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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
不適な殺し屋の正体
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「ま、まさかあなた様がおいでになるとは思いもしませんでした」
父親は座っていた席の上からわざわざ立ち上がって美男子を出迎えた。息子も同様である。慌てて立ち上がったかと思うと、丁寧な一礼を行うのであった。
美男子は二人を手で制し、そのまま座るように指示を出すと、ウェイターを呼び付けて酒を注文したのであった。
いわゆるフルコースの前に飲む食前酒である。ウェイターのズボンのポケットにチップをねじ込んだためか、ウェイターは酒の他につまみまで持って現れたのだ。
美男子はウェイターから食前酒とつまみを受け取るとまずは香りを楽しみ、それから一口だけ口をつける。
ほの辛い旨みが口の中に染み渡り、美男子の心を気持ち良くさせた。
次につまみである。小さな皿の上に載ったオリーブの実と絞ったばかりの乳で作ったというチーズは熟練した恋人の踊るダンスのように上手く噛み合っていた。
美男子は舌鼓を打つと、もう一度酒を啜り、つまみを流し終えた後で『ヘリオス』経営者の親子と向き合ったのであった。
「で、お前さんたちあの小娘は無事なのか?」
小娘という単語をカーラは聞き逃さなかった。恐らく誘拐された大蔵大臣の娘だろう。
これ以上を聞き逃してはなるまい。カーラが全力で聞き耳を立てようとした時だ。
「おや、お嬢さん。まだ料理が決まらないのですか?」
あろうことかその美男子がこちらに現れたのである。気が付かれてしまったのだろうか。
心臓の鼓動の音が早くなった。ドクドクと胸を打つ音まで聞こえる。自分の耳にしか聞こえないほどの音であるのだが、どうして自分の真横から覗き込む美男子にも鼓動の音が聞こえているかのような錯覚に陥ってしまうのだろう。
過呼吸にもなっていない。平静を装っているはずだ。標的を前にして動揺の色など見せてはならない駆除人として当然の対応を見せているはずなのだが、どうしてこの男には全て見透かされているかのように思えてならないのだろうか。
カーラはそんな思いを見透かされぬように愛想笑いを浮かべながら男の言葉に答えた。
「えぇ、そうなんですの。滅多に訪れられないような場所ですので、何を頼んでいいのか悩んでおりまして」
「そうか、それは大変だな」
美男子はカーラの元へと近付いたかと思うと、メニュー表を勝手に取り、頼みもしないのにどの料理にどんな魅力があるのかを語っていく。
カーラとしては愛想笑いを貼り付けて聴くしかなかったのだ。あまりにも近い距離にまで迫るものだからカーラの鼻腔を香水の匂いが刺激した。
美男子が付けているのは男性用の香水だろう。甘い香りというよりは爽やかな印象を受けた。
カーラは美男子の言葉を受けて、料理を選びウェイターに注文することにした。その間も美男子はカーラの元から一歩も動かずに側に立ってニコニコとした様子で見守っていた。
そのため隣の席で『ヘリオス』経営者である親子が執拗に席へと戻るように指示を出していたのだが、美男子は無視してカーラに対して話を続けていた。
たまりかねたのか、親子が席を立って美男子の元へと迫ったのだが、その際に美男子は両目を剣のように鋭く尖らせ、圧を込めた声で警告の言葉を述べたのであった。
「失せろ、今オレはこの素敵なレディと優雅なひと時を過ごしているんだ。貴様らの話は後でメシが来た時にゆっくりと聞いてやる」
親子は美男子の言葉を聞き慌てて席へと戻っていった。
美男子はあの二人の親子が立ち去ったのを見ると、もう一度御伽噺に出てくるような甘いマスクの貴公子めいた笑みを浮かべて言った。
「失礼しました、お嬢さん。ぼくの飼っている豚と鼠がどうもしつこくて……特に鼠の方は困りものですな。いえね、いい女と見ると我を忘れて飛び掛かっていくのですから」
店を出る間際に感じた嫌悪感は間違いではなかったらしい。カーラは自身の予感が間違っていなかったことに対して安堵したのであった。
