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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
アンブリッジ家の陰謀
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「ほれほれ、金が欲しいか?そら、やるぞ」
唇が厚く、太い眉の目立つ丸い顔をしたオレンジ色の髪が目立つ青年は高級レストランにて、自身の周りに侍らせている簡素なドレスと僅かばかりの宝石を身に纏った女たちに向かって、得意げな笑みを浮かべながら自分の席の周りに金貨をばら撒いていた。
ルシウスの側に立って控えていた女性たちは床の上に落ちた金貨を見て、歓喜の悲鳴を上げながら拾い上げていく。
その姿を男はワイングラスを片手に満足げな様子で見つめていた。
男の名前はルシウス。アンブリッジ伯爵家の長男にして、次期跡取りとして位置付けられている二十四歳の青年であった。
ルシウスは下品な笑みを浮かべながら、ワイングラスの中に満ちていた酒を舐めていく。下品な仕草であるが、レストラン側としては大金を落としてくれる太客であるため、文句の一つも言えないような状況となっていた。
ルシウスは店の中一帯に響き渡るような下品な笑い声を上げ、太客のために用意された窓際の眺めのいい席の上でもたれかかりながら酒を飲み干す。
ルシウスの陣取る机の上には山のような量のお酒と贅を尽くしたコース料理が載っており、ルシウスの羽ぶりの良さが窺えた。
ルシウスはしばらくの間は一人で酒を楽しみ、自分が考案した浅ましいショーを楽しんでいたが、瓶が空になると、黙ってグラスを突き出し、真横に控えていた自分の取り巻きである傭兵の男に酌をさせていた。
取り巻きといっても、当然傭兵であるため腕は立つ。一般の人がまともに対峙すればすぐにでも尻尾を巻いて逃げ出したくなるような圧さえ感じられる。
ルシウスも例外ではないはずであるのだが、自分で雇っている用心棒というためか、はたまたルシウスが物おじすることがないという性格でできているためか、機嫌を悪くすることなく、傭兵の男からの酌を受け取っていたのである。
酌を受け、その日五回目の酒を飲み干した後にルシウスは上機嫌な声で問い掛けた。
「おい、シビル。あの女一体どうした?」
「若、あの女とは?」
「決まっておるであろうッ!オレや妹の周りをコソコソと嗅ぎ回っていたドブネズミを介抱したあの医者のことだッ!」
ルシウスは先程までの機嫌の良い声色とは一転して憤怒に満ちた声でシビルと呼ばれた男を叱責した。
並の人間であるのならば、萎縮させるはずのシビルでさえ、ルシウスの剣幕には逆らうことができず、両肩を強張らせて萎縮するばかりであった。
縮こまった様子に苛立ちを覚えたのか、ルシウスは席の上から立ち上がり、シビルの頬に向かって強烈な拳を喰らわせたのである。平手打ちではない。丸く握った拳を喰らわせたのだ。シビルはたまったものではないだろう。
悲鳴を上げる暇さえもなく、地面の上に転倒していく。
だが、ここで容赦をしないのがルシウスだ。ルシウスはシビルの上に馬乗りになり、拳の皮が捲れるまで殴り続けていたのだ。ここで、女性たちも耐えきれなくなったのか、悲鳴の合唱を始めていく。
だが、ルシウスは女性たちの悲鳴を背景に無心で殴り続けていた。
やがて、拳に限界が来ると、今度は机の上に並んでいた皿を取り出し、料理が載っているのにも関わらず、ルシウスの頭を殴打していく。
両目を瞑り、頭を抑えるルシウスの姿はさながら嵐の夜に雷雨が過ぎ去るのをシーツを被って待っている子どものようだ。ある意味はシビルにとっての嵐だと評してもよい。
ルシウスは殴り続けていれば、いずれ飽きて、酒を飲むのことに戻っていく。その隙を見計らって、謝罪の言葉を述べれば済むのだ。いつも通りのことだ。
この時のシビルにとって運が良かったのはルシウスが先程個別に注文した羊肉のローストにオレンジ色のソースをかけた料理を届けにウェイターが現れたことだった。
