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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』

一番辛いのは詰られることですわ

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しばらくの間、二人は氷漬けにされたかのように固まっていた。
しかし、その後で覚悟を決めたのか、

「ヒューゴさん、この件はそう簡単に決められることではありませんわ」

と、強い口調で両目を細めながら、矢で射抜くような視線で訴え掛けた。

ヒューゴは一旦はその剣幕に震えたが、口元に勝ち誇ったような微笑を浮かべていく。

「いいですか、忘れたとは言えませんよ。駆除人の掟をご存知なら仕事の話を聞いたら受けなきゃいけないってこと」

ヒューゴの口から駆除人の掟を出されれば承諾するしかあるまい。少しばかり卑劣な手であるが、確実に受けさせるにはそれ以外しかないのだ。
二人は渋々承諾するより他になかった。カーラは二人を代表して、ヒューゴから渡された前金を受け取った。
ヒューゴから受け取った金を懐の中へと仕舞い込むと、ヒューゴは腰を上げて、診療所を後にしていく。

ヒューゴが立ち去った後で、二人は向かい合いながら話を行なう。
どちらがどちらの駆除を行うのかという話し合いである。
昼食となるサンドイッチを片手に長い話し合いが行われた末にカーラがドロシーを、レキシーがシリウスを仕留めることになった。

治療を終えた後に情報を収集するために、二人が診療所を閉めて、裏の社会へと向かおうとした時だ。

「あの、あなた様がレキシーさんですか?」

と、背中から問いかける声が聞こえた。レキシーが振り返ると、そこには昨晩レオの死体に取り縋って泣いていた婦人の姿が見えた。
腰にまで垂れた長い金髪に弱々しい笑みを浮かべている優しそうな婦人だ。
婦人は丁寧に頭を下げてから改めてお礼の言葉を述べた。

「昨日はありがとうございます。あの人をクルー先生のお宅まで運んでくれたなんて」

「いえ、あたしは当然のことをしただけですから」

レキシーは、はにかんだような笑みを浮かべながら答えた。

「本日はお礼を申し上げたく参りました。本当にありがとうございます」

「よしとくれよ、お礼だなんてさ。あたしは医者として、人として、当然のことをしただけなんだから」

「いえ、それでは私の気が済みません。どうか、お礼をさせてくださいませ」

ここまで粘られてしまえば承諾するより他にない。レキシーはカーラ同伴だという条件で、婦人の家に招かれることになった。
婦人の家は警備隊に所属する騎士たちやその家族が寝泊まりに使用する騎士寮と呼ばれる住宅街の中に聳え立つ平凡な一軒家であった。

簡素な二階建ての家であり、屋根の上に小さな煙突が出ていることや壁一帯を白色のレンガで建てられているという他には特に特徴もない。
婦人は鍵を回し、木製の小さな扉を開いて、二人を招き入れていく。

玄関を上がって、左に突き当たったところに家族で過ごすための台所があった。
台所の中央には広々とした机があり、仕事を終えたレオがここで夕食を取っていたということが容易に想像できた。
夕食の席の上にはレオの子どもだと思われる幼い少年と少女が沈痛な表情で家の中に現れた見知らぬ二人を見つめていた。恐らく、レオの子供たちだろう。
話に聞いていた通り、やはり、まだ幼かった。

無理もない。二人は昨晩のうちに父親を亡くしているのだ。そんな状況において、夕食会などに開けるわけがない。
よく見れば夕食の支度をしている婦人の目にもうっすらとした涙が見えた。
レキシーは居た堪れなくなり、困ったような笑顔を浮かべながら言った。

「別に無理してお礼を言うことなんてないんだよ。あたしも義娘も別にお礼がなかったからって気にする性格じゃないしさ。落ち着いてから、また改めて来なよ。ね?」

だが、婦人はその言葉を聞いても、弱々しく笑うばかりであった。
涙を必死になって拭っているからか、目が赤くなっていた。その姿が痛々しい。
あまりにも気の毒だ。

レキシーとカーラは困った顔で見つめ合っていたが、二人の前に運ばれてきた豚の干し肉とレタス、それに青豆が入ったスープが運ばれてきたことによって意識は半ば強制的に料理の方へと向かった。
婦人は弱々しい笑みを浮かべながら、

