子連れの元悪役令嬢ですが、自分を捨てた王太子への復讐のために魔獣討伐師を目指します!

アンジェロ岩井

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ゴブリンの住う町

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乳母車がゴトゴトと鳴る音が山の中に響く。
乳母車の中に居るのは小さなドレスを身に纏った可憐な童女の姿。
ウトウトと眠る姿はまさに人形のようであった。

二人が来たのは山の上に存在する温泉である。この時代においては湯というものは貴重なものではないのだが、温泉という存在に憧れる人間は多い。
というのも広い浴場などは王侯貴族の特権であり、庶民が利用できるのは狭いバスタブのみであるからだ。
この時代、広い浴場というのはそれだけで貴族や金持ちの象徴とされた。

なので天然の温泉が湧き出た場所の周りでは、そのような広い湯に憧れて訪れる人々をもてなすための施設が存在し、一大歓楽街などが築かれている筈なのだがここに関しては例外であるらしい。

母娘の行く手を阻んだのは槍を持った緑色の二体の子鬼であった。
この世において、ゴブリンと称される魔物である。彼らは醜い容姿に人間と同等の知能、そして野蛮性を持つ怪物である。
その二体の魔物は何を思ったのか、槍を突き付け、二人を脅す。

「おいテメェ、ここを通りたけりゃあ、通行料を払いな」

「通行料?」

アイリーンは表情を変える事なく尋ねた。

「あぁ、ここから先はオレたちの縄張りだからなぁ。通りたけりゃあ金がいるんだ。わかったんならそれを寄越しな。でないと命の保証は出来ねぇぞ」

普通ならその言葉を聞いて憤るか、恐怖し、慌てて来た道を引き返す筈である。だがアイリーンはどちらの感情にも心を支配される事なく、黙って懐から二枚の王国銀貨をゴブリンへと手渡す。
ゴブリンたちは予想外の大金に目を丸くしていた。そのため上機嫌な様子で、母娘を先へと通した。

他の街とは異なり、呼び込みの声や人々の雑踏などはどこからも聞こえてこない。
妙に思ったアイリーンが乳母車を押しながら街を探索していると、一人の男が家の壁の前で突っ伏して泣いていた。

「どうかなされたのですか?」

アイリーンは堪らずに声を掛けたのだが、男は何も言わずに泣き続けるばかりである。
構わずにもう一度尋ねると今度は矢のように鋭い目でアイリーンを睨んで、

「うるせぇ!余計なお世話だ!」

と彼女を突き飛ばそうと手を伸ばす。
アイリーンはそれを躱すと男に負けず劣らずの強い目で睨みながら三度同じ事を尋ねる。
普段は魔物を相手にする人物の目はやはり、凄まじいらしい。
男は蛇に睨まれた蛙のように全身を震わせ、縮こませながら気まずそうに目を泳がせていた。
だがやがて、その重い口を開く。

「オレの恋人がゴブリンの奴らに攫われちまったんだ。こうなりゃあ、泣くしかないだろ?」

「成る程、心中お察しします」

アイリーンは丁寧に頭を下げた。

「けっ、通り掛かりのあんたなんかにそんな事を言われても、嬉しくもなんともねぇや」

「では、私があなたの住む街にいるゴブリンたちを一掃すると申せば、どうでしょうか?」

その一言を聞き、男はそれまでの青ざめた顔を一変させ修羅のような顔を浮かべた後に慌てて口元に人差し指を当てながらアイリーンの元へと迫っていく。

「しっ、妙な事を言うもんじゃあねぇや。あいつらに聞かれたら何をされるか……」

と男は慌てて辺りにゴブリンが居ないかを確認した。
男は大きく溜息を吐いてから、アイリーンに不器用ながらも笑顔を作って、

「いねぇみたいだ。あんた、ゴブリンの街を去るのなら、そのまま真っ直ぐに行けばいい……きっと、帰り際にまた金を払わされるだろうが、命を取られるよりはマシだろうぜ」

男がその場から去ろうとすると、突如閉まっていたはずの扉が開き、槍やら剣やらを携えたゴブリンの姿が見えた。
その数は二体。どちらも邪悪そうな顔をしており、その醜悪な顔で舌なめずりした。

「おいおい、テメェおれたちの耳が節穴だと思ったのか?たかだか人間の分際でおれたちの悪口を吐いていやがったな?本当に腹の立つやつだぜ」

「そこのあんたもだ。よりにもよっておれたちを倒すだと?面白い、やってみろよ。ほれ、ほれ」

ゴブリンは粗末な麻の服の胸元を開くと、自らの人差し指で胸を指した。
そこを攻撃してみろという挑発である。
大方、先程の会話は建物から盗み聞きされていたのだろう。
ゴブリンは醜悪な笑みを浮かべたままアイリーンへと近付き、彼女の顎をもったかと思うとそのまま自身の顔を近付けていく。

「へっ、こりゃあ上玉だぜ。うちのお頭に献上すりゃあ、おれたちにもご褒美がもらえるかもしれねぇや」

「そりゃあいいや。金貨の一枚くらいは貰えるかな?よし、そうと決まりゃあ、おれたちについて来な」

聞いていて気分の良い会話ではないが、ゴブリンどもが街を支配されている以上、聞き過ごすしかない。
アイリーンは本当の感情を隠し、首を縦に動かす。それから、言われるがまま二体のゴブリンの先導で乳母車を押して歩いていく。
時たまに乳母車の中の娘に対し、下衆な笑顔を見せるゴブリンを相手にしてもアイリーンは眉一つ動かしはしない。

美人の女性が何を言っても反応しないため調子がよくなったのか、この二体のゴブリンは上機嫌で笑い声を上げていく。
今この瞬間しか聞けまい。アイリーンは何気ない調子を装って尋ねた。

「私はこの通りついて行きました。あの人は助けてあげてくれませんか?」

その問いに対し二体のゴブリンは顔を見合わせたが、すぐに下衆な笑顔を浮かべ薬で染めたような紫色の舌を出しながら答えた。

「へへっ、勿論さ。おれたちゴブリンは、約束を守る事に定評があるからな」

「だがな、単に付いてくるだけじゃあ無理だな」

「……それはどういう意味でしょうか?」

「あんたのその腰に下げているものもおれたちに預けな。見たところいい剣だからな。あんたと一緒にお頭に献上するのさ」

アイリーンは無言のまま腰に下げている剣を持ち上げると、そのままそれを片方のゴブリンへと手渡す。
ゴブリンたちは一時立ち止まって剣を鞘から抜き、剣身がキラリと光るのを見て両者とも不気味に笑う。

「ヘヘっ、予想通りいい剣だな」

「おうよ、この剣だけでも高値で売れそうだ」

二体の会話を横で聞いているだけでアイリーンはうんざりとした気分になったのだが、そのうちの片方が石造りで二階建ての建物を指差した事により、そこが終着点である事をアイリーンは理解した。
建物の形から察するに、元々この街の宿屋であったのだろう。

この街に居座るゴブリンたちが本来とは目的とは別の目的で使用しているのだろう。
アイリーンがそんな事を考えていると、突如背後から強い力を感じた。そのせいでバランスを崩しかけた。
彼女は慌てて踏みとどまり、自らの両手から離れんとする乳母車を必死に抑えた。

背後ではニヤニヤと陰湿な笑みを浮かべるゴブリンたち。
状況から察するにこの二体が体を押したに違いない。
アイリーンは殺意をひた隠しにしながらも、乳母車を入り口に置くと自ら娘を両腕に抱えて建物に入っていった。
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