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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
没落令嬢が公爵邸に向かった理由
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フィンは二人の男たちが倒れている場面を見て言葉を失っていた。
恐らくここ最近になって感じている気配の正体というのはこの人物たちで間違いないだろう。
しかし、信じられないのはこの二人を倒したのがカーラとレキシーの二人であるということだ。
にわかには信じられないことであるが、人間というものは窮地に陥ればものすごい力が生じることがあるということを聞く。
恐らく二人はその力を使ってこの刺客たちを始末したのだろう。
フィンはそう思うことで自身を納得させた。
いずれにしろ、こんな状況ではお茶会などできない。フィンは二人に護衛の兵士をつけて家まで送り届けさせた後に一人自室で頭を捻りながら自分を狙う敵の正体を考えていく。
庶民寄りの政策ばかりを打ち出す自分に対する保守派の貴族たちからの嫌がらせだろうか。
はたまた、自分の命を断つことでその王位を簒奪しようと目論む貴族たちの仕業だろうか。国王という地位に就けば美味い汁が啜れる。
それ故に人々は誰しもが国王の椅子を欲しがるのだ。
だが、椅子を欲しがる人々にとって国王の重責というものは理解できない。
何もかも好き勝手にできるわけがないのだ。貴族の顔を立て、平民の顔を立て、そうすることで王として認められるのだ。
直系であり、前国王の嫡男であるとはいえ次の国王を任される身であったので一応の帝王学は受けたが、それでも国王の暮らしというのは辛くて苦しいものである。時には重積に押し潰されてしまいそうになることさえあった。
いっそのこと変われるものならば変わってほしいと願うのだが、今自分に万一のことがあればこれまで通してきた平民有利の政策は次代の国王によって覆されてしまうに違いない。
それ故にあと半世紀は自分が持ち堪えねばならぬような気がするのだ。それだけでフィンは自身を思い留めていたのである。
フィンが頭を抱えながら部屋の中で唸り声を上げていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
メイドかと思い入室を許可すると、そこには意外な人物が立っていた。
「クリストフか」
フィンは身内であるクリストフの名前を久し振りに呼んだ。
「やぁ、フィン。少し入ってもいいか?」
クリストフは手を挙げ、快活な笑顔を浮かべていた。だが、対照的にフィンの顔は沈んでいた。
そのことが気になったクリストフが詳細を問い掛けると、自身の命を狙っていたという刺客が倒れていたことが原因であるそうだ。
クリストフは慰めの言葉をかけ、フィンの肩を優しく叩いていく。
身内から温かい態度をもらったことで、フィンも少し落ち着いたらしい。
「あぁ、もう少しでメイドがお茶を運んでくるはずだからその時一緒に茶を運ぶように指示しよう」
と、元気のない笑顔で答えた。
「お茶?酒ではないのか?」
クリストフは目を丸くしながら問い掛けた。
「生憎だが、レキシー先生からしばらくの間禁酒を言い渡されていてな。それで飲めぬのだ」
フィンは力なく笑う。申し訳なさそうに両肩を落としてもいた。
「レキシー先生?誰だ?そいつは」
「町医者だ。診療所を経営されている方でな。人徳者として誉高い方だ」
「町医者?」
クリストフの問い掛けにはあからさまな蔑みが含まれていた。町医者は医者といえども平民である。そのような下賎な人物が国王の体を見るなど王宮に優れた医者がいないと宣伝しているようなものではないか。
クリストフは顔に嘲笑の笑みを浮かべながらフィンにそう告げたのだが、フィンは困ったような笑みを浮かべながら、
「レキシー先生は町医者といえども侮れない方だ。父上の病気を最後に看取ったのもあの方だしな」
と、何も問題がないと言わんばかりの口調で答えたのだ。