「どうか、召し上がってくださいな。きっと、お喜びになられると思いますわ」

 と、二人に勧めていく、ここまで来れば食べるより他にあるまい。

二人は黙ってスープを啜っていく。スープの出汁は具材にもなっている干し肉なのだろう。
口いっぱいに肉の味が広がっていく。
干し肉といえども、肉のスープなど滅多に作れるものではない。
随分と張り込んだのだろう。レキシーはありがたいと言うよりも申し訳のない気持ちでいっぱいになった。
大切なパートナーを亡くしたばかりだというのに、葬式よりも恩人へのお礼を優先して、このようなものを作ってくれたことに対する罪悪感のようなものが込み上げていく。

カーラもレキシーの想いが伝わったのか、何も言わずにスープを啜っていく。

その後で、丸パンが入った小さな籠が運ばれてきたり、食事が終わった後には洋菓子店で買ったという果物の入ったタルトが運ばれてきたりしたが、どことなく重い空気が漂い、楽しい夕食とはいかなかった。
最後に婦人の手によって、お茶が差し出され、二人はお茶に口をつけた。

「あの、本日はお招きいただき誠に感謝致しますわ。改めてお礼申し上げます。私も養母ははも楽しいひと時を過ごさせていただきました」

 カーラはどこか困ったような笑みを浮かべながら答えた。
もちろん、これは嘘だ。だが、世の中には嘘も方便という言葉もある。
実際にカーラがそう発したことで、婦人も安心したような笑みを浮かべていた。
自分の一言で、全てが丸く収まったかと安心した時だ。

「心にもないことを言うなよ。どうせ、楽しいだなんて思ってもいないくせに」

 と、吐き捨てるような声が聞こえた。

婦人が慌てて声のした方向を見つめると、そこにはレキシーとカーラの二人を憎悪の目で見つめる少年の姿が見えた。

「やめなさい。オリバー、なんてことを言うの」

 婦人は強い口調で窘めたが、オリバーは小さくて黒い瞳の中に憎悪の炎を燃やし続けていた。

「なんで、なんで、パパを助けてくれなかったんだよ…‥パパを返せッ!この人殺しッ!」

 オリバーが叫んだ瞬間に平手打ちが飛ぶ。強烈な平手打ちにより、オリバーは椅子の上から転げ落ちていく。
カーラが反射的に立ち上がり、オリバーを介抱しようとしたが、オリバーはその手を跳ね除け、両目を剣のように鋭く尖らせながら叫んだ。

「やめろッ!一人で起き上がれられぁ!」

「オリバーッ!」

 
婦人は引き続き、オリバーを咎めたが、オリバーは婦人の言葉も聞かずに感情の赴くままに声を荒げながら階段を駆け上がっていく。

婦人は焦った様子でレキシーとカーラの両名に対し、謝罪の言葉を口にした。

「申し訳ありません。息子が失礼なことを……」

「いや、恨まれるのは当然さ。レオさんを助けられなかったのは事実だしね」
レキシーは悲しげな表情を浮かべながらも言葉を述べた。
その時を狙っていたかのように、今度は少女の方が口を開いた。

「やっぱりそうだったんだ。お父さんはあんたの腕が悪くて死んだんだ」

少女は先程の少年よりも口汚い言葉でレキシーを責め立てた。

「やめなさいッ!エマッ!」

婦人は声を荒げて、娘を嗜めたが、エマはそんな母親の制止も振り切り、話を続けていく。

「だって、そうでしょ?こいつが認めたんだもん。助けられなかったのは事実だって、じゃあ、ヤブ医者じゃん」

「エマッ!」

婦人は先程息子に手を上げたように娘に手を上げようとした時だ。

「その通りさ。あたしはヤブ医者だよ。あんたにそう言われても仕方がないよ」
レキシーが悲しげに肩を落としながら言った。

エマはそれを聞いて、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
それから、大義名分を得たとばかりにレキシーを糾弾していくのであった。

