水滸拾遺伝~飛燕の脚 青龍の眼~

天 蒸籠

文字の大きさ
上 下
66 / 75
第二部 第四章

渭南県鄭城・南岳衡山・二仙山(二)

しおりを挟む
「……ってなことがあってよ。鄭の町は大騒ぎだと。もう何百人食い殺されたかわからねぇと」
「なんでぇだらしねぇな道士さまもよぉ。化け物退治が仕事だろうに。じれってぇなどうも」
「いや、それはちと酷だろ。渭南の衛兵もみんなやられちまったっていうぜ」
「だったら道士でも兵隊でもどんどん送り込んでやっつけりゃいいのによ。当てにならねえな役人も兵隊もよぉ。」

「全くだ。そんな化け物が出てくるってこたあ、この国も長くはねぇなあ。今のおかみになってからこのかた、ろくなことがありゃしねぇ。変わってくんねえかな」
「おう、それより俺たちも武器を買っておいた方が良くねぇか? 兵隊は当てにならねえし、自衛しねえと」
「いや、それがよ。どこの武器屋にも鍛冶屋にも、槍だろうが剣だろうが全部売り切れちまってるらしいぜ。竹槍でも作るか? 」
 
 文字通り千里(500km)以上離れたここ国都東京開封府の町中にまで、檮杌の噂は広まり、口さがない庶民の間でどんどん盛られ、さらには朝廷批判、政府批判、軍隊批判へとつながっていった。

 その裏では、例の元天長観道士たちの命を受けた、工作員たちによる情報操作デマゴーグが行われていた。いつの間にか話は大きくふくらみ、「渭南県の住民は皆食い殺されて無人状態」だの「県の兵隊は全滅」だの「役人が住民を捨てて真っ先に逃げ出した」だの、あることないことが次々広まり、同時に政情不安も強まっていった。

 もちろん禁裏にも、諜報機関たる皇城司こうじょうしから、鄭を荒らす檮杌と、封印に向かった龍虎山道士の敗北についての情報は入っていた。あわせて市井に広まる噂や朝廷批判の声も伝わっていた。

 古来より中国では、善政がしかれれば麒麟などの聖獣が現れるし、悪政ならば魔物悪霊が跋扈ばっこするとされている。ましてや古来よりずっと現れなかった「四凶」が今現れたということは、とりもなおさず今上皇帝に「徳がない」ということになるのだ。

 ただでさえ梁山泊の力を借りてまで、やっと田虎や方臘の反乱を抑え込んだばかりである。このうえそんな魔物を放置していてはますます朝廷の権威が下がり、別の反乱が起こりかねない。ゆえにここは威信にかけても、檮杌を押さえ込まねばならない。

 知らせを受けた時の皇城司長官、徐苞じょほうは、蔡京の息子である宰相末席の蔡攸さいゆうに相談のうえ、各方面に指令を出した。

 まずは渭南県の東、約600里(300km)離れた宋国四京のひとつ西京河南府さいけいかなんふ内の衛兵50人に動員をかけた。

 もうひとつは龍虎山。張継先に次ぐ実力者である王道堅が破れた以上、天師直々の出馬を乞うしかない。とはいえ、今上皇帝徽宗の覚えめでたい張天師である。こちらは勅命を出さざるを得ない。蔡攸を通じて勅令をいただき、龍虎山へ急使を送った。 

 ただし、勅令をいただいたとはいえ、徽宗が明確に事態を把握していたわけではない。中国においては、昔も今も都合の悪い内容は最高統治者にきちんと伝わらないものである。

 徽宗には「少々厄介な妖物が現れまして、張天師直々でないと退治が難しいかと。いえいえ、お上が悩まれるほどのものではございません。どうかお任せください」などとしか伝わらないし、徽宗にしても「左様か、良きに計らえ」と鷹揚なものである。

 この徽宗の無責任さが、後に宋国に大いなる悲劇をもたらすことになろうとは、この段階では知るべくもないことではあるが。

 龍虎山では既に、縮地法を使って戻ってきた王道堅から子細を聞き取った張継先が、亡くなった弟子たちの慰霊の祭を執りおこなっていた。

 行方知れず16人、おそらく檮杌に食われてしまったのだろう、再度城隍神廟の偵察に行ったときには、識別できるような死体は残っておらず、あちらこちらに食い散らかされた骨と大きな血溜まりがあるばかり。

