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第三章『私がこの国に巣食う病原菌を排除してご覧にいれますわ!』
元悪役令嬢に恋焦がれたのは敵公爵家の執事
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「いやぁ、いつも助かるよ。カーラの縫うドレスは質がいいからね」
服飾店の店主は国王からの献上品を受け取る家臣のように恭しくカーラからドレスを受け取ったのであった。
「いえ、こちらこそ、いつも高い値段で買い取っていただいた上に、店頭にまで置かせていただいて……なんと言ったらいいのか」
「なぁに、気にすることはないよ。これはきみが正当な報酬として得たものなんだから」
服飾店の店主は口元を緩め、優しい笑顔を浮かべながら言った。
「嬉しいことを言ってくださいますわ」
カーラは丁寧な一礼を行うと、そのまま近くにある馴染みの菓子店へと向かう。
菓子店は相変わらずの盛況ぶりであり、夕方で仕事終わりということもあり、大勢の人が菓子を買うために詰め寄せていたのだ。人々の列は店の外に人が溢れるほどであった。
カーラはその最後尾に並び、馴染みの小さなケーキを買おうかと思いを馳せていたのだが、前の人の会話で「新作の菓子」という言葉が聞こえたので、予定を切り上げ、カーラはそれを買うことにした。
自分の前に並んでいる人の話によれば、新作のお菓子というのは薄焼きの生地から作られた菓子で、円筒形もしくは円錐形で作られているらしい。
想像すればするほど涎が出て来そうだ。自分が淑女でなければこの場でみっともなく垂らしていたに違いない。
カーラは改めて、自身が淑女であり、その態度を食欲にも負けずに維持できたことを褒めたかった。
そんなことを考えている間に順番が回ってきたらしい。カーラは新作のお菓子の代金を払い、菓子を包んでもらう。
この時の店員はかつて、駆除の際に情報を得るために仲良くなったアリスという少女で、買い物の最中も会話が弾み、夢中になってしまいそうになってしまった。
寸前のところでお互いが我に返ることができたのは不幸中の幸いというべきだろう。アリスは困った表情で笑いながらカーラに買った菓子を渡したのである。
それから立ち去ろうとするカーラに対し、アリスは思い出したように言った。
「そういえば、この後、裏口でご主人様があなたに話があるって言ってたよ」
「えっ、私に?」
「なんでも劇の件で話があるとか」
『劇』という単語から連想されるのは一つしかない。そう遠くないうちに訪れるであろう孤児院での演劇である。どうやらこの前、ここの主人が言っていた台本が完成したらしい。
カーラは買った菓子を両手に持って、裏口へと回っていく。
裏口の扉を叩くと、主人である凛とした様子の女性が得意げな顔を浮かべて待っていた。
「待ってたよ、これが台本さ」
カーラに小さな台本を差し出す。カーラがその場で台本をパラパラとめくり、配役を覗き込むと、ヒロインである『林檎姫』に毒入りの林檎を手渡す暗黒の竜の化身がカーラの役であったのだ。
『這いつくばり姫』の時と同様に悪役を割り当てられてしまった事実にカーラとしては苦笑するより他にない。カーラが声もなく笑っていると、女性主人が訪問の日程と今回は向こうが服を希望していないという旨を伝えてから店へと戻っていく。
だが、今回劇以外でのカーラの役割はレキシーの助手以外のことは求められてはいないらしい。
そのことに安堵し、一息を吐いていると、カーラの前に柄の悪い二人組の男が現れた。
腰に剣を下げている様子と鎧を身に纏っていないことから二人の正体が傭兵であることは容易に推測できる。
カーラは両目を細めながら傭兵たちを睨む。
しかし、睨まれていても二人組の傭兵はせせら笑うばかりで、怯む様子は見せない。そればかりか、そのうちの一人が乱暴にカーラの手首を掴んだのである。
