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第一章『この私、カーラ・プラフティーが処刑台のベルを鳴らせていただきますわ』

重い雲は緞帳のように空の上に掛かって

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目を覚ましたセバスチャンは必死になって腕を伸ばしていく。これまでの自身に満ち溢れた様子とは異なり、体全体から脂汗が噴き流れ、青くなった体で必死になってノートを求めていた。

「パパッ!ノートって!?」

「つ、机の上に置かれているノートだ。頼む……」

それを聞いたメーデルが他の人物を突き飛ばし、机の上に置かれているノートを抱えたかと思うと、全て父親の手の中へと押し付けたのであった。
セバスチャンは娘から押し付けられたノートを見て涙を溢し、そのノートに顔を埋めていく。

「……レキシーさん。あのノート」

「間違いないね。この国を揺るがしかねない奴にとって格好の強請りネタをまとめたものだろうね」

二人が真剣な表情を浮かべていたときだ。再び寝台の上でセバスチャンが呻めき声を上げて懇願するように言った。

「頭が痛い……割れるように痛い。刃物で刺されたみたいだ」

レキシーはその病に心当たりがあった。セバスチャンを苦しめている病は恐らく頭にまつわるものなのである何度目かの頭痛が来たのならば終わりだという病だというのをレキシーは医学書を通して知っていた。
セバスチャンはもう長くはないのだろう。だが、それを気の毒だとは思わない。目の前で病気で苦しんでいる男は数多くの人間の人生を狂わせ、その弱みで飯を食べてきたような男なのだ。
そのような男など病気で苦しんで死ぬというのはなんともお似合いではないだろうか。
殺しを終えた後にギルドマスター本人もしくはヒューゴを通して渡される報酬を断らなくてはならないが、それでもこの男が苦しんで死ぬのならばそれだけでもいいとさえレキシーは思っていた。
その時だ。レキシーの中に妙案が頭の中に浮かんだ。それは最後の最後でセバスチャンを苦しめてやろうというものだ。
レキシーは苦しむセバスチャンに向かって告げた。

「……確かにあたしは治す術は持っていないが、これらの症状を和らげる薬を作ることはできるよ。一日だけ待ってくれたら、診療所で作ってきてあげるよ」

セバスチャンはそれを聞いてまたしても呻き声を上げていた。
必死に手を伸ばし、大きく首を横に振った。当然だろう。セバスチャンは呼び出された四人の正体を知っているのだから。
当然ティーダー侯爵家の末路も知っているだろうから、セバスチャンは自身の体に毒を盛られることを懸念したに違いない。割れるような痛みに襲われているにも関わらず、必死に頭を押さえながら拒絶の態度を取ってみせていた。
だが、不幸なことに正体を知らせなかった娘はこの提案を天の助けだと受け取ったに違いない。嬉しそうな顔を浮かべて父親の体を揺さぶっていく。

「やったね!お父さん!楽になるんだって!よかったじゃん!」

「ねぇ、伯爵様。ここは娘さんの言うことを大人しく聞いておいた方がいいんじゃあないのかい?」

セバスチャンは二人が発した言葉を聞いても尚も必死になって首を横に振る。
ティーダー侯爵とその一家がどのような末路を辿ったのかを仕入れたからこそここまで拒絶ができるのだろう。
だが、娘の強い説得によって伯爵は薬を受け入れることを決め、四人は一旦その場から帰されることが決まった。
去る間際にカーラはイーサンに向かって問い掛けた。

「ねぇ、フォレストさんはどこにいますの?」

「地下牢だよ。会っていくかい?」

「……いえ、レキシーさんのお薬の精製を手伝わなくてはいけませんので……これで失礼致しますわ」

カーラは丁寧に頭を下げて部屋を立ち去っていく。
部屋の扉が閉まった後でイーサンが立ち上がり、セバスチャンが寝る前に飲むために置いていた高価なブランデーの瓶を取ると、それをラッパ飲みし、手で口元を拭い、顔を赤く染めながら弱っているセバスチャンに向かって笑い掛けた。

