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第三部『終焉と破滅と』

最上志恩の場合ーその⑦

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志恩はここ最近の自分の情勢は好転していた事に気が付く。一つは経済の問題が回復しつつある事である。兄である秀明からの援助と血の繋がらない両親の僅かなアルバイト代で暮らしてはいけるのは本当にありがたかった。
まだ子供である志恩からすれば懸命に学習を行ない、せめて通信教育機関でもいい点数をとれる様にしていたのだ。学校のいじめに耐え切れずに転校したフリースクールに通っているのだが、ここでは友達ができ、勉学もできるという志恩にとっては夢の様な場所であった。
志恩がそんな夢の様な場所から帰り、家へと向かっているとその前に一人の女性が姿を表す。
真行寺美咲かと思われたのだが、そうではない。志恩が知らないセーラー服の女性である。童顔であるからもしかしたら少女と冠した方が正しいのかもしれない。
その彼女が和かな顔を浮かべながら志恩の元へと近付いてきた。

「おはよう!キミが志恩くんだね?」

「はっ、はい。そうですけど」

「ちょっと来てもらえる?」

セーラー服の女性はそう問い掛けると、そのまま身の危険を感じて逃げようとする志恩の腕を乱暴に摘んで引き寄せると、そのまま志恩の腹に強烈な一撃を喰らわせたのである。
志恩は悶絶してその場に倒れ込む。そんな志恩を優しく抱き抱えて希空は新たな潜伏先である府内郊外のビジネスホテルへと向かったのであった。
ビジネスホテルには既に希空の部下へと戻った黒服の男たちが希空を出迎えた。
希空は気絶した志恩をベッドの上に放り投げると、黒服の一人から携帯電話を借り、真紀子に向かって連絡を行ったのであった。

「もしもし、お嬢ちゃん。あんた随分と調子に乗ってるみたいじゃあない?」

『……その声は希空か』

「希空ね……いい?それと、あんたの弟は預かったから、返してほしかったらこちらのいう事を聞きなさい」

「誘拐かよ、あんたも落ちぶれたもんだな』

電話口の真紀子は毒を吐いたが、希空は気にする事なく条件の提示を続けていく。

「条件はあんたが会長を辞任し、菊岡秀子名義の持ち株を全て天堂希空に譲渡する事だけ」

『つまり、地位と権力を全てあんたに戻せって事か?嫌なこったい。誰がンな事をするかよ』

「じゃあ、志恩くんが死んでもいいんだね?」

その一言に電話口の向こうの相手が固まるのを希空は確信した。
やはり情報通り最上真紀子のアキレス腱は弟であるに違いない。
希空は一気に真紀子に向かって畳み掛けていく。

「どうする?このままだと志恩くん。死んじゃうよ」

『少し考えさせてーー』

「ダーメ!今すぐに決めて」

『わかった。条件を呑もう』

流石の奸物最上真紀子も弟の命には換えられなかったらしい。あっさりと条件を呑んだ。

「じゃあ志恩くんは天堂グループの株の名義が私の名義になるのを見計らってからお嬢ちゃんにお返しするね」

真紀子はそれからは言われるがままであったのは中々に面白かった。あの奸物がと思うと笑いが止まらない。
会長の辞任の準備と株の名義変更の手続きにはまだ時間が掛かるという事が伝えられ、希空を苛立たせた。

「早くしてよね!」

『こっちだって時間が掛かるンだよッ!くそッ!』

電話口の向こうから真紀子の苛立ちが聞こえてきた時だ。昏睡から目を覚ました志恩が子を声を出した。

「あれ?ここは?」

『おい、今志恩の声が聞こえたよな!?志恩の声を聞かせろッ!じゃねぇと要求には従わねぇぞ!』

誘拐犯とのやり取りの鉄則である。目的は逆探知のための時間稼ぎが大半であるとされ、犯人は滅多に要求を受け入れようとはしない。
だが、希空は今の真紀子は出先であると判断し、希空はその要求を受け入れた。
希空は志恩を呼び寄せ、電話口の相手をさせる。
志恩は電話口の向こうから慌てる真紀子の声が聞こえた。

