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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
案外思っているよりも私の殺気は強いものですわ
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当主ウィルストンへの仕置きを終えたことで、アンブリッジ家の始末を完全に終えたカーラたちは何食わぬ顔で屋敷を抜け出してからギルド内で後金を仲間同士で山分けしていた。
前金はともかく、後金は協力してもらった手前は出さなくては駆除人としての沽券に関わってくるのだ。
無事に後金を分け終え、駆除人たちはそれぞれの日常へと戻っていた。
だが、そのうちカーラとレキシーだけは日常に戻ることを拒否して、診療所において自分たちが早急に診なくてはならない患者たちの面倒を看終え、近いうちに納めなくてはならないドレスをしたて終えるのと同時に旅の支度を整え、北に向かって旅に出掛けていた。
その目的は墓参り。これまで二人で成し遂げだ駆除による報酬の八割を携えて、テューダー家の横暴によって奪われた家族を弔うために再びティーダー家に支配されていたレキシーの生まれ故郷の街へと足を踏み入れていたのだった。
街の郊外に建てられた墓地での墓参りを終えた二人は前に来た時に用いたあのギルドマスターの宿屋ではなく、敷地の中に温泉の付いた別の宿屋でゆっくりと湯に浸かる二人であったが、レキシーはどこか上の空という様子であった。
「あら、レキシーさん。どうなさったんですの?」
湯に浸かっていたカーラは何気なしに問い掛けた。だが、返答は返ってこない。
のんびりと空の上を眺めているだけであった。その日は満天の青空とはいえず、どこか灰色がかった元気のない空であった。
薄い雲も途切れ途切れにかかり、太陽は姿も見せていない。雨が降っていないのが不思議なくらいだ。
だからこそ、レキシーはいつまでも空の上を眺めていられるのだろう。
カーラは自身もレキシーと同じように叱られた後の子どものように元気のない空を見上げながらそんなことを考えていた。
何気ない日常。何気ない旅の様子。そんな言葉が似合う一幕であったが、温泉から上がったばかりのレキシーはそんな何気ない日常の一コマを吹き飛ばすかのような言葉を平然と言い放ったのであった。
「あたしね、墓参りをしてわかったんだ。死んだらあたしはそれ相応の報いを受けるんじゃあないかなって」
「地獄という奴ですわね?」
「あぁ、古くはドラビア教の死後に関する言葉なんだけどね」
レキシーの言う『地獄』というのはドラビア教という宗教が初めて用いた暫時な死後の世界の概念であった。
元々ネオドラビア教はドラビア教の教義と信仰の対象である神の御使とされる竜を更に強調し、イノケンティウスが脚色したものに過ぎない。
本来のドラビア教というものは代々神の御使から初めて聞いた神の言葉を信者たちに代表して伝える人物が開いたものであるとされ、既存の宗教にも穏やかで、迎合する存在であったとされている。
ネオドラビア教と同様に教皇は存在するものの、イノケンティウスの独占であったネオドラビア教とは異なり、代々神の言葉を伝えるのに相応しい穏健な人物が就任し、『聖下』という敬称で親しまれている。
ネオドラビア教の教皇イノケンティウスがドラビア教の教皇に倣って『聖下』ではなく『猊下』という敬称を部下に使わせていたのは自分たちの宗教が一応はドラビア教の派生的な宗教であり、ドラビア教よりも格が下であるということを自覚していたからに違いない。
いずれにしろ、ドラビア教というのは悪質極まる新興宗教によって利用された被害者の一端であるといってもいい。
カーラも昔ドラビア教に関する教義が纏められた本を読んだことがあるからドラビア教に関する概念というのは深いつもりであった。
だが、それでも単純な疑問を口に出さざるを得なかった。