「ヘヘッ、しかし旦那も悪どいことを考えるよねぇ。死んだフォレストの爺さんを人質にあいつらを誘き寄せるとはねぇ」

「ねぇ、あの爺さんとあいつらとになんの因縁があったの?」

「まぁな。だが、お前にはどうでもいいだろうが」

何も知らないのは娘一人だけだ。それでも、イーサンからすれば親切に教えてやる義理などない。イーサンは空になった酒瓶を地面の上に放り投げると、相棒であったフォレストの死因を思い返していく。既に国軍によって捕えられた時にはフォレストは虫の息であった。長年の相棒の陰惨な姿に思わず憐憫の情を見せたイーサンであったが、知らせを送らないわけにもいかない。伝令を乗せた馬車を城下の外れにあるネオドラビアの教会に向かわせたのだが、その際に司祭がフォレストの乱心とも言える行動に激昂したのは前述の通りである。大司教による破門宣告を受けてイーサンはフォレストに止めの一撃を与えたのであった。

イーサンがフォレストを殺した時は脅迫によって集めた国中の名医による診察を受けていたセバスチャンであったが、それを聞いて明らかな動揺を見せたが、まだ生きているように見せかけて二人を屋敷に訪れさせるように記した手紙書き記したのであった。
イーサンは自分の手で殺した相棒のことを思うとどうしても心が切なくなってしまっていたのだ。妙な違和感が胸に引っかかって仕方がなかったのだ。
やむを得ずにイーサンは今度はその胸に引っかかった違和感を誤魔化すために飾り付けられている果物を貪り始めたのである。
以前ならばフォレストの手によって暴食を取り止められただろうが、今は止める人がいないので果物は好きなだけ食べることができた。

一方カーラたちの方はといえばフォレストの安否などつゆとも知らずにセバスチャンに投薬するための薬を作りに診療所へと戻る最中のことであった。
伯爵家の廊下は長い。当初こそ重い空気を引きずっていた四人であったが、沈黙に耐えきれなくなったのかヒューゴが雑談を切り出したのを契機に四人が伯爵家の廊下の中で会話を始めていくようになった。内容は殆どが他愛もない雑談であった。だが、入り口が近づいてくるにつれてカーラの顔が重くなっていくのを見て、レキシーが溜まりかねて問い掛けたのであった。

「あの男の元に寄っていかなくてよかったのかい?」

「……いいんですの。フォレストさんからすれば牢屋で繋がれている姿なんて一番敵には見られたくない姿でしょうし。あのお方の安否を知れただけでご安心ですわ」

カーラは小さな声で言った。その声にはどこか自信がないようにも感じられた。
恐らくカーラは自身の言葉にすら戸惑いを感じているのだろう。彼女の本音としてはそんな辛い姿を見たくないというのが本音だろう。
レキシーはその姿を見るたびにセバスチャンに対する怒りを強めていく。
このような卑劣な手段で自分たちを誘き寄せたセバスチャンという男に対する強い怒りだ。レキシーが拳を強く握り締めていた時だ。ギークが不意に声を上げた。

「これは最悪の考えなんだけど、もしかすればフォレストさんとやらは死んでいるかもしれないよ。あのデブならば死んでいるのに生きてると見せかけて、誘き寄せるくらいはやりそうだしね」

その言葉を聞いてカーラはハッと息を飲んだ。そのまま複雑な表情を浮かべて視線を逸らしたカーラの代わりに言葉を返したのはヒューゴだった。

「そんなことあるものかッ!きっとその人は生きているッ!」

「……どうかな?あのデブならやりかねないよ。なにせ相手は強請りの王様だからねぇ。どんな手段を使ってるかわかったもんじゃないよ」

それを聞いたカーラはしばらくの間沈黙していたが、すぐに満面の笑みを浮かべて問い掛けた。

「……ねぇ、レキシーさん。そのようなお方に本当に薬をお作りになられるんですの?」

「……あたしはこう見えても医者で通ってるんだよ。向こうが病人だったらそれ相応の処置をするのが筋ってもんさ」

レキシーはポツリと呟やくように言った。その後は何も言わずに診療所までの道を進んでいく。
診療所では薬作りの傍らに普段通りの業務を執り行っていたが、カーラの気分はどう足掻いても晴れるものではなかった。気晴らしに外に出て見ると、空が分厚い雲によって覆われていることを知った。
緞帳のように重い雲を見てカーラは無意識のうちに溜息を吐いた。
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