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第二部 第一章
二仙山~篭山炭鉱(四)
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次の朝、燕青は近寄ってきた白兎馬の鼻息で目が覚めた。辺りはすっかり明るくなり、朝食の準備にかかるにはちょうどよい時間である。とんでもない寝相で絡まっている四娘と玉林をたたき起こし、野菜を刻ませ朝粥を作りにかかったのだが、どうも様子かおかしい。
昨夜自分達を追い出した宋国の兵士たちは、宿の部屋で遅くまで騒いでいたのだが、もう起き出してもいいような時間なのに、物音ひとつしない。よっぽど深く眠っているものか。
粥ができあがったころ、己五尾がひょっこり顔を出した。己五尾にも粥を振る舞い、白兎馬に飼葉を与え、馬小屋の屋根に止まっていた海東青の鸞に、こぶし大の肉片を放ってやり、出発の準備が整っても、まだ宿屋は静まりかえっている。
「兵隊ってのはずいぶんのんびりしてるんだね。良いご身分だこと」
「こんなに朝寝ができるんなら、あたいも兵隊になりたいもんだわ」
などと毒づくふたりを横目に、白兎馬に鞍をつけながら足元をふと見た燕青はどきっとした。
足元に座り前足を舐めている己五尾の、2本だった尻尾が3本に増えているではないか。それを見て燕青、はたと思い当たった。
「己五尾、お前まさか昨夜あの兵隊たちの所に? 」
「さて、なんのことでおじゃるかな? 」
すっとぼけて横を向く子狐である。が、その子狐姿自体も明らかに昨夜よりふた周りほど大きくなっていて、既に成体に近くなっているのだ。
「……おい、確かにあの兵隊たちは腹が立つ奴らだが、殺していないだろうな」
「さぁて、精力盛りの兵隊が15人もいたから、妾も精気を頂き放題じゃったわ。おそらく今日いちにちは腰も立たぬほど疲れておるじゃろうが、まあ明日には動けるじゃろうて」
くすくす笑っている。それを聞いて四娘と玉林は、己五尾にむけて親指を立て、「好!」と爆笑した。
「お前なあ……ところでその尻尾は?」
「一気に大量の精気を吸い取れたおかげで、3本目の尾が復活したのじゃ。かなり力が戻ったから、おそらく人の姿になっても淫気を抑えられるはずじゃが」
ものは試し、とひょいととんぼ返りをうち、絵姿の中の妖艶な美女に変化してみたが、確かに燕青は、普通一般に感じる色気は感じても、淫らな気持ちのなることはなかった。
話には聞いていたが、玉林は人の姿の己五尾を見るのは初めてなので、その妖しい美貌にぽかんと口を開けて見とれている。
「うーん、これなら一緒に旅をすることもできようが、これはこれで面倒ごとが増えそうだな。とりあえず狐姿でついてきてもらおう。俺が言うまで人の姿になるのは控えてくれ」
己五尾は、せっかく堂々と人形に成れたのに、と不服そうな顔つきで軽く燕青を睨む。
その表情がまた凄まじく魅惑的であり、目撃した四娘と玉林は
(……いつか真似しよう)
と心に誓ったのだ。
またひょいと狐姿に戻ったのを見届け、一行は簡元の町、篭山炭鉱をめざし出発した。街道はやがて登り坂になり、全身じっとりと汗ばむころ、やっと簡元の町はずれの林にさしかかった。
すでに秋だが、残暑厳しい日であった。ふと気づくと木陰に半裸の男たちが輪になってたむろしている。まだ日も高いのに、真ん中に置かれた酒樽からてんでに焼酎を汲み出し、あるいは胡座をかき、あるいは寝そべり、思い思いの様子で飲んでいるのが見えた。
ぷんと香る焼酎の匂いに、喉の渇きを覚えた燕青は、思わず唾を飲み込んだ。
林の中の10人ほどの男たちは、少女ふたりの乗った白馬を引く、見慣れぬ美貌の若者を見つけ、何やらこちらを指さしながらひそひそ話をしている。
気づいた燕青は、素知らぬ顔で通り過ぎることもできたが、何を思ったか白兎馬を道の脇の木につなぎ、少女たちを下ろして単身男たちの円陣に近づいていった。
