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探索編
ヨルムガンドとヨハン
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ヨハンは宮廷魔導師として忙しく過ごしていたので、愛する妻との間には子供を作らなかった。そのためかはわからないが、晩年には妻との仲が冷え込んでいた事を覚えている。
そのため、自身の中で愛する人と考えて、思い浮かぶのは最愛のあの女性。愛人の姿である。
その愛人の名前はマリアと言った。聖母と瓜二つの名前に相応しいと優しさと時には彼を激励する厳しさを兼ね備えた女性のだった。
だからなのだろう。彼女はいつも言っていた。
「別れてほしい」と。
ヨハンは必死に首を横に振り、懇願した。
「頼む!わしはお前がいないとダメなんだ!妻を愛しているようにキミを愛している!いや、今はむしろ、キミの方が好きだ!君が結婚してくれと言うのならば、私は即座に妻と離婚し、君と結ばれよう!」
だが、折角の説得であるのにも関わらず、彼女は残念そうに眉を下げて、首を横に振るばかりである。
「お願い。別れて頂戴」
頭を石で殴られた様な衝撃であった。だからだろう。その後の事はよく覚えていない。
ただ、マリアを放って駆け出し、以後は彼女の元を訪れていなかったのを覚えている。
もしや、その時の彼女が自身の子孫を腹の中に宿したのだろうか。
ヨハンの頭の中に突然、それも戦闘中にどうして、この様な事が思い浮かんだのかはわからない。
だが、目の前の女騎士と切り結ぶ中で、ふと湧いた水の様に噴き出たのは本当に不思議である。もしや、目の前の女騎士がそう見えてしまうのかもしれない。
ヨハンがその事を考えていると、目の前の少女騎士が攻勢に転じたらしい。
老人は目の前の攻撃を弾き、そのまま怪しく剣先を突き出していく。
彼女はそれを体を反らして交わし、更に真上からの追撃を剣を上方向へと伸ばして防ぐ。
金属と金属とがぶつかる音が響いていく。ヨハンはそのまま少女騎士を追い詰めようと目論むが、彼女は執念でそれを阻止するのである。
お互いに高速魔法を利用しての超高速空間や通常の空間にて激しい戦いが繰り広げられる中で、僅かにリードしているのはヨハンである。
ヨハンは魔法もあるのだが、それ以上に大きかったのは彼女に匹敵するほどの剣の腕であろう。
この剣の腕は並の騎士ならば易々と葬り去る事ができる程の力である。
彼女は圧倒的なまでの腕の前に遅れを取らざるを得なかったのである。
高速魔法の使用の腕もルイーダより上とあってはどうしようもあるまい。
加えて、彼は魔物生成魔法以外にも、土の魔人や木の魔人、草の魔人といった魔人を即席に作り出せる魔法を有していた。
大抵は竜の黒い炎によって葬り去れるのだが、翼を生やしたとしても、足を引っ張られては飛ぶのも飛べまい。
多くの魔人たちは武器は持っていないものの、その腕力を用いて、首を絞めようとしてくるので、性質が悪い。
ルイーダは時には炎を、時には蹴りを喰らわせて切り抜けるものの、やはり、それと同時に目の前から剣が振りかぶられるのは辛い。
全方向を相手にするというのは、体全体に不安と疲労とが掛かるような心持ちである。
だが、戦わなければならない。敵は容赦しないのだから。
魔人、魔法、剣戟。そのどれもが優れているというのがルイーダには厄介を極めた。
せめて、どれか一つでも欠けていれば、彼女は少しだけ楽であったかもしれない。そんな事を考えていたためだろうか、彼女に隙が生じていたらしい。
逆袈裟掛りに放たれた剣撃を防ぐ事ができなかったのだ。彼女は胴体にこそ傷を負うという事態は避けられたものの、右肩に大きな怪我を喰らったのしまったのである。
「もらった!」
その言葉と共に彼女は右肩に傷を喰らいながら、後方へと下がってしまう事になる。
右肩に食らった傷は思ったよりも深かったらしい。移動しようとするたびに肩の傷が深く傷付いていくのを感じた。
ズキズキと痛む傷は無理に抑えられるものではない。
ルイーダは自らの体が鈍くなっている事がわかった。
ヨハンはそんな彼女の考えがわかったのか、彼女の真下へと剣が投げられた事に気が付く。
地面を見れば、剣身が突き刺さっている事に気がつく。
「…‥無駄な抵抗はやめなさい。あんたを無意味に傷付けるだけじゃぞ」