「離してくださいませ」
カーラは慌てる様子も見せずに鋭い口調で二人組の傭兵に向かって言い放った。
だが、傭兵はカーラの手を離す様子は見せない。それどころか、カーラの腕に込める力を更に強めていく。
「何をなさるんですの?」
カーラは先程と同じように怒りを含めながらも落ち着いた口調で問い掛けたが、傭兵は今度はカーラを乱暴に引っ張っていく。城下町の裏通りであるため人も来ない。不味いことになった。
カーラは焦りを感じていた。冷や汗が止まらない。場合によってはこの二人を始末しなくてはならないのだろう。
そのことだけは避けたかった。いくら相手が乱暴者といってもカーラからすれば無闇に人など殺めたくはないのだ。
カーラが流されるまま二人に連れられていくと、そこには城下町の裏通りには似つかわしくない上等な黒色のコートを羽織った中年の男性が待ち構えていた。
顎と口元の上に立派な黒い髭を生やした立派な偉丈夫である。
カーラはその姿に見覚えがあった。かつて、公爵令嬢であった頃に従兄弟であるロバートに付き従っていたクイントンという男である。
クイントンは二人にカーラを離すように指示を出し、口元を緩めながら丁寧に頭を下げる。
「お久しぶりです。カーラお嬢様。お元気でしたか?クイントンです」
「お久しぶりですわ。クイントンさん」
向こうが丁寧な対応をとったからか、それに追随してカーラも丁寧な応対を行う。それを見たクイントンはフフッと微笑んでいた。
「相変わらず、あなた様はお美しい。まるで、古の絵画に登場する女神のようだ」
大袈裟な賛辞にカーラは苦笑するしかなかった。お付きの人間というよりは街にいる女性好きの吟遊詩人のようだ。
吟遊詩人とは詩曲を作り、お金をもらって、各地を回る人を指し示す言葉であり、その多くが容姿端麗な人物で、若い女性たちからは好かれる存在である。
その中には優れた音楽の才能と詩の才能を女性たらしの方面に活用する人物も多かったのだ。
カーラがクイントンの台詞から吟遊詩人を連想するのも無理はなかったといえるだろう。
だが、そんなカーラの心境など知らないクイントンは「歯の浮くような」お世辞を続けていたのである。
カーラもそろそろ飽きてきそうになった頃だ。不意にクイントンが両目を光らせ、先程よりも低い声で言った。
「そうだ。言い忘れておりました。ロバート様がお嬢様をお屋敷にお連れするようにと仰られていたのです。どうか、私と共にお屋敷に来てはいただけませんか?」
「お断り致しますわ」
カーラはきっぱりと否定した。クイントンは意外そうに両目を開きながら理由を問い掛けた。
カーラははっきりとした声でその理由を語ったのである。
「これから私は家に帰って、お夕食の支度をしなくてはなりませんの。二人で暮らしているからお夕食は交代で作る決まりになっておりますの。私がそのことを怠ければレキシーさんに怒られてしまいますわ」
もっともな理由である。クイントンは引き下がるしかなかった。
クイントンは二人の傭兵にカーラを見送るように指示を出したのだが、カーラがそれをきっぱりと断った。
理由は二人の人柄と先程、手を乱暴に引っ張られたということにある。
クイントンはその場を去っていくカーラを見送りながら小さな溜息を吐く。
カーラを引っ張ってくることがロバートから言い渡された使命であったので、連れ帰ることができなければ自身は折檻を受けるだろう。それはどう足掻いても変えることができない事実だ。
だが、カーラを乱暴に引っ張るような真似をしたくはなかった。
というのも、クイントンは初めて出会った時から花壇に植えられた大きく美しい花のように麗しい令嬢として成長していくカーラに恋をしていたからだ。
それ故に身分が剥奪される以前にカーラがマルグリッタを虐めていたという噂が立った時もロバートやエミリーがマルグリッタを擁護し、他の使用人たちがカーラに対して「人面獣心」と称して虐めるようになってからもクイントンだけはその虐めに加わることはなかった。
