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神からの挑戦編

神の顔を借りた男

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その怪物の姿は一言で例えるのならば蠍だ。巨大な蠍が二本足で立ち上がり、両手には人間のように剣と盾を持っている。怪物はニヤニヤと笑いながら日本刀を構えながらこちらを向かってくる孝太郎に向かって盾を構える。
どうやら盾を使って孝太郎の刀を防ぐつもりであるらしい。この時孝太郎は刀と剣とがぶつかり合うのだと推定していたので、怪物の反応は予想外のものであった。
剣と刀とがぶつかり合えば多少の小競り合いも期待できるだろうが、盾ならば一瞬で終わってしまう。

どんなに強い一撃を込められてもそこから拮抗状態へと持っていくのは困難な話かもしれない。
だが、挟み撃ちの計画を不意にされては元も子もない。それ故になんとか拮抗状態へと持っていくしかないのだ。自信はないが作戦を成功させるためやってみるしかないだろう。孝太郎は刀を大きく振り上げて怪物に向かって勢いよく振り下ろしていく。
この時孝太郎の刀が相手の盾の表層へと直撃し、ガコッと小さくとも耳にはしっかりと残るような印象的な音が聞こえてきた。

孝太郎は続けて第二撃を喰らわせようとしたが、蠍の怪物は構えていたはずの盾を真下から振り上げていき、孝太郎の体を弾き飛ばしていく。
凄まじい衝撃を受けた孝太郎は短い悲鳴を上げながら長官室の壁に思いっきり体をぶつけた。
孝太郎は自身の背中に大きな痛みが生じた時に作戦の失敗を悟った。これでは時間を稼ぐどころ相手に有利な立ち位置を
与えてしまうことになったのだ。

のめり込んでしまった壁の中から体を起こそうとする孝太郎の前に蠍の怪物がわざと大きな足音を立てながら向かっていく。どうやら目の前の怪物は天から派遣された怪物だというのに人間のようにサド趣味を楽しむ性癖があるらしい。
孝太郎はそんな気色の悪い趣味を持つ怪物に情けなく負けてしまった自分を自嘲した。

もしかすれば自分の中には慢心があったに違いない。史上最年少で新設されたばかりの課を任せられ、装甲を纏った部下たちを指揮しながら未知の怪物を狩っていたという事実が自分の中で慢心を引き起こしてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、孝太郎からすればどうでもいいことだ。自分の命はあと少しなのだから。
孝太郎は目の前に振りかぶられそうになっているロングソードを虚な目で見つめながらそんなことを考えていた。

あの剣が首を刎ね飛ばすのはもうすぐ後だろう。孝太郎は苦笑しながらこれまでの人生のことを思い返していた。孝太郎の走馬灯がいよいよ今現在の記憶にまで近寄ってきた時のことだ。突然自分の目の前に突き付けられていた剣が引っ込んでいったかと思うと、蠍の怪物が勢いよくその場から飛び上がり、部屋の奥へと向かったのを目撃した。
孝太郎の走馬灯は止まり、目の前の景色を確認するため慌てて両目を擦る。すると自身の目の前には怪物とは異なる形ではあるものの、片手に剣を握った大樹寺雫の姿が見えた。

思い出した。大樹寺雫と挟み討ちにする計画を立てていたのだ。怪物は自分を襲うことに夢中になり、背後から迫り来る大樹寺雫の存在に気が付かなかったのだろう。大樹寺が怪物の背中を突き刺す一歩手前まで及んだからこそ孝太郎の命は助かったのだ。
孝太郎は大樹寺によって空いていていた方の手で壁の中から助け起こされ、強制的に大樹寺の隣に立たされることになった。

「しかし情けないね。私の知っている孝太郎さんならもっとがっちりと構えていたはずだよ」

「……お前に言われるのは癪だが、確かにその通りだ」

孝太郎は異空間の武器庫から予備の刀を取り出し、両手に構えた。
刀にはオーバーロード超越者としての力を降り注いでいく。孝太郎が元々使えていた破壊魔法に人を超えた力を交えた強力なエネルギーだ。
隣に立っている大樹寺も孝太郎に倣って、無言で己の力を剣へと纏わせていく。
二人で並びながら神の力と相対したときのことだ。突然天井が開き、二人の前に得体の知れない怪物の姿が見えた。

