婚約破棄された悪役令嬢の巻き返し!〜『血吸い姫』と呼ばれた少女は復讐のためにその刃を尖らせる〜

アンジェロ岩井

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第二章『王国を覆う影?ならば、この私が取り除かせていただきますわ』

逆襲の手掛かりになるか

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モラン大司教はその日酒を飲むのは二度目であった。普段の大司教として堅苦しい僧服の姿ではない。ガウンコートを羽織ってその下にはシャツのみという楽な格好であった。
部屋の中は大司教の部屋として相応しく整備されており、壁を埋め尽くさんばかりの本にそれを収める本の類。座り心地の良い長椅子、二、三人は余裕で寝ることができると思われる巨大なベッド。
中央には二つの椅子と少人数用の机があり、机の上には酒瓶とつまみの類が山のように積まれていた。
床と壁こそ石造りであるものの、机と椅子の下には赤い絨毯が敷かれていた。
裸足で歩けばその心地よさにしばらくは裸足でいるほどの心地が良い絨毯である。
贅を尽くした部屋の中で椅子に腰掛けて一人グラスを片手に酔っているモラン大司教の姿は神に仕える聖職者というよりはどこかの成功した商家の主人のようにも思えた。

モランは酒を飲めば飲むほど現実世界を思い出すどころか嫌な思い出ばかりを思い出すのであった。
最近になってからは不幸続きである。害虫駆除人の手によって密輸ルートが断たれてしまって以降は教皇から嫌味を言われる上に息子のジョゼフを押し付けられるし、そのジョゼフが首に怪我をして帰ってくるのだから教団としてはその治療も行わなくてもならなかった。
万が一教皇の息子であるジョゼフに死なれては今度こそ教皇に責任を問われるだろう。そうすれば当然大司教の地位は放免された上に総本山で奴隷として死ぬまでこき使われることになるかもしれない。
それだけは嫌だ。モランはそうした現実を忘れたくて酒に逃げていくのだが、酔っても浮かんでくるのは自分が奴隷として使われる姿である。

モランは嫌なことばかりを思い起こしてくるので、酒を飲むのを中断し、勢いのまま寝台の上に両手と両足を広げて大の字になってガウンコートのまま寝そべっていく。いっそのこと眠って全てのことを忘れてしまいたかった。
だが、現実はそう簡単に甘い夢を見せてはくれなかったらしい。
治療を終えたと思われるジョゼフが首元に包帯を巻きながら部屋に姿を現したのだ。
ジョゼフはあれだけの目に遭ったというにヘラヘラと笑いながらモランに向かって告げた。

「オレにも酒を飲ませてくれよ。いいだろ?」

「し、しかしですな。ジョゼフ様は怪我をされた身ですぞ……今夜ばかりは控えておいた方がいいのでは?」

「いいんだよ。細かいことはよ」

ジョゼフと呼ばれた男は強引に机の上に置いてあったワイングラスを奪い取り、残った酒をちゃんぽんにして飲み始めた。ジョゼフは顔を茹でた上がったばかりの野菜のように赤く染めながら言った。

「チクショー。まさか、オレが駆除人に負けちまうとはな」

「元気をお出しになってくださいませ。また次の機会がございます」

「次の機会?そんなものねぇよ。このままおめおめと負けて帰ったら親父には見放されるし、ポールやパトリックの奴らに笑われちまうわ」

ポールとパトリックというのはジョゼフの弟と兄の名前である。ジョゼフは次男でポールが長男、パトリックが三男だ。全員がイノケンティウスの実の息子であるが、息子といってもその中には当然序列があり、刺客として派遣されている点からも序列が低いのはジョゼフである。
その次がその弟であるパトリックである。パトリックは現在大司教補佐としてある場所に勤務しているが、ジョゼフと同様に腕がいいためか、時折父親に命じられて自分と同様に刺客として派遣され、邪魔者を殺す役目が与えられている。そして序列の最後になり、兄弟の中で父親からもっとも可愛がられているのは次期教皇として定められているのは長男のポールだ。
ポールは今では父親の代理として振る舞うこともあり、父親の死後は教皇の地位を引き継げることは確定済みなのである。ジョゼフはこの序列に不満があった。同じ腹から産まれたという兄弟の中に明確な差別があるのも面白くないし、何より剣の腕だけならば自分が立つ。

ジョゼフがこれまで不満があっても父親の言いなりであったのは剣の腕があったからだ。
今回の件もそうだ。存分に剣の腕を振るえていれば駆除人たちなど簡単に殺せていたものを……。
ジョゼフは自分の腕が振るえなかったことを悔いていた。悔いはやがて怒りへと変わり、彼の頭の中にはあの二人の顔が思い浮かんできた。
ジョゼフは面白くないと言わんばかりにワイングラスを地面の上に放り投げた。
絨毯の外に飛んだワイングラスが粉々になるのをモランは目撃し、大きな溜息を吐く。
それから酒を飲んで暴れ回るジョゼフを他所にモランは椅子の上でジョゼフの気が収まるまで待っていた。