「……どうやら、あのケンタウロスに追い詰められた時よりも不味い状況にあるらしいな」
「ケンタウロスではない。ヨルムガンドだ。あの子にはヨルムガンドという名前がある」
「そうか、なら、そのヨルムガンドに追い詰められた時よりも危機に瀕しているらしいな。私は」
「左様、大人しく金貨を渡してくれればそれでいい。それならば、命は助けてやるぞ」
ルイーダは山の中に生えている無数の木のうちの一本に背中を預けながら、目の前から迫る老人たちを見つめていた。彼らは忘れていたのだろう。自身の相手が何人であったのかを。
背後からジードが炎を作り上げながら、ヨハンたちへと襲い掛かっていく。
ヨハンの作り出した魔人たちはこの炎によって焼き尽くされてしまう。
咄嗟の事に声を失うヨハンを他所に、ジードは風よりも素早くヨハンの元へと駆け寄り、首元に剣身を密着させていく。
「終わりだ。貴様、それ以上、オレの妻を虐めるのはやめてもらおうか。人には自分の息子を虐めるなと言っておきながら、自分は人の妻を虐めるのかい?」
「……そうか、お前さんの事を忘れていたな……で、お前さんの言うわしの息子はどうかした?」
「あんたの息子なら、あそこさ」
ジードは血を流しながら、地面の上で横倒れている半人半馬の怪物を指差す。
それを見た途端に顔色が変わったのはヨハンである。
ヨハンは両眉を吊り上げて、怒りのままに杖を振り上げて、ジードに向かって襲い掛かっていく。
その事は想定済みであったのか、次々と放たれる攻撃に次々と空を切らせ、空振りを繰り出したヨハンの腹に向かって彼は情け容赦のない拳を繰り出して、彼を地面の上で悶絶させる。
そして、そのまま肩を押さえているルイーダへと手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「あぁ、ありがとう。我が夫よ。来てくれて、感謝する。フフ、お前は本当に白馬の王子様みたいだな」
その言葉を聞いたジードは急に顔が赤く染まっていく。同時に肩が丸くなり、全身が強張るのを感じた。
「な、何を言うんだよ!」
「フフフ、キミは可愛らしいな。そう考えると、やはり、キミはキミだ。いくら邪竜の記憶を宿していようとも、やはり、キミはジードフリード・マルセルだ」
その言葉を聞いて、またしてもジードの顔から湯気が出ていくような姿が見えた。
そのため、自身の中で愛する人と考えて、思い浮かぶのは最愛のあの女性。愛人の姿である。
その愛人の名前はマリアと言った。聖母と瓜二つの名前に相応しいと優しさと時には彼を激励する厳しさを兼ね備えた女性のだった。
だからなのだろう。彼女はいつも言っていた。
「別れてほしい」と。
ヨハンは必死に首を横に振り、懇願した。
「頼む!わしはお前がいないとダメなんだ!妻を愛しているようにキミを愛している!いや、今はむしろ、キミの方が好きだ!君が結婚してくれと言うのならば、私は即座に妻と離婚し、君と結ばれよう!」
だが、折角の説得であるのにも関わらず、彼女は残念そうに眉を下げて、首を横に振るばかりである。
「お願い。別れて頂戴」
頭を石で殴られた様な衝撃であった。だからだろう。その後の事はよく覚えていない。
ただ、マリアを放って駆け出し、以後は彼女の元を訪れていなかったのを覚えている。
もしや、その時の彼女が自身の子孫を腹の中に宿したのだろうか。
ヨハンの頭の中に突然、それも戦闘中にどうして、この様な事が思い浮かんだのかはわからない。
だが、目の前の女騎士と切り結ぶ中で、ふと湧いた水の様に噴き出たのは本当に不思議である。もしや、目の前の女騎士がそう見えてしまうのかもしれない。
ヨハンがその事を考えていると、目の前の少女騎士が攻勢に転じたらしい。
老人は目の前の攻撃を弾き、そのまま怪しく剣先を突き出していく。
彼女はそれを体を反らして交わし、更に真上からの追撃を剣を上方向へと伸ばして防ぐ。
金属と金属とがぶつかる音が響いていく。ヨハンはそのまま少女騎士を追い詰めようと目論むが、彼女は執念でそれを阻止するのである。
お互いに高速魔法を利用しての超高速空間や通常の空間にて激しい戦いが繰り広げられる中で、僅かにリードしているのはヨハンである。
ヨハンは魔法もあるのだが、それ以上に大きかったのは彼女に匹敵するほどの剣の腕であろう。
この剣の腕は並の騎士ならば易々と葬り去る事ができる程の力である。
