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第二部『箱舟』

ウォルター・ビーデカーの場合ーその③

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三人を守るため、秀明は少しでも時間を稼ぐために奮闘していたのである。
サーベルと鎌の刃とがかち合う音が秀明の耳に響いていく。幾度も幾度もぶつかる音がサタンの息子を呼び出す際の耳障りな音と被って不愉快であったが、秀明は聞こえないふりをしてサーベルを打ち続けていく。金属と金属とがぶつかり合う音が幾度も鳴り響いていく音は秀明の集中力を阻害しかけたが、秀明はその度に自身の受験期や会社を軌道に乗せるまでの苦悩した時期の事などを思い返し、なんとか踏みとどまる事ができたのである。
秀明は剣を使ってウォルターの鎌を防ぐたびに自分がなんらかの単調作業に従事しているように思えて仕方がなかったのである。そんな不思議な感覚に陥りながらウォルターと刃を交えていた時である。
秀明は気が付かないうちに自分が押されていた事に気がつく。しかもその後にあろう事か、秀明はサーベルを弾かれてしまうのであった。

「し、しまった!?」

「どうやら集中力が散漫していたらしいな。そこがお前の敗因だ」

ウォルターは丸腰の秀明に鎌を突き付けながら言った。
だが、秀明はまだ負けを認めなかったのか、新たなサーベルを出してウォルターと向き合う。

「……ご忠告ありがとうよ。だが、おれだって負けるつもりはないんでねッ!」

秀明はそのまま地面を蹴って、ウォルターに立ち向かっていくのであった。
ウォルターは目の前から迫る一撃を鎌の柄を使って受け止める。暫くの間両者は激しい睨み合いを続けていたが、やがて互いに距離を取っていき、もう一度刃を重ね合うのである。
そのような事を繰り返しながら、秀明は自分がある場所まで届いてしまった事に気が付いた。
そこは街の端に設置されたガソリンスタンドであった。ガソリンスタンドの前には公園とソーダショップが置いてあった。

「……あそこのソーダショップは私が幼い頃に通っていた場所を再現したものでね。あそこで買ったアイスクリームをよくジャッキーと外で食べたもんだ。この街の中では食堂だがね。ちなみにそこのガソリンスタンドは来客用のために作ったガソリンスタンドだ。古き良き時代に魅せられた人は大抵このガソリンスタンドで給油して帰るよ」

「成る程、この一角も信者たちに与える仕事の一環だったというわけか?」

「それもあるが、私自身がもう一度このソーダショップを見てみたかったのだよ」

「けっ、口では大層なことを言いながらやっている事はテメェが昔の思い出に浸かりたいだけじゃあねぇか」

「否定はせんよ。だがね、この古き良き時代を現代に伝える事でやれる事もあると思うんだッ!」

再び激闘が繰り広げられた。公園の中で、ガソリンスタンドの中で、或いはソーダショップの窓ガラスを突き破ってその中で激しい戦いが繰り広げられた。
最後にはとうとうお互いに武器を捨てて、殴り合いを行う事になった。
兜を脱ぎ捨てて、互いに顔や体を狙い合う。秀明は既に顔に五発ほどの打撃を受けていたし、ウォルターは既に何度も荒い息を吐いていた。

「クソッタレ、なかなかしぶといじゃあないか」

「お前もな。だが、おれは負けない。このゲームを必ず勝ち抜いてあの子を……ジャッキーを再びこの手に……」

秀明がウォルターに突進をかまし、その上に組み伏せた後に尋ねた。

「あんたをそんなに執着させているジャッキーってのは一体誰の事なんだ?」

ウォルターは組み伏せた秀明を投げ飛ばし、その上から激しい殴打を繰り出しながら答えた。

「私のガールフレンドだよッ!1962年にクソ野郎の手によって殺されたおれの大事な恋人だッ!」

「待てよ、それってどこで聞いた事があるような……」

考え込んだ秀明の頬に強烈な一撃が与えられた。秀明は悲鳴を上げたものの、二発目は打たせなかった。ウォルターの顔に強烈な頭突きを喰らわせたからである。
ウォルターの目が咄嗟に両目を閉じて地面の上に倒れ込む。秀明はその勢いのままウォルターに強力な一撃を食らわせた。
ウォルターが悲鳴を上げてソーダショップのカウンターに背中をぶつけた。
背中を打たれた衝撃によって、ウォルターは短い悲鳴を上げてその場に倒れ込んだ。

