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第一部『悪魔と人』

最上真紀子の場合ーその②

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苛々とする。怒りの炎が心の中で燻って消えない。
昔読んだとある有名な小説では主人公が太陽が眩しいという理由だけで、アラブ人を殺した主人公がいた事を思い出す。
その人物を擬えたのかはわからない。だが真紀子は鬱陶しいという理由だけで人を殺したかったのだ。

いや、理由はもう一つある。それは静かな環境に行きたいというものだ。
この世の中で静かな場所を示すとあるのならば、そこは刑務所以外にあるまい。
なので、真紀子は刑務所に行く事を計画したのである。

なにせ今のクラスにはいや、周りの環境には馬鹿しかいないのだ。どいつこいつも同じような事しか言わないし、語彙もないくせに媚びを売って取り入ろうとする。そんな奴らが心底から鬱陶しくなったのだ。
そればかりではない。大人も大抵が馬鹿だ。怒鳴って『退学』をチラつかせるだけで生徒が言う事を聞くのだとばかり思い込んでいるのが心底から腹が立つのだ。

とりわけ真行寺という名の老齢の教師には苛立ちを隠しきれない。
真行寺は正義感の強い熱血漢で、それでいて年齢は中年を過ぎたくらいの頃である。中々に鬱陶しい。
馬鹿のくせに根性論を振り回し、私たちを苦しめる。いつまで『昭和』の時代を生きているつもりなのだろうか。

時代はとっくの昔に『平成』となっているというのに、真行寺はまだ認められないらしい。
これが同じく生徒であるのならば取り巻きを使って始末させられるのだが、教師であるならばそうもいかない。
それどころかあの男は自分が中心にいる事が気に入らないらしく盛んに突っかかってくるのだ。それが真紀子を苛つかせた一つの要因であった。


だからあの苛々とさせられる男は裁きを受ける羽目になったのだ。足が真紀子の足に絡まされたために階段の上でバランスを保てなくなって転がり落ちて首の骨を折ったのも当然の報いだと真紀子は得意気な顔を浮かべて眺めていた。
時間は放課後の時間帯であり、それも人が少ない校舎の端の階段であったのだが、真紀子の犯行はすぐに目撃されるだろう。というのも……。

「う、嘘……お父さん?い、いやァァァァァァァァ」

この男の娘である真行寺美咲しんぎょうじみさきという生徒に殺人の現場をわざと見せるように仕向けたのだから。それもよりによって階段の真下というわかりやすい場所で。
真紀子は表面上は慌てる顔をしながらも心の中では冷静を保っていた。真紀子はそのまま階段を駆け下りていき、彼女の首を両手で捕まえて鶏の首を絞める養鶏業者のような気持ちで締め付けていく。
勿論そのまま本当に死んでもらっては困るので、締める前に大きな声で叫ばせる事も忘れてはならない。
彼女の大きな声に呼び出された人々が地面の上に置いたチーズに食い付く鼠のように群がっていくのは想像に難いからだ。
幾らここが校舎の端でも人が集まるのにそう時間は掛からないだろう。
こうして真紀子は集まった大人たちによって真行寺美咲から引き離され、そのまま警察へと送られた。

無論これも全て計算の内である。
家庭内裁判所への送致も少年院送りもトントン拍子で進む。それこそ、真紀子口笛を吹いて操っているかのようにスムーズに進んでいた。

やたら滅多に長い事で有名な日本の裁判にしてはえらく迅速に進んでいく。
移送中も収監後も真紀子は借りてきた猫のように大人しくしていた。不快極まる身体検査も大人しく受け入れ、その前後に浴びせられる看守の罵声を表面上は一身に受けていたのだった。
こうした一連の大人しい態度と入所した日に行われるペーパーテストの結果が最良であった事も加わり、真紀子は洗濯物の管理を任せられた事となった。余談ではあるが、彼女が出したペーパーテストの結果は入所以来の好成績であったらしい。

後日その事を先生から聞いて満足した真紀子は長い刑期の間他人の洗濯物を嗅ぎながら過ごすというのは悪くはないと考え始めていた。
だが、担当する洗濯物はどれも腐ったドブなような匂い、薄汚い犯罪の匂いが漂ってくるのだ。そんな腐敗した臭いを嗅いでいくにつれてそんな思いは徐々に消え失せていってしまう。まるで空気が抜けて萎んでいく風船のように。
真紀子にとって最悪であったのは薬や喧嘩などというチンケな罪で捕まった少女たちが大半なので、中には同じ監房にいたら、絶対に同性から虐められるだろうという罪で収監されている少女がいればその矛先を向けるのは計算し易い。真紀子からすれば数学の課題において台形の全体を求めるよりも簡単にその答えが予測できた。
下品で粗暴な少女たちによる虐めの声や動きが狭い監房の中に飛び交う。
全く苛々させる。真紀子は本から目を離し、その少女たちを細い目で睨みながら心の中で少女たちを詰っていくのだった。