「『地獄』という言葉をお使いになられるレキシーさんはドラビア教の信徒なんですの?」
義娘の純粋な問い掛けに対し、レキシーはしばらくは無言を貫いていた。
だが、重い口を開いて、気怠そうな調子で答えた。
「そいつはあんたに言う必要があるのかい?」
「いいえ、ただ、珍しいなと思いまして」
「そうかい?でも、まぁ、悪党がいるんだったらそれを収めておく『地獄』って場所があった方がいいだろ?」
レキシーの問い掛けにカーラは頷くより他になかった。
重い話はこれで終わりとなった。二人の部屋には土地の葡萄を使ったワインが運ばれ、その土地独特の料理が並べられていた。
地元の肉と魚を使った料理に二人は舌鼓を打ち、満足げに笑っていた。
魚を煮た料理を平らげ、デザートとして提供された土地の林檎を使ったケーキを食していた時だ。
部屋の扉を叩く音が聞こえた。二人が音に応えて、入室を許可すると、ティーダー家の支配に立ち向かった街の若いギルドマスターの姿が見えた。
「お久し振りです。お二人さん」
ギルドマスターは輝くような笑みを見せながら二人に向かって笑い掛けた。
「こちらこそお久し振りですわ。マスターもお元気そうで」
カーラとレキシーはこの街のギルドマスターとは不思議な絆で結ばれているように感じられた。
というのも、長い時間をかけてティーダー家という巨大な敵と戦っていたからだ。
「やだなぁ、マスターだなんて。オレには一応エドマンドって名前がありますよ」
「そういえばそうだったねぇ」
苦笑するかのように答えたエドマンドとは対照的に二人はどこか和かな気分であった。
エドマンドは持参したと思われる赤い蒸留酒が入った豪華な飾り付けがなされたワインの瓶を持って、二人のグラスの中へと注いでいく。
それから顔を近付けながら二人に向かって小さな声で囁いていく。
「……お二人さん、失礼な話ですが、そろそろ旅費が足りなくなってはいませんかね?」
二人の顔色が変わった。それまでの穏やかな笑みは消え、駆除人に相応しい顔付きへと変わっていく。
二人を代表して、カーラが小さな声で聞き返す。
「何か厄介な依頼でもありますの?」
この時のカーラは両目を鏃のように尖らせ、青白い眼光を宿らせていた。
だが、そんな表情を見たとしてもエドマンドは顔色を変えることなくゆっくりとしたお酌を行いながら話を続けていく。
「実はですね。この街に厄介な急ぎ働き専門の盗賊が現れましてね」
エドマンドが言うには一ヶ月前に街の大きな油屋を襲撃し、そこの従業員が、皆殺しにされるという凄惨な事件が引き起こされたのだ。
急ぎ働きの盗賊というのは従業員を区別なく口封じのために皆殺しにするという非道な盗賊たちに付けられるあだ名である。
この急ぎ働きの盗賊たちというのは昔から商家や貴族たちの間では恐れられてきた存在であり、大陸における各国における歴代の王たちを悩ませてきた存在であるともいわれている。
歴代の国王たちすら怯えさせるような恐ろしい存在たちによって街の油屋から奪われた金額はこれまで街の中で起きた事件からは考えられないような規模のものとなっているらしい。
現在は王都から新たに派遣された警備隊たちは必死になって、盗賊の行方を探しているが、未だにその消息はつかめていない。
「その盗賊の探索と駆除を私たちに?」
「えぇ、実はですね。油屋に修行に出ていた息子を亡くした父親がいましてね。息子を殺した盗賊が許せないということで私のギルドを訪れまして」
エドマンドは素敵な笑みを浮かべると、懐の中から大量の硬貨が入った袋を取り出し、机の上に置く。
「前金は金貨にして五十六枚、銀貨にして三十四枚、銅貨にして二十枚。かなりの量ですよ。どうです。引き受けてくださいませんか?」
「盗賊どもを皆殺しにしろと仰られまして?」
「いいえ、とんでもない。お二方に駆除していただくのは盗賊の親玉十文字傷のジョーって男です」
「それ以外の奴らは?」
「こちらで処理させていただきます。こう見えても地元の警備隊にも大勢の友人がいるんですよね」