「ぐっ……見事だ。さすがだな、天才社長」

「喧嘩に社長も教祖も関係ねーだろうが……今回はあんたが負けて、おれが勝った。それだけだ」

「……そうか、ならばとどめをさせ。それがゲームのルールだろう?」

「言われなくてもンな事はわかってるよ」

秀明が新たなサーベルを作り出し、それを逆手に持ってウォルターの元へとそれを突き立てようとした時だ。
先程武器と武器とを交わしてあっていた時や拳と拳とを重なり合わせていた時とは比べ物にならないような嫌悪感が滲み出てきたのだ。秀明は確信していたのだ。ここでウォルターを殺してしまえば自分は腹違いの妹と同じ殺人者になってしまうのだ、と。
一方で秀明の脳裏に別の思いも囁いた。ここを逃せばウォルターを倒す機会は与えられないのだ、と。
二つの思いが秀明の中で葛藤して揺れ動いていた。秀明は幼い頃にアニメや漫画などに登場するキャラクターが時折頭の中で天秤に何かを測って考える素振りをする場面を見た事があったが、今の秀明の心境はそれに近かった。
どうすればいいのだろう。頭を悩ませていた時だ。不意に秀明の耳に歌声が聞こえてきた。それは優しい、それでいて儚さを感じさせる声であった。

「君は僕の太陽さ。たった一つの太陽さ。空が曇っていた時も、君がいれば幸せ……」

ウォルターはその歌詞を英語で喋っていたのだが、秀明はその意味を理解できた。カウンターにもたれかかったウォルターはか細い声で涙を流しながら歌い続けていた。

「……どうか僕の太陽を奪わないで」

ウォルターの瞳からは一筋の涙が流れていた。
ウォルターは殴り合いと斬り合いとですっかりと疲れ果ててしまったはずの手を宙へと伸ばしながら歌っていく。

「君は僕の太陽さ。たった一つの太陽……どうか僕から太陽を奪わないで」

秀明はその様子を見るとどうしても止めを刺す気力が損なわれてしまうのである。彼はサーベルを引っ込め、武装を引っ込めてその場を後にしようとした。
その時だ。それまで歌っていた歌が止まり、秀明に向かって問い掛けた。

「……私を殺さないのか?」

「……そんな風に哀れに歌う老人を殺すほど、おれは落ちぶれちゃあいねぇよ」

「……甘いな。キミは……これは殺し合いなんだぞ?お互いに命の取り合いをしてるんだ」

「けど、あんたを殺す気力が失せちまったんだ……その代わりといっちゃあなんだけど、外で暴れるあんたの弟子たちを説得するのに手を貸してくれねぇか?」

秀明の言葉を聞いてウォルターは口元に小さな笑みを浮かべる。
それから秀明に向かって言った。

「……ならば、手を貸せ……お前との戦いで既にボロボロになっていて動けないんだ」

秀明は武装を解除して、カウンターへと向かって、憔悴しきっていたウォルターに肩を貸したのであった。秀明の肩を借りて、ウォルターは引き摺られながらも残った信者たちが教祖の敵を探しているところへと現れたのである。
教祖は武器を持って教祖の敵を探す信者たちに向かって大きな声で叫んだのである。

「聞けッ!我が弟子たちよッ!我々は今夜重大な失敗を犯したッ!我々は戦いに敗北し、全てを失ったのだッ!私は箱舟の保全よりもキミたちの保全を第一に考える事にしたのだ。よってもうこれ以上私や街……いいや箱舟などに固執する必要などないのだッ!よって本日を持って箱舟会解散となるッ!」

「そ、そんな……我々はあなたの教えを信じてここまでやって来たというのに後はどうすればいいのですか!?」

「……心配するな。わしの教えは不滅だろう?警察の方は聞かれたら言っておけ、全て私の指示でやらされた。全て私が悪いのだ、とな。そして今ここにいるわしの弟子たちに最後の教えを伝えよう。『箱舟は形ではない。気持ちである』」

「……コクスン。それはどういう意味でしょうか?」

「例え全員がバラバラになったとしても我々の気持ちは永遠であり続けるという意味だ。そして死後は善業を積んでおけば、また共に暮らせるであろうという事を念頭に生きるという意味でもある。また世界の滅亡が起きても、今までの教えを忘れなければ、それぞれの前に箱舟は現れるであろうという意味もある」

「そ、そんな!本当に教団を解散なさるおつもりですか!?」

「……先程も言ったようにバラバラになった後も修練を続け、教えを忘れなければ我らの思いは不滅だ。例え教団が解散してもな」

ウォルターは最後に信者たちに向かって笑い掛けると、最後の力を振り絞って、近くにいた信者の一人から短刀を奪い取り、そのまま自らの心臓に向かって突き刺したのである。
ウォルターの体から夥しい量の血が流れて地面の上を赤く染め上げていく。
教祖の死に動揺して泣き喚いていく信者たちとは対照的にウォルターの表情は雲一つない快晴の空のように明るかった。
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