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第二部 第二章
康永金夢楼・金軍軍幕内・西岳華山(四)
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明かりを消し音もなく近づき、門から五丈(15m)ほど手前の岩陰に身を潜めた黒衣の一団の中から、1人の男がぬうっと頭をもたげた。長い髪をひとまとめにし、立ち上がった黒づくめの男は、両手にそれぞれ重さ十五斤(9㎏)はあろうかという極太の鉄鞭を握りしめ、無造作に見張りの道士たちに近づいていく。
「止まれ! 何者だ!」
気づいた道士たちが誰何をかけた。だが男はひるむ様子も見せず無言で近づき、篝火の光の中に、全真黒づくめの巨体をさらした。見上げんばかりの大男を前に、道士たちは一瞬ひるんだが、慌てて槍を構えなおし、素早く突きかかった。
男は軽く「ふん」と鼻を鳴らし、突きかかった槍を片手の鉄鞭で払うと、槍は簡単にへし折れ穂先はあらぬ方に飛んでしまう。唖然とした道士の頭を、もう片手の鉄鞭が襲い、「ぐしゃり」と音を立て頭蓋骨が真っ二つに割れた。血飛沫と脳漿が飛び散る中、男は無造作に次の道士に向かっていく。
鉄鞭とは、何のことはない金属の棒である。ところどころに竹の節のように丸く輪のような突起がある2尺(60センチ)ほどの鉄棒だが、この男の鉄鞭の長さは3尺以上、太さも人の腕ほどはあるだろう。それを竹棒のように軽々と振る男の腕力は、とても人間業とは思われない。
物音を聞きつけ、門の中から4人の道士が飛び出してきた。頭を粉砕された2人の門番の姿と、のっそりと両手に鉄鞭を持って立つ巨漢の姿を見、すぐに異常を感じとった道士たちは、すかさず仙術で攻撃にかかる。掌を上に向け、火性の気を放とうとし咒文の詠唱に入った。
「震下離上! 火雷噬嗑! 」
詠唱ののち、4人の道士たちの掌の上に、火性の気をまとった直径一尺ほどの「火雷」が発現した。
道士たちはすかさず「火雷」を、巨漢に向けて放とうとした。だが巨漢は、そんな暇を与えてはくれなかった。放つべき相手の姿を眼で追ったとき、もうすでにその相手は双鞭を振りかざし、道士たちのすぐ眼前に立っていたのである。
戦いは非常に単純なものになった。恐慌に陥り、慌てて放つ「火雷」が当たろうはずはなかった。男の振るう鉄鞭は、技も何もあったものではないが、その早く重たい一撃で、さらに2人の道士が頭を潰され絶命させられた。
それを見た最後の2人は、危険を察知し大きく飛び退いて距離をとった。そして四丈(12m)ほどの距離から、双鞭の巨漢めがけて「火雷」を放つことに成功した。
(よし、当たった!)
一瞬喜んだ2人の道士だが、すぐにその表情は驚愕に変わった。
確かに命中した。だが、なぜか巨漢は小揺るぎもせずに近づいてくるではないか。男は道士たちのすぐ目前まで来て顔を近づけ告げた。
「無駄。俺の性、火」
それを聞き、2人の道士は絶望の表情を浮かべ、その場にへたり込んでしまった。
人にもそれぞれ五行の性質があり、この巨漢は火の性質だったのだ。火の性に「火雷」を当てても、吸収されるだけなのである。少なくとも道士たちは、それぞれ別の性質の「雷」を放つべきであった。そうすれば、どの性の「雷」が有効かすぐに分かったはずである。
だが、警護に当たっていた道士たちは、平穏な毎日にすっかり慣れてしまい、実戦の勘をすっかり忘れてしまっていて、慌てて4人が4人とも「火雷」をはなってしまったのである。
確かに、一般的に攻撃において「火雷」の効果は他の4つの「雷」より高い。だが「火性」を持つこの巨漢の場合、「火雷」だと吸収され、「木雷」だと「木生火」で、さらに力を与えることになってしまう。
相手の性質がわからない時、複数で放つならば「相克」の関係の「雷」を放つのが基本である。そうすれば必ずどちらかは相手に損害を与えられることになる。だがすぐに別の性の気を錬って放つ時間はなかった。絶体絶命である。
「趙壮どの! そいつらは生かしてくだされ! 供物にするので」
