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第三章『私がこの国に巣食う病原菌を排除してご覧にいれますわ!』
神殺しに挑戦したのは駆除人たち
しおりを挟む「しかし、猊下、用心なさる必要がありますぞ」
園遊会を無邪気に楽しむイノケンティウスに対し、ゼネラルは釘を差したのだった。当然の処置である。本来であるのならば護衛を買って出る戦士たちが本日は駆除人たちの襲撃のために出払っており、本日はイノケンティウスとゼネラルの二人しかいないのだから。
しかし、当のイノケンティウスはそんなことに気を配ることもなく、集まった令嬢との交流や料理、酒などに夢中になってゼネラルの警告には耳を貸していない。
ゼネラルはより一層強い口調で警告の言葉を発しようかとも考えたが、そうなればイノケンティウスがあの不気味な笑顔を浮かべながら自身に処罰を下そうとするのは目に見えている。
そのため、ゼネラルは警告を発することを諦め、自身がイノケンティウスをしっかりと見張っておくことにしたのだ。
イノケンティウスがとある令嬢に酒を注いでもらい、満足げに大きな声で笑っていた時だ。
国王フィンの姿が目の前に見えた。フィンはイノケンティウスの側によると、その手を取り、その手の甲の上へと口付けを落としたのであった。これまでのクライン王国の歴史上を見ても前例のないことである。その姿を見て集まった貴族たちが動揺の色を見せた。
フィンはイノケンティウスの手を取ったまま顔を上げ、丁寧な口調を用いて言った。
「猊下、恐れながら申し上げます。国王のフィンです。本日は猊下に勲章を差し上げたいと考えて、私自らが参ったのです」
「ほぅ、それは陳情な……よろしい。では、只今よりイノケンティウス・ビグラフトが国王陛下よりの勲章を受諾し、その栄誉に与ることをここにいる皆様方に宣言させていただきましょう!」
イノケンティウスが大きな声で集まった園遊会の客たちに向かって宣言すると、呼んでいた音楽隊が曲をそれまでの楽しげな曲から荘厳な曲へと変えていく。
音楽隊が演奏するのは竜を倒した騎士が威風堂々と胸を張りながら王の元へと向かっていくという物語が背景に存在する曲だ。
イノケンティウスがもし、この曲の意味を知れば激怒したに違いないが、イノケンティウスはどうやらその意味を知らなかったらしく、曲が流れれば流れるほどに機嫌を良くしていた。
フィンは近くに立っていた召使いの一人を呼び寄せ、耳打ちを行う。フィンからの命令を聞いた召使いは一度王宮に引っ込み、それから悪魔を封印した騎士を描いたとされる絵が記された金色のメダルを持って現れた。
「これをあなたに差し上げましょう。優れた神官のみに差し上げる。我が王国にとって最大の誉となるシールド勲章です」
フィンが差し出したのはその言葉通りに優れた神官のみに贈られる王国の宗教的権威において最高の勲章であった。
それを国王であるフィンから授与されたということはイノケンティウスとネオドラビア教の活動が公式的に公認されたということに他ならない。
イノケンティウスは顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。ここまでフィンが譲歩してくれたのはゼネラルのお陰だろう。イノケンティウスは背後で黙って酒を呑むゼネラルに感謝の笑みを向けた。
ゼネラルはイノケンティウスから向けられた感謝の念に恐縮し、頭を下げるばかりであった。
イノケンティウスはその後にフィンから勲章を直接手渡されたのだが、その際にフィンが耳打ちを行った。
「実は、非公式の和解の印としてもう一つ素晴らしいものをご用意させているのですよ」
「それは何かな?」
イノケンティウスが喜びを抑えきれんと言わんばかりの表情で尋ねた。
「我が王国が誇るとびきりの素晴らしい令嬢です。その令嬢と猊下が二人きりになる機会を差し上げましょう。彼女は外庭にある一番大きな木の麓にある小屋で猊下をお待ちしておりますよ」
