魔王と救世主の決戦〜世界を賭ける存亡は如何にして行われたか〜

アンジェロ岩井

文字の大きさ
上 下
8 / 18

その魂は目覚めた

しおりを挟む
兄から発せられた『魔王』という単語は彼から理性を奪い取るのに十分であったと言えるだろう。それまでの兄との思い出や肉親としての情愛を全て捨てる程の衝撃が。
ここで不運であったのはマルスが未だに自身の手で父親を殺したという衝撃から立ち上がれなかった事にあるだろう。もう少し冷静であったのならばすぐに冷静になって物事を受け止めていたに違いない。“兄は父を失ったショックで動揺し、魔女の戯言に耳を貸してしまっただけである”と。

だが、今の彼にはそんな余裕などある筈がない。だから彼は怒りに囚われたのだ。それまでの情愛が深かった分の憎悪が彼を襲ったのだ。
マルスは兄の剣を受け止めたかと思うと、思いっきりその剣を宙へと振り上げていく。
それから剣を思いっきり振り回しながら兄に向かって告げた。

「オレに向かって『魔王』と告げたな……ならばその魔王に相応しい事をしてやろうではないか、

マルスはそれまで兄のケルスの事を『兄上』と呼称していた。それまで王族に相応しい礼儀作法を身につけた時からその呼び方をやめずにずっと親愛の情を込めたその言い方で兄を呼んでいたのだ。
だが、今はケルスと呼び捨てにしていた。それはケルスに対する親愛の思いというのを完全に捨て去ったからであったといってもいい。
彼は野獣の様な雄叫びを上げたかと思うと、そのままかつての兄に対して容赦のない攻撃を仕掛けていく。
それでもケルスは悲鳴を上げない。彼は憎悪の感情の支配されるままにかつての弟と剣を斬り結んでいた。
二人の戦いは誰一人寄せ付けない壮絶なものであった。ケルスの握る剣からは眩い光が生じており、彼自身も眩い光で包み込んでいる。マルスの方はその光とは正反対の暗黒の闇が覆っている。
葬られた筈の神話が今この場に再現される事になったのだ。

悔やむべきは父ガレスであったに違いない。彼は安堵して死んでいったというのに皮肉な事にその死が二人の兄弟の戦いを促進させてしまったのだから……。
マルスとケルスの誰も寄せる事のない二人だけの激しい斬り合いはしばらくの間続いたが、一個の石ころが二人の間に投げ込まれた事によって戦いは遮られてしまう。
二人が石が投げられた方向を向くと、そこには息を切らしながらこちらを見つめるフロリアの姿。彼女は満身創痍であった。それでも声を絞りながら言った。

「……マルス様。ここは引きましょう。このまま戦いを続けられてもマルス様に良い事などがあろう筈もありません」

マルスはしばらくの間フロリアを見つめていたが、やがて大きく溜息を吐いてから剣を鞘の中に収めて兄に背中を向けた。それを見たケルスも自身の剣を鞘の中へと収めて入り口へと向かう弟を見守っていく。それに納得がいかないのはエレクトラ。
彼女は大きな声でケルスの名前を呼んだ後に異を唱えていく。

「何を考えられていますの!?今こそがマルスを殺す絶好の機会だというのに!?」

「いいから行かせてやれ」

「何を考えてますの!?信じられない……」

「黙れ!弟の力はまだ目覚めてはおらぬ。同じ様にオレの力もまた目覚めていない……だから見逃したのだ。それだけの事だ」

「だからってーー」

「そう、だからといってマルスを許す気にもなれぬ。奴こそが我が父を殺した仇であるのだからな。いずれお互いの力が本当に覚醒した際に決着を付けてやろうではないか。それまでの猶予を与えただけに過ぎぬ」

ケルスは尚も食い下がろうとするエレクトラを睨んで下がらせると、そのまま城の中に留まっている兵士たちに向かって大きな声で告げた。

「聞けッ!オレこそがカリプス王国の国王ケルスであるッ!国王の名の下に宣言するッ!前国王ガレスを殺し、我が王国の屋台骨を揺らつかせた挙句に世界を滅ばさんと目論むマルスを許してはならぬとッ!さぁ、兵士たちよ、武器を取れ!人を人とも思わぬ魔王を殺し、人々を守るのだッ!」

大きな演説の後、兵士たちは暫くはその演説の趣旨を理解できずに固まっていた。だが、意味が理解できると一人が拍手を行い、次にまた一人が拍手を行い、徐々に拍手の音が大きくなり、最後には拍手の大合唱が行われていく。
気を良くしたケルスは拳を突き上げて、兵士たちを鼓舞していく。

「では、我らの勝利を祈ろうではないかッ!勝利万歳!世界万歳!」

ケルスの号令に兵士たちの理性は完全に吹き飛ばされた。ケルス同様に拳を突き上げ、歯茎を剥き出しにし、白眼をも剥きながら『勝利万歳と世界万歳』とを叫び続けていく。
次第にその声は大きくなり、次第にその号令はある言葉にとって代わられる様になっていく。
きっかけはある人物が個人的に叫んだだけであった。だが、それは小さなウィルスが飛沫感染していき、拡大していく様に人々の中に広まっていくのである。

