ろうとしたカーラの前にマルリアが茎を突きつける。
茎の下には針が仕込まれている。あと少し近ければカーラの額に突き刺さっていたに違いない。当たらなかったのはカーラの駆除人としての本能が足を下がらせてしまったに違いない。
カーラは慌てて後ろへと下がっていく。
先に仕掛けてきたのはマルリアであった。マルリアは茎に仕込んだ針を振り回しながら近付いていく。
戦いは始まったばかりであった。
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