その言葉を聞いてイノケンティウスの理性は完全に吹き飛んだ。イノケンティウスの頭には国王自らが差し出したという『とびきりの素晴らしい令嬢』なる女性の存在に夢中になっていた。
ゼネラルはいよいよ怪しいと勘繰ったのだが、勲章を受けたという事とフィンの言う『とびきりの素晴らしい令嬢』という存在によって盲目となってしまったイノケンティウスは聞く耳を持たずに園遊会の会場からすこし離れた大木の下にあるという小屋へと急いでいく。
へへと舌を舐め回しながら小屋を開けると、小屋の中にはフィンの言葉通り素晴らしい令嬢が待ち構えていた。
長い金髪をたなびかせた可憐な顔立ちの少女だ。唯一青色の瞳からは冷ややかな印象を受けるものの、美しさの前ではそんなことは気にもならない。
袖付きの赤い色のドレスの他に首元にはシンプルな金色のネックレスが巻かれていた。その姿からは気品というものが漂っていた。服装も態度も欠点の見えない御伽噺に登場するお姫様のような素晴らしい令嬢だった。
フィンの言葉は嘘ではなかったのだ。我を忘れてイノケンティウスは令嬢へと飛び掛かった。その姿には聖職者として相応しい気品など欠片も見えなかった。
「キャッ!す、少し、乱暴ではございませんの?」
たまらなくなったのか、用意された令嬢が抗議の声を上げる。
「ヘヘッ、構うものかい。キミはね、我々と国との和解の象徴として差し出されたんだろ?なら、私の行動にも我慢しないといけないねぇ」
「あぁ、そんなご無体な……猊下は聖職者でございましょう?」
「私はね、聖職者である以上に一人の人間なんだよ。私は昔からキミのような素晴らしい令嬢と付き合いたいと思っていたんだ。人間っていうのは諦めなければなんでも実現できるものなんだねぇ」
「それが普段お話になられるお言葉の一つですの?」
「まぁ、そうともいえるかな。だが、今日はそんなことは忘れさせてくれ」
イノケンティウスは勢いよくその令嬢を押し倒し、その体へと飛び付いた。
なんとも醜悪な姿である。このような男がクライン王国にて最大の勢力を誇るネオドラビア教の教皇なのだろうか。
やはり、この男はすぐにでもあの世に送ってしまうわなくてはならない。
確信を得た害虫駆除人のカーラは長椅子の隙間に隠していた針を取り出し、イノケンティウスの延髄に向かって突き刺したのであった。ヒュッと短い音を立てた後に針は間違いなく打ち込まれ、イノケンティウスの命を奪うはずであったのだが、カーラにとって計算外であったのはその生命力である。
イノケンティウスは急所であるはずの延髄に針を打ち込まれたにも関わらず、即死していなかったのだ。
針を打ち込んだカーラの手を強く握り締めた後で呻めき声を上げながらカーラのドレスを破こうとしたのだが、カーラはその腕を受け止め、代わりに長椅子の表層を剥がさせたのであった。
未だに呻めき声を上げるイノケンティウスを蹴り飛ばし、カーラはようやく起き上がったのだった。
蹴り飛ばされて壁にぶつかった衝撃のためにその怪物のような生命力にも限界を迎えてしまったのか、カーラが起き上がる頃にはイノケンティウスはようやくその息を止めていた。
カーラが死体を改めて見つめていると、首元から優れた神官のみに贈られるシールド賞と呼ばれる勲章が下げられていることに気が付いた。
カーラは鼻を鳴らしてからイノケンティウスの首元から勲章を取り上げ、地面の上に放り捨てた。あのような浅ましい男にはシールド賞のような素晴らしい勲章は相応しくないと判断したからだ。
勲章を弾き飛ばした後で駆除に用いた針を回収し、袖の中へと戻すと、振り返ることもせずに小屋を後にした。
かつて令嬢であった頃と同じ格好をしていたためか、カーラは怪しまれることなく園遊会の会場を抜け出し、王宮の中に存在する使用人の部屋へと忍び込み、着ていたドレスを脱ぎ捨ててエプロンドレスへと着替えると、そのまま王宮のメイドを装いながら裏口を抜けて王宮を後にした。
後の仕事はレキシーの仕事である。レキシーならばゼネラルを確実に葬ってくれるだろう。