クリストフはそんなフィンに向かってあからさまに小馬鹿にした笑みを貼り付けながら言葉を返す。
「なるほど、王政において大臣の中に門閥貴族があまり含まれないのもそれが理由か?」
「その通りだ。俺はいずれ平民であろうとも有能な人物であれば登用しようかと考えている」
クリストフは顔から笑みを消した。平民の登用など神聖な王宮政治を汚すようなものではないか。
フィンは盲目してしまったのではないだろうか。クリストフの中で怒りの炎が沸々と湧き出していく。
本来であるのならば国王に対して不敬だとも言われるだろうが、クリストフは叫ばずにはいられなかった。
神聖な王宮政治を汚す不浄の国王に対する弾劾の言葉を。
だが、クリストフは熱を込めて懸命に弁を振るったのにも関わらず、返ってきたのはギヤマンのグラスの中に添えられる氷を思わせるような冷ややかな一言であった。
「そのようなことに拘っていればいずれ、しっぺ返しを喰らうのは王族や貴族だ。『天に唾を吐けばその唾は己に落ちてくる』という諺を知らぬ貴君でもあるまい?」
「平民が反旗を翻す?バカな、そんなことがあるわけがないだろう?」
クリストフはそれが常識だと言わんばかりに胸を張りながらフィンの主張を否定した。この時代において王族や貴族は絶対的な存在であり、平民たちはそれに従うだけの存在であったのだ。
更に加えて、ホワインセアム家は名門中の名門。その名門貴族や王族に平民が反旗を翻すなど天地がひっくり返ったとしてもあり得ないと考えていたのである。
「わからぬぞ」
フィンはクリストフの言葉をあっさりと否定した。
人差し指を立てながらクリストフに向かってクライン王国よりも更に西へと向かい、西方向に位置するグレタリア王国という国にて聖職者が平民を追い出し、国王を処刑したという実例を持ち出した。
現在諸国はグレタリア封じ込め政策を行っているらしいことまでも説明したが、クリストフは聞く耳を持たなかった。
この時運が良いのか、悪いのかはわからなかったが、メイドがフィンのためにお茶を運んで現れた。
クリストフはメイドにちょっかいをかけようとしたのだが、フィンに止められてしまい帰されることになってしまった。
クリストフはいささか不満を覚えながら王宮の前に止めていた馬車で自宅へと戻っていくのであった。
馬車に揺られながらクリストフは腕を組み、両目を瞑りながらフィンの抹殺を決意した。
今回フィンの元を訪れた理由は公爵家の後ろ盾となったオークス・ドレイジアの指示によるものであった。
オークス曰くフィンは国王のくせに平民に媚びるような愚かな男であるらしく、それを確認するようにとのことであったのだ。
実際のところはオークスが放った刺客がフィンの命を狙えたかどうかということの確認であったのだが、オークスは敢えてそのことを伏せていた。
馬車から降り、自身の屋敷を見上げると改めて貴族というものの素晴らしさが理解できた。
林や小川の存在する大庭園を築けるのも少し蔵から出すだけで寝そべることができるほどの金貨を引っ張り出せるのも貴族の権威と権力があるからだ。
その二つの力を持つ貴族を蔑ろにし、平民ばかりを優遇する害虫のような国王を取り除かなくてはならないとクリストフは断固決意した。
屋敷へと戻る間際に執事から応接室の間にオークスと連れだと思われる女性がいることを告げられたが、ちょうどいい。
その二人にフィンがどのような人物であったのかを話してやろうと考えた。
だが、応接室の扉を開くなり、かつての婚約者エミリーがオークスの横で座っていたことには驚いた。
エミリーは相変わらずであった。野畑に咲いた花のように美しさだ。可愛らしく微笑んだ後に立ち上がって一礼を行う。
貴族令嬢に相応しいスカートの両裾を掴んでからの礼であった。
だが、そんなことはどうでもいい。クリストフにとってはこのエミリーこそが自分を没落に追い込んだ張本人であるのだ。
憎悪の炎を宿した両目でエミリーを睨み、そのまま掴み掛かろうと目論んだ。
だが、その前にオークスが立ち塞がり、クリストフの暴挙を止めた。
「お待ちくださいませ、エミリー嬢は私がお呼びしたのです」
