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神と神との決闘編

大樹寺雫の真の目的

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「それでその後はどうなったの?」

「結局一晩中藪の中で過ごして、翌日に通り掛かりの人に助けを求めたの」

絵里子はカップを片手に言った。大樹寺は懐かしい思い出を嬉々とした表情で語る絵里子を黙って見つめていた。
表向きは悟られないようにするためか、冷静な顔でお茶を啜る絵里子であったが、その顔から孝太郎に対する思いが消えていないことが窺い知ることができた。

同時に孝太郎を語る絵里子の目は女性が好きな男性に恋を抱く時に出す目であった。恐らく絵里子は宇宙究明学会によって巻き込まれた事件以降、ずっと孝太郎に対して片想いの感情を抱いているのだろう。

だが、絵里子の片思いが満たされることはない。そう断言してもいい。というのも、人類が誕生してから既に2300年という長い時間が流れているが、未だに同じ両親もしくは異なった親から生まれた近い身内同士が婚姻を結ぶことを容認する動きは生まれていない。
それは日本にしろ世界各国にしろ同様であった。もし絵里子の思いが叶えられることがあったとしてもそれはひっそりと小さなもので終わるだろう。間違っても祝福されて送り出されることはない。

もし二人が結ばれようものならば社会的地位や世間体というものは完全に失われことは確実だ。その後の再就職も厳しいものとなるだろう。更にその上で子どもを授かることになった場合はその子どもも白い目で見られることになる。
それだけ血の近い身内を愛するという行為は古代から現代まで重い罪状として愛する二人にのしかかってくるのだ。

だが、絵里子にはそれだけの覚悟は備っているに違いない。
大樹寺はここで一つ絵里子の覚悟を試してみることにした。

「ねぇ、絵里子さん。もし私が身内同士の恋を厳罰に処することがあったとしたらどうする?そうだね、例えば姉弟や兄妹が一線を超えたらお互いを男女両方を死刑もしくは無期懲役にするとか」

「……質問の意図が分からないわ」

そうは言ったものの絵里子の目が光った。そしてその両目は針のように鋭く尖り、大樹寺を睨んでいる。
普通の人間であるのならばここで怯んでしまうところだろう。だが、大樹寺の神経は普通の人間とは大きく異なった。そもそも神経が太くなければ日本の支配者など務めることなどは到底できない。
大樹寺は涼しげな顔で話を続けていく。

「そうか、だったらもう一度説明するね。今の日本では血が近い身内同士の婚姻を行っても伴うのは社会的な制裁のみだけれど、私の権限でそうした恋愛事情に厳罰を加えた場合、それでもあなたは孝太郎さんを愛するのかなぁって」

「愚問ね。私は孝ちゃんを愛し続けるわ。あの日から私は孝ちゃんを……弟以外を愛することができなくなってしまったもの」

絵里子の目は本気だった。同時に言葉からも自己陶酔や禁断の恋に燃えてい私といった感情は一切伝わってこなかった。大したものだ、と大樹寺は感心した。
すると大樹寺は無意識のうちに拍手を送っていた。

「素晴らしい。流石は絵里子さんだね。そこまで弟さんを……孝太郎さんを愛しているだなんて……なかなかできないよ」

最後に付け加えた「なかなかできないよ」の一言は賞賛と同時に皮肉の意味も込められていた。大樹寺は感心するのと同時に近親相姦的な思いを抱える絵里子に対して侮蔑する思いが沸き起こったことは間違いない。

だが、内心に侮蔑があろうと感心があろうと、絵里子が人質になっていることは事実である。そのため絵里子は大樹寺に対して強く出ることができなかったのだ。
それでも怒りの感情というのは湧いてくるものらしい。絵里子は無意識のうちに拳を震わせていた。

「あらら、怒っちゃった?」

大樹寺は揶揄うように問い掛けた。当然ながら返答はない。大樹寺はつまらないという顔で絵里子を見つめた後で、机の上に置いていたベルを鳴らし、配下の男たちを呼び出す。
数分の後に黒いスーツを着た体躯のある三人の男たちが部屋の中に現れた。男たちは正体を隠すためか、彼らは全員顔にサングラスを掛けており、そこからは何
とも言えない威圧感を感じられた。

「今日はもういいや、絵里子さんはもう話したくないみたいだし、お部屋にお連れして」

黒服の一人が椅子の上に座っていた絵里子を立たせるために腕を掴もうとした時だ。その前に絵里子が椅子の上から立ち上がり、その腕を振り払って、自ら部屋を後にしたのである。