ルシウスはシビルへの制裁を中断させられたことによって、料理を運んできたウェイターの男性にその憎悪を一身に向けたのだった。
ルシウスはウェイターに強烈な一撃を与えた後に、何が起きたのか理解できず、怯えた様子で上目遣いでルシウスを見上げるウェイターの男性の首元に両腕をかけ、一気に締め上げていく。
ルシウスの体重を一気にかけられたウェイターの男性は口から泡を吹き出し、逃れようと懸命な様子で、陸の上に吊り上げられた魚のようにバタバタと両足を動かしたが、やがて、力が尽きて、倒れ込む。
女性たちは既に恐怖から悲鳴を上げる余力さえなくなっていた。
ルシウスはその女性たちに向かって、先程とは異なるような穏やかな笑みを浮かべた後で、床の上に散らばった羊肉のロースを踏み潰して言った。
「お主ら?わしが怖いか?」
その問い掛けに返事はない。男女問わずに人間の本能に従い、恐怖で震えていたのだった。
だが、ルシウスは上機嫌な様子で椅子の上に座り、残っていた酒を飲み干してから言葉を続けた。
「まぁ、怖いわな。お主らもよーくわかっているだろう?わしに逆らえばお主らでもこのような目に遭うのだぞ」
取り巻きの中で、女性たちは涙を流しながら腰を抜かし、男性たちでさえもルシウスへの恐怖から目線を逸らし、じっとこの時が終わるのを待っていた。
彼ら彼女らにとっての救いの主となったのは、ルシウスの妹、ドロシーであった。
ルシウスが侍らせていた女性たちよりも豪華で質の良い生地を使ったピンク色のドレスを纏っており、肩にはアンブリッジ家の紋章が記されたオモニエールという婦人のための巾着袋が掛けられていた。
それだけでも十分に目立つ格好であったが、それ以上に顔に施した派手なメイクが人々の目を引いていた。
ルシウスは立ち上がって、そんな妹を快く迎え入れた。
「ドロシー。どうした?オレに何か話したいことでもあるのか?」
「ちょっとね。悪いけど、取り巻きの人たちは外してくれない?」
その言葉を聞いたルシウスは取り巻きたちにレストランを出るように指示を出す。
全員がここぞとばかりにレストランを出たのを確認すると、ルシウスは自身の向かい側の席を引き、妹を座らせると、自ら余っていたワインの瓶を持ち上げ、余っていたグラスの中へと注いでいく。
ドロシーはワインで喉の渇きを癒すと、ルシウスに向かって話を切り出す。
「しかし、ドブネズミというのは厄介だね。親のネズミを始末しても、子のネズミが人間様の周りを嗅ぎ回りやがる」
妹の忌々しげな表情からルシウスは何が起きたのかを察した。
両目を矢のように細く尖らせ、白い光を帯びた視線で妹に向かって問い掛けた。
「まさか、そいつらがオレたちを嗅ぎ回っているっていいたのかい?」
「その通りだ。臭いったらありゃしないよ。いやらしくて汚いドブネズミのくせに姿や格好だけは人間みたいにするんだから、本当に忌々しいよ」
ドロシーにとって、いいや、これは大抵の大貴族が庶民にとって抱いている感情であるに違いない。
貴族にとって平民の命というのはネズミの命に等しいものであるのだ。
大貴族の中にも一部の例外が存在するのは人間で例えるところの良心とでもいうべきところだろうか。
いずれにしろ、貴族政治の弊害というものはここまで大きくなっていた。
ルシウスもその例に漏れず、妹の言葉に同意の意味も込めて、首を大きく縦に動かしたのだった。
「で、どうする?ドブネズミどもをまとめて始末するかね?」
「それも面白いんだけどさ。ドブネズミにはドブネズミを……って面白そうじゃあない?」
ドロシーは口元の右端を大きく吊り上げ、意地悪な笑みを浮かべて問い掛けた。
ルシウスは妹の意図を察し、妹を誉めそやしたのだった。
「流石は我が妹……そうか、小ネズミはいくら足掻いても小ネズミ……状況次第では大人ネズミを我らに売り、我らに首を差し出すということか」
「そういうこと……流石はお兄様。なかなか思いつくことじゃないよ」
ドロシーは下げていた革製の巾着袋から金貨の入った小さな袋を取り出しながら言った。
「こいつは小ネズミどもの餌だよ。ネズミを操るには上質なチーズがないといけないだろ?」
「しかし、ちとネズミにやるには勿体なさすぎるのではないのか?」