エドマンドは人懐っこい笑みを浮かべていった。エドマンドの呼称する『友人』というのは利害関係にあるような友人というものではなく、純粋な友人であるということだろう。
恐らく着任して早々にエドマンドの人懐っこい笑顔によって絆されてしまい、警備隊でありながら駆除人ギルドのギルドマスターと付き合うことになってしまったに違いない。
お陰で、エドマンドも警備隊に顔がきくようになり、その情報を部下の駆除人たちに流すことができる。
エドマンドという人物の人間としての魅力がここまでそうさせるのだろう。
カーラは思わず微笑んでしまった。それから無言で金を受け取った。
レキシーも口を挟まないことからカーラと同じようにこの駆除を引き受けることにしたに違いない。
エドマンドは二人に向かって何度も礼の言葉を述べ、そのまま宿屋を後にした。
二人が泊まっていたのは先述の通り、エドマンドの経営する宿屋ではなく、別の宿屋なのだが、そこでも顔はきくらしい。
帰り間際に二人にお茶を運んできた宿屋のメイドと親しげに話している姿が見受けられた。
あの人の懐に飛び込む術は見習いたいものがある。カーラは感心しながらエドマンドを見つめていた。
翌日になり、二人は情報収集のために観光を装って、街の中を探索していた。
情報については全員が一ヶ月ほど前に起きた急ぎ働きの盗賊の件については眉を顰めていたので、話にさえならなかった。
やむを得ずに宿屋に引き返そうとした時だ。上品な顔つきの恰幅のいい男が道端で蹲っているのが見えた。
男に付き従っていた従業員と思われる男女たちは医学の心得がないのか、慌てふためくばかりであった。
二人の職業は害虫駆除人という殺し屋であるが、表の稼業は医者。
目の前に苦しんでいる人がいるというのに見逃すことなどできるはずがない。
レキシーとカーラは男の病状が食べ過ぎによる不摂政による腰痛と看破し、鞄の中に収めている楽になるための薬を手渡す。
粉状の薬を口に含ませてから、従業員と思われる女性から水を借りて飲ませていく。
しばらくは道の上で休ませた後に立てるようになったのを確認し、従業員たちと共に男の店の中へと運んでいく。
相当に繁盛しているのか、レンガ造りで、他の商店よりも大きかった。
正面から見れば寝そべる巨人が二人を見下ろしているかのようだ。
従業員の話によれば、ここが男の商いの中心である女性向けの服を扱う店舗兼自宅となっているのだそうだ。
二階にある居住スペースに男を部屋にあるベッドの中へと担ぎ込み、その腹を優しく撫でていく。
二人の適切な処置で男は随分と楽になったらしい。機嫌の良い声で、二人の手つきの良さを華美な賛辞で褒め称え、二人こそが神々が遣わした天使の化身だと締め括った。
いわゆる歯の浮くようなお世辞であるが、人助けの後に聞くと悪い心地ではなくなってくる。レキシーとカーラは顔を見合わせて笑っていた。
男は救世主に対してはまるで、神を崇める信徒のように恭しく対応した。
従業員たちに二人をもてなすように厳命し、わざわざ近所にある菓子店から高価な菓子を購入させ、お茶までつけて二人に提供したのだ。
カーラとレキシーもお茶とお菓子を片手に主人からのもてなしを受けているのがいい休憩になり、店の主人を相手に様々なことを雑談として語っていた。
おまけに帰る間際になり、新しい服まで渡されるという好待遇であった。
「こんなもの貰えませんよ」
レキシーが慌てた様子で辞退しようとしたが、恰幅のいい主人は腹を鳴らしながら、
「いえいえ、私を助けてもらったんですからそれくらいは当然ですよ」
と、断る理由がないとばかりに改めて二人に服を受け取るように勧めたのだった。
尚も辞退しようとする素振りを見せる二人に主人は和かな笑顔を浮かべながら、
「では、こうしましょう。お二人は旅の途中だということですが、滞在の最後の日まで毎日来て、私の腰の様子を見てください。それは報酬の前払いということで、もちろん、帰る日にはこの街の医者と引き合わせ、引き継ぎをしてもらった後に別途報酬をお渡しします」
