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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
狼が手を組んだ相手
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クリストフ・ホワインセアムは自分という人間に対して絶対的な自信を誇っていた。
その理由は由緒正しいホワインセアム公爵家を次期に継ぐ才能に溢れた若者であったこともそうであるし、勉学に優れ、武芸に優れ門閥貴族の中では並ぶべきものなしであったという点も大きい。
容姿も社交界に並ぶ者なしと称されるほどの美男子である。美しい顔のお手本のような小綺麗な容姿であったので、人物画を描く人たちに重宝されるほどであった。
だが、それらの理由はクリストフからすれば小さなものだ。おまけに過ぎない。クリストフが国王のような絶対的な自信を持っていた理由がある。それはホアインセアム公爵家は他の公爵家とは異なり王家にもしものことがあれば自分たちが王家を継ぐ資格があるということだ。
ホワインセアム公爵家の創始者であるヘンリーは初代国王の実弟であったとされ、国王に継ぐ権利と権限を与えられたのだ。
いうならばクライン王国における影の王家ともいうべき存在であった。クリストフは本来であるのならば表舞台にしろ、社交界にしろ手放しに多くの人たちから賞賛されるべき立場にある。
だが、現在のクリストフはいや、ホワインセアム公爵家は社交界においてどこか冷えた立場にあった。
それはかつての婚約者エミリー・ハンセンのせいであった。ハンセン公爵家は邪教ネオドラビア教と密接ともいえる関係を結んでいたばかりではなく、現国王フィンの暗殺を目論んでいたとされ、お家取り潰しに遭ったのだ。
その影響を婚約者であったクリストフやホワイアンセアム公爵家が受けなかったわけがない。
かつての栄光は消え、現在は冷えた立場に甘んじる羽目になったのだ。
クリストフはワインを片手に窓辺でコソコソと話し合う婦人たちに笑い掛けてみたが、相手もにされない。
かつては自分が笑い掛けるたびに婦人が黄色い悲鳴を上げていたのだが、現在は蔑んだ目を向けられるか、あるいは小馬鹿にしたような笑いを浴びせられるだけだ。
これも全てかつての婚約者の仕業である。自分が冷笑を甘んじて受け入れなければならないのは全てかつての婚約者の仕業なのだ。
然るべき時にあのお花畑と婚約を破棄していれば、と悔いなかった日はない。
対照的に婦人たちからのウケがいいのは現在この場に公務のために欠席している現国王のフィンだ。
邪教から人々や貴族たちを守ったとされ、今や婦人たちにとって憧れの的であったといってもいい。
つまるところ、クリストフはすっかりとフィンによって婦人からの人気を奪い取られてしまったのである。
本来であるのならばあそこで褒め称えられているのは自分自身のはずだ。
クリストフの中で嫉妬というドス黒い炎は燃え広がっていた。
国王という立場もあり、宴席に不在となっているフィンに向かって投げかけられる婦人たちの言葉を聞くにつれてクリストフは耐えられなくなり、衝動的にその場を離れ、窓際でワインを片手に黄昏ていた。
夜風に当たりながらその寒さに体を震わせつつワインをゆっくりと飲んでいると背後から声をかけられた。
「もし、失礼ですが、あなた様はホワインセアム公爵家のご嫡男たるクリストフ様であらせられますね?」
「そうだが、何か用か?」
クリストフは胡散臭いと言わんばかりに突然自分に向かって言葉を投げかけてきた相手を見つめた。
「お初にお目に掛かります。私の名前はオークス・ドレイジアと申します。オルレアンス王国におきまして大商人を務めております」
オークスは丁寧に頭を下げながら言った。
「オルレアンスだと?そんな国の奴がどうしてこんなところにいるのだ?」
クリストフは怪訝そうに尋ねた。
「あなた様にとって有意義な話を申し渡そうと思いましてね」
オークスの目が怪しく光る。同時に無言で舞踏会の入り口を親指で指す。