翌日泥酔の二人を起こしたのは教会に仕える僧侶の一人である。
僧侶はモランの部屋を叩いた後で、この教会に新たな来客が訪れたことを告げ、その来客を部屋の中へと招き入れた。
部屋の中に入ってきたのはジョゼフとは似た顔をしているものの、顔からは知的な雰囲気すら漂わせるような男であった。
ジョゼフはその人物が誰であるのかを悟った。モランの部屋の前に現れた長い茶色のジャケットを羽織り同じ色のベストを着た青年こそ弟のパトリックであった。
パトリックはジョゼフに向かって手を振りながらニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべていた。

「いやぁ、兄貴。久し振りだな」

「テメェ、何があってここにきやがった?」

「兄貴が親父の命令でここに来たっていう話を聞いてね。オレも居ても立っても居られなくなってここに来たんだ」

「……つまり、独断で来られたということですか?」

モランの問い掛けにパトリックは黙って首を縦に動かす。
それから先程と同じようないやらしい笑みを浮かべながら自身の頭を人差し指でコツコツと叩いていく。

「ここに来るまでに他の奴らに聞いたけど、兄貴のやり方はダメだね。力で押すだけだ。そんなんだから隙が生まれるし、あんたは負けるんだ」

「偉そうに言いやがって……じゃあ、テメェはどうなんだ?」

「オレか?オレは腕っ節も立つし、頭だって切れる。突撃するだけが脳の兄貴とは違うんだぜ」

今度は得意げな顔を浮かべて言った。

「抜かしやがってな……じゃあ、テメェがやってみたらどうだ?」

「言われなくてもやってみるよ。成功したらその時はますますあんたの立場が弱くなるだろうなぁ。愉快愉快」

「では、資料などを提供させていただきましょう。我々の教団が調べた情報をーー」

僧侶の言葉をパトリックは手で静止させる。

「ご心配は無用だ。オレは天才だ。資料なんぞに頼らなくても勝負できる」

パトリックは再び自分の頭を人差し指でコンコンと突いた後で大きな笑い声を上げながら部屋を去っていく。
ジョゼフはパトリックの笑い声が耳の裏にこびりついて離れなかった。忌々しくなってモランの部屋の壁を強く蹴る。
モランはジョゼフの蹴りを見て額を抑えた。
















「すいません。治療が必要なもので……よければ診ていただけないでしょうか?」

レキシーの診療室に杖をついた男が現れたのはその日の診療時間も終わりに差し掛かった太陽が西へ沈み、周りの景色が赤っぽくなってきた時だった。
レキシーは患者を黙って一瞥した後で低い声で言った。

「いいよ。診てあげる。カーラ準備しな」

「はい、レキシーさん」

看護助手を務めるカーラが慌てて準備を行う。レキシーから習った通りに男の診察を始めていく。診察を行って実際に男と接する中でカーラは男が弱っている素振りは見せているものの、それが見掛けだけのものであり特別な病など患っていないことを看破した。
恐らくレキシーは一瞥してそのことを理解したのだろう。自分に男を見張らせているのがその証明である。
二人は既にイーサンによって患者を装っての襲撃を掛けられている。
そのために敢えて今回は看破しつつも騙されたふりをして刺客として現れた男を確実に仕留めようと目論んでいた。
レキシーは薬を取り出す振りをして短剣を構えているし、カーラもいつでも袖の下に隠している針を取り出せる。
知らずにほくそ笑んでいるのは襲撃のために訪れた男もといパトリック一人であった。

パトリックはこの襲撃のためだけに食を絶っていた。病人に見せかけるための演技としては抜群である。
パトリックが治療を行うカーラに向かって隠し持っていた短剣を抜こうとした時だ。自身の目の前に針が向かってきたことに気が付く。パトリックは慌てて診療の椅子から落ちて、その場から逃走を図ろうとするものの、カーラによってねじ伏せられてしまい、その場を動けずにいた。
その間にレキシーが動き診療所の扉を閉めた。これでもうパトリックは動くことができない。肉食獣に出口を阻まれた草食獣のような心境に彼は陥った。
もし、彼が僧侶の言葉を聞いて過去の資料を漁っていればイーサンが同様の手口で二人を襲撃したことも知れただろう。
彼を敗北に追い込んだのは過去の資料などを漁らなくても敵を倒せるという傲慢さからきたものだった。
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