その様子をお茶を片手に見つめていた大樹寺はうっかりした、と言わんばかりに目を丸くして、

「……絵里子さん、怒っちゃったみたいだね。まぁ、親しくもない男の人に触られそうになったら当然か」

と、自らの額を手で軽く叩いたのである。その顔からは悪びれた様子は見られない。
その後で黒服たちに部屋を出た絵里子に泊まる場所を教えるように指示を出し、椅子の背もたれに深く腰を掛けた。
リラックスした様子でお茶を啜る大樹寺は目を閉じながら今後のことを考えていた。
今後の計画としてはどちらが神に選ばれしオーバーロード超越者であるのかということを見極めるために孝太郎と決闘を行う予定であった。

絵里子はその際に巫女として神に捧げるのだ。しかし巫女といっても、古代南米アメリカ大陸や封建時代以前の日本で行われたように神に捧げるための生贄として使うわけではない。その目的は手際良く孝太郎を始末するために使う人質である。絵里子は孝太郎を愛しているであろうから当然自らの身を顧みず自己犠牲を望むに違いない。

だが、孝太郎はそんな絵里子の勧告に耳を貸すことはない。孝太郎からすれば絵里子は大事な姉なのだ。この“ズレ”こそが大樹寺の狙うところなのだ。
お互いに本格的に愛し合っている恋人であったのならばいわゆる「俺のために死んでくれ!」ということも言えなくもないだろう。少なくともゼロではない。その上で敵に恋人を殺された怒りから死に物狂いでこちらに向かってくるだろうが、孝太郎にとっての絵里子は「姉」以外の何者でもないのだ。故に「俺のために死んでくれ!」という理屈で突っ走る可能性は限りなく低い。

二人の中に生じる認識のズレこそが大樹寺にとっての狙い目なのだ。
大樹寺は悪い顔を浮かべながら自ら万年筆を取り、筆先を舐めてから孝太郎に対して律儀にも決闘状を記していく。
決闘の場所として記したのは神奈川県にある大桶谷おおくわだにと呼ばれる場所であった。大桶谷といえば黒たまごと呼ばれる温泉卵が名物の場所で、24世紀の今日でも21世紀のように大勢の人が温泉を求めて国内外から集まり、人気を博している。

大樹寺が敢えて温泉地として知られる場所を決闘の場所として選んだのは理由がある。別世界を行き来できる六大路ならば違う世界線を見てきたのかもしれないが、この世界において大桶谷というのは古代より決闘の場所というもう一つの顔があったからだ。記録として最古であるのは古事記の時代である。古事記の時代に東方へ遠征に向かったヤマトタケルが大桶谷において土着の神と決闘を行う場面は有名である。更に22世紀に入り、決闘は合理的な解決手段とする意見が増加し、司法がそれを認めて既存の憲法に定められていた決闘罪に対する厳罰を取り下げてからというものは大桶谷を決闘の場所として選ぶ人が増加したのだ。だが、それも23世紀に入ってからは廃れてしまうことになった。

そんな古臭い場所や方法を24世紀にもなって選ぶことに対して眉を顰める者もいるだろうが、そこに味があるのだ。
この決闘状を受け取った孝太郎は昔の漫画に登場するヒーローのように受け取った手紙を握り潰したまま決闘場に向かってくるだろう。
そこが狙い目なのだ。大樹寺は楽しげな顔を浮かべながら手に持っていたマグカップに口を付ける。
その時だ。カップの中に肝心の紅茶が入っていないことに気が付いた。どうやら考え事に夢中になってしまい無くなったことに気が付いていなかったようだ。

大樹寺はすぐにベルを鳴らし、メイドを呼んで紅茶の代わりを入れさせた。新しく入ったお茶を飲み干すと、大樹寺は部屋の中に置いてあった宗教関連の分厚い本を開いていく。
天才の自分にとってこんな本など二時間あれば簡単に読み通すことができるし、内容も頭に入っているが、分かりきったことを復習するというのも悪くはないのだ。

大樹寺は満足げな笑みを浮かべながら本を読んでいると、いきなり扉を開く音が聞こえた。ノックもなしに何者だろう。
大樹寺が眉間に皺を寄せながら本から顔を上げると、そこには眉根を寄せてこちらを睨んでいる殺し屋トニー・クレメンテの姿が見えた。
大樹寺は本を机の上に置き、突然現れたトニーと向かい合う。

「何?どうしたの?いきなりノックもなしにレディの部屋に入ってきて」

「……先ほど、孝太郎くんの姉である絵里子くんを見た。まさか、ここに来ていたとはな」

トニーの口ぶりは出来の悪い生徒の点数を追求する教師のようであった。
だが、大樹寺は何も言わなかった。椅子の肘掛けに肘をつき、反対にトニーを睨んでいた。

「この部屋から出ていくのを見たんだよ、彼女をどうするつもりかな?」

「愚問だね。彼女を利用するつもりだよ。私は」

「と、いうと?」

「これ以上は答えたくない。雇い主の事情を詮索しないのが一流の殺し屋じゃないの?」

大樹寺は牽制するようにトニーを睨みながら言った。だが、トニーも負けてはいない。冷たい目で大樹寺を見下ろしていた。
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