しかし、虐めを止めることもできなかった。故に今日、再開した時に賛辞の言葉を述べたのはとりいるためにお世辞を並べたのではなく、本心からカーラを慕う気持ちを込めていたのだ。
その気持ちが伝わらなかったので、クイントンが溜息を吐いていた時だ。傭兵の一人が街の外を見つめながら「あっ」と大きな声で叫んだのである。
「どうかしたのか?」
と、クイントンが問い掛けると、傭兵の一人が黙って街中を歩いている二人組の男を震えながら指差したのである。
クイントンが男の指差す方向を見つめると、そこには剣を腰に差した中年の男と若い男の二人が歩いていたのである。
間違いない。少し前に主人であるロバート卿の私兵と傭兵たちによって構成された部隊に恥をかかせた二人組である。
カーラを連れ帰ることができなかったお詫びとして、その命を奪うことができればロバートは満足するだろう。
クイントンは二人の傭兵に攻撃を行なうように指示を出す。
二人は首を小さく縦に動かし、そのまま柄の悪い男たちに向かって襲い掛かっていく。クイントンもそれに応じて懐から短剣を取り出し、傭兵たちと共に攻撃を仕掛けていく。
咄嗟の攻撃に二人は驚いたようであるが、慌てて体勢を立て直し、自らの剣を抜くと、難なくその二人を打ち倒したのである。
それこそ、瞬きをするかしないかというほど一瞬のことである。二人が倒れ、慌てた様子のクイントンは短剣を逆手に構えながら中年の男に向かって襲い掛かっていく。
だが、短剣は二人によって容赦なく弾き飛ばされ、クイントンはその首元に剣先を突き付けられてしまう。
なぜ、傭兵の男たちは躊躇うこともなく倒してしまったのにも関わらず、クイントンの命は奪われてしまわなかったのだろう。
クイントンが声を震わせながらそのことを問い掛けると、
「決まっているだろう。お前からは殺気を感じなかった。だからその命を奪わなかった。それだけだ」
と、意外な返答が返ってきたのである。
「しかし、オレがあんたの命を奪おうとしたのには変わらない。本当にそれだけの理由で?」
「あぁ、悪いか?」
中年の男が睨みながら問い掛けた。それに対し、クイントンは困ったような笑顔を浮かべながら答えた。
「参ったな。命が助かったのは嬉しいが、このまま手ぶらで返ったんじゃ、おれはロバート卿に殺されちまうよ」
「ロバート卿だと?」
その言葉を聞いた中年の男の表情が変わった。中年の男はクイントンへと迫り、その胸ぐらを掴み上げながら同じことを問い掛けた。
「ロバート卿だと言ったな?オレと相棒は少し前にそいつに酷い目に遭わされたんだ。そいつがどこにいるのか教えろ……」
中年の男はクイントンの胸ぐらを掴む力を強めていく。強く引っ張りすぎるあまりクイントンがその顔に苦痛の表情を浮かべるほどであった。
それを見た若い男が止めに入ったことで、ようやくクイントンは解放された。
「やめなよ、エドガーさん。これ以上、こいつを締め上げても何も変わらないよ」
「マグシー。確かに、こいつはやり過ぎかもしれんがな。オレにとっては大事なことなんだ」
低い声でエドガーは吐き捨てた。
「けど、この人は傭兵じゃないんだ。万が一のこともある。やり過ぎはよくない」
「そうはいうがな。ロバート卿なる人物はオレにとってはカーラの次に憎い相手よ」
その後も二人は何やら言葉を言い交わしていたが、クイントンには構うところではなかった。
エドガーの発した「カーラ」という単語に反応し、気が付けばエドガーに向かって喰いかかっていた。
「あんたッ!お嬢様に何をする気なんだッ!」
「お嬢様だと?」
エドガーの顔色が変わった。それを見たマグシーもエドガーを制止するのをやめ、傍観へと徹するようになっていた。
エドガーはもう一度、強い力でクイントンの胸ぐらを掴み上げながら低い声で問い掛けた。