礼山道人の声が飛んだ。
鉄鞭の男はうなづき、腰を抜かしてすっかり戦意喪失した生き残りの2人に近づいていく。
「立つ」
趙壮の、全く感情のこもらない声に、弾けるように慌ててその場に立った2人の道士。趙壮は2人の顔をかわるがわる見つめた後、両手の鉄鞭を広げ、ひゅんと交差させて振った。
めきっ、と乾いた音を立てて、2人の道士の脛の骨がありえない方向に曲がった。道士たちはずしりとその場に膝から落ち、一瞬の静寂ののち、この世のものとは思われない叫び声をあげた。血塗れの脛の骨が肉を突き破り、篝火の中で白々と光っている。
すべての見張りが倒されたのを確認し、岩陰から残りの7人の男がぞろぞろと出てきた。
礼山道人を先頭に、静かに鐘厳宮の中へと入っていった。外から想像するよりは、遙かに建物の中は五丈(15m)ほども奥行きがあり、中央に線香の刺さった香盆、左右に灯明と供物の乗った祭壇がある。そのさらに奥には、平らに削られた石床の上に八卦陣、そしてその中央には西方を司る「白虎」の石像。
石像の背中には、いつのものかわからぬほど古い神代文字の彫り込まれた碑が乗っている。礼山道人をはじめ、湖亮道士、盛隗道士、さらに4人の道士が八卦陣の周囲に立ち並び、一斉に咒文を唱えだした。高く低く響く声明に呼応するかのように、八卦陣が光を帯びはじめ、やがて一瞬まばゆく輝いたかと思うと、彫り込まれたはずの文様が消え去っていた。
「好。趙壮どの、石碑をどけてくれるか」
盛隗道士の呼びかけに、趙壮は
「了」
と一言答え、白虎の背に乗った石碑に手を掛け、力一杯押し始めた。
すぐには何も起きなかったが、趙壮のこめかみに青筋がたち、筋肉が盛り上がり前腕に太い血管が浮き出てややしばし。
みり、みり、という音が聞こえ、玄武の下の石床にひびが入り始めた。ぐらぐらと揺れはじめ、とうとうめきめき、ばりばりと白虎の脚が浮き、ずどうと音を立てて白虎ごと石碑が倒れたのである
そこに直径二丈(6m)ほどの大穴があいていた。深さはどれくらいあるか見当もつかない。明かりを差し出しても深淵の暗闇があるばかり。この中に檮杌が封じられているらしい。
「どうやらまだ眠っているようだな。供物を捧げてみよ。まずは表の死体を」
礼山道人の言葉に首肯した男たちは、鐘厳宮の外に点在する、頭蓋骨をまっぷたつに割られたり、頭を胴体にめりこませた見張りの道士の死体を、次々に大穴に放り込んだ。
遙か下方で死体が落ちた音がかすかに聞こえたが、しばらく待っても何も起きない。
「やはり生きた供物でなければ目覚めぬか。そこのふたりを放り込め! 」
開放骨折の痛みに泣き叫んでいた道士たちは、その言葉を聞いて必死に叩頭し哀願するが、趙壮がふたりの襟首をつかんで持ち上げ、いちどに大穴に放り込む。落ちていくふたりの悲鳴が尾を引くように響き、やがて聞こえなくなった。
「これでよかろう、巻き添えを食わぬよう一度外に出て隠形術を使うぞ」
8人は門の横に集まり、趙壮以外の7人が咒文を唱え隠形結界を張った。
「坤、元亨。利牝馬之貞。君子有攸往、先迷、後得主。利西南朋得。東北喪朋。安貞吉。象曰、至哉坤元、萬物資生。乃順承天。坤厚載物、徳合无疆、含弘光大、品物咸亨……」
隠形結界を張り終わってややしばし。がりがり、くちゃくちゃという咀嚼音がわずかに聞こえた。そしてその音が消えたあとには、虎のような、猪のような気味の悪い咆吼が聞こえ、続いてごうごうと地鳴りがしだした。地鳴りの音は地の底からどんどん地表に近づき、ものすごい叫び声とともに大穴から飛び出してきた。
「神異経」に曰く、
「西方の荒地に獣がいる。形は虎に似ており、長さ二尺の犬の様な毛が生えており、人の顔、虎の足、豚の歯を持ち、尾の長さは一丈八尺あり、荒野の中を撹乱している。その名を檮杌という」
尾の長さだけでも一丈八尺(5,4m)ある。体と合わせると全長四丈(12m)近い巨体、さらに凶暴な戦闘狂で、怖いものなしの傲慢な魔獣だという。それが世に解き放たれたのだ。
その檮杌が、地鳴りとともに穴から飛び出し、隠形術で姿を消した8人の横を駆け抜け鐘厳宮を飛び出し、あっという間に断崖絶壁を駆けおりて江湖へと姿を消していった。 この後、いったい人々にどれだけの災いを与えることだろうか。