「ふざけるなッ!」
クリストフはエミリーを殴るために拳を作り上げようとしたが、オークスが腹部に強烈な一撃を喰らわせたことで引かざるを得なかった。
腹部に攻撃を受けたことよりもこれまでの人生においてそのようなことをされたことがないクリストフはいまだに衝撃から立ち直れずにいた。
エミリーは婚約者が倒れた姿を見て悲鳴を上げてクリストフの元へと駆け寄り、優しくその背中をさすろうとしたが、クリストフはその手を乱暴に払い除けた。
そればかりか、先ほどよりも険しい目でエミリーを睨んでいた。
「黙れ、全部貴様のせいだ……貴様との婚約を破棄していれば今頃オレは……」
エミリーは涙した。瞳から溢れ出すような涙は透明の宝石のようであった。
嗚咽まで出してシクシクと泣く姿に流石のクリストフも罪悪感に駆られたらしい。
慌ててエミリーを慰めた。しかし、慰められてからもエミリーは涙を止めなかった。そのためクリストフは自身の胸をエミリーの涙で汚さなくてはならなかった。
エミリーが落ち着きを取り戻した後になってようやくオークスが口を開いた。
「いかがでしょうか?いっそ可哀想なエミリー嬢に貴族の身分を新たにお与えになっては?」
「貴族の身分だと!?」
「えぇ、その上でエミリー嬢を婚約者として発表するのです。現在こそ身分を平民に落としたものの、かつては公爵家の令嬢……いかがでしょう?決して劣りはせぬと思われますが」
「なるほど、貴様らがオレを監視するために見張りということか?」
クリストフは皮肉たっぷりに呟いたが、オークスは意に返していない。
にこりと意味深な笑みを浮かべるばかりであった。
その日は面倒になったのか、王家に放った刺客のことについて触れ、どういう顛末を辿ったのかを問いてから終わりとなった。
また、クリストフとしても反論などを行えば自分の意見が封殺されてしまうことなどは理解していた。
それ故にエミリーをもう一度婚約者として迎え入れる手続きを行わねばならなかったのだ。
そればかりではなく、貴族としての新たな身分も与えなくてはなるまい。
ホワインセアム公爵家が兼任している爵位の中で新たにエミリーへ与えられそうなのはリバリー男爵の地位であった。
翌日エミリーはクリストフからリバリー男爵位を与えられ、新たにリバリー男爵夫人として社交界に君臨することになったのである。
社交界において当初こそエミリーは笑いものになったが、権威的な美しの前に貴公子たちはハートを射抜かれてしまった。
美男と美女であるため絵にもなる。社交界の婦人たちは二人のことを噂するようになった。
それ故にエミリーの復帰と婚約者としての新たな発表に反対する貴族は塩をめぐってのトラブルが発生していたバロウズ公爵家やそれに与する家を除いてはほとんど誰も反対することはなくなったのだ。
こうして、エミリー・ハンセン改めエミリー・リバリーはオークスの口添えによって再び貴族として再起を図ることになったのである。
だが、オークスはここで終わらせるつもりはなかった。ゆくゆくはエミリーを王妃へと推薦する予定であった。
「なるほど、そんなことがあったのか」
ヒューゴは酒を啜りながらお忍びで駆除人ギルドを訪れたマチルダからクリストフとエミリーが再度婚約を結んだことを教えられたのである。昼間からこうしてギルド内で酒をゆっくり飲むことができるのもマチルダが来てくれたお陰だ。
ヒューゴがマチルダに感謝の目を向けていると、マチルダは喜んだ顔のヒューゴとは対照的に物憂げな顔を浮かべて言った。
「そうなのよ。お陰でバロウズ家はホワインセアム家に対する警戒を強めなくてはならなくなったの」
マチルダは鉛よりも重い溜息を吐いて新たな権力闘争が始まることを憂いていた。
マチルダとしてはそのような無意味な権力争いに時間を費やすよりも他の有意義なことに金と時間を回したいらしい。
貴族令嬢だというのにしっかりとしているところがヒューゴの関心を引いた。
もし、自分が国王であったのならばマチルダを引っ張りたかったかもしれない。
待て、自分は何の目的があってマチルダを引っ張りたいのだ。妃としてか?はたまた、大臣としてか?
