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ニュー・メトロポリス編

神々との接触

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「では、伯にお伺いします。その計画自体は400年以上も前、日露戦争の頃には既にあったという事ですね?」
「ええ、そうよ。いや、日露戦争の時に私が思い付いた子供のような妄想がこの計画を結び付けたというべきかしら?」
日本共和国の与党、自由共和党の若き幹事長、若槻葉子わかつきようこは自分と同じくらいか、はたまた自分よりも若いと思われる長い黒髪の美しい女性に先程、宇宙囚人号船にて現れたアンドロイドについて尋ねていたところであった。
伯と呼ばれた若い女性は目の前に置かれた日本茶を啜ると、葉子の前に一枚の紙を置く。
「伯?これは?」
「神の召喚計画よ。天上界におわす十二神のオリュンポスの神々をこの日本に招き、憎むべき英米を打破する計画なの」
葉子は目の前の黒髪の女性の言っている事に矛盾を感じてならない。
というのも、オリュンポスの神々というのは他ならぬ西洋文明の守護者ではないか。
確かに今は一神教にその信仰は取って代わられているが、今でも英米の知識層はオリュンポスの神話を嗜んでいると聞く。
他ならぬ自分もその神話を齧っている身だ。神話を読めば、今なおその影響が英米には根付いている筈であるのに、どうしてその神が味方するのだろう。
あり得ない事だ。堪らなくなった葉子は手を挙げて自らが伯と呼称する女性に直球的な質問を投げ掛ける。
葉子の質問を聞くと、伯は何かがおかしかったのか、最初は虫の羽音を思わせるほどの小さな声で後に静かな部屋全体に響き渡るほどの大きな声で笑う。
子供のように下品に腹を抱えて笑い終えると、伯はやがて平然とした顔で答えた。
「ねぇ、若槻さん、あなたはテオドシウス並びに中世における一神教の教会の強さを知らないの?」
そこまで尋ねられたところで、葉子はようやくオリュンポスの神々がこちらに付いた理由を理解した。
「つまり、オリュンポスの神々は深層的に自分たちを見捨てた西洋文明を憎んでいるという事ですか?」
伯と呼称される女性は満足そうに首を縦に動かす。
「あなたはそれを20世紀の時点で理解していた……」
伯は葉子の質問に答える代わりに、口元の端を綻ばせながら本質を突いた言葉を彼女に投げ掛けていく。
「ねぇ、葉子さん。あなたは人間というのは何で一番団結するのかはご存知よね?そう、共通のを見つけた時よ。人々は共通の敵が現れると手を組み、そいつを倒そうとする。例えそれまではどんなに仲が悪くてもね……そうねぇ、葉子さん、あなたは怪獣映画はご覧になられて?ああいった作品を見ると、必ず人は団結するわね。それまではどんなに仲が悪くても」
「つまり、ローマ以降の西洋文明を憎むオリュンポスの神々をその理論で仲間に付けたのですか?ですが、あなたはどうやって神の領域へ?」
「神の領域へはどうやって行くか?簡単よ、両目を閉じて横になり、自身の意識をオリュンポスの神殿へと飛ばせばいいのよ」
彼女はそう言うと両肩を竦める葉子に怪しく微笑む。恐らく、男ならばその魅力に惹かれるような妖艶な笑みだ。
だが、葉子はその笑みが恐ろしい。この笑みの下に何人の人間が従ったのだろう。この笑みに魅了された人がどれだけの災厄を起こしたのだろう。
そして、最も恐るべきは彼女の力だろう。人間ならば絶対に辿り着けない神の領域へと辿り着き、神々を扇動して自身の手駒とする彼女の手腕が葉子は恐ろしい。
その恐怖が体全体に伝わったのだろう。無意識のうちに茶を入れる椀を持つ手が震えていたのだ。
それに気が付くと、伯は先程とは一変して優しげな視線を向けて言い放つ。
「あら、どうしたの?若槻さん。手を震わせて?」
「い、いえ、何も……」
葉子はとぼけてみせたが、目の前で座る彼女は全てを見透かしていたのだろう。
好きな子をからかう中学生の少女のようにニコニコとした笑顔を向けていた。












「情けねぇや、まさか姉貴たちと入れ替わる形で入院するなんてな」
孝太郎は病院のベッドの上で苦笑しながら言ったが、肝心の『姉貴』の方は笑い事ではなかったらしい。
「何を言っているのよ!孝ちゃん!あなた、あそこで死んでいたかもしれないのよ!」
彼女は孝太郎の姉として、そして孝太郎の所属する白籠署公安部、別名白籠市のアンタッチャブルのリーダーとして彼を叱責していた。
「まぁまぁ、そんなに怒らなくてもいいじゃん、結果としてゼウスはぶっ壊れたんだからサ」
その姉の横でヘラヘラと笑う青いボブショートヘアーの勝ち気な顔をした小柄な女性が言うと、姉はその女性の方を向いて一喝する。
雷を落とされた女性は萎縮して両肩を竦ませると、そのまま後ろへと引っ込む。
彼女は立腹した様子でそのままベッドの上で苦笑いしていた弟にも飛び火した。
「だいたい、孝ちゃん、あなたが聡子を甘やかすからーー」
「まぁまぁ、絵里子さん。そこまでにしておきましょうよ。孝太郎さんが私たちを助けてくれたのは事実なんですから、ね?」
マリヤが上目遣いで丁寧に理由を語ったのが良かったのか、絵里子は不満そうに片眉を動かしたものの、そのまま大人しく引っ込む。
孝太郎はそれを苦笑しながら眺めていた。このまま見舞いに来た四人の仲間たちがこうして楽しげに過ごしている姿を眺めていたかったのだが、そうはいかなかったらしい。
診察のため医師と看護師が入室し、怪我の健診のために四人を追い出したのだ。
孝太郎は不満に思いながらも、大人しく問診を受ける事にした。そうしなければ治らないからだ。
その事を受け入れられないほど孝太郎は子供ではないつもりだ。
その治療を受けている最中、孝太郎はふと気になる会話を耳に挟む。
切っ掛けは医師と看護師と隙間時間に話した他愛のない世間話に過ぎない。
すぐに打ち切られたくだらない話だ。
根も葉もない噂。例えるのなら、都市伝説といったところの話なのだろうが、その言葉が孝太郎にはずっと心の中に残る事になった。
「あの、先生、あの患者さんが解決した宇宙囚人号船の事件なんですけど、あの事件の裏に色々関わっていたという話をお聞きしましたか?」
「何を言っているんだ。そんなくだらない事を言っている暇があるのなら、もっとキビキビと動きなさい!」
「す、すいません」
と、叱責された看護師は萎縮して治療を再開していく。
この会話が交わされた時、それまでは孝太郎が休んでいた病室には太陽が強く輝き、その光が差し込んでいたはずなのだが、急に太陽が雲に遮られたらしく、病室は闇に包み込まれていく。
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