上 下
2 / 18

マルスの決意

しおりを挟む
もうすぐ弟が檻に入れられてから半刻の時が過ぎようとしている。
その間にも父ガレスは自身を王太子として正式な後継ぎだと公表した。
今度の各国の元首を招いての王位継承の式典を行うらしい。
喜びを見せる彼の派閥の部下たちとは異なり、ケルスの顔は暗いままであった。
エレクトラが妖艶な笑みを浮かべ、あの大きな乳房を寄せても普段以上の不愉快さを掻き立てるばかりであった。

ケルスは通常、寝る前は小説を読んで頭を気分転換させるのが常であるが、この日はいくら読んでいても気が晴れない。
試しに怪奇小説に触れたが読んでいてもすぐに弟の顔が思い浮かんでしまい読む気がなくなってしまう。
おまけに触れた内容が弟を殺した兄が弟の霊に祟られるという話であったのだ。
自身を殺した兄を骨となって祟る弟の姿が独房へと送られていく弟の顔と被った。
違う。俺は!ケルスは声高に叫びたかった。けれどもその声はいくら出そうとしてもすぐに掠れて消えてしまう。
何者かが妨害しているかの様に……。
ケルスは思わず部屋の壁を強く叩いてしまう。普段の自分ならば絶対にしない様な行動に驚いてしまう。

「……すまない。マルス……オレは……オレは」

「マルス様、お時間よろしいございますか?」

その声を聞いてケルスは慌てて声がした窓の方を振り向く。
部屋の窓には月の光に照らされて幻想的ともいえる光を身に纏った魔女エレクトラの姿が見えた。
相変わらずの美しさである。彼女はその長い銀髪の髪をたなびかせ、顔を火照らせながらケルスの元へと向かっていく。
普通の男であるのならば鼻の下でも伸ばしているところであるが、エレクトラを嫌っているケルスからすればただ不快なだけである。
ケルスは彼を強く睨みながら淡々と告げた。

「何用だ?おれは貴様の面を見るだけでも不愉快だというのに」

「フフ、釣れない事を仰りますのね。あなた様が幼少の身よりお仕えしてきましたのに」

「……幼少の頃よりいたずらにオレと弟とを引き裂こうとした悪女が何を言う」
「悪女とは酷い仰り様ですわ。わたくしは幼少よりあなた様をお支えした聖女の様な女だというのに」

エレクトラは声こそ残念そうであるものの、表情はむしろ嬉しそうである。
それどころか彼女はケルスに対して露骨な誘惑を続けていく。
自分の最愛の弟が囚われているというのにこの女はどうしてこんなにも事ができるというのだ。

途端にケルスは果てしのない怒りに囚われた。自身の元へと迫る悪女を迸る衝動のままに突き飛ばしたのだ。
初めこそ彼は途方もない爽快感に包まれたが、やがてエレクトラの啜り泣く声を聞いて最初に感じた怒りや爽快感という感情は吹き飛ばされ、次に罪悪感という感情が彼の脳裏を覆っていく。
一度刺せばどこまでも痛みが続く針の様に罪悪感はケルスを襲い続けた。
そんな彼の心境を知ってか知らずかエレクトラは涙混じりの声で訴え掛けたのだ。

「……私は……私はただあなた様のお役に立ちたいだけなのに……どうして暴力を振るわれますの!?私はただ国のため、お慕いするあなた様のために尽くしておりましただけなのに……」

例えるならエレクトラの涙はケルスの閉じ切っていた心を開ける鍵の様なものであった。
ケルスは謝罪の言葉を述べながらエレクトラに向かって手を伸ばす。
エレクトラは自身の元へと手が差し伸ばされるとその手を受け取り、自身の手で涙を拭い可愛らしい笑顔を浮かべて言った。

「……殿下。あなた様もようやくわかってくださいましたのね!あぁ、嬉しいわ!」

「……それで今日、オレの部屋をわざわざ訪れた目的はなんだ?」

「殿下に進言したい儀がございまして、ここまでやってきましたの」

エレクトラの言葉によるとあの剣とそれに触り、未来の記憶を覗いた者が救世主もしくは魔王になるという話は古に伝わる神話の伝承に基づいたものであるらしい。
だが、それを聞いてもケルスの表情は暗い。それどころか先程までの憐憫の感情さえ捨て去り、エレクトラを睨んでいた。

「それはオレに弟を殺せ……そう言いたいのか?」

「捉えようによってはそうなりますね。ただ聡明な殿下ならばお分かりになられましょう。我儘でマルス様を生かして世界の危機を招くか、ここでマルス様を殺して世界をお救いになられるかの二択である、と」