今のヒューゴにはその分別ができなかった。今の今までカーラに惹かれていたはずであるのだが、いつからかマチルダも意識するようになっている。困ったものだ。
ヒューゴが苦笑していると、バーカウンターの向こうで夜の経営に備えてつまみとなりうる保存肉の入ったサンドイッチを準備していたギルドマスターが唸り声を上げているのが見えた。
「マスター、どうしたんです?」
ヒューゴが気になって声をかけると、ギルドマスターが難しい顔を浮かべながら振り返った。
「妙だと思ってな」
「妙?」
「あぁ、このタイミングでどうしてホワインセアム様がエミリーなんて落ちぶれた令嬢に声を掛けたのかなんてな」
「確かに、妙ですね。その人から見れば今だとエミリーなんてただの平民に過ぎないのに」
仮にも公爵家の嫡男を『その人』呼ばわりできるのはヒューゴが曲がりなりにも王子であるからだろう。
だが、ギルドマスターはそれを咎めることなく話を続けていく。
「しかも、事件の直後ならばそのことを揺るぎない愛だとか何とか言って自分の宣伝に使えたんだろうが、今はもう事件から数ヶ月が経ってるんだぜ。なーんか裏があるように思わねぇか?」
「裏って……まさか?」
「そのまさかさ」
ギルドマスターが両眼を光らせた。どうやらこの婚約劇の背後には『ジャッカル』が貼っているのだと感じたに違いない。
『ジャッカル』が力を貸したのならばクリストフがエミリーを婚約者として迎え入れたのにも納得がいく。
ヒューゴの推論としては『ジャッカル』がエミリーを手懐け、そのエミリーを監視役としてクリストフの元に派遣したということだ。
それならば辻褄が合う。恐らく何か狙いがあってのことだろうが、ヒューゴにはその先が読めない。
それはギルドマスターも同様であったようで、その先はわからないと言わんばかりに悲観した表情で俯くばかりであった。
その時だ。マチルダが椅子の上から立ち上がり、自身の推論を口にした。
それは王位簒奪の計画。つまるところ王位の乗っ取りである。
クリストフにしろエミリーにしろ『ジャッカル』の後ろ盾を得ていたのするのならばその力を活用して王位を狙っているのではないだろうか。
その見返りとして王位に就いた暁には『ジャッカル』の意のままに動くことが約束されているのではないだろうか。
マチルダの計画を聞いた三人は凍り付いたが、可能性がないわけではないということに背筋を凍らせるばかりであった。
その考えを半ば確信へと至らせたのは駆除の報告のために店を訪れたカーラからクリストフ並びにホワインセアム公爵家のよくない噂を聞いてからであった。
ホワインセアム公爵家が影の王家として君臨する一方で、直系にもしものことがない場合には王位継承権が与えられないということは確定している。
これまでは直系の地が揺らぐことがなかった。そのため公爵家が心のうちに黒い心を宿らせていようとも出番はなかったのだ。
しかし、現在はフィンに万一のことがあれば直系は断絶する危機にある。
そのため自然と公爵家に番が回ってくるのだ。
ギルドマスターは再び腕を組んで今後のことを思案していた。
駆除人ギルドの原則は政治の世界に口を挟まなことだ。だが、ネオドラビア教との抗争で王都におけるギルドは崩れつつある。
加えて今回の一件はギルドに所属するヒューゴを狙った『ジャッカル』の連中による犯行なのだ。放っておくわけにもいくまい。
ギルドマスターはまたしても重大な決断を迫られることになったのであった。
カーラやヒューゴはギルドマスターの判断を待っているのか、両者の目には青白い光が宿っている。
だが、容易に決断は下せまい。ギルドマスターは困惑した。ヴァイオレットにも目を向けたが、それは同じである。気まずそうに目線を逸らすばかりであった。
あとがき
本日も投稿が遅くなってしまい申し訳ございません。自分自身が凝り性のために作品に費やす時間が長くなってしまったことと重要な用事があり、どうしても早くから取り組めなかったこともありこのような時間帯になってしまいました。
