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神との接触編

神の敵は悪魔であるべきか

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調査を終え、帰りの車の中で姉に運転を任せ、報告書を書いている中でも、孝太郎の表情は沈んだままであった。
心ここに在らずと言わんばかりの表情で、目の前に現れるディスプレイに報告すべき内容を書き記していたが、普段の孝太郎ならば見られることがない誤字脱字の類が見受けられた。
聡子は孝太郎の不審な態度が気になり、背後から顔を覗き込みながら問い掛けたが、孝太郎は何も答えることはなかった。

四人を乗せた浮遊車エアカーは白籠署に到達し、五人は公安部の部屋へと戻り、今後のことを考えていたが、孝太郎の意識だけは会議ではなく、どこか遠い場所へと向いていたように思われた。
口からはハキハキとした声で今後の指針を提案し、リーダーである姉に明確な助言を行なっているのにも関わらずに、だ。どこか物憂げな表情が垣間見えた。

昼間の怪物との戦いで、やはり、何か思うところがあったのかもしれない。
怪物との戦いの合間に妙な契約を果たしたマリヤは勤務が終了した頃合いになって、未だに呆然としている孝太郎の元へと寄っていく。
普段の孝太郎ならば絶対に近付けないであろう近距離にまで顔を近付け、孝太郎に向かって問い掛けた。

「ねぇ、孝太郎さん」

マリヤのその声を聞いて、ようやく孝太郎は自身の直近にまでマリヤが迫ってきていたことを知ったのである。

「なんだ。マリヤか……どうしたんだ?」

孝太郎は自身が座っていた回転椅子のアームペッド部分いわゆる肘掛けの部分を回しながら、マリヤに目線を合わせた。

「どうしたもこうしたも何も……孝太郎さん、今日はどうしたんです?普段のあなたらしくもない」

マリヤの投げ掛けた疑問に孝太郎は即答できずにいた。不味いことを追求された容疑者のように反射的にマリヤから目を逸らしたが、すぐに作ったような笑顔を浮かべて、マリヤに向き直る。

「別に何もないさ。ただ、あの怪物のことが気になってな」

「あの怪物?ということはやはり、あなたにも……」

マリヤの表情が変わった。先程までの冷静な顔はなりをひそめ、代わりに両目を丸くし、身を乗り出しながら孝太郎へと顔を近付けていく。元々近い距離にあったのだから、更に顔が近くなっていく。
下手をすれば唇と唇とが重なり合うのではないかとさえ思われた。

何かの危機を感じた孝太郎は両頬を赤く染め上げながら回転椅子の上から立ち上がり、その場を立ち去ろうとする。
だが、それはマリヤが許さない。孝太郎の腕を強く掴んで、自身の元へと引き戻す。

「答えてくださいッ!孝太郎さんッ!あなたはあの怪物と戦っていた時に何が起きたんですか!?」

険しい顔を浮かべながら腕の中に爪を食い込ませていくマリヤの態度から孝太郎はマリヤが姉との関係を深掘りしたいのではないということを理解した。
孝太郎は生真面目な顔を作り上げて、マリヤの詳細を問い掛けていく。

マリヤは観念したとばかりに孝太郎に向かって、何が起きたのかを語った。
マリヤの話によれば、マリヤはあの亀の姿をした怪物と戦っている間に何者かが自身の頭に話しかけてきたのだという。

少年のような声をした何者かをマリヤは密かに悪魔のようなものだと位置付けていた。
その理屈は簡単だ。神への敵対者というのならば悪魔しか思い浮かばないからだ。

マリヤは孝太郎の腕に縋りつきながら、自身の思うところを語り始めていく。
堰を切ったように溢れ出す懺悔の告白は孝太郎を引き止めるのには十分過ぎたといえるだろう。
全てを話し終える頃にはマリヤの目は赤くなっていた。泣き腫らした痕が痛々しい。子どものように怯えながら震えているマリヤの頭を孝太郎は優しく撫でていく。それから、優しい声で言った。

「安心しろ、マリヤ。キミは悪魔となんて契約していないさ」

「で、でも、あの怪物は神の御使い……すなわち天使様だとお伺いしましたわッ!その天使と敵対する相手だというのならば、やはり悪魔だとかしかーー」

「それはない。考えてもみてくれ……悪魔がオレたちを救ったりするか?」

孝太郎の率直な問いにマリヤは小さく首を横に振る。
それを見た孝太郎は先程と同様の優しい笑顔を浮かべながら、口元の端を緩めて、首を縦に振る。
マリヤが落ち着いたのを確認し、孝太郎は話を続けていく。

「いいか、これはあくまでもオレの持論なんだが、世界各地で超越者オーバーロードを襲っているのは神のフリをした悪魔の類じゃあないのか?」

孝太郎の問い掛けにマリヤはハッと息を呑む。
孝太郎はマリヤが呆然としているのを見て、話を続けていく。

「悪魔というのは実に狡猾な存在なんだ。時には神にさえなってみせる。マリヤが……いいや、オレがまだ刑事ではなく、見回りの警官だった頃に姉貴が担当した事件の中にとある牧師がいたんだがな」

白籠市に隣接するビッグトーキョーの一端を担う日織亜市にホラウェイ牧師という悪質な牧師が存在し、当時連邦捜査官として派遣された姉絵里子がそのホラウェイが黒幕であった事件を解決したのは第一作『魔法刑事たちの事件簿』に述べた通りである。

この事件の解決機に、絵里子は連邦捜査官としての名を挙げ、白籠市を根城にしていた巨大ヤクザ刈谷阿里耶の検挙に駆り出されたことが『白籠市のアンタッチャブル』の結成要因となった。
あの当時は阿里耶とその一味によって、いつその命を奪われるのかと冷や冷やとしていたが、今となってはいい思い出である。

刈谷阿里耶以上の強大な組織や悪党に命を狙われてきたのだから、そう思っても仕方がない。
孝太郎が過去のことを思い返し、話していると、マリヤが口元を一文字に結び、目を矢のように細く鋭く尖らせながら見つめていることに気が付いた。
話の途中で、余計なことを思い返したり、喋ったりして、脱線してしまうのは悪い癖である。孝太郎は空咳を行ってから話を続けていく。

「ともかくだ。オレが言いたいのは人間がそうなように神を名乗る悪魔みたいなのがいて、その悪魔を見かねた本物の神がマリヤに力を貸したんじゃあないのかな」

マリヤは孝太郎の話を聞いていくうちに落ち着きを取り戻したらしい。
素直に頭を下げて、感謝の言葉を述べると、荷物を手に取って、署を後にした。
孝太郎は「やれやれ」と口に出した後で、大きな力をかけて、回転椅子の座席の上へと倒れ込む。

ひどく疲れていたこともあり、欲を言えばこのまま椅子の上で眠りこけたい気分であったが、やはり、自分としては借りているアパートに戻りたい。
孝太郎はノロノロと起き上がると、気怠そうに帰り支度を始めた。
窓の外には薄雲がかかり、地上に向かって光を放出できない月が寂しげな様子で夜の闇に隠れていた。











あとがき
本日は多忙のために掲載時間が遅れて申し訳ありません。以後はこのようなことがないように気を付けたいと思います。
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