「あんたのいうお嬢様という人物に対して、詳しく聞かせてもらおうじゃないか。オレはその人物と因縁があるんでな」
クイントンは目の前で凄まれて怯んでいた。それでもクイントンは口元を一文字に結び、回答を拒否したのであった。
服飾店の店主は国王からの献上品を受け取る家臣のように恭しくカーラからドレスを受け取ったのであった。
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服飾店の店主は口元を緩め、優しい笑顔を浮かべながら言った。
「嬉しいことを言ってくださいますわ」
カーラは丁寧な一礼を行うと、そのまま近くにある馴染みの菓子店へと向かう。
菓子店は相変わらずの盛況ぶりであり、夕方で仕事終わりということもあり、大勢の人が菓子を買うために詰め寄せていたのだ。人々の列は店の外に人が溢れるほどであった。
カーラはその最後尾に並び、馴染みの小さなケーキを買おうかと思いを馳せていたのだが、前の人の会話で「新作の菓子」という言葉が聞こえたので、予定を切り上げ、カーラはそれを買うことにした。
自分の前に並んでいる人の話によれば、新作のお菓子というのは薄焼きの生地から作られた菓子で、円筒形もしくは円錐形で作られているらしい。
想像すればするほど涎が出て来そうだ。自分が淑女でなければこの場でみっともなく垂らしていたに違いない。
カーラは改めて、自身が淑女であり、その態度を食欲にも負けずに維持できたことを褒めたかった。
そんなことを考えている間に順番が回ってきたらしい。カーラは新作のお菓子の代金を払い、菓子を包んでもらう。
この時の店員はかつて、駆除の際に情報を得るために仲良くなったアリスという少女で、買い物の最中も会話が弾み、夢中になってしまいそうになってしまった。
寸前のところでお互いが我に返ることができたのは不幸中の幸いというべきだろう。アリスは困った表情で笑いながらカーラに買った菓子を渡したのである。
それから立ち去ろうとするカーラに対し、アリスは思い出したように言った。
「そういえば、この後、裏口でご主人様があなたに話があるって言ってたよ」
「えっ、私に?」
「なんでも劇の件で話があるとか」
『劇』という単語から連想されるのは一つしかない。そう遠くないうちに訪れるであろう孤児院での演劇である。どうやらこの前、ここの主人が言っていた台本が完成したらしい。
カーラは買った菓子を両手に持って、裏口へと回っていく。
裏口の扉を叩くと、主人である凛とした様子の女性が得意げな顔を浮かべて待っていた。
「待ってたよ、これが台本さ」
カーラに小さな台本を差し出す。カーラがその場で台本をパラパラとめくり、配役を覗き込むと、ヒロインである『林檎姫』に毒入りの林檎を手渡す暗黒の竜の化身がカーラの役であったのだ。
『這いつくばり姫』の時と同様に悪役を割り当てられてしまった事実にカーラとしては苦笑するより他にない。カーラが声もなく笑っていると、女性主人が訪問の日程と今回は向こうが服を希望していないという旨を伝えてから店へと戻っていく。
だが、今回劇以外でのカーラの役割はレキシーの助手以外のことは求められてはいないらしい。
そのことに安堵し、一息を吐いていると、カーラの前に柄の悪い二人組の男が現れた。
腰に剣を下げている様子と鎧を身に纏っていないことから二人の正体が傭兵であることは容易に推測できる。
カーラは両目を細めながら傭兵たちを睨む。
しかし、睨まれていても二人組の傭兵はせせら笑うばかりで、怯む様子は見せない。そればかりか、そのうちの一人が乱暴にカーラの手首を掴んだのである。
「離してくださいませ」
カーラは慌てる様子も見せずに鋭い口調で二人組の傭兵に向かって言い放った。
だが、傭兵はカーラの手を離す様子は見せない。それどころか、カーラの腕に込める力を更に強めていく。
「何をなさるんですの?」