 五体満足なのは王道堅のみで、命のあった4人も、ある者は片腕を失い、ある者は顔面の皮を剥がれ、ほぼ再起不能になってしまった。いずれも術士としては中堅以上の道士たちである。龍虎山の重要な戦力が一挙に、そして大量に削がれてしまった。

(やはり最初から私がいくべきであったか……)
 張天師としては痛恨の極みである。とはいえ、近々羽化登仙したいという気持ちが日に日につのる身としては、自分がいなくても弟子たちだけでやっていける見通しをつけたかったのも確かなのだ。

 黄袍こうほうに身を包み、長い線香を林のように立て、金紙銀紙の紙銭を次々に焚き上げながら、張天師は一心に弟子たちの供養をおこなった。

 と同時に、
(千年以上誰も手をつけなかった五岳の封印を、わざわざ破って四凶を解き放とうと企てたのはいったいどこのどいつなのだろう)
 と訝しがっていた。

(いまごろそいつがどこかで、うまくいったわいとほくそ笑んでいるかと思うと虫唾が走るわ)
 普段温厚で知られる張天師のこめかみに、知らず知らず青筋が立っていた。ちょうどその頃。
 

 (うまくいったわい)
 長江と漢江の交わるところ、鄂州がくしゅう武昌ぶしょう(今の武漢)の街中、とある大店おおだなの一室に、元天長観の道士たちがずらりと並んで立っている。その後ろには趙壮ちょうそうを先頭に、戦袍と甲冑に身を包んだ偉丈夫たち。

 彼らの眼前、一段高くなった台上の椅子に腰掛けた、大人たいじん風に黒絹の服を着込んだ男が、渭南県の様子と東亰開封府の噂を聞きそっとほくそ笑んだ。

 男の名は黄熊こうゆうという。
 密かに「疣関公ようかんこう」と綽名あだなされる大商人である。

 年の頃なら60くらい。脂ぎった赤ら顔のあちこちにいぼがあり、細めた目は油断なく光り、腹まで届くほどの長い顎髭を蓄えた様は、綽名の通り関帝もかくや、と思わせる迫力がある。

 身の丈6尺あまり。みっしりとした肉付きで、例えるならば分厚い筋肉の上に均等に肉が付いた、力士のごとき威風堂々とした体格の持ち主だ。。

 元々は、細々と燕京で武具馬具を取り扱う、小さな鍛冶屋兼商店の跡取りだった。

 燕京のみならず燕雲十六州は、遼国にとられ、金国に取り返され、近年やっと宋国に返還されるという、めまぐるしくそのあるじを変えた地域である。

 黄熊はその混乱の中、遼軍にも金軍にも、そして宋軍にも言葉巧みに入り込んだ。そしてうち続く戦乱の中、武器も馬具も飛ぶように売れ、さらに食料や闇塩をも商うようになり、ここ何十年かのうちに戦太いくさぶとりで一代の財をなした。

 有り余る財力と伝手つてを活かし、自前で私兵を雇って鏢局ひょうきょく(護衛団体)も立ち上げている。その鏢局で一番の腕利きが、西岳崋山で大暴れした趙壮ちょうそうである。 

 礼山道人らが燕京で路頭に迷っていたところを救い、宋軍に恨みを持つ彼らを、自分に忠誠を誓う手下にした。
 
 金軍のネメガ将軍に渡りをつけ、四凶の魔物の封印を解かせるよう働きかけたのも彼である。

 戦乱、混乱が続くほど、武器も甲冑も売れる。田虎や方臘らの乱も、黄熊にとってはまさに「書き入れ時」だった。黄熊のような武器商人にとって、最も忌むべきは「平和」な世の中なのである。

 現在本拠を置いているこの武昌で製造している武器防具馬具の類いは、宋国禁軍の御用達であるが、本拠のあった燕京でも引き続き製造していて、これらは金軍へ流されている。戦乱が続く限り、黄熊の金蔵かねぐらは潤い続けることになるわけだ。

「南岳衡山の饕餮とうてつの解放には、いつ取りかかりましょうか」
 礼山道人の問いかけに、黄熊の分厚い唇が薄く開いた。
「まぁそう慌てるな、檮杌が退治されてから考えれば良いことだ。それよりどんどん武器を作らせろ。質が落ちてもかまわん。化け物の噂をひろめるのも忘れるなよ」
「御意」 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...