不審な目を向けてくる男たちに向かって一礼し、静かな声で話しかけた。
「お楽しみのところ申し訳ありません。篭山炭鉱の方々とお見受けしましたが、間違いありませんでしょうか? 」
その問いかけに、円陣の一番近くにいた男が向き直り、
「おう、確かに俺たちは篭山で働いているもんだが、おめぇは誰だ? どっから来やがった? 」
「恐れ入ります。私どもはこちらの辛岱様から依頼を受け、薊州は二仙山から参った者です。辛さまはここにおいででしょうか?」
聞いた男は、へぇ、と目を見開き後ろを向き、
「おい聞いたかよ親方、辛さまときたもんだ。あんたに客みたいだぜ」
その声に、酒樽のすぐそばにいた、上半身裸の小太りの男が大振りの白い椀を置いて立ち上がり、燕青の方に近づいてきた。
「ああ、だらしねぇ格好ですまねぇな。俺が依頼を出した辛岱だ。よく来てくれたな」
燕青は拱手して頭を下げ、
「辛親方でいらっしゃいますか。私は小乙と申します。こちらの炭鉱に何やら妖しい化け物が出て人を害しているので祓ってもらいたい、という依頼をいただいたので、道士ふたりを連れて参りましたが、間違いありませんかね?」
「道士って、まさかあのお嬢ちゃんたちかい?! 止しねぇ止しねぇ、危ねぇって。あんな可愛いらしい女の子たちの手に負える相手じゃねえぞ」
「へぇ、虎だの狼だのなら、お門違いなんで引っ込みますがね。化け物が出たとうかがいましたんで」
「仕方ねぇなぁまったく。まぁ遠くから来たんだ。詰め所で一服してくれ、説明するから」
3人は辛岱に案内され、炭鉱町に入っていった。赤ら顔であちこち傷だらけの厳つい容姿とは裏腹に、気さくで面倒見がよいらしく、歩きながらいろいろと教えてくれた。なんでも、炭鉱の規模は景州でも指折りの大きさで、労働者とその家族合わせて数百人が暮らしているらしい。
肉体労働者向きの、質より量という気の置けない飯屋や、石炭掘りの汚れを落とす公衆浴場、大都市に石炭を運ぶ人夫向けの宿など、ちょっとした町を形成しているのである。
ただ、家の中には人の気配はするが姿は見えず、町全体がどんよりと沈滞した雰囲気なのである。粗末な家々の窓が薄く開けられ、燕青一行の姿を興味津々で見つめているが、目が合うとぱたりと窓を閉じられてしまうのだ。かなり警戒されているらしい。
やがて一行は坑道の入り口にほど近い詰め所に着いた。中には鏨だのもっこだの松明だの、うずたかく積み上げられている。木造の粗末な椅子に腰掛けた辛岱は説明を始めた。
「さっきは失礼したな。悪く思わないでくれよ、なんせもう2週間も炭鉱に入れてねぇから賃金ももらえてなくてみんなぴりぴりしてんだ。酒でも飲まなけりゃやってらんねぇ」
ただでさえ化け物に鉱員が数人食い殺され、親方の立場としては安全が確保されないうちには誰ひとり坑道には入れたくない。だが、篭山炭鉱を支配している知県(県知事のこと)の郭照叡は、早く掘れもっと掘れとしきりに催促してくるらしい。
「俺たちは別に手抜きしてるわけじゃねぇんだ。だから郭の野郎にあの化け物をなんとかしてくれと、ずっと頼んでいるんだが全然なしのつぶてよ。仕方ねぇから、俺たちで金を出し合って、以前世話になったことのある二仙山の道士様にお願いしたってわけよ」
ここで燕青は、玉林と四娘に目配せをする。お前たちの出番だぞ、と。
気づいた玉林が、もっともらしい顔を作り、辛岱に話しかけた。
「なるほど、それはお困りですね。ではその化け物について、もう少し詳しくお話を」
と切り出したその時、さきほどまでひっそりしていた表が急に騒がしくなった。入り口に人影が見えたかと思うと、いきなり乱暴に引き開けられた。
「てめぇ、穆叟! 何しに来やがった!」
その人影を見た辛岱が、急に目を怒らせた。
昨夜自分達を追い出した宋国の兵士たちは、宿の部屋で遅くまで騒いでいたのだが、もう起き出してもいいような時間なのに、物音ひとつしない。よっぽど深く眠っているものか。