「国王万歳!ケルス万歳!」

この大合唱は次第に大きくなっていき、人々を熱狂させていく。
エレクトラはこの後も自己陶酔に満ちた演説を続けていくケルスを傍目で見つめながらその手腕に思わず畏怖してしまう。彼女は長い年月を生きてきた魔道士である。なので彼女がこれまで生きてきた時間の中でケルスと似た様な人物がいなかったわけではなかった。
それでも、人々をここまで熱狂させる程の演説の才能を持った人物は見た事がない。どんな皇帝にもどんな国王にもない才能をケルスは帯びていたといえる。
エレクトラはそう考えると口元を微かに歪めた。

(ちょっと賢いだけの坊やかと思っていたけど、どうやらすごい傑物らしいわね。まぁ、せいぜい楽しみにさせてもらうわね)

エレクトラはクスクスと笑う。それからもずっと真横でケルスは演説を行い続けていたが、その熱狂は留まる事をしらない。人々はケルスが自身の城へと戻る過程でもケルスを称賛し続けていた。
満足気な表情を浮かべながら城へと足を踏み入れたケルスであったが、城では歓喜の表情を浮かべた兵士たちとは対照的に血相を変えた大臣たちが駆け寄っていく。

「殿下、陛下がお隠れになられたというのは本当にございますか!?」

「あぁ、マルスの手でな……あいつはもうオレの弟でも、この国の王子でもない。倒すべき敵となったのだ。その事を心に留めておけ」

大臣たちによって折角の心地良い思いを遮られたケルスは不満そうに言葉を返す。

「い、いえ、ただ私どもは確認のために……」

「まぁ、いい。今後この国の王はこのオレだ。よく覚えておけ」

ケルスは自室に戻るといつもと同じ様な王子としての礼服に身を包もうとするが、手を止める。そして指を鳴らしてエレクトラを呼び出す。
呼び出されたエレクトラは頭を下げながらケルスに尋ねた。

「御用でございますか、陛下」

「命令だ。父の部屋から国王の衣服を持ってこい。今後オレが着る服だ」

「かしこまりました」

エレクトラは頭を下げるとそのままケルスの部屋を後にした。それからすぐに国王の着る衣服を持って現れた。

「陛下、どうぞ」

ケルスは真剣な顔で衣服を受け取ると、エレクトラを下がらせてその衣服に身を包んだ。王が身に纏う紫色のローブというのは王子であった頃は重く見えたものであるが、いざお王となればその重みは全く感じられない。むしろ、この衣服で一生を行う事に誇りさえ持った程である。
唯一、冠だけは帝国との臣下式を行わなければ被る事は許されないが、冠が頭にないのを除けば彼はカリプス王国の国王たる威厳に満ち溢れていた。
その姿を称賛するエレクトラにケルスは鼻を鳴らしながら言った。

「似合うのは当然であろう。平民とて法服を纏えばそれらしく見えるであろうし、軍服を纏えば一応は軍人として取り繕える。貴族の衣装を身に付けても後からでも相応しい教養とマナーを身に付ければ猿真似くらいはできよう。だが、王の威厳だけは真似できぬ。これは代々受け継がれてきた王家の血筋のみに許されたものであるのだから」

ケルスが自室の椅子に深く腰を掛ける姿はまさしく昔の御伽噺に出てくる様な昔ながらの国王の姿に見えた。

「なればこそ、陛下……あなた様の地位を脅かしかねない弟君を排さなければなりませんわ。あのお方こそがあなた様を除けば唯一国王の尊厳と気品を真似できる人物でありましょうし」

「……そういう言い方はやめろ。だから貴様は悪女と言われるのだ。言っておくが、オレは国王としての地位を盤石にするために弟を追い出したのではないぞ。あくまでも世界を危機から救うために追い出したのだ」

「流石は陛下!あなた様こそまさしく真の国王たる人物ですわ!」

エレクトラは素直な賞賛を行ったが、ケルスは何が気に入らないのか鋭い目で睨むばかりである。
エレクトラはこれ以上、ケルスの機嫌を損なわない様にそそくさと彼の部屋を後にした。エレクトラが部屋から姿を消すのと同時に彼は窓を見つめながら一人で呟く。

「来い弟よ。この国を守る王として、或いは世界の運命を握る救世主としてお前に負けるわけにはいかぬ」

















「今度は森か?」

「ハッ、今少し辛抱してくださいませ」

フロリアは返り血で汚れた君主の服を森の中の小屋にあった洗濯板を用いて洗っていく。ひたすらに水洗いを行うという方法で衣装を綺麗にしようとしているが、中々に汚れは落ちない。
それを見かねたのか、マルスはフロレスに退く様に指示を出し、洗濯板を用いて洗っていく。

「……申し訳ありませぬ」
「謝る必要などない。お前が仕えてくれるだけでオレはありがたいのだからな。せめてこれくらいはやらせてくれ」
マルスはその後黙々と洗濯を行い服を小屋の中に干していく。
これで少しは落ち着いた筈だ。マルスは選択する過程に沸いた額の脂汗を拭い取り、一息を入れる。

「これで少しばかりの時は稼げるであろう」

「安心はできませぬ。ケルスの事です。いかような罠を仕掛けてくるかは分かりませぬ」

「……わかっておる」

マルスは腰に下げているサーベルの柄を握り締めながら答えた。
握る手が少しばかり震えていたのは気のせいではあるまい。



【追記】
本日は訳あって二本投稿とさせていただきます。申し訳ありません。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

処理中です...