美男子はそんなカーラの不安を見透かしたのか、黙って体を近づけてカーラが頼んだお酒をグラスへと注いでやる。
「怖がらせて申し訳なかった。お詫びにこのワインはぼくがキミにご馳走しましょうね」
「あら、親切ですね。まさかこのようなご時世に紳士的に振る舞われる方がいるとは思いもしませんでしたわ」
カーラの言葉は明らかなおだての言葉であったが、持ち上げに気をよくしたのか、美男子は機嫌良さげに自身の席の上にあったワイングラスを持ってきて、カーラのグラスへと軽く当てたのである。
チーンという音が鳴った。いわゆる乾杯の音頭だ。
美男子が気をよくしてニコニコと笑っていると、それぞれの席にようやく料理が到着したらしい。ウェイターが穏やかな笑みを浮かべながら現れた。
美男子は残念そうな顔を浮かべて席へと戻っていく。自分と過ごすのだといってもやはり腹の虫の鳴く声には逆らえなかったらしい。
美男子の言葉に従うのならば彼が飼っているという豚と鼠とを怒鳴り付けながらいそいそと手を動かしていた。
相手を怒鳴り付けながらも所作は完璧であった。まるで、どこかの貴族の跡取り息子のようであった。
もしかすればあの男はヒューゴのようにどこかの国の王子であるのかもしれない。
カーラはそんなことを考えながら己の料理に口をつけていた。
料理を口にしながら二人で美男子の座る席に対して耳を澄ませていたのだが、聞こえてくる情報は大したものではなかった。
敢えて収穫を上げるとするのならば、かろうじて三人の名前がわかったくらいだ。父親の名前がジョージ、息子の名前がウォレンというらしい。
美男子の名前はシルベスターであった。
ところが、それ以上の情報は入ってこなかった。シルベスターがどうでもいいことを一方的に捲し立ててそれ以上の会話を防いでいたからである。
食事が終わり、ないがしろに扱われた不満からかジョージとウォレンはシルベスターを睨み付けながらレストランを出ていった。
シルベスターは待っていましたと言わんばかりの歓喜に打ちひしがれた表情を浮かべてカーラの元へと戻っていく。
「いやぁ、待たせてしまって申し訳なかった。豚と鼠を返すのに苦労してね」
シルベスターは勝手に椅子を持ってくると、その上に腰をかけて新たにウェイターを呼んで酒とデザートを注文したのである。
ただし、頼んだ酒は前のように辛い酒ではなかった。デザートとの相性をよくする甘い酒である。
いわゆる食後酒である。シルベスターは甘い匂いを心ゆくまで楽しんだ後に甘い酒を啜り、食後の快感を味わっていく。
デザートとして運ばれてきた梨を使ったコンポートも上品にスプーンで掬い上げていく。
その仕草も本当に王族もしくは貴族のように優雅であった。
カーラのみならずレキシーも美男子の完璧な所作に思わず見惚れていると、シルベスターはデザートを食べるように勧める。
二人は慌ててデザートに手を付けた。だが、シルベスターのせいか味は入ってこなかった。
どこか居心地の悪いままデザートを食べ終えると、シルベスターはそんな二人をおちょくるかのように言った。
「ねぇ、お二人さん。今度あの親子を駆除する気でしょ?二人とも駆除人ってことはオレちゃーんと知ってるんだからね」
レキシーは呆気に取られたような表情をしている。カーラも覚悟していたとはいえここまでストレートに言われてしまったことで思わず口を開けてしまっていた。
やはりこの男はただものではなかった。自分たちが駆除人だということをわかった上で話し掛けてきたのだ。
これ以上相手に話をリードさせ続けたくない。そんな微かに抱いた反抗的な思いからカーラは敢えて自分から口を切ることにした。
「何が望みでして?」
「いやだなぁ。オレは別に金に不自由しているわけじゃあない。ただ一つ警告をしたいと思っていてね」
「警告?」
二人の声が面白いように重なった。だが、シルベスターはそんなことなど気に留めることもなく話を続けていく。
「その通り、口を挟まないで欲しいんですよ。国取りのね」
シルベスターはそれだけ言い残したかと思うと、ニヤリと意味深な笑みを口元に浮かべてレストランを去っていく。
二人はそんなシルベスターの後ろ姿を黙って見送っていったのであった。
シルベスターの言葉の中に含まれていた『国取り』という単語が意味するように今回の大蔵大臣の娘誘拐はやはり『ジャッカル』によるものであったらしい。