カーラは先程と同じように怒りを含めながらも落ち着いた口調で問い掛けたが、傭兵は今度はカーラを乱暴に引っ張っていく。城下町の裏通りであるため人も来ない。不味いことになった。
カーラは焦りを感じていた。冷や汗が止まらない。場合によってはこの二人を始末しなくてはならないのだろう。
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カーラが流されるまま二人に連れられていくと、そこには城下町の裏通りには似つかわしくない上等な黒色のコートを羽織った中年の男性が待ち構えていた。
顎と口元の上に立派な黒い髭を生やした立派な偉丈夫である。
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クイントンは二人にカーラを離すように指示を出し、口元を緩めながら丁寧に頭を下げる。
「お久しぶりです。カーラお嬢様。お元気でしたか?クイントンです」
「お久しぶりですわ。クイントンさん」
向こうが丁寧な対応をとったからか、それに追随してカーラも丁寧な応対を行う。それを見たクイントンはフフッと微笑んでいた。
「相変わらず、あなた様はお美しい。まるで、古の絵画に登場する女神のようだ」
大袈裟な賛辞にカーラは苦笑するしかなかった。お付きの人間というよりは街にいる女性好きの吟遊詩人のようだ。
吟遊詩人とは詩曲を作り、お金をもらって、各地を回る人を指し示す言葉であり、その多くが容姿端麗な人物で、若い女性たちからは好かれる存在である。
その中には優れた音楽の才能と詩の才能を女性たらしの方面に活用する人物も多かったのだ。
カーラがクイントンの台詞から吟遊詩人を連想するのも無理はなかったといえるだろう。
だが、そんなカーラの心境など知らないクイントンは「歯の浮くような」お世辞を続けていたのである。
カーラもそろそろ飽きてきそうになった頃だ。不意にクイントンが両目を光らせ、先程よりも低い声で言った。
「そうだ。言い忘れておりました。ロバート様がお嬢様をお屋敷にお連れするようにと仰られていたのです。どうか、私と共にお屋敷に来てはいただけませんか?」
「お断り致しますわ」
カーラはきっぱりと否定した。クイントンは意外そうに両目を開きながら理由を問い掛けた。
カーラははっきりとした声でその理由を語ったのである。
「これから私は家に帰って、お夕食の支度をしなくてはなりませんの。二人で暮らしているからお夕食は交代で作る決まりになっておりますの。私がそのことを怠ければレキシーさんに怒られてしまいますわ」
もっともな理由である。クイントンは引き下がるしかなかった。
クイントンは二人の傭兵にカーラを見送るように指示を出したのだが、カーラがそれをきっぱりと断った。
理由は二人の人柄と先程、手を乱暴に引っ張られたということにある。
クイントンはその場を去っていくカーラを見送りながら小さな溜息を吐く。
カーラを引っ張ってくることがロバートから言い渡された使命であったので、連れ帰ることができなければ自身は折檻を受けるだろう。それはどう足掻いても変えることができない事実だ。
だが、カーラを乱暴に引っ張るような真似をしたくはなかった。
というのも、クイントンは初めて出会った時から花壇に植えられた大きく美しい花のように麗しい令嬢として成長していくカーラに恋をしていたからだ。
それ故に身分が剥奪される以前にカーラがマルグリッタを虐めていたという噂が立った時もロバートやエミリーがマルグリッタを擁護し、他の使用人たちがカーラに対して「人面獣心」と称して虐めるようになってからもクイントンだけはその虐めに加わることはなかった。
しかし、虐めを止めることもできなかった。故に今日、再開した時に賛辞の言葉を述べたのはとりいるためにお世辞を並べたのではなく、本心からカーラを慕う気持ちを込めていたのだ。
