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神からの挑戦編

大樹寺雫の挑戦!

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「今ここに宣言しよう!我々、バプテスト・アナベル教は団結して、日本政府からの弾圧に耐え抜くということをッ!」

教祖大樹寺雫は集会場の上に用意された演説台の上で自らの拳を強く握り締め、宙に向かって拳を突き出しながら自らの思想を、日本政府に対する挑戦を口に出して、集まった信者たちを脈絡させていく。
信者たちは教祖の演説に拍手を送り、教祖への賞賛の言葉を口に出す。
大樹寺は多くの拍手と歓声に包まれながら演説に使っていた壇を降りていく。

それから壇の下に集まっていた老若男女からなる多くの信者たちから握手を求められ、それに対して丁寧に握手を返していくのであった。
その後は広い教団の敷地内を移動するために用いるタイヤ付きの車の中に乗り込み、自身の生活を送る部屋ならぬ自宅の棟へと戻っていく。
大樹寺が新たに築いたのは北海道の一部であり、それらの敷地はそれまでの敷地とは比較にならぬほどの広さを誇っていた。
ましてや地域の住民をロシア軍が追いやったりすれば尚更だろう。

そのため敷地の中には多くの信者たちが住まう20世紀における高度経済成長期団地を思わせるような集合住宅や兵器や武器を作成するための研究棟などの他、教祖のために作られた専門の棟まである。

大樹寺はこの棟と棟を移動する間に乗っている車の中でシートにもたれながら自身の演説が信者たちの心をはっきりと掴んだことを確信した。
やはり、群衆の心を掴むために用いるために使うのは確固たる敵の存在を明確にすること、それから同じような言葉を何度も繰り返すことだ。

これらのことはルボンという男によって書かれた『群集心理』という本に書かれており、大樹寺自身はそれを忠実に実行へと移しただけのことに過ぎないのだ。
過去の事例を持ち出しても20世紀に世界最悪の独裁者として名を残したとある人物や中卒から当時における日本の最高職である総理大臣へと上り詰めた男性、その男性の少し前にユニオン帝国、旧アメリカ合衆国において若きプリンスと持て囃され、最後には悲運の最期を遂げることになった大統領などもこの本から影響を受けていたのだ。

大樹寺は自分がこれらの人物と並んで上へと上り詰めたことを誇りにさえ感じていた。
また、復習がてらに『群集心理』の本を読んでみよう。
大樹寺が車を降り、生活棟の中へと入り、自身の部屋の中をくぐると、そこには眉間に皺を寄せたピンク色のスーツを着たイベリアが待ち構えていた。

「遅かったじゃないか、大樹寺教祖」

「イベリアさんこそ、勝手にレディーの部屋の中に入るなって習わなかったの?」

お互いに冗談混じりの罵声を飛ばしながら睨み合う。このまま獲物が被った野生動物のように睨み続けるかと思ったが、意外にもイベリアの方が先に矛を下ろした。
意外そうに眉を下げる大樹寺の前にイベリアは彼女の前でディスプレイを表示し、モニターの中にロシア軍の装備や武器を記した写真や説明を映し出していく。

「……なるほど、もうそろそろ軍隊の投入期間かな?」

「その通りだ。陛下は北海道が我々の手に落ちることを望んでおられる。北海道線量の暁には褒美としてその一部を貴様らにくれてやろうというのだ」

「なるほどね、私は榎本武揚ってわけか」

大樹寺の出した榎本武揚は元江戸幕府の幕臣であり、幕末には新政府の方針に反発し、北海道に蝦夷共和国を樹立した人物としても知られている。
だが、大樹寺との共通点はあくまでも北海道の一部に立てこもり、その時点における日本政府に宣戦布告を行ったというくらいしか共通点は存在しない。

榎本武揚はまず宗教とはあまり縁がなかったはずだし、何より彼は蝦夷共和国の設立に宗教を使ってはいない。
その時点で大樹寺雫とは程遠かった。
また、年齢もあるが、大樹寺雫と彼とを比較するのは例えれば羊の群れを率いる一頭のライオンとライオンの群れを率いる羊を比較するようなものだ。