また、シルベスターという男も『ジャッカル』の一員であることは確定だ。
恐らく仲間同志で連絡を取り合いどこかでフィン抹殺のための刺客が自分たちの手によって倒されたことを知ったのだろう。
そして、その報復として派遣した鎖鎌の男の末路もその死体騒ぎから知ったに違いない。
だが、今回敢えて自分たちの正体をジョージとウォレンの二人に話さなかったことについては理解できなかった。
あの場で自分たち二人が駆除人であるということを話してしまえば始末など簡単にできたというのに、どうしてそうしなかったのだろう。
所属する組織は違えども同じく裏に生きる人間同士のよしみとして裏の方法で始末するという手法を取りたかったのか、はたまた自らの腕を後に示すために敢えて見逃したのかは定かではない。
しかし、慈悲によって見逃されたということだけは事実である。
カーラとレキシーは己がまだ駆除人として足りない面があったと自責しながら帰宅へと着くことになったのである。
翌日も表稼業を終えてからの見張りということになったのだが、『ヘリオス』へと向かう途中にシルベスターがにやけ面を浮かべながら現れたのである。
シルベスターは二人を勝手に『ヘリオス』の店舗兼住宅の側から引き離し、郊外の林へと誘ったのである。
昨日とは異なり、シルベスターの腰には剣が下げられている。その背中には弓矢がある。
シルベスターによれば弓矢も剣も林の中に生息する鹿を狩るために扱うのだそうだ。
だが、それはあくまでも方便。実態はその弓矢で自分たちを射殺すのが本当の目的だろう。
こんな時レキシーがとある貴族より拿捕した弩があればいい勝負ができたのだろうが、生憎あんな重いものを持ち運ぶわけにもいかないので現在のところはお役御免と言わんばかりに家の中で眠りに就いている。
エドガーとの戦いの際に発したあの活躍ぶりをシルベスター相手にも披露して欲しいものだが、そこは思い描くだけ無駄というべきだろう。
そんなことを考えていると林の中に着いた。もうすぐ日が暮れるということもあって林の中は薄暗い。まるで、お伽話の闇の国にでも迷い込んだかのように四方八方が闇に包まれていた。
駆除人として闇を友にする訓練を祖父からその技術を受け継いでいなければカーラは今頃途方に暮れていただろう。
レキシーも同様だ。駆除人としての鍛錬を行なっていなければ今頃闇夜の中でなす術もなくシルベスターの放つ矢の餌食になっていたに違いない。
シルベスターは二人が他の標的たちと異なり、目が慣れていることを察したのか、先ほどと同様の快活な笑顔を浮かべながら二人に矢を手渡す。
「矢で鹿を射殺す。これはまさしく鹿狩りの代名詞です。しかし、悲しいかな私の友人の中で夜の鹿狩りに同行する人は少ないのです。目に闇が慣れていない人が多いからでしょうか」
シルベスターは大きく肩を落としながら言った。
そんなシルベスターにカーラは敢えて意見したのであった。
「それは大多数の方が陽の光を友にしているからではなくて?」
「ご名答その通りです」
シルベスターの声に皮肉はない。どうやら心の底からカーラの言葉に賛同しているらしい。
それからシルベスターは背中にかけていた弓をカーラに手渡す。
「しかし、あなたは違います。あなたは我々と同様に闇を友とする人だ。さぁ、それを射ってごらんなさい」
「お生憎ですけれども、鹿狩りはレディーではなく紳士の嗜みですの。私はご遠慮いたしますわ」
「フフッ、まぁそう仰らずに一度だけでもどうぞ。楽しいことに男女の区別なんてございませんよ」
シルベスターの言葉は正論である。好きなものや趣味に男女の違いはない。
人に迷惑をかけたり、著しく一般常識に欠けたものではない限り、各々が何を楽しもうとも個人の自由だ。少なくともカーラはそう考えている。
だが、今の自分たちが鹿狩りを楽しめるかといえばそれは全く別の問題である。
カーラは鹿狩りを辞退する意を示す代わりにシルベスターに向けて矢をつがえたのである。
きらりと怪しい光を放つ矢の先端を目の当たりにしてもシルベスターは顔色一つ変えなかった。
それどころかむしろ楽しんでいるような顔さえ浮かべているのだ。
「お待ちなさい、お嬢さん。あなたの得物はそれではないはずだ。あなたの得物は針でしょう?」