どうやらこの場では語れないような話であるらしい。
クリストフは話を受けることを了承してオークスと名乗る商人の後をついていく。
オークスが案内したのは舞踏会には欠かせない休憩室。この場で緩んだ首飾りを撒き直したり、化粧を直したり、時には舞踏会の最中に親密な仲となった婦人と紳士が密会を行ったりするのである。
そして時には人同士が密談を行うために用いるのである。
そのための長椅子が休憩室には常備されており、二人は長椅子の上に腰を下ろし、再び向かい合ったのである。
「それで、有意義な話というのはどのような話だ?」
「簡単な話です。閣下……あなた様は国王になりたくはありませぬか?」
国王。それはオークスが幼い頃より憧れた存在であり、彼にとっていいや、ホワインセアム公爵家の人間にとっての悲願ともいえた。王家の血筋を受け継ぐホワインセアム公爵家に産まれたために資格はあった。
だが、直系の王家に二人の男子が産まれたためにその資格は有名無実となってしまっていた。王家にもしものことがあれば自分たちは王位を継ぐことができるのだ。
目の前の男は現国王フィンを殺せと暗喩しているのだ。クリストフは堪らなくなって長椅子の上から立ち上がった。
「よし、お前を逮捕してやるぞ。この国では国王を害することは大逆罪となるのだ。国王や王家の人間を殺そうと謀略しただけでもこの罪は適応される」
近い例ではプラフティー公爵家とその親類となるハンセン公爵家、それに後ろ盾となっていたネオドラビア教にその罪が適用されて死罪になっている。
これは大貴族であってもその罪が適用されれば身分を剥奪された後に民衆の前で絞首刑に処されるということを王政が人々に知らしめたものだといえる。
更に法律を紐解いていけば密告をしなかった者にもこの罪は適用される。クリストフが立ち上がったことにはそれが原因なのだ。
だが、オークスなる男はそのような話を聞かされても慌てることもなく落ち着いた調子で長椅子の上に楽な姿勢で座っていた。
口元には嘲るような笑みさえ浮かべていた。
「何がおかしい?」
クリストフが両眉を寄せながら問い掛ける。
「いいや、閣下も所詮はその程度のお方かと思いましてな」
「何?」
「何を躊躇う必要がございます。過去には多くの人物が王位を簒奪し、その王位を奪い取った上で国を築いたのです。現王朝もかつてこの国に君臨していた王朝の上に現在の王朝を築いたのですぞ!」
オークスなる男は両手を大きく広げて少し大袈裟な口調で過去の歴史にあった事例を挙げて、クリストフに簒奪を勧めていたのだ。
クリストフはこれまで自身が本や教師から聞いた学んだ歴史を頭の中で整理し、その中で過去に王位の簒奪が幾度も行われたことを思い返していく。
クリストフはオークスの手を取り、フィンを害して自身が王位に就くことを約束したのである。
オークスはそのことに関して証文を書かせた上で後日ホワインセアム公爵家の屋敷を訪れたのである。
公爵家の屋敷ということはあり、無数の畑、それに牧場、林、小川などが備え付けられた庭のある立派な屋敷であった。
流石は王家に連なるホワインセアム公爵家の屋敷である。オークスは笑みを含ませながら大きな声で番兵を呼び出し、そのまま屋敷の中に潜っていく。
この時クリストフは庭で剣術の鍛錬を行っていたが、オークスの来訪を聞くと汗を拭くのもそこそこに慌てて応接室へと戻ってきたのである。
「昨晩のことか?昨晩のことならばあれはオレの悪い夢だ。酒に酔い不用意なことを口走ったに過ぎぬ」
クリストフはそれ以上オークスの計画に乗ることを拒否し、そのまま彼を自宅から帰そうとしたのだが、オークスはあくまでも強気であった。
「不用意なこと?このようなものまで書かれておかれて?」
オークスはあくまでも知らぬ存ぜぬを突き通そうとするクリストフの目の前に容赦なく証文を突き付けたのである。
次にクリストフは口を封じようと、腰に下げていた剣を引き抜こうとしたが、それよりも前にオークスがクリストフの喉元に自らが下げていた剣を突き付ける。
オークスはもとより暗殺機関『ジャッカル』の一員である。いかに武芸に優れていようとも素人に遅れをとるわけがない。