改めてお詫び申し上げます。
恐らくここ最近になって感じている気配の正体というのはこの人物たちで間違いないだろう。
しかし、信じられないのはこの二人を倒したのがカーラとレキシーの二人であるということだ。
にわかには信じられないことであるが、人間というものは窮地に陥ればものすごい力が生じることがあるということを聞く。
恐らく二人はその力を使ってこの刺客たちを始末したのだろう。
フィンはそう思うことで自身を納得させた。
いずれにしろ、こんな状況ではお茶会などできない。フィンは二人に護衛の兵士をつけて家まで送り届けさせた後に一人自室で頭を捻りながら自分を狙う敵の正体を考えていく。
庶民寄りの政策ばかりを打ち出す自分に対する保守派の貴族たちからの嫌がらせだろうか。
はたまた、自分の命を断つことでその王位を簒奪しようと目論む貴族たちの仕業だろうか。国王という地位に就けば美味い汁が啜れる。
それ故に人々は誰しもが国王の椅子を欲しがるのだ。
だが、椅子を欲しがる人々にとって国王の重責というものは理解できない。
何もかも好き勝手にできるわけがないのだ。貴族の顔を立て、平民の顔を立て、そうすることで王として認められるのだ。
直系であり、前国王の嫡男であるとはいえ次の国王を任される身であったので一応の帝王学は受けたが、それでも国王の暮らしというのは辛くて苦しいものである。時には重積に押し潰されてしまいそうになることさえあった。
いっそのこと変われるものならば変わってほしいと願うのだが、今自分に万一のことがあればこれまで通してきた平民有利の政策は次代の国王によって覆されてしまうに違いない。
それ故にあと半世紀は自分が持ち堪えねばならぬような気がするのだ。それだけでフィンは自身を思い留めていたのである。
フィンが頭を抱えながら部屋の中で唸り声を上げていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
メイドかと思い入室を許可すると、そこには意外な人物が立っていた。
「クリストフか」
フィンは身内であるクリストフの名前を久し振りに呼んだ。
「やぁ、フィン。少し入ってもいいか?」
クリストフは手を挙げ、快活な笑顔を浮かべていた。だが、対照的にフィンの顔は沈んでいた。
そのことが気になったクリストフが詳細を問い掛けると、自身の命を狙っていたという刺客が倒れていたことが原因であるそうだ。
クリストフは慰めの言葉をかけ、フィンの肩を優しく叩いていく。
身内から温かい態度をもらったことで、フィンも少し落ち着いたらしい。
「あぁ、もう少しでメイドがお茶を運んでくるはずだからその時一緒に茶を運ぶように指示しよう」
と、元気のない笑顔で答えた。
「お茶?酒ではないのか?」
クリストフは目を丸くしながら問い掛けた。
「生憎だが、レキシー先生からしばらくの間禁酒を言い渡されていてな。それで飲めぬのだ」
フィンは力なく笑う。申し訳なさそうに両肩を落としてもいた。
「レキシー先生?誰だ?そいつは」
「町医者だ。診療所を経営されている方でな。人徳者として誉高い方だ」
「町医者?」
クリストフの問い掛けにはあからさまな蔑みが含まれていた。町医者は医者といえども平民である。そのような下賎な人物が国王の体を見るなど王宮に優れた医者がいないと宣伝しているようなものではないか。
クリストフは顔に嘲笑の笑みを浮かべながらフィンにそう告げたのだが、フィンは困ったような笑みを浮かべながら、
「レキシー先生は町医者といえども侮れない方だ。父上の病気を最後に看取ったのもあの方だしな」
と、何も問題がないと言わんばかりの口調で答えたのだ。
クリストフはそんなフィンに向かってあからさまに小馬鹿にした笑みを貼り付けながら言葉を返す。
「なるほど、王政において大臣の中に門閥貴族があまり含まれないのもそれが理由か?」
「その通りだ。俺はいずれ平民であろうとも有能な人物であれば登用しようかと考えている」