「よし、ではいちど武昌に戻ることとする」
檮杌の姿を見送り、礼山道人の言葉にうなづいた一同は、ゆっくりと山を下っていった。
「止まれ! 何者だ!」
気づいた道士たちが誰何をかけた。だが男はひるむ様子も見せず無言で近づき、篝火の光の中に、全真黒づくめの巨体をさらした。見上げんばかりの大男を前に、道士たちは一瞬ひるんだが、慌てて槍を構えなおし、素早く突きかかった。
男は軽く「ふん」と鼻を鳴らし、突きかかった槍を片手の鉄鞭で払うと、槍は簡単にへし折れ穂先はあらぬ方に飛んでしまう。唖然とした道士の頭を、もう片手の鉄鞭が襲い、「ぐしゃり」と音を立て頭蓋骨が真っ二つに割れた。血飛沫と脳漿が飛び散る中、男は無造作に次の道士に向かっていく。
鉄鞭とは、何のことはない金属の棒である。ところどころに竹の節のように丸く輪のような突起がある2尺(60センチ)ほどの鉄棒だが、この男の鉄鞭の長さは3尺以上、太さも人の腕ほどはあるだろう。それを竹棒のように軽々と振る男の腕力は、とても人間業とは思われない。
物音を聞きつけ、門の中から4人の道士が飛び出してきた。頭を粉砕された2人の門番の姿と、のっそりと両手に鉄鞭を持って立つ巨漢の姿を見、すぐに異常を感じとった道士たちは、すかさず仙術で攻撃にかかる。掌を上に向け、火性の気を放とうとし咒文の詠唱に入った。
「震下離上! 火雷噬嗑! 」
詠唱ののち、4人の道士たちの掌の上に、火性の気をまとった直径一尺ほどの「火雷」が発現した。
道士たちはすかさず「火雷」を、巨漢に向けて放とうとした。だが巨漢は、そんな暇を与えてはくれなかった。放つべき相手の姿を眼で追ったとき、もうすでにその相手は双鞭を振りかざし、道士たちのすぐ眼前に立っていたのである。
戦いは非常に単純なものになった。恐慌に陥り、慌てて放つ「火雷」が当たろうはずはなかった。男の振るう鉄鞭は、技も何もあったものではないが、その早く重たい一撃で、さらに2人の道士が頭を潰され絶命させられた。
それを見た最後の2人は、危険を察知し大きく飛び退いて距離をとった。そして四丈(12m)ほどの距離から、双鞭の巨漢めがけて「火雷」を放つことに成功した。
(よし、当たった!)
一瞬喜んだ2人の道士だが、すぐにその表情は驚愕に変わった。
確かに命中した。だが、なぜか巨漢は小揺るぎもせずに近づいてくるではないか。男は道士たちのすぐ目前まで来て顔を近づけ告げた。
「無駄。俺の性、火」
それを聞き、2人の道士は絶望の表情を浮かべ、その場にへたり込んでしまった。
人にもそれぞれ五行の性質があり、この巨漢は火の性質だったのだ。火の性に「火雷」を当てても、吸収されるだけなのである。少なくとも道士たちは、それぞれ別の性質の「雷」を放つべきであった。そうすれば、どの性の「雷」が有効かすぐに分かったはずである。
だが、警護に当たっていた道士たちは、平穏な毎日にすっかり慣れてしまい、実戦の勘をすっかり忘れてしまっていて、慌てて4人が4人とも「火雷」をはなってしまったのである。
確かに、一般的に攻撃において「火雷」の効果は他の4つの「雷」より高い。だが「火性」を持つこの巨漢の場合、「火雷」だと吸収され、「木雷」だと「木生火」で、さらに力を与えることになってしまう。
相手の性質がわからない時、複数で放つならば「相克」の関係の「雷」を放つのが基本である。そうすれば必ずどちらかは相手に損害を与えられることになる。だがすぐに別の性の気を錬って放つ時間はなかった。絶体絶命である。
「趙壮どの! そいつらは生かしてくだされ! 供物にするので」
礼山道人の声が飛んだ。
鉄鞭の男はうなづき、腰を抜かしてすっかり戦意喪失した生き残りの2人に近づいていく。
「立つ」
趙壮の、全く感情のこもらない声に、弾けるように慌ててその場に立った2人の道士。趙壮は2人の顔をかわるがわる見つめた後、両手の鉄鞭を広げ、ひゅんと交差させて振った。