目の前に現れた怪物は灰青色の装甲に古代中国の軍人が被るような真っ白な兜を被った身に纏った骸骨の剣士の姿であった。
腰には蠍の怪物や大樹寺が使っているような形の良い剣が下げられている。
だが、奇妙なのは骸骨でありながら顎の下にサンタクロースのような白い髭を生やしていることだろう。

孝太郎も大樹寺もその姿を見て思わず体を震わせた。得体の知れない騎士が現れたのだから当然である。
しばらくの間二人は互いの武器を握り締めながら騎士を睨んでいたが、やがて騎士は二人を見るのをやめ、突然蠍の姿をした怪物の方へと向き直ったのだ。
当惑したような声を出す怪物を騎士は一睨みで黙らせた。それから怪物は大樹寺へと向き直った。

「大樹寺雫よ、お前に我が主人から伝言がある」

「で、伝言!?」

大樹寺は思わず声を上ずらせた。目の前に突然現れた骸骨の騎士が天使たちならば使うはずがない日本語を使って喋っていたことや先ほどまで自分たちを苦しめていた蠍の怪物を黙らせたことが大樹寺にとって普段は出さないような声を上げさせた要因であった。だが、大樹寺の心境になど構うことはないと言わんばかりに怪物は話を続けていく。

「確かにお前は天上界にいる偉大な神々から人々を導けという啓示を与えられた。だが、そのことに我が主人は納得していないということだ」

「どういうこと?」

大樹寺は先ほどまで感じていた驚きの感情も忘れ、片眉を上げながら骸骨の騎士へと問い掛けた。

「簡単な話だ。天上界には無数の神々がおられる。そのうちの一柱つまり我が主人が貴様の救世主就任を認めていない。それだけの話だ」

「う、嘘よッ!私は確かに認められたのッ!」

「飲み込みが悪いな。貴様の救世主就任に異議を唱える神がいる。それだけの話だ」

横で話を聞いていた孝太郎は大樹寺がどうして襲われたのかを理解した。二人の話から察するに神々の間で意見が割れ、大樹寺の救世主役就任に納得がいかない神があの蠍の怪物を派遣して、大樹寺の命を狙ったということなのだろう。
だが、腑に落ちないのはあの蠍の怪物と目の前にいる骸骨の騎士が組んで襲って来なかったということだ。普通ならば目的を共にすることがあればお互いに肩を並べて目的に挑むものなのだが、どういうわけか騎士は蠍の怪物を一喝していた。
そのことが理解できずにいた孝太郎であったが、その回答は怪物自身が発してくれた。

「もっともオレとこいつの主人は全く別の神だがね」

骸骨の騎士は自身の横で不満げな様子で剣を強く握り締めている蠍の怪物を指差しながら言った。

「なるほど、私を始末したい神の間でも意見が割れているのかな?でもさ、世の中っては大多数の意見が通るようにできてるんだよ。それは古代アテネの時代でも300年前でも現代でも変わらないんじゃあないかな?」

だが、骸骨の騎士は大樹寺の挑発には乗らなかった。相変わらず向かうこともせずに黙って二人を見つめていたのだ。
何もすることなく、ただ黙ってこちらを見つめている。たったそれだけのことだが、二人にはひどく不気味な時間に思えてならなかった。
孝太郎が奇妙な沈黙に耐え切れず足を下がらせ、大樹寺が生唾を飲み込んだ時だ。突如それまでなんの動きも見せなかった骸骨の騎士が自身の両手を大きく天井に向かって広げていったかと思うと、獣かと思われるような雄叫びを上げていったのだ。

突然の出来事に思わず両肩をすくませた二人を放って、骸骨の騎士は叫び続けた。
かと思うと、骸骨の騎士へと青白い閃光が降り注いでいった。青白い閃光の中に包まれた骸骨の騎士はゆっくりと舞台の緞帳を開くかのように消えていった光から姿を現した時には先程とは別の人物へと変わっていた。
骸骨の騎士は見た目麗しき鎧武者の女性へと変わっていったのだ。

「まさか、あんな恐ろしい怪物がこんな美しい女性に変わるなんて」

「夢にも思わなかったか?」

孝太郎の問い掛けに大樹寺は黙って首を縦に動かす。どうやら神の忠実な巫女を自称する彼女にも予測できないことはあったらしい。
孝太郎は思わず苦笑した。大樹寺は昔から非凡な人間を装う割にところどころで人間臭いところが出る。今回の件もそうだ。
平行線などと格好は付けているが、孝太郎からすれば大樹寺も自分がこれまで倒してきた悪党とさほど変わらないように思えた。
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