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豊臣家士族会議編

キミだけを守りたいから

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「小太郎の奴め、しくじったか……」
北条重信首相は国会議事堂の首相室の窓から夕焼けに落ちる景色を眺めながら一人で呟く。その手にはワイングラスを握っていたが、一度怒りを意識してそれを強く握り締めると、それは子供が癇癪を起こしておもちゃを粉々にするかのように簡単に壊れてしまう。
彼の苛立ちは末期に達していた。首相在任中は同様、日本共和国の法律では大統領同様に不逮捕特権が授与されているため、逮捕される事はないだろう。
だが、首相としての任期が終われば、いや、次の国会でその事を追求されれば、全ては終わりだ。
北条首相は改めて自分の野望を潰した二匹の犬への憎悪を募らせていく。
「おのれ、覚えていろ、中村孝太郎、折原絵里子……今度、会った時にはお前らをまず抹殺してやる」
彼が窓の外の夕焼けに向かって恨み言を吐き終わるのと同時に扉を叩く音が聞こえた。警察や警備員の類ではないだろう。
北条首相は入室を許可する。彼の前に現れたのは古の絵画に描かれる女神のように長くて美しい黒髪をした、これまた美しい女性である。
黒色のスーツの胸元に幹事長のバッジを付けたその女性には見覚えがあった。
少し前に連続殺人の容疑をかけられたまま、学校の校舎で爆死を遂げた二階堂幹事長の愛弟子、若槻葉子ではないか。
彼女は深く頭を下げると、首相室の中に入る。
「こんばんは、北条首相、あら、どうやら、御気分が優れないようですが」
「黙れ、お前には関係がない事だ。日本共和国軍をアフリカの某王国に大量破壊兵器があるという名目で軍を派遣したユニオン帝国の尻を追い掛けた貴様や貴様の党のお仲間にはな」
「御言葉ですが、その件と私を叱るのは些かお角違いであるかと」
「黙れ!貴様とユニオン帝国のためにあの国は滅茶苦茶になったんだぞ!」
「御言葉ですが、あの国王の独裁に苦しめられていた人も多かった筈です。確かに、混乱をもたらしましたが、同時にそれはそういう独裁に苦しめられていた人を助ける処置にもなったのではないでしょうか?」
「黙れ!黙れ!お前に何が分かる!」
北条首相はユニオン帝国憎しのあまりに周りが見えなくなってしまったらしい。白い目を剥けながら、生唾を飛ばし、ただただユニオン帝国の悪口を吐き捨てていた。
葉子は大きく溜息を吐き、未だに耳障りの悪いノイズのような声を出して、喚き続けている北条首相に対して、刀を抜いて、彼の抹殺を目論む。
ユニオン帝国の悪口や批判をこのまま延々と続けるつもりであったが、自身に刀が振られていくのを見ると、彼は思わずアッと息を呑む。
そのまま、自身の鍛え上げられた肉体を用いて、葉子の刀を両手で受け止めようとしたのだが、葉子の刀は北条の手をすり抜けて、彼の頭を直撃する。
北条首相は日頃、体を鍛え上げていると得意そうに言っていたが、その体は肝心な時にはなんの役にも立たなかったらしい。アカンベーとみっともなく舌を出しながら、額から血を流し、顔全体を赤色に染め上げていた北条首相を見下ろしながら葉子は改めて実感させられた。
六大路美千代からは彼を安楽死しろと命令されていたが、こんな奴ならば死刑にした方がよかったのではないだろうか。
そう考えながら、葉子は振り返る事もせずに首相室を後にした。