クリストフは顔から笑みを消した。平民の登用など神聖な王宮政治を汚すようなものではないか。
フィンは盲目してしまったのではないだろうか。クリストフの中で怒りの炎が沸々と湧き出していく。
本来であるのならば国王に対して不敬だとも言われるだろうが、クリストフは叫ばずにはいられなかった。
神聖な王宮政治を汚す不浄の国王に対する弾劾の言葉を。
だが、クリストフは熱を込めて懸命に弁を振るったのにも関わらず、返ってきたのはギヤマンのグラスの中に添えられる氷を思わせるような冷ややかな一言であった。
「そのようなことに拘っていればいずれ、しっぺ返しを喰らうのは王族や貴族だ。『天に唾を吐けばその唾は己に落ちてくる』という諺を知らぬ貴君でもあるまい?」
「平民が反旗を翻す?バカな、そんなことがあるわけがないだろう?」
クリストフはそれが常識だと言わんばかりに胸を張りながらフィンの主張を否定した。この時代において王族や貴族は絶対的な存在であり、平民たちはそれに従うだけの存在であったのだ。
更に加えて、ホワインセアム家は名門中の名門。その名門貴族や王族に平民が反旗を翻すなど天地がひっくり返ったとしてもあり得ないと考えていたのである。
「わからぬぞ」
フィンはクリストフの言葉をあっさりと否定した。
人差し指を立てながらクリストフに向かってクライン王国よりも更に西へと向かい、西方向に位置するグレタリア王国という国にて聖職者が平民を追い出し、国王を処刑したという実例を持ち出した。
現在諸国はグレタリア封じ込め政策を行っているらしいことまでも説明したが、クリストフは聞く耳を持たなかった。
この時運が良いのか、悪いのかはわからなかったが、メイドがフィンのためにお茶を運んで現れた。
クリストフはメイドにちょっかいをかけようとしたのだが、フィンに止められてしまい帰されることになってしまった。
クリストフはいささか不満を覚えながら王宮の前に止めていた馬車で自宅へと戻っていくのであった。
馬車に揺られながらクリストフは腕を組み、両目を瞑りながらフィンの抹殺を決意した。
今回フィンの元を訪れた理由は公爵家の後ろ盾となったオークス・ドレイジアの指示によるものであった。
オークス曰くフィンは国王のくせに平民に媚びるような愚かな男であるらしく、それを確認するようにとのことであったのだ。
実際のところはオークスが放った刺客がフィンの命を狙えたかどうかということの確認であったのだが、オークスは敢えてそのことを伏せていた。
馬車から降り、自身の屋敷を見上げると改めて貴族というものの素晴らしさが理解できた。
林や小川の存在する大庭園を築けるのも少し蔵から出すだけで寝そべることができるほどの金貨を引っ張り出せるのも貴族の権威と権力があるからだ。
その二つの力を持つ貴族を蔑ろにし、平民ばかりを優遇する害虫のような国王を取り除かなくてはならないとクリストフは断固決意した。
屋敷へと戻る間際に執事から応接室の間にオークスと連れだと思われる女性がいることを告げられたが、ちょうどいい。
その二人にフィンがどのような人物であったのかを話してやろうと考えた。
だが、応接室の扉を開くなり、かつての婚約者エミリーがオークスの横で座っていたことには驚いた。
エミリーは相変わらずであった。野畑に咲いた花のように美しさだ。可愛らしく微笑んだ後に立ち上がって一礼を行う。
貴族令嬢に相応しいスカートの両裾を掴んでからの礼であった。
だが、そんなことはどうでもいい。クリストフにとってはこのエミリーこそが自分を没落に追い込んだ張本人であるのだ。
憎悪の炎を宿した両目でエミリーを睨み、そのまま掴み掛かろうと目論んだ。
だが、その前にオークスが立ち塞がり、クリストフの暴挙を止めた。
「お待ちくださいませ、エミリー嬢は私がお呼びしたのです」
「ふざけるなッ!」
クリストフはエミリーを殴るために拳を作り上げようとしたが、オークスが腹部に強烈な一撃を喰らわせたことで引かざるを得なかった。