ここで更に余談は加わる。なんと真紀子が殺人罪で家庭裁判所で起訴された際に取り巻きを使っての女子生徒への牽制も発覚し、取り巻きの何人かが同じように少年院に送られてしまっていたのだ。
本来であるのならばそこから情報が漏れて、同じ目に遭わされても仕方がないのだが、容疑が容疑なのだ。
虐められるわけがない。苛々したからという理由で人を殺し、殺そうとした危険な女に誰が関わりたいだろうか。
同じ房では無視こそされたものの、今の少女が遭わされているようないじめの様なものは発生しなかった。

一睨みすれば、怯えておずおずと退散する様な連中だ。そんな度胸などあろう筈がない。
だが、苛々とはさせられた。同性から嫌われそうな罪で収監された少女は壮烈な虐めを受けていた。本来ならば真紀子に行なわれる筈の虐めを受けていたからだ。日が進むにつれて虐めは苛烈を極めていっていた。
その中でも女子トイレの中で水をかけて、ケラケラと笑う奴らの姿が最も不愉快だった。

真紀子からすれば虐められて当然の奴に同情などはしないが、あの調子に乗っている顔に怒りが止まらないのだ。
だから考えるよりも先に手が出て、奴らの不快な面を張り飛ばし、タコ殴りにしていたところを捕まり、再び独居房送りというわけだ。
幸いな事に拘束衣は数日で外されたものの、騒動を起こした事により、真紀子に与えられていた役職は剥奪され、刑期が伸びてしまう事となった。

どこまでも苛立たせる。雑居房へと解放すれば私が騒動を起こす事を先生たちも学習したのだろう。
今度は長期の勾留である。その独居房の中に定期的に難しい本を入れられるのは凶悪な犯罪者である真紀子を大人しくさせるためだろう。
元から少年院には読書をするために来たので、この状況は好都合である。

簡単な小説の類は一日で読み終えたし、それに続いた高名とされる作家の本にも一通り目を通した。
実につまらない。真紀子がそう考えていると、独居房の中に積まれた一冊の本に目を落とす。
歴史の本である。それはかつて、ローマ帝国の礎を築いたとされる名将、ユリウス・エル・カエサルが著したとされる『ガリア戦記』と『内乱記』の二冊の本である。

歴史になどは全て過去の遺物と考えていた真紀子であったので、それまでは興味など示さなかったが、一通り読めば中々に面白いではないか。
一気に『ガリア戦記』から『内乱記』を読み終えると、真紀子は居た堪れない高揚感に包まれていた。
惚れていたといってもいい。カエサルという人物の素晴らしさに。そして、カエサルの快進撃に。

「『来た、見た、勝った』か……クックッ、いい言葉だぜ……あたしはこの言葉を旗印に成り上がってやる。そして、どんな敵もこの手で始末してやるさ……どんな手段を用いたってな」

(その言葉、確かに聞いたぞ)

背後から聞こえたのは野太い男の声。慌てて、振り向くと、独居房の白色の壁に人型の影の様なものがあった。
その影は確かに人間であったが、何処となく形が違う。
人間には羊の様な角など生えていないし、足も二つに割れていないだろう。
影の異質さに思わず肩をすくませたが、真紀子の中では恐怖よりも興味の感情の方が勝った。

「へぇ、じゃあ、あんた、あれかい?あたしを助けてくれるのかい?」

(無論だ。ちなみにオレの名前はベリアル。地獄の王にして80の軍団を率いる大悪魔だ)

真紀子はそれを聞いて口元を軽く歪ませる。
それから満足した様な笑みを浮かべながらベリアルを名乗る影と向き合う。

「へぇ~、で、そんな悪魔さんはどういう風にあたしを助けてくれるわけ?」

(オレの力を貴様に授けよう。地獄の王の力だ。更に詳しく言えばルシファーのバカが主催するゲームを乗り切る力ともいうべきかな)

「へぇ、そりゃあ素晴らしいねぇ~その力がありゃあ、どんな事も可能なのかい?例えば、苛々する奴をぶっ殺したりとか?気持ちのいい薬を作れたりできるようになるとか?」

「あぁ、勿論だ。それにそれだけじゃあないぞ、大抵の事はこのオレが助けてやろう。悪魔はなんでも教えるし、この世にある物ならば、なんでも作り出せるからな」

「ハッハッ、やりぃ!神様が主人公に毎月金を振り込んでくれるとか、あり得ねーような特典をくれて主人公に無双させるとか、そんなありきたりなネットのファンタジー小説の設定より、あんたの言葉には説得力があるぜェ!」

真紀子は無邪気に手を叩いて喜びを表すが、壁に映る影はなんの反応も示さない。
それどころか無愛想な声で「早く決めろ」と急かすばかりである。

「チッ、あんたは愛想がねーな。こんな美少女が喜んでやってんだからもう少し嬉しくしろよな。まぁいいぜ、契約してやるよ。ゲームだろうが、なんだろうが……ここから出て、あたしをイライラさせる奴をぶっ殺せるのなら最高だぜッ!」