「あら、それはどなたから聞きましたの?」
直に王都の真夜中で対決を行ったオークスから直接聞いたとは口が裂けても言えない。
そのためシルベスターは相変わらずの胡散臭い笑顔を浮かべながら誤魔化すしかなかった。
だが、カーラにとっては自分の得物を知った経緯などどうでもいいことなのだ。
今は目の前の男を仕留めることができればそれでいい。
カーラは矢を引き絞っていく。
「まぁ、待ちなさいって、お嬢さん。あんたそれを上手く扱えるのかい?初めて使うんだろ?じゃあ失敗してしまうかもしれないなぁ」
落ち着け向こうは自分を動揺させようとしているだけだ。カーラは眉一つ変えずに照準を合わせていく。
「だから待てって、お嬢さん。オレは怒ってなんていないよ。むしろあんたみたいな小娘にそれが扱えるのか不安なんだよ。無理すんな。人間使ったことがないものを扱うのが大変だってことはオレが一番知ってるんだよ。だからそいつを渡しな」
男の口調が変わった。少なからず動揺の色があった。だが、カーラは動じない。それどころか男の言葉を無視して矢を放った。
しかし、矢は男の体のどこにも当たっていない。狙いが外れてしまい、男の近くの木に当たってしまったのだ。
男はそれを宣戦布告と見做し、剣を抜いてカーラの元へと駆け寄っていく。
カーラは慌てて弓と矢を地面の上へと叩き落とす。それから使い慣れた針を袖の下から取り出し、シルベスターと対峙した。
カーラは下方向から思いっきり針を振り上げたが、シルベスターはその腕を掴んで地面の上へと捻じ伏せたのである。
それからニヤリと口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべてカーラへと剣を突き刺そうと試みた。
カーラは針を動かそうとしたが、腕が拘束されていて自由に動かすことができない。万事休すかと思われたその時だ。
レキシーがシルベスターの背中に矢を突き刺したのである。鏃が突き刺さったとなればシルベスターとしてもたまったものではない。
野獣を思わせるような大きな悲鳴を上げた。そして一瞬ではあったがカーラに対する力を緩めてしまったのである。
今こそが絶好の機会だ。カーラは針をシルベスターの左腕へと突き刺した。
利き腕ではなかったが、痛みを与えるのには十分であったといえるだろう。
シルベスターは腕と背中に生じた痛みにもがき苦しみつつも、『ジャッカル』の一員としての行動は忘れていなかったらしい。
得物であるはずの剣も捨ててカーラの首を両手で思いっきり絞めあげたのである。荒い息と深く寄せられた眉間が間近で見られた。
痛みからか、相当焦っているらしい。この男を駆除するタイミングは今しかないだろう。そう考えていた時に男が地面の上へ倒れ込む。
同時にカーラは解放されることになったのだが、何が起きたのかと見てみると、そこには矢をシルベスターの延髄から引き抜くレキシーの姿が見えた。
どうやらシルベスターが自分に夢中になっている隙を利用して自身の針の用法で延髄に突き刺したらしい。
延髄は人体の急所である。暗い中で一発で狙いを定めるとはさすがは医者だ。
カーラは素直な賛辞の言葉と労いの言葉を投げ掛けた。
「いいんだよ、別に。可愛い娘があんな酷い目に遭わされて黙ってられるもんかい」
レキシーは男勝りな笑みを浮かべながら答えた。
二人は林を抜け、夜の王都を歩きながら間にあの男の死因を考えていた。
カーラの自己分析にしか過ぎなかったのだが、恐らくシルベスターはハンサムで有能であっただけに驕りが強かったのである。
また、夜の鹿狩りを楽しめる仲間にようやく出会えたという喜びから矢を分け与えてしまったことも大きかった。
それらの過失が主な敗因だろう。シルベスターは己の才覚に溺れてその身を滅ぼしたのだ。なんにせよもう二度と自分たちに前に敵として現れることはあるまい。
残る敵はジョージとウォレンの親子だけだ。あの親子から大蔵大臣の娘を取り返してようやく依頼が達成されることになるのだ。
カーラは気合を入れ直すことにしたのであった。
あとがき
本日も投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。自分としてはもう少し早い時間に投稿する予定でしたが、昼間の用事が長引いてしまい上手く仕上げることができませんでした。