腹部に攻撃を受けたことよりもこれまでの人生においてそのようなことをされたことがないクリストフはいまだに衝撃から立ち直れずにいた。
エミリーは婚約者が倒れた姿を見て悲鳴を上げてクリストフの元へと駆け寄り、優しくその背中をさすろうとしたが、クリストフはその手を乱暴に払い除けた。
そればかりか、先ほどよりも険しい目でエミリーを睨んでいた。
「黙れ、全部貴様のせいだ……貴様との婚約を破棄していれば今頃オレは……」
エミリーは涙した。瞳から溢れ出すような涙は透明の宝石のようであった。
嗚咽まで出してシクシクと泣く姿に流石のクリストフも罪悪感に駆られたらしい。
慌ててエミリーを慰めた。しかし、慰められてからもエミリーは涙を止めなかった。そのためクリストフは自身の胸をエミリーの涙で汚さなくてはならなかった。
エミリーが落ち着きを取り戻した後になってようやくオークスが口を開いた。
「いかがでしょうか?いっそ可哀想なエミリー嬢に貴族の身分を新たにお与えになっては?」
「貴族の身分だと!?」
「えぇ、その上でエミリー嬢を婚約者として発表するのです。現在こそ身分を平民に落としたものの、かつては公爵家の令嬢……いかがでしょう?決して劣りはせぬと思われますが」
「なるほど、貴様らがオレを監視するために見張りということか?」
クリストフは皮肉たっぷりに呟いたが、オークスは意に返していない。
にこりと意味深な笑みを浮かべるばかりであった。
その日は面倒になったのか、王家に放った刺客のことについて触れ、どういう顛末を辿ったのかを問いてから終わりとなった。
また、クリストフとしても反論などを行えば自分の意見が封殺されてしまうことなどは理解していた。
それ故にエミリーをもう一度婚約者として迎え入れる手続きを行わねばならなかったのだ。
そればかりではなく、貴族としての新たな身分も与えなくてはなるまい。
ホワインセアム公爵家が兼任している爵位の中で新たにエミリーへ与えられそうなのはリバリー男爵の地位であった。
翌日エミリーはクリストフからリバリー男爵位を与えられ、新たにリバリー男爵夫人として社交界に君臨することになったのである。
社交界において当初こそエミリーは笑いものになったが、権威的な美しの前に貴公子たちはハートを射抜かれてしまった。
美男と美女であるため絵にもなる。社交界の婦人たちは二人のことを噂するようになった。
それ故にエミリーの復帰と婚約者としての新たな発表に反対する貴族は塩をめぐってのトラブルが発生していたバロウズ公爵家やそれに与する家を除いてはほとんど誰も反対することはなくなったのだ。
こうして、エミリー・ハンセン改めエミリー・リバリーはオークスの口添えによって再び貴族として再起を図ることになったのである。
だが、オークスはここで終わらせるつもりはなかった。ゆくゆくはエミリーを王妃へと推薦する予定であった。
「なるほど、そんなことがあったのか」
ヒューゴは酒を啜りながらお忍びで駆除人ギルドを訪れたマチルダからクリストフとエミリーが再度婚約を結んだことを教えられたのである。昼間からこうしてギルド内で酒をゆっくり飲むことができるのもマチルダが来てくれたお陰だ。
ヒューゴがマチルダに感謝の目を向けていると、マチルダは喜んだ顔のヒューゴとは対照的に物憂げな顔を浮かべて言った。
「そうなのよ。お陰でバロウズ家はホワインセアム家に対する警戒を強めなくてはならなくなったの」
マチルダは鉛よりも重い溜息を吐いて新たな権力闘争が始まることを憂いていた。
マチルダとしてはそのような無意味な権力争いに時間を費やすよりも他の有意義なことに金と時間を回したいらしい。
貴族令嬢だというのにしっかりとしているところがヒューゴの関心を引いた。
もし、自分が国王であったのならばマチルダを引っ張りたかったかもしれない。
待て、自分は何の目的があってマチルダを引っ張りたいのだ。妃としてか?はたまた、大臣としてか?