勝者が浮かべる余裕を含んだ笑みを口元に浮かばせたオークスは剣先を突き付けられて冷や汗を流すクリストフを見ながら言った。
「閣下、それ以上はおやめなさいませ。あなた様は簒奪の計画に組みなされたのです。今更やめようなどと虫のいい話はないと思われますが」
クリストフは歯を軋ませながら抜いていた剣を自らの鞘に戻す。それを見て、オークスは満足気な笑みを浮かべながら自らの剣を鞘へと戻す。
オークスはそれから引き続きクリストフと計画を語り終えると、自らのボスが根城にしている宿屋『カリオストロ』へと戻っていく。
『カリオストロ』にあるボスの部屋を叩き、クリストフ並びにホワインセアム公爵家を味方に引き入れたことを語っていく。
「よし、これで計画の第二陣は完璧だな」
報告を聞いたシャルルは満足気にオルレアンス産の赤ワインを啜っていく。
シャルルが建てた計画というのは当初の力押しとは異なり、間接的にヒューゴ並びに駆除人たちを始末するという計画に変わっていったのである。
それは王位簒奪というものであった。シャルルは到着してから密かに邪教ネオドラビア教に関する記録を読み返し、ネオドラビア教が果たせなかった王位簒奪計画を行って自らの意に沿う人物を王位に就けた後に国家権力を用いて駆除人たちを始末するという計画を実行に移そうとしているのである。
捕らえた後は自由だ。公開処刑にしてもいいし、独房に刺客を放って秘密裏に始末するのもいい。
この計画はエミリーを仲間へと引き入れた時にエミリーから聞いた王家の話を元にオークスが密かに頭の中で思い付いていたものだ。
いわゆる路線変更ではあるが、二週間という長い時間にわたって抗争を繰り返す中で、戦いを続けていくたびに傷が深いことに比べて駆除人側の犠牲が釣り合っていないことに対して苦悶の表情を浮かべていたシャルルに対しては有意義な助言となった。
没落した公爵令嬢と名声を失った公爵家を利用しての簒奪は少なくともネオドラビア教主導による簒奪よりも有利に進んでいくはずだ。
命じられた形と多少は異なるといえども計画は順調に進んでいるはずだ。
シャルルが一日前に国王へと宛てた手紙にはそのように記してある。
国王に手紙を送った以上は国家機関『ジャッカル』の総力を挙げての計画となるのだ。失敗は許されない。
王位簒奪計画の邪魔となる人物は自らの手で駆除しなくてはならないのだ。
シャルルはもう一度ワインに口をつけた。ワインの甘酸っぱい匂いが鼻腔を刺激し、口の上にワインの辛さが溶けていき、絶妙な味を奏でていた。
それは勝利の美酒であったともいえよう。シャルルは素晴らしい酔いに心を奪われた。
「最近誰かから狙われているような気がするのだ」
診察の際フィンは妙なことをカーラに口走ったのである。
「妙なこと?」
「あぁ、玉座の間にて政治を行っている際に見慣れぬ男が柱の隙間から姿を見せていたり、夜寝室に向かう際に妙な物音を聞いてな」
幽霊ではないかという考えがカーラの頭の中には浮かんだが、そんな非現実的なことが起こり得るはずがない。
第一幽霊などこの世にいるはずがないのだ。そうカーラが言い聞かせていた時だ。
「そりゃあ分かりませんよ」
と、診察を行なっていたレキシーが意外ともいえるような一言を口走ったのである。
フィンの心臓がドクドクと唸っていくのを診察を行なっていたレキシーは理解できた。
理由を説明しなくてはフィンもわからないだろう。レキシーは落ち着いた口調で幼い子に言い聞かせるようにゆっくりと説明を行なっていく。
「陛下、あなた様は曲がりなりにも国王ですからね。そりゃあ全員が全員あなた様の政策に救われたわけではございません。中には恨む者もいるでしょう」
「その霊がオレを狙っているというのか?」
フィンは目を丸くしながら問いかけた。
「あくまでも可能性ですよ」
レキシーはそれだけ告げるとまた治療に戻っていく。
治療を終え、薬を出し終えたレキシーとカーラは控えの間に待たされることになったのだが、カーラにどこか落ち着きがなかったのでレキシーは堪らなくなって声を掛けた。
「おや、どうしたんだい?忙しない様子だけどさ」
「私心配なんですの。陛下の御身に万が一のことがございますと、王朝に断絶の危機が訪れるんですもの」