「バカな……オレの手で弟を……マルスを殺すなんて……」

未だに躊躇うケルスに対してエレクトラは内心で舌を打ったものの、ある一言で最後の一歩を踏み出させたのだった。

「殿下!ご決断なさいませ!あなた様しか世界を救うものはいないのですぞ!」

エレクトラのその一言でケルスはハッと大きく口を開けた。
同時に真剣な顔で向き直って言った。

「正直に言えばオレはまだ弟を殺す事には反対だ。けど……オレのあずかり知れないところで死んだとしてもそれはオレの責任ではない」

エレクトラはその一言を聞いて口元を三日月の型に歪めた。
それからケルスの前に跪いて厳かな声で告げた。

「殿下……やはりあなた様は世界の救世主となられるべきお方……今囚われのマルス様の元には私が精製した使い魔がその命を奪うべく向かっております」

エレクトラは死んだ様な顔をしたケルスとは対照的に心底からの笑みを浮かべていた。
彼女の脳裏にあるのは勝利の念であった。













時間は少しばかり遡り、地下牢。
出された食事にも手を付けず、マルスは牢の中の寝台の上で意気消沈していた。膝の下に顔を埋めて涙を流していた。
何故に実の父は自分をこんなところへと閉じ込めたのだろう。
彼は何も手が付かなかった。いっそこのまま死んでしまおうとしたところだ。

「マルス様!何をなされようとしておりました!?」

と、大きな声で止められた。慌てて振り向くと、そこには数少ない自身の派閥の筆頭格とされる騎士、フロリアであった。
フロリアはエレクトラとは異なり引き締まった体格と男でさえ羨む立派な筋肉を持った女傑である。
そればかりではない。顔も十分に美人である。
実際銀の鎧に身を包んだフロリアは美しくて長い金色の髪を垂らし先陣を切る様は国中の騎士たちの憧れであったといえる。
肌も白磁気の様に透き通っていて芸術品の様に美しかった。
卵型の顔の上にはアイスブルーの瞳に長くて高い鼻、小さくて愛らしいピンク色の唇が備わっていた。
知らない人が見れば舞台役者や踊り子或いは歌手であると言っても通じるかもしれない。
そんな彼女は魔法もさる事ながら自身の性別を躊躇う事なく武器に使うエレクトラとは対照的に存在であるので王宮の中では有名人であったといえるだろう。
その証拠が王宮におけるケルス派とマルス派の対立にあるだろう。マルス派のフロリアはエレクトラを嫌悪していたし、ケルス派のエレクトラもそんなフロリアを軽蔑しており、両者の仲の悪さは王宮の中でも有名であった。
それが派閥争いの一員になっていた事も否めない。

だからだろう。マルスもフロリアに関してはその存在を知り得ていたのだが、そこまでありがたい存在であるとも思ってはいなかった。
フロリアが兄との対立を煽っている。マルスはそう信じてやまなかったからだ。
それでもケルスに対するエレクトラの様な悪感情を抱いていないのは彼女が高潔であらんとする誇り高き騎士としての精神があるからだろう。
マルスはそんな気高いフロリアを傷付けないためか少しばかり申し訳なさそうに言った。

「……悪いが、おれの事は放っておいてくれないか?」

「何を仰られますか!私はあなた様を救うためにここへと参ったのでございます!そのあなた様に遠慮なされたのならば私の立つ瀬がありませぬ!」

「それでもだ。おれは魔王なんだぞ……世界を滅ぼしかねない存在であると父上に言われたのだ」

「そんなのガレスの奴めが勝手にそう述べただけでございます!」

フロリアはそう叫んだ。あろう事か国王を呼び捨てにして。

「やめろ、地下牢であるからいいものを……誰かに聞かれたらどうするつもりだ?」

「私の主人はマルス様!あなた様だけでございまする!」

フロリアは感情のままに懐に隠していたと思われる鍵の束を取り出し、マルスの囚われている牢の檻を開けていく。

「や、やめろ!本当に牢を破る気か?」
「もちろんでございます!あなた様をみすみす死なせはさせませぬ……」

フロリアは顔全体を汗に溢れさせながらも必死に鍵を開けていく。
ようやくマルスの入った檻に合う鍵が見つかった時だ。
フロリアは背後から気配を感じて、慌てて地面を蹴って距離を取っていく。
すると、地下牢の暗い廊下の上には顔は虎、それ以外の体は人間という奇妙な怪物が現れたのであった。
怪物はその体は人間らしく、胸部に金色の鎧を身に纏い、他の部分を黒色の鎖帷子で覆っていた。
そして短いが鋭さを併せ持つ剣と丸い盾を持っていたのだから慌てる他にあるまい。
フロリアは腰に下げていた剣を抜いてその怪物に向かって問い掛けた。

「……貴様、何者だ?」

「我の名はパウロ……王太子殿下よりマルスを抹殺するために派遣されし光の戦士なり!」

頭が虎という奇妙な怪物もといパウロはそのままフロレスへと剣を振り上げて襲い掛かっていく。
フロリアは突然襲い掛かってきた怪物の剣を慌てて受け止めるものの、勢いを付けて襲い掛かってきたために有利なのは怪物パウロの方であった。
一方でその戦いを檻の中で見守るマルスはただ唖然としていた。
パウロが発した『王太子殿下よりマルスを抹殺するために派遣された』という言葉に。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた

黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。 その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。 曖昧なのには理由があった。 『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。 どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。 ※小説家になろうにも随時転載中。 レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。 それでも皆はレンが勇者だと思っていた。 突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。 はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。 ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。 ※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~

宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。 転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。 良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。 例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。 けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。 同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。 彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!? ※小説家になろう様にも掲載しています。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

処理中です...