と、まるで、駆除人とギルドマスターによる取り決めのように言い放ったのだ。
それが面白かった二人は情報収集の合間に通うことを決めた。
翌日からは十文字傷のジョーとその一味の情報を集めながら昼間には主人の診察を行うという生活が始まった。
どちらでも神経を張る仕事であったが、概ね二人にとってやり甲斐のある仕事になっていた。
ただ、成果というのは雲泥の差で、日に日に良くなっていく主人の体調と反比例するかのように盗賊たちの情報は集まらなかった。
そんな時にまた新たなトラブルが起きようなどとは思いもしなかった。
きっかけは初めて治療を行った日に水をもらった女性従業員のある一面をカーラがたまたま見たことがきっかけであった。
その日、女性従業員は治療を終えて帰ろうとする二人の前に現れ、店の主人からお礼だという髪飾りを渡しに来ていたのだ。
二人が受け取ったのを確認し、店に戻ろうとする従業員であったが、物陰からその姿を見ていた小さな少女がいた事に気が付いたのだ。
女性従業員は断りを入れてから物陰に向かい、少女をひどい折檻を繰り広げていたのだ。
ただの折檻であったのならば家庭の事情として放っておくこともできただろう。
だが、その様は尋常ではなかった。まるで、憎い人間見るかのような目で少女を睨みながら叩いていたのだ。
だが、少女は何もしていなかった。ただひたすらに母親に許しを乞うていた。
それを見ていたカーラは意図せずに袖から針を取り出していた。
慌てて飛びかかろうとしたカーラをレキシーが咄嗟に止めた。
というのも、その時のカーラからは紛れもない殺気が漂っていたからだ。
もし、レキシーが止めていなければカーラは自分が神であるかのように傲慢な心持ちとなって、女性従業員の延髄にその針を突き刺していたに違いない。
この時カーラは自分が無意識のうちに叩かれている少女に過去の自分を、叩いている女性従業員にかつての実母の姿を重ね合わせていたのだった。
レキシーはカーラが針を持った手が震えている理由をそのように考えていた。
前金はともかく、後金は協力してもらった手前は出さなくては駆除人としての沽券に関わってくるのだ。
無事に後金を分け終え、駆除人たちはそれぞれの日常へと戻っていた。
だが、そのうちカーラとレキシーだけは日常に戻ることを拒否して、診療所において自分たちが早急に診なくてはならない患者たちの面倒を看終え、近いうちに納めなくてはならないドレスをしたて終えるのと同時に旅の支度を整え、北に向かって旅に出掛けていた。
その目的は墓参り。これまで二人で成し遂げだ駆除による報酬の八割を携えて、テューダー家の横暴によって奪われた家族を弔うために再びティーダー家に支配されていたレキシーの生まれ故郷の街へと足を踏み入れていたのだった。
街の郊外に建てられた墓地での墓参りを終えた二人は前に来た時に用いたあのギルドマスターの宿屋ではなく、敷地の中に温泉の付いた別の宿屋でゆっくりと湯に浸かる二人であったが、レキシーはどこか上の空という様子であった。
「あら、レキシーさん。どうなさったんですの?」
湯に浸かっていたカーラは何気なしに問い掛けた。だが、返答は返ってこない。
のんびりと空の上を眺めているだけであった。その日は満天の青空とはいえず、どこか灰色がかった元気のない空であった。
薄い雲も途切れ途切れにかかり、太陽は姿も見せていない。雨が降っていないのが不思議なくらいだ。
だからこそ、レキシーはいつまでも空の上を眺めていられるのだろう。
カーラは自身もレキシーと同じように叱られた後の子どものように元気のない空を見上げながらそんなことを考えていた。
何気ない日常。何気ない旅の様子。そんな言葉が似合う一幕であったが、温泉から上がったばかりのレキシーはそんな何気ない日常の一コマを吹き飛ばすかのような言葉を平然と言い放ったのであった。