「でもさ、ホワインセアムだっけ?どこか王家の血筋を受け継ぐ貴族がいるんだろ?その人たちが継げばいいんじゃあないのかい?」
「確かに、そうですけれど」
そう語るカーラの表情はどこか曇りが見えた。王朝の断絶というものはやはり建前でカーラとしてもフィンが心配なのだろう。
そろそろフィンがお礼と称してお茶会を設けるために従者を連れてくるはずだ。
二人が今か今かと待ち侘びていた時だ。突然天井が開き、天井裏から黒いワードローブを身に纏った二人の男が姿を現したのである。
二人の男は大きな剣身が目立つ短剣を握っていた。
二人の男はどこか狼狽した様子で辺りを見渡していた。誰かを狙っていたのは間違いないが、少なくとも自分たちを標的にしたものではなかったらしい。
しかし、この場にいるのは二人だけである。運の悪いことに現場に居合わせてしまったこともあり、二人は口封じのために動かざるを得なかった。
二人の男は刃物を抱えたままカーラとレキシーに向かって襲い掛かっていく。
カーラは素早く袖の下に仕込んでいた針を取り出し、真っ直ぐに向かってくる相手の男の胸へと突き刺す。
勢いよく突っ込んできたために避けることができなかったのだろう。男は前のめりになってその場に倒れ込む。
片付けを終えたカーラはレキシーの方が気になり、レキシーの方向を見つめた。レキシーの得物である短剣は医療鞄の中に入っていたためか上手く取り出せずにいた。
レキシーは短剣を取り出そうと努力していたが、鞘が鞄の中で引っ掛かってしまったらしく、上手く取り出すことができずにいた。
そのため鞄そのもので相手の短剣を防いだのだが、これが功を奏した。
相手の得物である短剣が引っ掛かってしまったのである。カーラはその隙を利用して、相手の延髄に針を突き立てた。
ヒュッと短い音が聞こえた後に男はそのまま地面の上へと崩れ落ちていく。
これは即死だろう。カーラは針を引っ込め、袖の中にしまうと、レキシーに安否を尋ねる。
レキシーは小さく首を縦に動かす。どうやら無事であったらしい。
カーラは安堵して小さな溜息を吐いた。
問題はこの惨状をどうして誤魔化すか、だ。
カーラは地面の上に倒れた相手を見下ろしながらそんなことを考えていた。
その理由は由緒正しいホワインセアム公爵家を次期に継ぐ才能に溢れた若者であったこともそうであるし、勉学に優れ、武芸に優れ門閥貴族の中では並ぶべきものなしであったという点も大きい。
容姿も社交界に並ぶ者なしと称されるほどの美男子である。美しい顔のお手本のような小綺麗な容姿であったので、人物画を描く人たちに重宝されるほどであった。
だが、それらの理由はクリストフからすれば小さなものだ。おまけに過ぎない。クリストフが国王のような絶対的な自信を持っていた理由がある。それはホアインセアム公爵家は他の公爵家とは異なり王家にもしものことがあれば自分たちが王家を継ぐ資格があるということだ。
ホワインセアム公爵家の創始者であるヘンリーは初代国王の実弟であったとされ、国王に継ぐ権利と権限を与えられたのだ。
いうならばクライン王国における影の王家ともいうべき存在であった。クリストフは本来であるのならば表舞台にしろ、社交界にしろ手放しに多くの人たちから賞賛されるべき立場にある。
だが、現在のクリストフはいや、ホワインセアム公爵家は社交界においてどこか冷えた立場にあった。
それはかつての婚約者エミリー・ハンセンのせいであった。ハンセン公爵家は邪教ネオドラビア教と密接ともいえる関係を結んでいたばかりではなく、現国王フィンの暗殺を目論んでいたとされ、お家取り潰しに遭ったのだ。
その影響を婚約者であったクリストフやホワイアンセアム公爵家が受けなかったわけがない。
かつての栄光は消え、現在は冷えた立場に甘んじる羽目になったのだ。
クリストフはワインを片手に窓辺でコソコソと話し合う婦人たちに笑い掛けてみたが、相手もにされない。
かつては自分が笑い掛けるたびに婦人が黄色い悲鳴を上げていたのだが、現在は蔑んだ目を向けられるか、あるいは小馬鹿にしたような笑いを浴びせられるだけだ。