もちろん、大樹寺は後者の方だ。イベリアもそのことは見抜いており、定の良い駒くらいにしか思っていない。
だからこそ、軍隊の派遣並びにロシアの援助を勧めているのだ。

「さてと、そろそろ連絡を入れた特殊部隊『ババー・ヤガー』が到着する頃だ」

イベリアはホログラフの中に防弾チョッキや軍服に身を包み、両手に突撃銃やビームライフルを握った女性たちの姿を映し出していく。

「彼女たちがあなたのいう『ババー・ヤガー』とやらなの?」

「その通りだ。ババー・ヤガーというのはロシアにおいて魔女を意味する言葉でな。その名の通り、こいつらはロシアの特殊部隊として昔から活躍してきた」

「昔っていつ頃?」

「……遡れば共産主義者どもに政権を取られる以前……つまり、第一次ロマノフ朝の時代からだ」

大樹寺はその言葉を聞いて最初に驚き、次に深い喜びを見せたのであった。
それは幼い子どもが遊園地に向かった際に乗りたがっていたアトラクションに乗る際に胸を弾ませる時と同じ喜びであった。

そのような力強い面々が力を貸してくれるというのならば日本の奪取も上手くいくのではないだろうか。
大樹寺は口元を緩め、フフフと可愛らしい笑い声を上げていく。

大樹寺にとって勝利はすぐ近くに見えてきたような気がした。ちょうどいい。『ババー・ヤガー』の力を使って日本政府への反逆を行おうではないか。
大樹寺が勝利を祝うため愛用するロシアンティーを淹れようとした時だ。
部屋の下から悲鳴が聞こえてきた。絹を裂くような悲鳴である。

大樹寺が自身の習慣移動魔法を用いて、悲鳴がした方向へと向かうと、そこにはマンモスを思わせるような毛並みと大砲のように太くて大きな鼻をぶら下げた二本足の怪物が道をゆく信者の一人を襲っていたのである。

大樹寺は慌てて人形を放って怪物の注意をこちらへと注意を向けさせた。
毛布の毛よりも太い毛に瞼の周りを覆われいるためか、こちらからはほとんど存在を確認できない怪物の目がこちら向いたのがわかった。

「私が相手だよ、それ以上私の子を傷つけないでくれるかな?」

本来であるのならばこの怪物たちは神の使いである。本来であるのならば人間と同等か、それ以上の知性を備えていてもおかしくはないのだ。
だが、どの怪物も例外なく人間の言葉を喋らない。いつも動物園の動物たちのように声を上げるか、そうでなければ雄叫びを上げるばかりなのだ。
そこが気に食わない。どうして、人間の言葉を喋ろうとしないのだろうか。
大樹寺が忌まわしげに怪物を見つめていると、途端に頭の中に声が聞こえてきた。

(娘よ、お前は気にしているな?どうして、我々が人の言葉を喋らぬのか)

頭の中に聞こえてくるのは確か日本語だ。翻訳機で訳した日本語のように正確な言葉が頭の中へと入っていく。
大樹寺が信じられないと言わんばかりの顔をして固まっていると、待ちきれんとばかりに続きの言葉が頭の中へと入っていく。

(なぜ、答えぬ?娘よ)

「あ、あなたがしゃ、喋ることができるなんて信じられなかったから……)

大樹寺の言葉は真実から出たものであった。事実これまで日本にも世界においてもオーバーロード超越者を始末する怪物たちが日本語はおろか世界のあらゆる言語のどれかを話した事例などはどこにも見受けられなかったからだ。
だが、大樹寺は知らなかった。彼女の宿敵である中村孝太郎並びにマリヤ・カレニーナの脳裏にその怪物たちが話し掛けてきたということを。

もし、そのことを大樹寺本人が知ればどうなるのかは想像に難くない。
恐らく相当な衝撃を受けるに違いないだろうが、そのことを伝えてやる義務は怪物にはなかった。
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