以後はもう少し早めに対策を取ろうかと考えております。
父親は座っていた席の上からわざわざ立ち上がって美男子を出迎えた。息子も同様である。慌てて立ち上がったかと思うと、丁寧な一礼を行うのであった。
美男子は二人を手で制し、そのまま座るように指示を出すと、ウェイターを呼び付けて酒を注文したのであった。
いわゆるフルコースの前に飲む食前酒である。ウェイターのズボンのポケットにチップをねじ込んだためか、ウェイターは酒の他につまみまで持って現れたのだ。
美男子はウェイターから食前酒とつまみを受け取るとまずは香りを楽しみ、それから一口だけ口をつける。
ほの辛い旨みが口の中に染み渡り、美男子の心を気持ち良くさせた。
次につまみである。小さな皿の上に載ったオリーブの実と絞ったばかりの乳で作ったというチーズは熟練した恋人の踊るダンスのように上手く噛み合っていた。
美男子は舌鼓を打つと、もう一度酒を啜り、つまみを流し終えた後で『ヘリオス』経営者の親子と向き合ったのであった。
「で、お前さんたちあの小娘は無事なのか?」
小娘という単語をカーラは聞き逃さなかった。恐らく誘拐された大蔵大臣の娘だろう。
これ以上を聞き逃してはなるまい。カーラが全力で聞き耳を立てようとした時だ。
「おや、お嬢さん。まだ料理が決まらないのですか?」
あろうことかその美男子がこちらに現れたのである。気が付かれてしまったのだろうか。
心臓の鼓動の音が早くなった。ドクドクと胸を打つ音まで聞こえる。自分の耳にしか聞こえないほどの音であるのだが、どうして自分の真横から覗き込む美男子にも鼓動の音が聞こえているかのような錯覚に陥ってしまうのだろう。
過呼吸にもなっていない。平静を装っているはずだ。標的を前にして動揺の色など見せてはならない駆除人として当然の対応を見せているはずなのだが、どうしてこの男には全て見透かされているかのように思えてならないのだろうか。
カーラはそんな思いを見透かされぬように愛想笑いを浮かべながら男の言葉に答えた。
「えぇ、そうなんですの。滅多に訪れられないような場所ですので、何を頼んでいいのか悩んでおりまして」
「そうか、それは大変だな」
美男子はカーラの元へと近付いたかと思うと、メニュー表を勝手に取り、頼みもしないのにどの料理にどんな魅力があるのかを語っていく。
カーラとしては愛想笑いを貼り付けて聴くしかなかったのだ。あまりにも近い距離にまで迫るものだからカーラの鼻腔を香水の匂いが刺激した。
美男子が付けているのは男性用の香水だろう。甘い香りというよりは爽やかな印象を受けた。
カーラは美男子の言葉を受けて、料理を選びウェイターに注文することにした。その間も美男子はカーラの元から一歩も動かずに側に立ってニコニコとした様子で見守っていた。
そのため隣の席で『ヘリオス』経営者である親子が執拗に席へと戻るように指示を出していたのだが、美男子は無視してカーラに対して話を続けていた。
たまりかねたのか、親子が席を立って美男子の元へと迫ったのだが、その際に美男子は両目を剣のように鋭く尖らせ、圧を込めた声で警告の言葉を述べたのであった。
「失せろ、今オレはこの素敵なレディと優雅なひと時を過ごしているんだ。貴様らの話は後でメシが来た時にゆっくりと聞いてやる」
親子は美男子の言葉を聞き慌てて席へと戻っていった。
美男子はあの二人の親子が立ち去ったのを見ると、もう一度御伽噺に出てくるような甘いマスクの貴公子めいた笑みを浮かべて言った。
「失礼しました、お嬢さん。ぼくの飼っている豚と鼠がどうもしつこくて……特に鼠の方は困りものですな。いえね、いい女と見ると我を忘れて飛び掛かっていくのですから」
店を出る間際に感じた嫌悪感は間違いではなかったらしい。カーラは自身の予感が間違っていなかったことに対して安堵したのであった。
美男子はそんなカーラの不安を見透かしたのか、黙って体を近づけてカーラが頼んだお酒をグラスへと注いでやる。
「怖がらせて申し訳なかった。お詫びにこのワインはぼくがキミにご馳走しましょうね」
「あら、親切ですね。まさかこのようなご時世に紳士的に振る舞われる方がいるとは思いもしませんでしたわ」