めきっ、と乾いた音を立てて、2人の道士の脛の骨がありえない方向に曲がった。道士たちはずしりとその場に膝から落ち、一瞬の静寂ののち、この世のものとは思われない叫び声をあげた。血塗れの脛の骨が肉を突き破り、篝火の中で白々と光っている。
すべての見張りが倒されたのを確認し、岩陰から残りの7人の男がぞろぞろと出てきた。
礼山道人を先頭に、静かに鐘厳宮の中へと入っていった。外から想像するよりは、遙かに建物の中は五丈(15m)ほども奥行きがあり、中央に線香の刺さった香盆、左右に灯明と供物の乗った祭壇がある。そのさらに奥には、平らに削られた石床の上に八卦陣、そしてその中央には西方を司る「白虎」の石像。
石像の背中には、いつのものかわからぬほど古い神代文字の彫り込まれた碑が乗っている。礼山道人をはじめ、湖亮道士、盛隗道士、さらに4人の道士が八卦陣の周囲に立ち並び、一斉に咒文を唱えだした。高く低く響く声明に呼応するかのように、八卦陣が光を帯びはじめ、やがて一瞬まばゆく輝いたかと思うと、彫り込まれたはずの文様が消え去っていた。
「好。趙壮どの、石碑をどけてくれるか」
盛隗道士の呼びかけに、趙壮は
「了」
と一言答え、白虎の背に乗った石碑に手を掛け、力一杯押し始めた。
すぐには何も起きなかったが、趙壮のこめかみに青筋がたち、筋肉が盛り上がり前腕に太い血管が浮き出てややしばし。
みり、みり、という音が聞こえ、玄武の下の石床にひびが入り始めた。ぐらぐらと揺れはじめ、とうとうめきめき、ばりばりと白虎の脚が浮き、ずどうと音を立てて白虎ごと石碑が倒れたのである
そこに直径二丈(6m)ほどの大穴があいていた。深さはどれくらいあるか見当もつかない。明かりを差し出しても深淵の暗闇があるばかり。この中に檮杌が封じられているらしい。
「どうやらまだ眠っているようだな。供物を捧げてみよ。まずは表の死体を」
礼山道人の言葉に首肯した男たちは、鐘厳宮の外に点在する、頭蓋骨をまっぷたつに割られたり、頭を胴体にめりこませた見張りの道士の死体を、次々に大穴に放り込んだ。
遙か下方で死体が落ちた音がかすかに聞こえたが、しばらく待っても何も起きない。
「やはり生きた供物でなければ目覚めぬか。そこのふたりを放り込め! 」
開放骨折の痛みに泣き叫んでいた道士たちは、その言葉を聞いて必死に叩頭し哀願するが、趙壮がふたりの襟首をつかんで持ち上げ、いちどに大穴に放り込む。落ちていくふたりの悲鳴が尾を引くように響き、やがて聞こえなくなった。
「これでよかろう、巻き添えを食わぬよう一度外に出て隠形術を使うぞ」
8人は門の横に集まり、趙壮以外の7人が咒文を唱え隠形結界を張った。
「坤、元亨。利牝馬之貞。君子有攸往、先迷、後得主。利西南朋得。東北喪朋。安貞吉。象曰、至哉坤元、萬物資生。乃順承天。坤厚載物、徳合无疆、含弘光大、品物咸亨……」
隠形結界を張り終わってややしばし。がりがり、くちゃくちゃという咀嚼音がわずかに聞こえた。そしてその音が消えたあとには、虎のような、猪のような気味の悪い咆吼が聞こえ、続いてごうごうと地鳴りがしだした。地鳴りの音は地の底からどんどん地表に近づき、ものすごい叫び声とともに大穴から飛び出してきた。
「神異経」に曰く、
「西方の荒地に獣がいる。形は虎に似ており、長さ二尺の犬の様な毛が生えており、人の顔、虎の足、豚の歯を持ち、尾の長さは一丈八尺あり、荒野の中を撹乱している。その名を檮杌という」
尾の長さだけでも一丈八尺(5,4m)ある。体と合わせると全長四丈(12m)近い巨体、さらに凶暴な戦闘狂で、怖いものなしの傲慢な魔獣だという。それが世に解き放たれたのだ。
その檮杌が、地鳴りとともに穴から飛び出し、隠形術で姿を消した8人の横を駆け抜け鐘厳宮を飛び出し、あっという間に断崖絶壁を駆けおりて江湖へと姿を消していった。 この後、いったい人々にどれだけの災いを与えることだろうか。
「よし、ではいちど武昌に戻ることとする」
檮杌の姿を見送り、礼山道人の言葉にうなづいた一同は、ゆっくりと山を下っていった。
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