『志恩ッ!無事か!?』

「うん。なんとか」

『よかった。待ってろよ、希空のクソ野郎はもう生かしちゃあおけねぇ。次の機会に必ずぶち殺してーー』

「誰をぶち殺すってお嬢ちゃん?」

電話口の向こうから勝ち誇った様な希空の声が聞こえてくる。
真紀子はそれを聞いて慌てて謝罪の言葉を述べ、そのまま電話を切った。
希空は切った電話を持ったまま志恩へと向き直っていく。

「あんたのお姉ちゃん。あんたのために地位も金も投げ打ってくれるって、よかったね。優しいお姉ちゃんで」

「うん。けど、そんな事はさせない」

志恩はあくまでも逃げるために武装を施し、そのまま二叉の槍を希空に向ける。
それ見た福音が武装を施すものの、志恩は正攻法ではなく、敢えて窓を使って逃げる事にしたのである。
志恩はホテルの下に置いてある車をクッションの代わりにして飛び降りたかと思うと、そのまま逃げ出していく。
それを見た希空は堪らなくなって舌を打ち、黒服たちに向かって命令を下す。

「早く追いなさいッ!志恩を捕まえるのよ!」

黒服たちの男たちは武器を携えながら逃亡した志恩を追いかけていく。
自分たちにとって絶対の存在ともいえる希空の命令である。
黒服の男たちは銃を撃ちながら志恩を追い掛けていく。郊外であったのが幸いしたか、あまり人は居なかったのだが、それでも銃声は目立つのだろう。
志恩はサタンの息子として武装に身を包んだまま慌てて逃げ出していく。お陰で銃弾が当たっても志恩はびくりともせずに済んだ。
志恩は郊外の駅の中へと逃げ込み、駅のトイレの中に逃げ込んだ後に武装を解除して一人小さな声で吐き捨てる。

「……なんなんだよ、なんなんだよ、本当にもう……」

このまま時間が来るまで志恩がトイレの中に隠れ、ダメであったのならば再び武装してその場から逃げ出そうとした時だ。不意に耳に金属と金属とがぶつかり合う音が鳴り響いていく。
志恩はたちまちのうちに戦場へと移されてしまった。
戦場となる郊外の巨大な廃工場の中では自分以外の参加者たちがゲームを始めてしまっていた。
真紀子は第一の武装を施し、その手には機関銃を握っている。その手が今まで以上に荒ぶって見えるのは誘拐のストレスのためだろうか。

実の兄と姉とがその場で殺し合っている姿を目撃し、志恩はなぜか居た堪れない気持ちになってしまった。
いつもならばこんな事を思う事はないのに今日に至ってはひどくセンチメンタルであった。
だからだろう。普段はまずは武器を構えていく筈なのに今日に限っては能力を使って真紀子の動きを止めてしまっていた。

「し、志恩……テメェ!?」

兜の下で得意気な顔を浮かべながら機関銃を放っていた真紀子であったが、動きを止められた瞬間に兜の下には先程とは対照的な印象の顔を浮かべていた。

「お姉ちゃん。悪いけど、今日は黙ってて、大事な話があるんだ」

「悪いけど、それはできんな」

そう発したのは美憂であった。美憂は志恩に向かって第一の武装であるレイピアを振り回しながら向かっていく。
志恩はその槍を防ぎながら美憂に向かって問い直す。

「どうして、話すら聞いてくれないの?」

志恩の懇願に美憂は淡々とした口調で答えた。

「お前の話が理想的過ぎるからだ」

「理想的だって?ぼくの話が?」

「そうだ。あまりにも理想が過ぎる。最上から話は聞いたが、お前さっきまで希空の奴に誘拐されていたんだって?それなのにまだこんな世界を存続させようとするのか?」

「話の脈絡が見えないよ、それはどういうことなの?」

「お前の弱点は、要点をはしょる事だと思うぜ。姫川ァ。まぁ、つまりよぉ、姫川は自分の地位と権力を取り戻すためだけに無関係のお前を誘拐するの様な奴らが住む様な世界を守りたいのかとお前に問いかけてるんだ」


「……うん。守りたいよ。だってテレビのヒーローたちだってそんな世界を守るために戦ってるんだ。ぼくだって」

「生憎だが、テレビの世界と現実は違うぞ」

美憂がレイピアの先端を突き付けながら言った。
志恩はそんな美憂に対して何も言わずに沈黙で言葉を返したのであった。。
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