カーラの言葉は明らかなおだての言葉であったが、持ち上げに気をよくしたのか、美男子は機嫌良さげに自身の席の上にあったワイングラスを持ってきて、カーラのグラスへと軽く当てたのである。
チーンという音が鳴った。いわゆる乾杯の音頭だ。
美男子が気をよくしてニコニコと笑っていると、それぞれの席にようやく料理が到着したらしい。ウェイターが穏やかな笑みを浮かべながら現れた。
美男子は残念そうな顔を浮かべて席へと戻っていく。自分と過ごすのだといってもやはり腹の虫の鳴く声には逆らえなかったらしい。
美男子の言葉に従うのならば彼が飼っているという豚と鼠とを怒鳴り付けながらいそいそと手を動かしていた。
相手を怒鳴り付けながらも所作は完璧であった。まるで、どこかの貴族の跡取り息子のようであった。
もしかすればあの男はヒューゴのようにどこかの国の王子であるのかもしれない。
カーラはそんなことを考えながら己の料理に口をつけていた。
料理を口にしながら二人で美男子の座る席に対して耳を澄ませていたのだが、聞こえてくる情報は大したものではなかった。
敢えて収穫を上げるとするのならば、かろうじて三人の名前がわかったくらいだ。父親の名前がジョージ、息子の名前がウォレンというらしい。
美男子の名前はシルベスターであった。
ところが、それ以上の情報は入ってこなかった。シルベスターがどうでもいいことを一方的に捲し立ててそれ以上の会話を防いでいたからである。
食事が終わり、ないがしろに扱われた不満からかジョージとウォレンはシルベスターを睨み付けながらレストランを出ていった。
シルベスターは待っていましたと言わんばかりの歓喜に打ちひしがれた表情を浮かべてカーラの元へと戻っていく。
「いやぁ、待たせてしまって申し訳なかった。豚と鼠を返すのに苦労してね」
シルベスターは勝手に椅子を持ってくると、その上に腰をかけて新たにウェイターを呼んで酒とデザートを注文したのである。
ただし、頼んだ酒は前のように辛い酒ではなかった。デザートとの相性をよくする甘い酒である。
いわゆる食後酒である。シルベスターは甘い匂いを心ゆくまで楽しんだ後に甘い酒を啜り、食後の快感を味わっていく。
デザートとして運ばれてきた梨を使ったコンポートも上品にスプーンで掬い上げていく。
その仕草も本当に王族もしくは貴族のように優雅であった。
カーラのみならずレキシーも美男子の完璧な所作に思わず見惚れていると、シルベスターはデザートを食べるように勧める。
二人は慌ててデザートに手を付けた。だが、シルベスターのせいか味は入ってこなかった。
どこか居心地の悪いままデザートを食べ終えると、シルベスターはそんな二人をおちょくるかのように言った。
「ねぇ、お二人さん。今度あの親子を駆除する気でしょ?二人とも駆除人ってことはオレちゃーんと知ってるんだからね」
レキシーは呆気に取られたような表情をしている。カーラも覚悟していたとはいえここまでストレートに言われてしまったことで思わず口を開けてしまっていた。
やはりこの男はただものではなかった。自分たちが駆除人だということをわかった上で話し掛けてきたのだ。
これ以上相手に話をリードさせ続けたくない。そんな微かに抱いた反抗的な思いからカーラは敢えて自分から口を切ることにした。
「何が望みでして?」
「いやだなぁ。オレは別に金に不自由しているわけじゃあない。ただ一つ警告をしたいと思っていてね」
「警告?」
二人の声が面白いように重なった。だが、シルベスターはそんなことなど気に留めることもなく話を続けていく。
「その通り、口を挟まないで欲しいんですよ。国取りのね」
シルベスターはそれだけ言い残したかと思うと、ニヤリと意味深な笑みを口元に浮かべてレストランを去っていく。
二人はそんなシルベスターの後ろ姿を黙って見送っていったのであった。
シルベスターの言葉の中に含まれていた『国取り』という単語が意味するように今回の大蔵大臣の娘誘拐はやはり『ジャッカル』によるものであったらしい。
また、シルベスターという男も『ジャッカル』の一員であることは確定だ。
恐らく仲間同志で連絡を取り合いどこかでフィン抹殺のための刺客が自分たちの手によって倒されたことを知ったのだろう。