その気持ちが伝わらなかったので、クイントンが溜息を吐いていた時だ。傭兵の一人が街の外を見つめながら「あっ」と大きな声で叫んだのである。
「どうかしたのか?」
と、クイントンが問い掛けると、傭兵の一人が黙って街中を歩いている二人組の男を震えながら指差したのである。
クイントンが男の指差す方向を見つめると、そこには剣を腰に差した中年の男と若い男の二人が歩いていたのである。
間違いない。少し前に主人であるロバート卿の私兵と傭兵たちによって構成された部隊に恥をかかせた二人組である。
カーラを連れ帰ることができなかったお詫びとして、その命を奪うことができればロバートは満足するだろう。
クイントンは二人の傭兵に攻撃を行なうように指示を出す。
二人は首を小さく縦に動かし、そのまま柄の悪い男たちに向かって襲い掛かっていく。クイントンもそれに応じて懐から短剣を取り出し、傭兵たちと共に攻撃を仕掛けていく。
咄嗟の攻撃に二人は驚いたようであるが、慌てて体勢を立て直し、自らの剣を抜くと、難なくその二人を打ち倒したのである。
それこそ、瞬きをするかしないかというほど一瞬のことである。二人が倒れ、慌てた様子のクイントンは短剣を逆手に構えながら中年の男に向かって襲い掛かっていく。
だが、短剣は二人によって容赦なく弾き飛ばされ、クイントンはその首元に剣先を突き付けられてしまう。
なぜ、傭兵の男たちは躊躇うこともなく倒してしまったのにも関わらず、クイントンの命は奪われてしまわなかったのだろう。
クイントンが声を震わせながらそのことを問い掛けると、
「決まっているだろう。お前からは殺気を感じなかった。だからその命を奪わなかった。それだけだ」
と、意外な返答が返ってきたのである。
「しかし、オレがあんたの命を奪おうとしたのには変わらない。本当にそれだけの理由で?」
「あぁ、悪いか?」
中年の男が睨みながら問い掛けた。それに対し、クイントンは困ったような笑顔を浮かべながら答えた。
「参ったな。命が助かったのは嬉しいが、このまま手ぶらで返ったんじゃ、おれはロバート卿に殺されちまうよ」
「ロバート卿だと?」
その言葉を聞いた中年の男の表情が変わった。中年の男はクイントンへと迫り、その胸ぐらを掴み上げながら同じことを問い掛けた。
「ロバート卿だと言ったな?オレと相棒は少し前にそいつに酷い目に遭わされたんだ。そいつがどこにいるのか教えろ……」
中年の男はクイントンの胸ぐらを掴む力を強めていく。強く引っ張りすぎるあまりクイントンがその顔に苦痛の表情を浮かべるほどであった。
それを見た若い男が止めに入ったことで、ようやくクイントンは解放された。
「やめなよ、エドガーさん。これ以上、こいつを締め上げても何も変わらないよ」
「マグシー。確かに、こいつはやり過ぎかもしれんがな。オレにとっては大事なことなんだ」
低い声でエドガーは吐き捨てた。
「けど、この人は傭兵じゃないんだ。万が一のこともある。やり過ぎはよくない」
「そうはいうがな。ロバート卿なる人物はオレにとってはカーラの次に憎い相手よ」
その後も二人は何やら言葉を言い交わしていたが、クイントンには構うところではなかった。
エドガーの発した「カーラ」という単語に反応し、気が付けばエドガーに向かって喰いかかっていた。
「あんたッ!お嬢様に何をする気なんだッ!」
「お嬢様だと?」
エドガーの顔色が変わった。それを見たマグシーもエドガーを制止するのをやめ、傍観へと徹するようになっていた。
エドガーはもう一度、強い力でクイントンの胸ぐらを掴み上げながら低い声で問い掛けた。
「あんたのいうお嬢様という人物に対して、詳しく聞かせてもらおうじゃないか。オレはその人物と因縁があるんでな」
クイントンは目の前で凄まれて怯んでいた。それでもクイントンは口元を一文字に結び、回答を拒否したのであった。
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