「あたしね、墓参りをしてわかったんだ。死んだらあたしはそれ相応の報いを受けるんじゃあないかなって」
「地獄という奴ですわね?」
「あぁ、古くはドラビア教の死後に関する言葉なんだけどね」
レキシーの言う『地獄』というのはドラビア教という宗教が初めて用いた暫時な死後の世界の概念であった。
元々ネオドラビア教はドラビア教の教義と信仰の対象である神の御使とされる竜を更に強調し、イノケンティウスが脚色したものに過ぎない。
本来のドラビア教というものは代々神の御使から初めて聞いた神の言葉を信者たちに代表して伝える人物が開いたものであるとされ、既存の宗教にも穏やかで、迎合する存在であったとされている。
ネオドラビア教と同様に教皇は存在するものの、イノケンティウスの独占であったネオドラビア教とは異なり、代々神の言葉を伝えるのに相応しい穏健な人物が就任し、『聖下』という敬称で親しまれている。
ネオドラビア教の教皇イノケンティウスがドラビア教の教皇に倣って『聖下』ではなく『猊下』という敬称を部下に使わせていたのは自分たちの宗教が一応はドラビア教の派生的な宗教であり、ドラビア教よりも格が下であるということを自覚していたからに違いない。
いずれにしろ、ドラビア教というのは悪質極まる新興宗教によって利用された被害者の一端であるといってもいい。
カーラも昔ドラビア教に関する教義が纏められた本を読んだことがあるからドラビア教に関する概念というのは深いつもりであった。
だが、それでも単純な疑問を口に出さざるを得なかった。
「『地獄』という言葉をお使いになられるレキシーさんはドラビア教の信徒なんですの?」
義娘の純粋な問い掛けに対し、レキシーはしばらくは無言を貫いていた。
だが、重い口を開いて、気怠そうな調子で答えた。
「そいつはあんたに言う必要があるのかい?」
「いいえ、ただ、珍しいなと思いまして」
「そうかい?でも、まぁ、悪党がいるんだったらそれを収めておく『地獄』って場所があった方がいいだろ?」
レキシーの問い掛けにカーラは頷くより他になかった。
重い話はこれで終わりとなった。二人の部屋には土地の葡萄を使ったワインが運ばれ、その土地独特の料理が並べられていた。
地元の肉と魚を使った料理に二人は舌鼓を打ち、満足げに笑っていた。
魚を煮た料理を平らげ、デザートとして提供された土地の林檎を使ったケーキを食していた時だ。
部屋の扉を叩く音が聞こえた。二人が音に応えて、入室を許可すると、ティーダー家の支配に立ち向かった街の若いギルドマスターの姿が見えた。
「お久し振りです。お二人さん」
ギルドマスターは輝くような笑みを見せながら二人に向かって笑い掛けた。
「こちらこそお久し振りですわ。マスターもお元気そうで」
カーラとレキシーはこの街のギルドマスターとは不思議な絆で結ばれているように感じられた。
というのも、長い時間をかけてティーダー家という巨大な敵と戦っていたからだ。
「やだなぁ、マスターだなんて。オレには一応エドマンドって名前がありますよ」
「そういえばそうだったねぇ」
苦笑するかのように答えたエドマンドとは対照的に二人はどこか和かな気分であった。
エドマンドは持参したと思われる赤い蒸留酒が入った豪華な飾り付けがなされたワインの瓶を持って、二人のグラスの中へと注いでいく。
それから顔を近付けながら二人に向かって小さな声で囁いていく。
「……お二人さん、失礼な話ですが、そろそろ旅費が足りなくなってはいませんかね?」
二人の顔色が変わった。それまでの穏やかな笑みは消え、駆除人に相応しい顔付きへと変わっていく。
二人を代表して、カーラが小さな声で聞き返す。
「何か厄介な依頼でもありますの?」
この時のカーラは両目を鏃のように尖らせ、青白い眼光を宿らせていた。
だが、そんな表情を見たとしてもエドマンドは顔色を変えることなくゆっくりとしたお酌を行いながら話を続けていく。
「実はですね。この街に厄介な急ぎ働き専門の盗賊が現れましてね」