彼女は圧倒的なまでの腕の前に遅れを取らざるを得なかったのである。
高速魔法の使用の腕もルイーダより上とあってはどうしようもあるまい。
加えて、彼は魔物生成魔法以外にも、土の魔人や木の魔人、草の魔人といった魔人を即席に作り出せる魔法を有していた。
大抵は竜の黒い炎によって葬り去れるのだが、翼を生やしたとしても、足を引っ張られては飛ぶのも飛べまい。
多くの魔人たちは武器は持っていないものの、その腕力を用いて、首を絞めようとしてくるので、性質が悪い。
ルイーダは時には炎を、時には蹴りを喰らわせて切り抜けるものの、やはり、それと同時に目の前から剣が振りかぶられるのは辛い。
全方向を相手にするというのは、体全体に不安と疲労とが掛かるような心持ちである。
だが、戦わなければならない。敵は容赦しないのだから。
魔人、魔法、剣戟。そのどれもが優れているというのがルイーダには厄介を極めた。
せめて、どれか一つでも欠けていれば、彼女は少しだけ楽であったかもしれない。そんな事を考えていたためだろうか、彼女に隙が生じていたらしい。
逆袈裟掛りに放たれた剣撃を防ぐ事ができなかったのだ。彼女は胴体にこそ傷を負うという事態は避けられたものの、右肩に大きな怪我を喰らったのしまったのである。
「もらった!」
その言葉と共に彼女は右肩に傷を喰らいながら、後方へと下がってしまう事になる。
右肩に食らった傷は思ったよりも深かったらしい。移動しようとするたびに肩の傷が深く傷付いていくのを感じた。
ズキズキと痛む傷は無理に抑えられるものではない。
ルイーダは自らの体が鈍くなっている事がわかった。
ヨハンはそんな彼女の考えがわかったのか、彼女の真下へと剣が投げられた事に気が付く。
地面を見れば、剣身が突き刺さっている事に気がつく。
「…‥無駄な抵抗はやめなさい。あんたを無意味に傷付けるだけじゃぞ」
「……どうやら、あのケンタウロスに追い詰められた時よりも不味い状況にあるらしいな」
「ケンタウロスではない。ヨルムガンドだ。あの子にはヨルムガンドという名前がある」
「そうか、なら、そのヨルムガンドに追い詰められた時よりも危機に瀕しているらしいな。私は」
「左様、大人しく金貨を渡してくれればそれでいい。それならば、命は助けてやるぞ」
ルイーダは山の中に生えている無数の木のうちの一本に背中を預けながら、目の前から迫る老人たちを見つめていた。彼らは忘れていたのだろう。自身の相手が何人であったのかを。
背後からジードが炎を作り上げながら、ヨハンたちへと襲い掛かっていく。
ヨハンの作り出した魔人たちはこの炎によって焼き尽くされてしまう。
咄嗟の事に声を失うヨハンを他所に、ジードは風よりも素早くヨハンの元へと駆け寄り、首元に剣身を密着させていく。
「終わりだ。貴様、それ以上、オレの妻を虐めるのはやめてもらおうか。人には自分の息子を虐めるなと言っておきながら、自分は人の妻を虐めるのかい?」
「……そうか、お前さんの事を忘れていたな……で、お前さんの言うわしの息子はどうかした?」
「あんたの息子なら、あそこさ」
ジードは血を流しながら、地面の上で横倒れている半人半馬の怪物を指差す。
それを見た途端に顔色が変わったのはヨハンである。
ヨハンは両眉を吊り上げて、怒りのままに杖を振り上げて、ジードに向かって襲い掛かっていく。
その事は想定済みであったのか、次々と放たれる攻撃に次々と空を切らせ、空振りを繰り出したヨハンの腹に向かって彼は情け容赦のない拳を繰り出して、彼を地面の上で悶絶させる。
そして、そのまま肩を押さえているルイーダへと手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「あぁ、ありがとう。我が夫よ。来てくれて、感謝する。フフ、お前は本当に白馬の王子様みたいだな」
その言葉を聞いたジードは急に顔が赤く染まっていく。同時に肩が丸くなり、全身が強張るのを感じた。
「な、何を言うんだよ!」
「フフフ、キミは可愛らしいな。そう考えると、やはり、キミはキミだ。いくら邪竜の記憶を宿していようとも、やはり、キミはジードフリード・マルセルだ」
その言葉を聞いて、またしてもジードの顔から湯気が出ていくような姿が見えた。
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