カーラはそんなことを考えながら自宅までの道中を急いだ。
一方でカーラと入れ替わるように園遊会の会場へと姿を現したのはレキシーであった。
レキシーは普段ならば着ないような上品なピンク色のドレスに貴族の婦人が被る上等な帽子を深く被って園遊会の会場へと現れたのだ。レキシーが到着した頃には城の警備兵が慌ただしくしている姿や令嬢たちが慌てふためく姿が見えた。
どうやら、カーラの駆除は上手くいったらしい。人々の血相を変えた様子からイノケンティウスは既に冥界か地獄へと旅立ったことがわかる。残るはゼネラル・グレゴリオを一人残すのみだ。レキシーは気合を入れた。
その時ゼネラル・グレゴリオは園遊会の休憩室でイノケンティウスの死体を目撃していた。
「ば、バカな……猊下が殺されるようなことがあるだなんて……」
ゼネラルにとっていや、ネオドラビア教の信徒にとってイノケンティウスは神そのものであった。人々の罪を一身に背負って死んだドラゴンの遣いであり、人々を導く現世に舞い降りた天使。
それがイノケンティウス・ビグラフトであったのだ。その人物が死んでしまうなどというのは本来であるならば『天地がひっくり返っても』あり得ないようなことであるのだ。
ゼネラルはこの時にネオドラビア教の信徒以外が信じる多神教の神話を思い返していた。多神教の神話の中で『大神』と呼ばれる存在があり、『大神』は偽りの宗教を用いて人々を迷わせた者を雷によって裁くという話を思い出していた。
つまり、この件は多神教の神々もしくは多神教を信じる敵による犯行であるのだ。許してはおけない。
ゼネラルは怒りによって悲しみを抑え込み、自分たちの教皇を殺した相手に復讐を誓ったのだった。
怒りで悲しみを抑え込んだ後で頭に思い浮かんだのは今後のことについてである。
多神教の神々による迫害にしろ、暗殺者の手にかかったのにしろ、イノケンティウスが死んだ以上はネオドラビア教は大きな瓦解は免れない。ただでさえ現状が悪いというのに後継者争いなどで分断されてしまえばますます、その力は悪化していくだろう。
ましてやイノケンティウスに勝る絶対的な宗教的権威と権勢を保てる人間など出現のしようがないのだ。
やむを得ずにゼネラルがイノケンティウスの死を隠し、自らが指揮を行おうかと考えていた時だ。
「ちょっと、いいですか?」
深く帽子を被ったピンク色のドレスを纏った夫人に声を掛けられた。
「なんだ?私は忙しいんだ。後にしてくれよ」
「ところがね、そうもいかないんですよ。教皇猊下からあなた様にお伝えすることがありましてね。ここじゃあ、人目があるので、園遊会の準備がなされている場所まで戻って、そこでお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
婦人の言葉を聞いてゼネラルは疑うこともなくついて行く。
もし、この時ゼネラルがいつものように冷静であったのならば決してついて行こうとはしなかったに違いない。
イノケンティウスが死んだという衝撃が彼から冷静さと判断力とを失わせていたのだった。二人はほとんど人のいない園遊会の会場へと到着し、向かい合った。
「さて、猊下からの用事というものはなんなんなのだ?教えてもらおうか」
「よろしゅうござんすとも」
ピンク色のドレスを身に纏った夫人がゼネラルの元へと近付いていく。耳元で夫人ははっきりとした声で告げた。
「イノケンティウスがあんたを地獄で待ってるってさ」
その言葉を聞いたゼネラルは思わずハッとしたが、ゼネラルは離れるよりも前に心臓に対して短剣が突き立てられていたのだ。ゼネラルは悲鳴を上げようとするものの、その夫人によって口元を抑えられ、それは叶わなかった。
不幸なことに国王を含めて人々の目はイノケンティウスの死亡現場に釘付けになっている。ゼネラルの異変に気がつく者は誰もいなかった。
ゼネラルは誰にも気付かれないという哀れな最期を一人で辿ることになったのだった。
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