エドマンドが言うには一ヶ月前に街の大きな油屋を襲撃し、そこの従業員が、皆殺しにされるという凄惨な事件が引き起こされたのだ。
急ぎ働きの盗賊というのは従業員を区別なく口封じのために皆殺しにするという非道な盗賊たちに付けられるあだ名である。
この急ぎ働きの盗賊たちというのは昔から商家や貴族たちの間では恐れられてきた存在であり、大陸における各国における歴代の王たちを悩ませてきた存在であるともいわれている。
歴代の国王たちすら怯えさせるような恐ろしい存在たちによって街の油屋から奪われた金額はこれまで街の中で起きた事件からは考えられないような規模のものとなっているらしい。
現在は王都から新たに派遣された警備隊たちは必死になって、盗賊の行方を探しているが、未だにその消息はつかめていない。
「その盗賊の探索と駆除を私たちに?」
「えぇ、実はですね。油屋に修行に出ていた息子を亡くした父親がいましてね。息子を殺した盗賊が許せないということで私のギルドを訪れまして」
エドマンドは素敵な笑みを浮かべると、懐の中から大量の硬貨が入った袋を取り出し、机の上に置く。
「前金は金貨にして五十六枚、銀貨にして三十四枚、銅貨にして二十枚。かなりの量ですよ。どうです。引き受けてくださいませんか?」
「盗賊どもを皆殺しにしろと仰られまして?」
「いいえ、とんでもない。お二方に駆除していただくのは盗賊の親玉十文字傷のジョーって男です」
「それ以外の奴らは?」
「こちらで処理させていただきます。こう見えても地元の警備隊にも大勢の友人がいるんですよね」
エドマンドは人懐っこい笑みを浮かべていった。エドマンドの呼称する『友人』というのは利害関係にあるような友人というものではなく、純粋な友人であるということだろう。
恐らく着任して早々にエドマンドの人懐っこい笑顔によって絆されてしまい、警備隊でありながら駆除人ギルドのギルドマスターと付き合うことになってしまったに違いない。
お陰で、エドマンドも警備隊に顔がきくようになり、その情報を部下の駆除人たちに流すことができる。
エドマンドという人物の人間としての魅力がここまでそうさせるのだろう。
カーラは思わず微笑んでしまった。それから無言で金を受け取った。
レキシーも口を挟まないことからカーラと同じようにこの駆除を引き受けることにしたに違いない。
エドマンドは二人に向かって何度も礼の言葉を述べ、そのまま宿屋を後にした。
二人が泊まっていたのは先述の通り、エドマンドの経営する宿屋ではなく、別の宿屋なのだが、そこでも顔はきくらしい。
帰り間際に二人にお茶を運んできた宿屋のメイドと親しげに話している姿が見受けられた。
あの人の懐に飛び込む術は見習いたいものがある。カーラは感心しながらエドマンドを見つめていた。
翌日になり、二人は情報収集のために観光を装って、街の中を探索していた。
情報については全員が一ヶ月ほど前に起きた急ぎ働きの盗賊の件については眉を顰めていたので、話にさえならなかった。
やむを得ずに宿屋に引き返そうとした時だ。上品な顔つきの恰幅のいい男が道端で蹲っているのが見えた。
男に付き従っていた従業員と思われる男女たちは医学の心得がないのか、慌てふためくばかりであった。
二人の職業は害虫駆除人という殺し屋であるが、表の稼業は医者。
目の前に苦しんでいる人がいるというのに見逃すことなどできるはずがない。
レキシーとカーラは男の病状が食べ過ぎによる不摂政による腰痛と看破し、鞄の中に収めている楽になるための薬を手渡す。
粉状の薬を口に含ませてから、従業員と思われる女性から水を借りて飲ませていく。
しばらくは道の上で休ませた後に立てるようになったのを確認し、従業員たちと共に男の店の中へと運んでいく。
相当に繁盛しているのか、レンガ造りで、他の商店よりも大きかった。
正面から見れば寝そべる巨人が二人を見下ろしているかのようだ。
従業員の話によれば、ここが男の商いの中心である女性向けの服を扱う店舗兼自宅となっているのだそうだ。