「当たり前だろ。チーズは小ネズミが大人ネズミを殺した後に回収する手筈になってるんだよ」
ドロシーは計画を全て語り終えると、革袋の中に袋を戻し、椅子の上から立ち上がっていく。
ドロシーが身に付けている巾着袋はオモニエールという装飾が施された婦人のために用意されたものだ。まだハンドバッグという概念がないこの世界においては社交界に出る婦人にとっては欠かせないものであった。
オモニエールがあるからこそ、身だしなみを簡単に整えることができる。ドロシーがオモニエールに感謝していると、背後から声が聞こえた。
「待て、ドロシー。もう帰るのか?」
「お兄様、帰るんじゃないよ。あたしはこのまま小ネズミの家に行くんだから」
「小ネズミって……お前さんがそのまま行くのか?」
「そうだよ。何せ、あたしはアンブリッジ家の中で一番口が上手いんだからねぇ」
ドロシーはそのまま店を出ると、真っ直ぐにウォード家へと向かう。
ウォード家のあまりの狭さにドロシーは堪らなくなって、眉を顰めかけたが、必死に悲しげな顔を作り上げて、ウォード家へと押し入ったのだった。
ウォード家ではあまり歓迎されることはなかったが、金貨の袋を机の上に曝け出したことでようやく歓待を受けることになったのである。
ドロシーの前にはお茶が差し出され、真剣な表情を浮かべたかつてのウォードのパートナーと二人の子どもたちに向かって、涙を交えながら語っていく。
無論、ドロシーの語る言葉は出鱈目であった。事実、遺体を引き取りにクルーの元へと向かったかつてのウォードのパートナーはその言葉を信じてはいなかった。
だが、二人の子どもにはドロシーの嘘八百が通ったらしい。
すっかりと信じ込んだ様子で、嘘くさい涙を流すドロシーに向かって問い掛けた。
「ぼくたちは何をすればいいの?」
「そうだねぇ。今日はもういいからさ。明日にでも診療所に行ってきてよ。レキシーって医者のことは覚えてるだろ?そいつがあんたたちのパパを殺したんだよ」
二人の子どもは落ち着いてゆっくりした様子で首を縦に動かす。二人の両目に迷いは見られなかった。
こうして、二人は真の敵にまんまと利用され、レキシー抹殺のための刺客へと作り上げられていったのだった。
唇が厚く、太い眉の目立つ丸い顔をしたオレンジ色の髪が目立つ青年は高級レストランにて、自身の周りに侍らせている簡素なドレスと僅かばかりの宝石を身に纏った女たちに向かって、得意げな笑みを浮かべながら自分の席の周りに金貨をばら撒いていた。
ルシウスの側に立って控えていた女性たちは床の上に落ちた金貨を見て、歓喜の悲鳴を上げながら拾い上げていく。
その姿を男はワイングラスを片手に満足げな様子で見つめていた。
男の名前はルシウス。アンブリッジ伯爵家の長男にして、次期跡取りとして位置付けられている二十四歳の青年であった。
ルシウスは下品な笑みを浮かべながら、ワイングラスの中に満ちていた酒を舐めていく。下品な仕草であるが、レストラン側としては大金を落としてくれる太客であるため、文句の一つも言えないような状況となっていた。
ルシウスは店の中一帯に響き渡るような下品な笑い声を上げ、太客のために用意された窓際の眺めのいい席の上でもたれかかりながら酒を飲み干す。
ルシウスの陣取る机の上には山のような量のお酒と贅を尽くしたコース料理が載っており、ルシウスの羽ぶりの良さが窺えた。
ルシウスはしばらくの間は一人で酒を楽しみ、自分が考案した浅ましいショーを楽しんでいたが、瓶が空になると、黙ってグラスを突き出し、真横に控えていた自分の取り巻きである傭兵の男に酌をさせていた。
取り巻きといっても、当然傭兵であるため腕は立つ。一般の人がまともに対峙すればすぐにでも尻尾を巻いて逃げ出したくなるような圧さえ感じられる。
ルシウスも例外ではないはずであるのだが、自分で雇っている用心棒というためか、はたまたルシウスが物おじすることがないという性格でできているためか、機嫌を悪くすることなく、傭兵の男からの酌を受け取っていたのである。
酌を受け、その日五回目の酒を飲み干した後にルシウスは上機嫌な声で問い掛けた。