今のヒューゴにはその分別ができなかった。今の今までカーラに惹かれていたはずであるのだが、いつからかマチルダも意識するようになっている。困ったものだ。
ヒューゴが苦笑していると、バーカウンターの向こうで夜の経営に備えてつまみとなりうる保存肉の入ったサンドイッチを準備していたギルドマスターが唸り声を上げているのが見えた。
「マスター、どうしたんです?」
ヒューゴが気になって声をかけると、ギルドマスターが難しい顔を浮かべながら振り返った。
「妙だと思ってな」
「妙?」
「あぁ、このタイミングでどうしてホワインセアム様がエミリーなんて落ちぶれた令嬢に声を掛けたのかなんてな」
「確かに、妙ですね。その人から見れば今だとエミリーなんてただの平民に過ぎないのに」
仮にも公爵家の嫡男を『その人』呼ばわりできるのはヒューゴが曲がりなりにも王子であるからだろう。
だが、ギルドマスターはそれを咎めることなく話を続けていく。
「しかも、事件の直後ならばそのことを揺るぎない愛だとか何とか言って自分の宣伝に使えたんだろうが、今はもう事件から数ヶ月が経ってるんだぜ。なーんか裏があるように思わねぇか?」
「裏って……まさか?」
「そのまさかさ」
ギルドマスターが両眼を光らせた。どうやらこの婚約劇の背後には『ジャッカル』が貼っているのだと感じたに違いない。
『ジャッカル』が力を貸したのならばクリストフがエミリーを婚約者として迎え入れたのにも納得がいく。
ヒューゴの推論としては『ジャッカル』がエミリーを手懐け、そのエミリーを監視役としてクリストフの元に派遣したということだ。
それならば辻褄が合う。恐らく何か狙いがあってのことだろうが、ヒューゴにはその先が読めない。
それはギルドマスターも同様であったようで、その先はわからないと言わんばかりに悲観した表情で俯くばかりであった。
その時だ。マチルダが椅子の上から立ち上がり、自身の推論を口にした。
それは王位簒奪の計画。つまるところ王位の乗っ取りである。
クリストフにしろエミリーにしろ『ジャッカル』の後ろ盾を得ていたのするのならばその力を活用して王位を狙っているのではないだろうか。
その見返りとして王位に就いた暁には『ジャッカル』の意のままに動くことが約束されているのではないだろうか。
マチルダの計画を聞いた三人は凍り付いたが、可能性がないわけではないということに背筋を凍らせるばかりであった。
その考えを半ば確信へと至らせたのは駆除の報告のために店を訪れたカーラからクリストフ並びにホワインセアム公爵家のよくない噂を聞いてからであった。
ホワインセアム公爵家が影の王家として君臨する一方で、直系にもしものことがない場合には王位継承権が与えられないということは確定している。
これまでは直系の地が揺らぐことがなかった。そのため公爵家が心のうちに黒い心を宿らせていようとも出番はなかったのだ。
しかし、現在はフィンに万一のことがあれば直系は断絶する危機にある。
そのため自然と公爵家に番が回ってくるのだ。
ギルドマスターは再び腕を組んで今後のことを思案していた。
駆除人ギルドの原則は政治の世界に口を挟まなことだ。だが、ネオドラビア教との抗争で王都におけるギルドは崩れつつある。
加えて今回の一件はギルドに所属するヒューゴを狙った『ジャッカル』の連中による犯行なのだ。放っておくわけにもいくまい。
ギルドマスターはまたしても重大な決断を迫られることになったのであった。
カーラやヒューゴはギルドマスターの判断を待っているのか、両者の目には青白い光が宿っている。
だが、容易に決断は下せまい。ギルドマスターは困惑した。ヴァイオレットにも目を向けたが、それは同じである。気まずそうに目線を逸らすばかりであった。
あとがき
本日も投稿が遅くなってしまい申し訳ございません。自分自身が凝り性のために作品に費やす時間が長くなってしまったことと重要な用事があり、どうしても早くから取り組めなかったこともありこのような時間帯になってしまいました。
改めてお詫び申し上げます。
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