二階にある居住スペースに男を部屋にあるベッドの中へと担ぎ込み、その腹を優しく撫でていく。
二人の適切な処置で男は随分と楽になったらしい。機嫌の良い声で、二人の手つきの良さを華美な賛辞で褒め称え、二人こそが神々が遣わした天使の化身だと締め括った。
いわゆる歯の浮くようなお世辞であるが、人助けの後に聞くと悪い心地ではなくなってくる。レキシーとカーラは顔を見合わせて笑っていた。
男は救世主に対してはまるで、神を崇める信徒のように恭しく対応した。
従業員たちに二人をもてなすように厳命し、わざわざ近所にある菓子店から高価な菓子を購入させ、お茶までつけて二人に提供したのだ。
カーラとレキシーもお茶とお菓子を片手に主人からのもてなしを受けているのがいい休憩になり、店の主人を相手に様々なことを雑談として語っていた。
おまけに帰る間際になり、新しい服まで渡されるという好待遇であった。
「こんなもの貰えませんよ」
レキシーが慌てた様子で辞退しようとしたが、恰幅のいい主人は腹を鳴らしながら、
「いえいえ、私を助けてもらったんですからそれくらいは当然ですよ」
と、断る理由がないとばかりに改めて二人に服を受け取るように勧めたのだった。
尚も辞退しようとする素振りを見せる二人に主人は和かな笑顔を浮かべながら、
「では、こうしましょう。お二人は旅の途中だということですが、滞在の最後の日まで毎日来て、私の腰の様子を見てください。それは報酬の前払いということで、もちろん、帰る日にはこの街の医者と引き合わせ、引き継ぎをしてもらった後に別途報酬をお渡しします」
と、まるで、駆除人とギルドマスターによる取り決めのように言い放ったのだ。
それが面白かった二人は情報収集の合間に通うことを決めた。
翌日からは十文字傷のジョーとその一味の情報を集めながら昼間には主人の診察を行うという生活が始まった。
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ただ、成果というのは雲泥の差で、日に日に良くなっていく主人の体調と反比例するかのように盗賊たちの情報は集まらなかった。
そんな時にまた新たなトラブルが起きようなどとは思いもしなかった。
きっかけは初めて治療を行った日に水をもらった女性従業員のある一面をカーラがたまたま見たことがきっかけであった。
その日、女性従業員は治療を終えて帰ろうとする二人の前に現れ、店の主人からお礼だという髪飾りを渡しに来ていたのだ。
二人が受け取ったのを確認し、店に戻ろうとする従業員であったが、物陰からその姿を見ていた小さな少女がいた事に気が付いたのだ。
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ただの折檻であったのならば家庭の事情として放っておくこともできただろう。
だが、その様は尋常ではなかった。まるで、憎い人間見るかのような目で少女を睨みながら叩いていたのだ。
だが、少女は何もしていなかった。ただひたすらに母親に許しを乞うていた。
それを見ていたカーラは意図せずに袖から針を取り出していた。
慌てて飛びかかろうとしたカーラをレキシーが咄嗟に止めた。
というのも、その時のカーラからは紛れもない殺気が漂っていたからだ。
もし、レキシーが止めていなければカーラは自分が神であるかのように傲慢な心持ちとなって、女性従業員の延髄にその針を突き刺していたに違いない。
この時カーラは自分が無意識のうちに叩かれている少女に過去の自分を、叩いている女性従業員にかつての実母の姿を重ね合わせていたのだった。
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政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
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