「おい、シビル。あの女一体どうした?」
「若、あの女とは?」
「決まっておるであろうッ!オレや妹の周りをコソコソと嗅ぎ回っていたドブネズミを介抱したあの医者のことだッ!」
ルシウスは先程までの機嫌の良い声色とは一転して憤怒に満ちた声でシビルと呼ばれた男を叱責した。
並の人間であるのならば、萎縮させるはずのシビルでさえ、ルシウスの剣幕には逆らうことができず、両肩を強張らせて萎縮するばかりであった。
縮こまった様子に苛立ちを覚えたのか、ルシウスは席の上から立ち上がり、シビルの頬に向かって強烈な拳を喰らわせたのである。平手打ちではない。丸く握った拳を喰らわせたのだ。シビルはたまったものではないだろう。
悲鳴を上げる暇さえもなく、地面の上に転倒していく。
だが、ここで容赦をしないのがルシウスだ。ルシウスはシビルの上に馬乗りになり、拳の皮が捲れるまで殴り続けていたのだ。ここで、女性たちも耐えきれなくなったのか、悲鳴の合唱を始めていく。
だが、ルシウスは女性たちの悲鳴を背景に無心で殴り続けていた。
やがて、拳に限界が来ると、今度は机の上に並んでいた皿を取り出し、料理が載っているのにも関わらず、ルシウスの頭を殴打していく。
両目を瞑り、頭を抑えるルシウスの姿はさながら嵐の夜に雷雨が過ぎ去るのをシーツを被って待っている子どものようだ。ある意味はシビルにとっての嵐だと評してもよい。
ルシウスは殴り続けていれば、いずれ飽きて、酒を飲むのことに戻っていく。その隙を見計らって、謝罪の言葉を述べれば済むのだ。いつも通りのことだ。
この時のシビルにとって運が良かったのはルシウスが先程個別に注文した羊肉のローストにオレンジ色のソースをかけた料理を届けにウェイターが現れたことだった。
ルシウスはシビルへの制裁を中断させられたことによって、料理を運んできたウェイターの男性にその憎悪を一身に向けたのだった。
ルシウスはウェイターに強烈な一撃を与えた後に、何が起きたのか理解できず、怯えた様子で上目遣いでルシウスを見上げるウェイターの男性の首元に両腕をかけ、一気に締め上げていく。
ルシウスの体重を一気にかけられたウェイターの男性は口から泡を吹き出し、逃れようと懸命な様子で、陸の上に吊り上げられた魚のようにバタバタと両足を動かしたが、やがて、力が尽きて、倒れ込む。
女性たちは既に恐怖から悲鳴を上げる余力さえなくなっていた。
ルシウスはその女性たちに向かって、先程とは異なるような穏やかな笑みを浮かべた後で、床の上に散らばった羊肉のロースを踏み潰して言った。
「お主ら?わしが怖いか?」
その問い掛けに返事はない。男女問わずに人間の本能に従い、恐怖で震えていたのだった。
だが、ルシウスは上機嫌な様子で椅子の上に座り、残っていた酒を飲み干してから言葉を続けた。
「まぁ、怖いわな。お主らもよーくわかっているだろう?わしに逆らえばお主らでもこのような目に遭うのだぞ」
取り巻きの中で、女性たちは涙を流しながら腰を抜かし、男性たちでさえもルシウスへの恐怖から目線を逸らし、じっとこの時が終わるのを待っていた。
彼ら彼女らにとっての救いの主となったのは、ルシウスの妹、ドロシーであった。
ルシウスが侍らせていた女性たちよりも豪華で質の良い生地を使ったピンク色のドレスを纏っており、肩にはアンブリッジ家の紋章が記されたオモニエールという婦人のための巾着袋が掛けられていた。
それだけでも十分に目立つ格好であったが、それ以上に顔に施した派手なメイクが人々の目を引いていた。
ルシウスは立ち上がって、そんな妹を快く迎え入れた。
「ドロシー。どうした?オレに何か話したいことでもあるのか?」
「ちょっとね。悪いけど、取り巻きの人たちは外してくれない?」
その言葉を聞いたルシウスは取り巻きたちにレストランを出るように指示を出す。
全員がここぞとばかりにレストランを出たのを確認すると、ルシウスは自身の向かい側の席を引き、妹を座らせると、自ら余っていたワインの瓶を持ち上げ、余っていたグラスの中へと注いでいく。
ドロシーはワインで喉の渇きを癒すと、ルシウスに向かって話を切り出す。
