上 下
50 / 75
第二部 第一章

二仙山~篭山炭鉱(六)

しおりを挟む
   己五尾によれば……
 兵士のあとを追って狐姿で坑道に入った己五尾は、兵士たちの持つ松明たいまつの明かりがかろうじて見えるくらいの距離をとって尾行した。

 途中幾つもの分かれ道があったが、兵士たちはあまり左右の枝道を警戒せず、中央の太い本道をどんどん進んでいく。だが己五尾の鼻は、途中の枝道に残る獣臭けものしゅうを感じ取っていた。

(こやつら全然後ろの警戒をしていないが、挟撃はさみうちにされたらどうするつもりじゃろ? ) 
 己五尾の心配を余所よそに、兵士たちは無造作に奥へと進んでいく。坑道はどんどん深くなり、やがて身震いするような寒さになってきた。

 本来、多くの鉱夫が松明を灯して働いていれば、暑いぐらいのはずだが、もう2週間も人が入っていないのですっかり冷え切っているのだ。

「おい、これ以上は寒くてやってらんねぇぞ。引き返そうぜ」
「ああ、化け物はいなかったんだから仕方ねえよな。戻って一杯やろう」 

 兵士らはどうやら諦めて引き返すことになったらしく、話し声と明かりが戻ってきたので、己五尾は枝道に身を隠し様子をうかがうことにした。

 ところがそのあとすぐ、
「うあぁあなんだこいつは! 」

 叫び声に続いて明かりが目まぐるしく揺れ、金属が壁や床に当たる音が続いた。それとともに獣のうなり声や歯がみする音、兵士達が互いに掛け合う声が響いた。その合間には何故か赤子の泣くような甲高い声も聞こえてきた。

(あれが人を食う魔物か?! )
 己五尾は枝道から静かに抜けだし、明かりの方へと近づき、岩陰から覗くと、片手に松明を持ったまま、もう片手で刺叉や剣を振り回す兵士たちの間を、羊ほどの大きさの、4本足の何かが2匹、素早くすり抜けては兵士に噛みつき、蹴飛ばし、頭突きを喰らわしているのだ。

 狭い坑道の中では長柄ながえの武器は振り回しづらく、むしろふところに入られてしまい身動きが取れないでいる。さらに何度刺叉さすまたで殴りつけても、剣で切りつけても、体毛が邪魔で刃が通らないらしく血の一滴も流れない。

 手をこまねいているところに、己五尾のすぐ前の枝道からもう1匹、同じ魔物が飛び出してきて、兵士たちは挟撃きょうげきされる形になってしまった。すでに逃げ腰だった兵士は完全に恐慌に陥った。

 誰言うともなく退却することになったとみえ、入口に向け闇雲に武器を振り回し、大声を上げて逃げ出したのである。

 松明は投げ捨てられ、踏みにじられ、真っ暗闇になった坑道を兵士が走る。だが何も見えない中でつまづいて転び、そして噛みつかれる。

 そんなことがなんども繰り返され、闇の中に点々と兵士の食いちぎられた手足や臓物が散らばっている。

 そんな中どうやら4人だけは入口まで逃げのびたようだ。諦めて引き返してきた魔物を枝道から観察する己五尾。戻ってきた3匹が、あちこち散らばった兵士たちの体を、夢中になってごりごりくちゃくちゃと囓り始めたのを確認し、坑道を抜け出して宿に戻ってきたのである。

「で、どんな奴だったその化け物は?」
「そうさのお。わらわは夜目が利くとはいえ、なかなか動きが早かったから、しかと見られたわけではないが、まぁ妙ちくりんなけだものだったぞえ」

 羊のように毛深い体、大きさも羊くらい。だが顔は人間のようにのっぺりとしていて、それでいて目が無く、虎のような牙が生えていて、4本の足の指は人の手指のように長かった。顔に目が無いかわりに、なぜか前足の付け根、腋《わき》の下あたりに大きな目がついていたという。

「そして赤ん坊のような鳴き声……か。どうだふたりとも、思い当たる魔物はいるか? 」
 四娘と玉林は顔を見合わせた。

「どうなんだろ玉林、いくつか思い当たる魔物はいるんだけど」
「あたいは狍鴞ほうきょうじゃないか、と思うんだけどな?」
「なるほど、特徴は合うね」

 狍鴞ほうきょう……山海経さんがいきょうに曰く、「獣あり。その状は羊身。人面のごとく、その目は腋の下にあり。虎の歯、人の爪あり。その音は嬰児えいじのごとし。なづけて狍鴞ほうきょうという。これ人を食う。」という魔物である。