そして、その報復として派遣した鎖鎌の男の末路もその死体騒ぎから知ったに違いない。
だが、今回敢えて自分たちの正体をジョージとウォレンの二人に話さなかったことについては理解できなかった。
あの場で自分たち二人が駆除人であるということを話してしまえば始末など簡単にできたというのに、どうしてそうしなかったのだろう。
所属する組織は違えども同じく裏に生きる人間同士のよしみとして裏の方法で始末するという手法を取りたかったのか、はたまた自らの腕を後に示すために敢えて見逃したのかは定かではない。
しかし、慈悲によって見逃されたということだけは事実である。
カーラとレキシーは己がまだ駆除人として足りない面があったと自責しながら帰宅へと着くことになったのである。
翌日も表稼業を終えてからの見張りということになったのだが、『ヘリオス』へと向かう途中にシルベスターがにやけ面を浮かべながら現れたのである。
シルベスターは二人を勝手に『ヘリオス』の店舗兼住宅の側から引き離し、郊外の林へと誘ったのである。
昨日とは異なり、シルベスターの腰には剣が下げられている。その背中には弓矢がある。
シルベスターによれば弓矢も剣も林の中に生息する鹿を狩るために扱うのだそうだ。
だが、それはあくまでも方便。実態はその弓矢で自分たちを射殺すのが本当の目的だろう。
こんな時レキシーがとある貴族より拿捕した弩があればいい勝負ができたのだろうが、生憎あんな重いものを持ち運ぶわけにもいかないので現在のところはお役御免と言わんばかりに家の中で眠りに就いている。
エドガーとの戦いの際に発したあの活躍ぶりをシルベスター相手にも披露して欲しいものだが、そこは思い描くだけ無駄というべきだろう。
そんなことを考えていると林の中に着いた。もうすぐ日が暮れるということもあって林の中は薄暗い。まるで、お伽話の闇の国にでも迷い込んだかのように四方八方が闇に包まれていた。
駆除人として闇を友にする訓練を祖父からその技術を受け継いでいなければカーラは今頃途方に暮れていただろう。
レキシーも同様だ。駆除人としての鍛錬を行なっていなければ今頃闇夜の中でなす術もなくシルベスターの放つ矢の餌食になっていたに違いない。
シルベスターは二人が他の標的たちと異なり、目が慣れていることを察したのか、先ほどと同様の快活な笑顔を浮かべながら二人に矢を手渡す。
「矢で鹿を射殺す。これはまさしく鹿狩りの代名詞です。しかし、悲しいかな私の友人の中で夜の鹿狩りに同行する人は少ないのです。目に闇が慣れていない人が多いからでしょうか」
シルベスターは大きく肩を落としながら言った。
そんなシルベスターにカーラは敢えて意見したのであった。
「それは大多数の方が陽の光を友にしているからではなくて?」
「ご名答その通りです」
シルベスターの声に皮肉はない。どうやら心の底からカーラの言葉に賛同しているらしい。
それからシルベスターは背中にかけていた弓をカーラに手渡す。
「しかし、あなたは違います。あなたは我々と同様に闇を友とする人だ。さぁ、それを射ってごらんなさい」
「お生憎ですけれども、鹿狩りはレディーではなく紳士の嗜みですの。私はご遠慮いたしますわ」
「フフッ、まぁそう仰らずに一度だけでもどうぞ。楽しいことに男女の区別なんてございませんよ」
シルベスターの言葉は正論である。好きなものや趣味に男女の違いはない。
人に迷惑をかけたり、著しく一般常識に欠けたものではない限り、各々が何を楽しもうとも個人の自由だ。少なくともカーラはそう考えている。
だが、今の自分たちが鹿狩りを楽しめるかといえばそれは全く別の問題である。
カーラは鹿狩りを辞退する意を示す代わりにシルベスターに向けて矢をつがえたのである。
きらりと怪しい光を放つ矢の先端を目の当たりにしてもシルベスターは顔色一つ変えなかった。
それどころかむしろ楽しんでいるような顔さえ浮かべているのだ。
「お待ちなさい、お嬢さん。あなたの得物はそれではないはずだ。あなたの得物は針でしょう?」
「あら、それはどなたから聞きましたの?」
直に王都の真夜中で対決を行ったオークスから直接聞いたとは口が裂けても言えない。
そのためシルベスターは相変わらずの胡散臭い笑顔を浮かべながら誤魔化すしかなかった。