「しかし、ドブネズミというのは厄介だね。親のネズミを始末しても、子のネズミが人間様の周りを嗅ぎ回りやがる」
妹の忌々しげな表情からルシウスは何が起きたのかを察した。
両目を矢のように細く尖らせ、白い光を帯びた視線で妹に向かって問い掛けた。
「まさか、そいつらがオレたちを嗅ぎ回っているっていいたのかい?」
「その通りだ。臭いったらありゃしないよ。いやらしくて汚いドブネズミのくせに姿や格好だけは人間みたいにするんだから、本当に忌々しいよ」
ドロシーにとって、いいや、これは大抵の大貴族が庶民にとって抱いている感情であるに違いない。
貴族にとって平民の命というのはネズミの命に等しいものであるのだ。
大貴族の中にも一部の例外が存在するのは人間で例えるところの良心とでもいうべきところだろうか。
いずれにしろ、貴族政治の弊害というものはここまで大きくなっていた。
ルシウスもその例に漏れず、妹の言葉に同意の意味も込めて、首を大きく縦に動かしたのだった。
「で、どうする?ドブネズミどもをまとめて始末するかね?」
「それも面白いんだけどさ。ドブネズミにはドブネズミを……って面白そうじゃあない?」
ドロシーは口元の右端を大きく吊り上げ、意地悪な笑みを浮かべて問い掛けた。
ルシウスは妹の意図を察し、妹を誉めそやしたのだった。
「流石は我が妹……そうか、小ネズミはいくら足掻いても小ネズミ……状況次第では大人ネズミを我らに売り、我らに首を差し出すということか」
「そういうこと……流石はお兄様。なかなか思いつくことじゃないよ」
ドロシーは下げていた革製の巾着袋から金貨の入った小さな袋を取り出しながら言った。
「こいつは小ネズミどもの餌だよ。ネズミを操るには上質なチーズがないといけないだろ?」
「しかし、ちとネズミにやるには勿体なさすぎるのではないのか?」
「当たり前だろ。チーズは小ネズミが大人ネズミを殺した後に回収する手筈になってるんだよ」
ドロシーは計画を全て語り終えると、革袋の中に袋を戻し、椅子の上から立ち上がっていく。
ドロシーが身に付けている巾着袋はオモニエールという装飾が施された婦人のために用意されたものだ。まだハンドバッグという概念がないこの世界においては社交界に出る婦人にとっては欠かせないものであった。
オモニエールがあるからこそ、身だしなみを簡単に整えることができる。ドロシーがオモニエールに感謝していると、背後から声が聞こえた。
「待て、ドロシー。もう帰るのか?」
「お兄様、帰るんじゃないよ。あたしはこのまま小ネズミの家に行くんだから」
「小ネズミって……お前さんがそのまま行くのか?」
「そうだよ。何せ、あたしはアンブリッジ家の中で一番口が上手いんだからねぇ」
ドロシーはそのまま店を出ると、真っ直ぐにウォード家へと向かう。
ウォード家のあまりの狭さにドロシーは堪らなくなって、眉を顰めかけたが、必死に悲しげな顔を作り上げて、ウォード家へと押し入ったのだった。
ウォード家ではあまり歓迎されることはなかったが、金貨の袋を机の上に曝け出したことでようやく歓待を受けることになったのである。
ドロシーの前にはお茶が差し出され、真剣な表情を浮かべたかつてのウォードのパートナーと二人の子どもたちに向かって、涙を交えながら語っていく。
無論、ドロシーの語る言葉は出鱈目であった。事実、遺体を引き取りにクルーの元へと向かったかつてのウォードのパートナーはその言葉を信じてはいなかった。
だが、二人の子どもにはドロシーの嘘八百が通ったらしい。
すっかりと信じ込んだ様子で、嘘くさい涙を流すドロシーに向かって問い掛けた。
「ぼくたちは何をすればいいの?」
「そうだねぇ。今日はもういいからさ。明日にでも診療所に行ってきてよ。レキシーって医者のことは覚えてるだろ?そいつがあんたたちのパパを殺したんだよ」
二人の子どもは落ち着いてゆっくりした様子で首を縦に動かす。二人の両目に迷いは見られなかった。
こうして、二人は真の敵にまんまと利用され、レキシー抹殺のための刺客へと作り上げられていったのだった。
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