これも全てかつての婚約者の仕業である。自分が冷笑を甘んじて受け入れなければならないのは全てかつての婚約者の仕業なのだ。
然るべき時にあのお花畑と婚約を破棄していれば、と悔いなかった日はない。
対照的に婦人たちからのウケがいいのは現在この場に公務のために欠席している現国王のフィンだ。
邪教から人々や貴族たちを守ったとされ、今や婦人たちにとって憧れの的であったといってもいい。
つまるところ、クリストフはすっかりとフィンによって婦人からの人気を奪い取られてしまったのである。
本来であるのならばあそこで褒め称えられているのは自分自身のはずだ。
クリストフの中で嫉妬というドス黒い炎は燃え広がっていた。
国王という立場もあり、宴席に不在となっているフィンに向かって投げかけられる婦人たちの言葉を聞くにつれてクリストフは耐えられなくなり、衝動的にその場を離れ、窓際でワインを片手に黄昏ていた。
夜風に当たりながらその寒さに体を震わせつつワインをゆっくりと飲んでいると背後から声をかけられた。
「もし、失礼ですが、あなた様はホワインセアム公爵家のご嫡男たるクリストフ様であらせられますね?」
「そうだが、何か用か?」
クリストフは胡散臭いと言わんばかりに突然自分に向かって言葉を投げかけてきた相手を見つめた。
「お初にお目に掛かります。私の名前はオークス・ドレイジアと申します。オルレアンス王国におきまして大商人を務めております」
オークスは丁寧に頭を下げながら言った。
「オルレアンスだと?そんな国の奴がどうしてこんなところにいるのだ?」
クリストフは怪訝そうに尋ねた。
「あなた様にとって有意義な話を申し渡そうと思いましてね」
オークスの目が怪しく光る。同時に無言で舞踏会の入り口を親指で指す。
どうやらこの場では語れないような話であるらしい。
クリストフは話を受けることを了承してオークスと名乗る商人の後をついていく。
オークスが案内したのは舞踏会には欠かせない休憩室。この場で緩んだ首飾りを撒き直したり、化粧を直したり、時には舞踏会の最中に親密な仲となった婦人と紳士が密会を行ったりするのである。
そして時には人同士が密談を行うために用いるのである。
そのための長椅子が休憩室には常備されており、二人は長椅子の上に腰を下ろし、再び向かい合ったのである。
「それで、有意義な話というのはどのような話だ?」
「簡単な話です。閣下……あなた様は国王になりたくはありませぬか?」
国王。それはオークスが幼い頃より憧れた存在であり、彼にとっていいや、ホワインセアム公爵家の人間にとっての悲願ともいえた。王家の血筋を受け継ぐホワインセアム公爵家に産まれたために資格はあった。
だが、直系の王家に二人の男子が産まれたためにその資格は有名無実となってしまっていた。王家にもしものことがあれば自分たちは王位を継ぐことができるのだ。
目の前の男は現国王フィンを殺せと暗喩しているのだ。クリストフは堪らなくなって長椅子の上から立ち上がった。
「よし、お前を逮捕してやるぞ。この国では国王を害することは大逆罪となるのだ。国王や王家の人間を殺そうと謀略しただけでもこの罪は適応される」
近い例ではプラフティー公爵家とその親類となるハンセン公爵家、それに後ろ盾となっていたネオドラビア教にその罪が適用されて死罪になっている。
これは大貴族であってもその罪が適用されれば身分を剥奪された後に民衆の前で絞首刑に処されるということを王政が人々に知らしめたものだといえる。
更に法律を紐解いていけば密告をしなかった者にもこの罪は適用される。クリストフが立ち上がったことにはそれが原因なのだ。
だが、オークスなる男はそのような話を聞かされても慌てることもなく落ち着いた調子で長椅子の上に楽な姿勢で座っていた。
口元には嘲るような笑みさえ浮かべていた。
「何がおかしい?」
クリストフが両眉を寄せながら問い掛ける。
「いいや、閣下も所詮はその程度のお方かと思いましてな」
「何?」
「何を躊躇う必要がございます。過去には多くの人物が王位を簒奪し、その王位を奪い取った上で国を築いたのです。現王朝もかつてこの国に君臨していた王朝の上に現在の王朝を築いたのですぞ!」