「謝ってよ!パパに謝ってよ!殺してごめんなさいって!」

レキシーが言われるがままに謝罪の言葉を口に出そうとした時だ。婦人がそっとレキシーの肩を触り、出口へと誘導していくのであった。
婦人はこれ以上、子どもたちと二人を合わせるとよくない刺激が生じると判断したのだろう。
改めて礼を述べながら、二人を玄関口へと送り出す。
二人は感謝と謝罪の言葉を口にしながら家を後にした。

言葉を発することもできなかったような重い空気の中での夕食とその直後に起きた子どもたちからの抗議で、レキシーはすっかりと憔悴しきっていた。
落ち込んだ様子の養母をカーラは優しく慰めていた。

重い足取りの中、二人は夜の街を歩いていたのだが、ただならぬ気配に気が付き、二人は駆除人としての顔を浮かべながら、肩を寄せ合い、お互いの耳元に囁いていく。

「つけられてるねぇ。どうするんだい?」

「……レキシーさん、短剣はお持ちでして?」

「……ここでやるんだね?」

カーラは首を縦に動かす。カーラが袖の下に仕込んでいる針を取り出そうとした時だ。前から獣のような唸り声が聞こえた。
前方を見つめると、そこには剣を構えた屈強な男たちの姿が見えた。
恐らく傭兵だろう。あまりにも数が多すぎる。予定を変更し、二人は左右に散り、前から剣を振り上げてきた傭兵を交わすと、そのまま前方に向かって死に物狂いの勢いで走っていく。

目指す場所は複雑に入り組んだ路地裏。そこで、追っ手を巻く予定になっていた。
二人が懸命に逃げていると、背後から迫ってくる傭兵の数が一段と増えていることに気がつく。
どうやら先程、自分たちをつけていたあの気配も傭兵のものであったのだろう。
前と後ろから挟み撃ちにする算段であったらしい。

プロの駆除人である二人なら相手にできないことはないが、それでも困難なのだ。
それ故に戦闘から退却という作戦に変更したのだった。幸いなことに大人数で入り組んだ路地裏に入った二人を見つけ出すことは困難なことであったらしい。
二人は路地裏の中にある建物の陰などに隠れて、傭兵たちをやり過ごし、ようやく自宅へと辿り着いたのである。

自宅に辿り着くと、疲れもあってか、二人とも荷物もそこそこに台所にて体を休めていた。
全速力を使って走ったことによって荒くなった息を整え、何が起こったのかを話し合っていく。
カーラは水瓶の中に溜めていた真水を口にし、口を濡らして後で言った。

「恐らくアンブリッジ家の仕業ではないでしょうか?」

「アンブリッジ家の?そりゃあ、またどういうことだい?」

「決まってますわ。口封じでしょう」

カーラはレキシーに向かって、人差し指を立てながら自身の推測を語っていく。カーラによれば、レオがアンブリッジ家にとってよからぬことを調べ上げ、その口封じにレオを始末したのだという。

だが、その際にレオは闇に葬られることはなく、レキシーによって助けられ、外科医の元へと運ばれた。
事件を闇に葬りたかったアンブリッジ家からすれば余計なことだと言わんばかりに激怒したことが想像に難くない、と、カーラは断言した。
レキシーはカーラの言葉を聞いて、怒りに我を忘れて両肩を震わせていく。

「あたしたちが狙われる理由はそんなことなのかい?ただ、レオを助けた……その一点だけで狙われているっていうのかい?」

「動機としては十分でしょう?もう一つ、私たちが駆除人だという理由もありますが、アンブリッジ家の皆様方は私たちが駆除人だということやその命を狙われているということを知らないはずですので」

レキシーは怒りに身を任せ、机の上を勢いよく叩き付けた。それからカーラに視線を合わせていく。逃げのは許さないと言わんばかりに。

「カーラ、今度の駆除はあたしたちの手で絶対にやり遂げるよ。あの害虫どもを必ず、この手で駆除してやるんだ」

レキシーの決心を聞いて、カーラは口元を一文字に結びながら首を縦に動かす。
もう二人の駆除人に迷いは見えなかった。近いうちにシリウスとドロシーを片付けるつもりでいた。
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