帰りの車の中、絵里子はふと何気なく口にした。
「あたしね、昔から孝ちゃんの事が好きだった。いつ頃だったかな?ほら、お爺ちゃんの家に泊まりに行った時に、孝ちゃんに助けてもらったでしょ?あの時から、ずっと憧れてて」
孝太郎は姉の意識が遠い昔に飛んでいる事を意識し、自身もまた車を動かしながらも、意識を姉と同じく遠い昔へと飛ばしていく。
あの事件は良くも悪くも自分たち姉弟の運命を大きく変えた事件である。
孝太郎が深い過去の中での最も核心に近い出来事を思い出した時だ。
ラジオのニュースで北条重信が亡くなったというニュースが伝えられた。
「まさか、あの男が亡くなるなんてな……」
「えぇ、立証は難しくなりそうね」
二人はそのニュースを聞いて、たちまちのうちにそれまでの甘いムードを引っ込めて、刑事としての顔付きを浮かべていく。
「孝ちゃんは北条殺害の黒幕は誰だと思う?」
「……大方、六大路美千代だろうな。あの女ならやりかねん」
孝太郎は自身の考える六大路黒幕説を口に出していく。彼の考える説としては孝太郎の嫌がらせをしたい彼女がその目的で刺客を派遣し、北条首相の口を封じたというもの。もしくは北条首相が捕まれば、それが自身の身にも及ぶ事があり、そのために口を封じたという説の二つである。
だが、
「両方の可能性がある。いずれにしろ、向こうからはなんの連絡もない」
「……気を付けましょうね、この前に、大規模に動いていた大樹寺を操っていたのもあの人なんでしょう?」
絵里子の問い掛けに孝太郎は黙って首を縦に動かす。
そのまま重苦しい空気が流れるまま車はビッグ・トーキョーの白籠市へと到着し、孝太郎は姉の家の前で姉を下ろすと、車を一度、自宅近くの駐車場へと止め、自身の下宿の中へと戻っていく。
孝太郎はそのまま床に倒れ込もうとしたが、その前に姉から着信が鳴ったので、彼はその着信に応じる。
『もしもし、孝ちゃん。まだ起きてる?」
「あぁ、姉貴か?どうかしたか?」
『あのね、お昼の事の続きなんだけれどね……』
一瞬の間が空く。そのまま空白の時間が過ぎていくのかと思ったのだが、すぐに姉は話を続けた。
『あの時から、あたし、孝ちゃんに惚れていたような気がするの』
「ほ、惚れてるって!?」
その言葉を聞いて孝太郎の頬が茹でた蛸のように真っ赤になっていく。
『今日ね、一緒にあの恐ろしい忍者と戦って思ったの、このまま思いを伝えないまま、あなたが死んじゃったらどうしようと思って……だから、言うね、あたし、孝ちゃんの事が好きなの』
「何を言うかと思ったら、おれだって姉貴の事がーー」
『そうじゃあないの!』
電話口の向こうで切羽詰まった声が孝太郎の耳を裂く。しばしの沈黙。
やがて、沈黙に耐えきれなくなったのか、絵里子が優しい声で告げた。
『あたしは孝ちゃんが弟としてではなく、一人の男として好きなの!』
「……姉貴」
孝太郎はその告白にどう返したらいいのかわからなかった。彼の頭の中では三年前と今、そして、幼い頃の姉との記憶が浮かんでは消えていく。
『ごめんね、急にこんな事を言われて、実のお姉ちゃんにこんな事を言われたら、気持ち悪いよね?』
今にも涙を零しそうな姉に対して、孝太郎は優しい声で言葉を返す。
「いいや、そんな事はないさ。ただ、急な事だったから慌てただけだよ」
『……そうだよね。ごめん、でもね、孝ちゃん、返事だけは心の整理がついたら教えて……期限はあたしが死ぬまでの何処かでいいから……』
絵里子からの電話はそれで切られた。孝太郎はそのまま切られた携帯端末を黙って見つめていた。
だが、何処か落ち着かないので、タバコを持ってベランダへと向かう。
ベランダからは都心とは思えないほどに満天の星空と共に一つの流れ星が落ちていくのが見えた。綺麗な流れ星だ。
この時、孝太郎は何を願ったのかは分からない。ただ、その際の孝太郎の顔はとても晴々としていたとだけ告げておこう。


















あとがき
今回でこのシリーズは一旦休止させていただきます。構想がないわけではないのですが、二月、三月に向けての他の作品の書き溜めや、リアルでの生活の立て込みのためです。そのため、リアル時間で三年間、くっ付きそうでくっ付かないイチャイチャ姉弟にようやく、進展を持たせたという事です。
ですが、あくまでも『休止』であるので、何処かで連載は再開させていただきます。あ、連載自体は二月に再開させていただきますので、是非とも読んで頂ければ幸いです!
では、みなさん。よいお年をお過ごしくださいませ!
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