オークスなる男は両手を大きく広げて少し大袈裟な口調で過去の歴史にあった事例を挙げて、クリストフに簒奪を勧めていたのだ。
クリストフはこれまで自身が本や教師から聞いた学んだ歴史を頭の中で整理し、その中で過去に王位の簒奪が幾度も行われたことを思い返していく。
クリストフはオークスの手を取り、フィンを害して自身が王位に就くことを約束したのである。
オークスはそのことに関して証文を書かせた上で後日ホワインセアム公爵家の屋敷を訪れたのである。
公爵家の屋敷ということはあり、無数の畑、それに牧場、林、小川などが備え付けられた庭のある立派な屋敷であった。
流石は王家に連なるホワインセアム公爵家の屋敷である。オークスは笑みを含ませながら大きな声で番兵を呼び出し、そのまま屋敷の中に潜っていく。
この時クリストフは庭で剣術の鍛錬を行っていたが、オークスの来訪を聞くと汗を拭くのもそこそこに慌てて応接室へと戻ってきたのである。
「昨晩のことか?昨晩のことならばあれはオレの悪い夢だ。酒に酔い不用意なことを口走ったに過ぎぬ」
クリストフはそれ以上オークスの計画に乗ることを拒否し、そのまま彼を自宅から帰そうとしたのだが、オークスはあくまでも強気であった。
「不用意なこと?このようなものまで書かれておかれて?」
オークスはあくまでも知らぬ存ぜぬを突き通そうとするクリストフの目の前に容赦なく証文を突き付けたのである。
次にクリストフは口を封じようと、腰に下げていた剣を引き抜こうとしたが、それよりも前にオークスがクリストフの喉元に自らが下げていた剣を突き付ける。
オークスはもとより暗殺機関『ジャッカル』の一員である。いかに武芸に優れていようとも素人に遅れをとるわけがない。
勝者が浮かべる余裕を含んだ笑みを口元に浮かばせたオークスは剣先を突き付けられて冷や汗を流すクリストフを見ながら言った。
「閣下、それ以上はおやめなさいませ。あなた様は簒奪の計画に組みなされたのです。今更やめようなどと虫のいい話はないと思われますが」
クリストフは歯を軋ませながら抜いていた剣を自らの鞘に戻す。それを見て、オークスは満足気な笑みを浮かべながら自らの剣を鞘へと戻す。
オークスはそれから引き続きクリストフと計画を語り終えると、自らのボスが根城にしている宿屋『カリオストロ』へと戻っていく。
『カリオストロ』にあるボスの部屋を叩き、クリストフ並びにホワインセアム公爵家を味方に引き入れたことを語っていく。
「よし、これで計画の第二陣は完璧だな」
報告を聞いたシャルルは満足気にオルレアンス産の赤ワインを啜っていく。
シャルルが建てた計画というのは当初の力押しとは異なり、間接的にヒューゴ並びに駆除人たちを始末するという計画に変わっていったのである。
それは王位簒奪というものであった。シャルルは到着してから密かに邪教ネオドラビア教に関する記録を読み返し、ネオドラビア教が果たせなかった王位簒奪計画を行って自らの意に沿う人物を王位に就けた後に国家権力を用いて駆除人たちを始末するという計画を実行に移そうとしているのである。
捕らえた後は自由だ。公開処刑にしてもいいし、独房に刺客を放って秘密裏に始末するのもいい。
この計画はエミリーを仲間へと引き入れた時にエミリーから聞いた王家の話を元にオークスが密かに頭の中で思い付いていたものだ。
いわゆる路線変更ではあるが、二週間という長い時間にわたって抗争を繰り返す中で、戦いを続けていくたびに傷が深いことに比べて駆除人側の犠牲が釣り合っていないことに対して苦悶の表情を浮かべていたシャルルに対しては有意義な助言となった。
没落した公爵令嬢と名声を失った公爵家を利用しての簒奪は少なくともネオドラビア教主導による簒奪よりも有利に進んでいくはずだ。
命じられた形と多少は異なるといえども計画は順調に進んでいるはずだ。
シャルルが一日前に国王へと宛てた手紙にはそのように記してある。
国王に手紙を送った以上は国家機関『ジャッカル』の総力を挙げての計画となるのだ。失敗は許されない。
王位簒奪計画の邪魔となる人物は自らの手で駆除しなくてはならないのだ。