 実際に見てみぬことには確定できない。しかし暗くて狭い坑道の中での祓いとなると、慎重の上にも慎重を期さねばなるまい。

 幸いかつての猲狙かっしょとは違い、最初から実態を持っている魔物のようだ。それならば燕青にも戦いようがある。そんなことを話しているところへ、海東青かいとうせいらんが戻ってきて、空いた窓の縁に止まった。

「どうだい、鸞にもういち往復してもらって、二仙山に指示を仰ぐってのは?」
「だめっ!」
 ふたりが声を合わせて拒否した。

「せっかくあたいらだけに祓いの仕事が来たのに、何でもお伺いを立ててたらいつまでも独り立ちできないじゃん! 」
 玉林がふくれっ面で抗議する。

 なるほど。慎重になりすぎて、むしろ過保護になってたかもしれない。燕青は申し訳ないと思いつつ、このいたいけな少女ふたりの意外なたくましさを見た思いがした。

「小娘のわりにはあっぱれな気概きがいじゃのぉ、少し見直したぞえ」
 寝台に座り、扇子で顔をあおぎながら己五尾も艶やかに微笑んでみせた。そしてすぐに表情を引き締めて続けた。

「とはいえ、暗く狭い中での戦いはなかなかに厄介じゃぞ。わらわも、あと2本尻尾が復活すれば、せんだってそちたちと闘った形態になって手を貸せるのじゃがの」

「いや、こんだけ情報を集めてくれれば十分役に立った。何と言っても魔物の様子が分かったのは大きい。礼を言うぞ」
「礼なぞいらぬが、ご褒美に一晩のお情けをいただけないかのぉ、あるじさまよ」
「どさくさに紛れて何言ってんのよ、この助平狐! 」
 四娘に叱られてペロリと舌を出す己五尾。

 翌日早朝から祓いのための準備にとりかかった。足りないものは辛岱しんたい親方にお願いしたところ、快くそろえてくれた。

 四娘と玉林は道士の正装である濃紺の道服の上に、膝まである長羽織。羽織の内側には四娘は飛刀ひとうを、玉林は黄色の紙に丹砂たんさで様々な咒文を書きこんだ霊符と、草を編み込んで作った依代よりしろを隠してある。

 2人とも髪を小さくまとめて結い上げ、四娘は例によって5寸ほどの棒でかんざしのようにまとめ、玉林は赤い布でくるみ、黒の天鵞絨ビロードの半長靴を履いた。さらに四娘は西王母、東王父の雌雄の剣を背負い、玉林も短剣を腰に挿した。

   燕青は腹にさらしを締め、戦袍せんぽうの上から手甲てっこうだけをはめ、ひたい鉢金はちがねを巻きつけた。甲冑の防御力よりも、動きやすさを優先しての装備である。

 燕青から見ると、四娘や玉林の道服は非常に動きづらそうに見えるが、少女らに言わせると、仙術で一番大切な「気合」が違うのだという。

 燕青はさらに金創薬きずぐすりと止血用の布、消毒用の焼酎を入れた小瓶、瓢箪ひょうたんに入れた飲み水などをまとめて革袋に入れ、背中に背負った。

 短刀を帯に差し、さらに松明たいまつの束を持ち上げるのを見て四娘が
「松明なららないわよ。あたしたちの仙術で照らせるから」
 と言う。

 松明の火ぐらいで坑道の石炭に引火する可能性は低いが、火傷の心配もなくなり、松明を持つことで片手がふさがるのを避けられるのは非常に有利になる。

 ひと通りの準備が済み、一行は宿を出て坑口こうこうへと向かった。待ち受けていた辛岱親方や鉱夫たちが口々に激励や気遣いの言葉をかけてくれ、3人は軽く手を振って応えた。

「いいか、絶対無理すんなよ。甲冑つけた兵隊があれだけ食われたんだ。お前たちが逃げ帰ってきたって、誰も文句なんて言わないからな。絶対に死ぬなよ」

 辛岱親方は目に涙を浮かべんばかりである。
 四娘と玉林は、顔を見合わせてから親方に向け親指を立て、
「任せといて!」
 と笑顔で一言。

 そして3人(と後から1匹)は、篭山炭鉱の坑道へと姿を消したのである。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

安政ノ音 ANSEI NOTE

夢酔藤山
歴史・時代
温故知新。 安政の世を知り令和の現世をさとる物差しとして、一筆啓上。 令和とよく似た時代、幕末、安政。 疫病に不景気に世情不穏に政治のトップが暗殺。 そして震災の陰におびえる人々。 この時代から何を学べるか。狂乱する群衆の一人になって、楽しんで欲しい……! オムニバスで描く安政年間の狂喜乱舞な人間模様は、いまの、明日の令和の姿かもしれない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

処理中です...