同時に影が壁を離れ、真紀子の中へと飛び込む。
奇妙な感触が真紀子を襲っていく。何か得体の知れないものを飲み込んでいる様な不快感が全身を襲うのだ。
体中を駆け巡る悪寒に耐え切れず、吐き出しそうになる。

だが、それを寸前で堪える。そのうちに体の中にベリアルが馴染んだ。
試しに両手の掌を開けたり、閉じたりしてみるが、違和感は感じない。
そして、何気なしに独房の窓の鉄格子に映る自分の姿が目に入ると、そこには囚人服ではなく、黒色の軍服に長くて高い黒色のブーツを履いた真紀子の姿が映っていた。

だが、顔だけは色のない鋭い黄色の目に高く尖った鼻、裂けた赤い唇という形の兜が覆っていた。
次に念じたのは武器である。すると、私の手には黒く乾いた光沢を放つ金属の塊が握られていた。それは銃身の短い、太い旧式拳銃に似ている銃であった。
正式な名称はモーゼル軍用オートマチックと呼ばれる拳銃である。
かつて20世紀前半には当時信頼性の低かった着脱弾倉式とは対照的に固定弾倉方式という事で高い評価を受けており、ドイツ第三帝国において将校から下級兵士に至るまで幅広く愛用されていた拳銃であった。
デザインも先進的であり今なおこの拳銃に恋焦がれているガンマニアはあとを絶たないと聞く。

その拳銃が今の真紀子の手にはあった。真紀子は新しいおもちゃを買ってもらった子供のような心境であった。試しに構えてみると、自分が西部開拓時代の腕利きのガンマンにでもなった様な気がした。
それでいてこの武器のマガジンを引っ張り出そうとしたが、どこをどう探してもマガジンは見当たらない。不審に思っているとベリアルが口を挟む。

(サタンの息子の武器に不可能はない。それは常に弾丸が補充されておる)

「へぇ~そいつぁいい。悪くねぇや。ちょうどいい。こいつを使って少年院でイライラさせられた奴をブッ殺しに行くか」

真紀子がそう呟くのと同時に大きく独居房の扉が勝手に開く。どうやらベリアルの力か何かで開いたらしい。好都合だ。真紀子は口元に三日月型の笑みを浮かべた。
行こうではないか。自分を苦しめた連中へのお礼参りに。
彼女は悠々自適な態度で独居房から出ると、巡回中の先生の一人に目を付け、そのまま頭を撃ち抜く。

脳髄とが血が辺り一面に散乱し、愉快だった。この興奮は容易に抑えられるものではないだろう。
真紀子はそれから、先生、囚人問わずに次々と頭を撃ち抜いていく。
爽快だった。殺す度に途方もない喜びが湧き上がっていく。

特に、雑居房の中にいる連中を次々と撃ち殺すのは縁日の射的のゲームの様で面白かった。普段息巻いている連中がろくに抵抗もせずに両手を上げて見せているのだから、滑稽な事、この上ない。
両手を挙げたところで命乞いを受けいられる事なんて滅多にあるかわからないというのに、どうして、そんな僅かな可能性に賭けられるのだろうか。
大抵はそんな奴らばかりだが、稀に抵抗する姿を見せたり、逃亡しようとする姿を見せる連中もいるのだからその時はやり甲斐を感じる。

一方的な射的ゲームばかりではつまらないので、そういったアクシデントは往々にしてあるべきだろう。
もっとも、そんな奴らでも少しばかり死を延命できただけに過ぎない。
大抵は彼女の拳銃に頭を撃ち抜かれて死んでしまうのだ。

ただ、あいつらに虐められていた同性に嫌われる罪を犯した囚人だけは例外的に見逃してやった。
理由としては真紀子を苛々させなかったという至極単純なもの。大方古代や中世の暴君もこんな理由で人を処刑したのだろう。そう考えると、真紀子は自分が古代の暴君や独裁者になった様な気がして面白かった。
彼女は惨殺ゲームを終えると、最後に開閉役の先生を殺し、少年院の大きな門を開けて、涼しい顔をして出て行く。

金などもその先生から抜き取ったから、問題はあるまい。
外に出たのならば、まずは服を買う事だ。灰色のダサい囚人服など着られたものではない。
次に焼肉か、もしくは肉汁の滴るレアのステーキ。

どちらも暫くは食べていない。真紀子は少年院の近くの大きな木の陰に身を隠し、その樹齢何年という大きな木に背中を預けながら、かつて両親が死んだ直後のように自身の人生にまつわる大きな計画を立てていた。
嬉しさの余りに気が付けば、体がメトロノームの様に左右に動いているではないか。
その事に気が付いた真紀子は一人で苦笑した。
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