シャルルはもう一度ワインに口をつけた。ワインの甘酸っぱい匂いが鼻腔を刺激し、口の上にワインの辛さが溶けていき、絶妙な味を奏でていた。
それは勝利の美酒であったともいえよう。シャルルは素晴らしい酔いに心を奪われた。
「最近誰かから狙われているような気がするのだ」
診察の際フィンは妙なことをカーラに口走ったのである。
「妙なこと?」
「あぁ、玉座の間にて政治を行っている際に見慣れぬ男が柱の隙間から姿を見せていたり、夜寝室に向かう際に妙な物音を聞いてな」
幽霊ではないかという考えがカーラの頭の中には浮かんだが、そんな非現実的なことが起こり得るはずがない。
第一幽霊などこの世にいるはずがないのだ。そうカーラが言い聞かせていた時だ。
「そりゃあ分かりませんよ」
と、診察を行なっていたレキシーが意外ともいえるような一言を口走ったのである。
フィンの心臓がドクドクと唸っていくのを診察を行なっていたレキシーは理解できた。
理由を説明しなくてはフィンもわからないだろう。レキシーは落ち着いた口調で幼い子に言い聞かせるようにゆっくりと説明を行なっていく。
「陛下、あなた様は曲がりなりにも国王ですからね。そりゃあ全員が全員あなた様の政策に救われたわけではございません。中には恨む者もいるでしょう」
「その霊がオレを狙っているというのか?」
フィンは目を丸くしながら問いかけた。
「あくまでも可能性ですよ」
レキシーはそれだけ告げるとまた治療に戻っていく。
治療を終え、薬を出し終えたレキシーとカーラは控えの間に待たされることになったのだが、カーラにどこか落ち着きがなかったのでレキシーは堪らなくなって声を掛けた。
「おや、どうしたんだい?忙しない様子だけどさ」
「私心配なんですの。陛下の御身に万が一のことがございますと、王朝に断絶の危機が訪れるんですもの」
「でもさ、ホワインセアムだっけ?どこか王家の血筋を受け継ぐ貴族がいるんだろ?その人たちが継げばいいんじゃあないのかい?」
「確かに、そうですけれど」
そう語るカーラの表情はどこか曇りが見えた。王朝の断絶というものはやはり建前でカーラとしてもフィンが心配なのだろう。
そろそろフィンがお礼と称してお茶会を設けるために従者を連れてくるはずだ。
二人が今か今かと待ち侘びていた時だ。突然天井が開き、天井裏から黒いワードローブを身に纏った二人の男が姿を現したのである。
二人の男は大きな剣身が目立つ短剣を握っていた。
二人の男はどこか狼狽した様子で辺りを見渡していた。誰かを狙っていたのは間違いないが、少なくとも自分たちを標的にしたものではなかったらしい。
しかし、この場にいるのは二人だけである。運の悪いことに現場に居合わせてしまったこともあり、二人は口封じのために動かざるを得なかった。
二人の男は刃物を抱えたままカーラとレキシーに向かって襲い掛かっていく。
カーラは素早く袖の下に仕込んでいた針を取り出し、真っ直ぐに向かってくる相手の男の胸へと突き刺す。
勢いよく突っ込んできたために避けることができなかったのだろう。男は前のめりになってその場に倒れ込む。
片付けを終えたカーラはレキシーの方が気になり、レキシーの方向を見つめた。レキシーの得物である短剣は医療鞄の中に入っていたためか上手く取り出せずにいた。
レキシーは短剣を取り出そうと努力していたが、鞘が鞄の中で引っ掛かってしまったらしく、上手く取り出すことができずにいた。
そのため鞄そのもので相手の短剣を防いだのだが、これが功を奏した。
相手の得物である短剣が引っ掛かってしまったのである。カーラはその隙を利用して、相手の延髄に針を突き立てた。
ヒュッと短い音が聞こえた後に男はそのまま地面の上へと崩れ落ちていく。
これは即死だろう。カーラは針を引っ込め、袖の中にしまうと、レキシーに安否を尋ねる。
レキシーは小さく首を縦に動かす。どうやら無事であったらしい。
カーラは安堵して小さな溜息を吐いた。
問題はこの惨状をどうして誤魔化すか、だ。
カーラは地面の上に倒れた相手を見下ろしながらそんなことを考えていた。
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