だが、カーラにとっては自分の得物を知った経緯などどうでもいいことなのだ。
今は目の前の男を仕留めることができればそれでいい。
カーラは矢を引き絞っていく。
「まぁ、待ちなさいって、お嬢さん。あんたそれを上手く扱えるのかい?初めて使うんだろ?じゃあ失敗してしまうかもしれないなぁ」
落ち着け向こうは自分を動揺させようとしているだけだ。カーラは眉一つ変えずに照準を合わせていく。
「だから待てって、お嬢さん。オレは怒ってなんていないよ。むしろあんたみたいな小娘にそれが扱えるのか不安なんだよ。無理すんな。人間使ったことがないものを扱うのが大変だってことはオレが一番知ってるんだよ。だからそいつを渡しな」
男の口調が変わった。少なからず動揺の色があった。だが、カーラは動じない。それどころか男の言葉を無視して矢を放った。
しかし、矢は男の体のどこにも当たっていない。狙いが外れてしまい、男の近くの木に当たってしまったのだ。
男はそれを宣戦布告と見做し、剣を抜いてカーラの元へと駆け寄っていく。
カーラは慌てて弓と矢を地面の上へと叩き落とす。それから使い慣れた針を袖の下から取り出し、シルベスターと対峙した。
カーラは下方向から思いっきり針を振り上げたが、シルベスターはその腕を掴んで地面の上へと捻じ伏せたのである。
それからニヤリと口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべてカーラへと剣を突き刺そうと試みた。
カーラは針を動かそうとしたが、腕が拘束されていて自由に動かすことができない。万事休すかと思われたその時だ。
レキシーがシルベスターの背中に矢を突き刺したのである。鏃が突き刺さったとなればシルベスターとしてもたまったものではない。
野獣を思わせるような大きな悲鳴を上げた。そして一瞬ではあったがカーラに対する力を緩めてしまったのである。
今こそが絶好の機会だ。カーラは針をシルベスターの左腕へと突き刺した。
利き腕ではなかったが、痛みを与えるのには十分であったといえるだろう。
シルベスターは腕と背中に生じた痛みにもがき苦しみつつも、『ジャッカル』の一員としての行動は忘れていなかったらしい。
得物であるはずの剣も捨ててカーラの首を両手で思いっきり絞めあげたのである。荒い息と深く寄せられた眉間が間近で見られた。
痛みからか、相当焦っているらしい。この男を駆除するタイミングは今しかないだろう。そう考えていた時に男が地面の上へ倒れ込む。
同時にカーラは解放されることになったのだが、何が起きたのかと見てみると、そこには矢をシルベスターの延髄から引き抜くレキシーの姿が見えた。
どうやらシルベスターが自分に夢中になっている隙を利用して自身の針の用法で延髄に突き刺したらしい。
延髄は人体の急所である。暗い中で一発で狙いを定めるとはさすがは医者だ。
カーラは素直な賛辞の言葉と労いの言葉を投げ掛けた。
「いいんだよ、別に。可愛い娘があんな酷い目に遭わされて黙ってられるもんかい」
レキシーは男勝りな笑みを浮かべながら答えた。
二人は林を抜け、夜の王都を歩きながら間にあの男の死因を考えていた。
カーラの自己分析にしか過ぎなかったのだが、恐らくシルベスターはハンサムで有能であっただけに驕りが強かったのである。
また、夜の鹿狩りを楽しめる仲間にようやく出会えたという喜びから矢を分け与えてしまったことも大きかった。
それらの過失が主な敗因だろう。シルベスターは己の才覚に溺れてその身を滅ぼしたのだ。なんにせよもう二度と自分たちに前に敵として現れることはあるまい。
残る敵はジョージとウォレンの親子だけだ。あの親子から大蔵大臣の娘を取り返してようやく依頼が達成されることになるのだ。
カーラは気合を入れ直すことにしたのであった。
あとがき
本日も投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。自分としてはもう少し早い時間に投稿する予定でしたが、昼間の用事が長引いてしまい上手く仕上げることができませんでした。
以後はもう少し早めに対策を取ろうかと考えております。
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