粥ができあがったころ、己五尾がひょっこり顔を出した。己五尾にも粥を振る舞い、白兎馬に飼葉を与え、馬小屋の屋根に止まっていた海東青の鸞に、こぶし大の肉片を放ってやり、出発の準備が整っても、まだ宿屋は静まりかえっている。
「兵隊ってのはずいぶんのんびりしてるんだね。良いご身分だこと」
「こんなに朝寝ができるんなら、あたいも兵隊になりたいもんだわ」
などと毒づくふたりを横目に、白兎馬に鞍をつけながら足元をふと見た燕青はどきっとした。
足元に座り前足を舐めている己五尾の、2本だった尻尾が3本に増えているではないか。それを見て燕青、はたと思い当たった。
「己五尾、お前まさか昨夜あの兵隊たちの所に? 」
「さて、なんのことでおじゃるかな? 」
すっとぼけて横を向く子狐である。が、その子狐姿自体も明らかに昨夜よりふた周りほど大きくなっていて、既に成体に近くなっているのだ。
「……おい、確かにあの兵隊たちは腹が立つ奴らだが、殺していないだろうな」
「さぁて、精力盛りの兵隊が15人もいたから、妾も精気を頂き放題じゃったわ。おそらく今日いちにちは腰も立たぬほど疲れておるじゃろうが、まあ明日には動けるじゃろうて」
くすくす笑っている。それを聞いて四娘と玉林は、己五尾にむけて親指を立て、「好!」と爆笑した。
「お前なあ……ところでその尻尾は?」
「一気に大量の精気を吸い取れたおかげで、3本目の尾が復活したのじゃ。かなり力が戻ったから、おそらく人の姿になっても淫気を抑えられるはずじゃが」
ものは試し、とひょいととんぼ返りをうち、絵姿の中の妖艶な美女に変化してみたが、確かに燕青は、普通一般に感じる色気は感じても、淫らな気持ちのなることはなかった。
話には聞いていたが、玉林は人の姿の己五尾を見るのは初めてなので、その妖しい美貌にぽかんと口を開けて見とれている。
「うーん、これなら一緒に旅をすることもできようが、これはこれで面倒ごとが増えそうだな。とりあえず狐姿でついてきてもらおう。俺が言うまで人の姿になるのは控えてくれ」
己五尾は、せっかく堂々と人形に成れたのに、と不服そうな顔つきで軽く燕青を睨む。
その表情がまた凄まじく魅惑的であり、目撃した四娘と玉林は
(……いつか真似しよう)
と心に誓ったのだ。
またひょいと狐姿に戻ったのを見届け、一行は簡元の町、篭山炭鉱をめざし出発した。街道はやがて登り坂になり、全身じっとりと汗ばむころ、やっと簡元の町はずれの林にさしかかった。
すでに秋だが、残暑厳しい日であった。ふと気づくと木陰に半裸の男たちが輪になってたむろしている。まだ日も高いのに、真ん中に置かれた酒樽からてんでに焼酎を汲み出し、あるいは胡座をかき、あるいは寝そべり、思い思いの様子で飲んでいるのが見えた。
ぷんと香る焼酎の匂いに、喉の渇きを覚えた燕青は、思わず唾を飲み込んだ。
林の中の10人ほどの男たちは、少女ふたりの乗った白馬を引く、見慣れぬ美貌の若者を見つけ、何やらこちらを指さしながらひそひそ話をしている。
気づいた燕青は、素知らぬ顔で通り過ぎることもできたが、何を思ったか白兎馬を道の脇の木につなぎ、少女たちを下ろして単身男たちの円陣に近づいていった。
不審な目を向けてくる男たちに向かって一礼し、静かな声で話しかけた。
「お楽しみのところ申し訳ありません。篭山炭鉱の方々とお見受けしましたが、間違いありませんでしょうか? 」
その問いかけに、円陣の一番近くにいた男が向き直り、
「おう、確かに俺たちは篭山で働いているもんだが、おめぇは誰だ? どっから来やがった? 」
「恐れ入ります。私どもはこちらの辛岱様から依頼を受け、薊州は二仙山から参った者です。辛さまはここにおいででしょうか?」
聞いた男は、へぇ、と目を見開き後ろを向き、
「おい聞いたかよ親方、辛さまときたもんだ。あんたに客みたいだぜ」
その声に、酒樽のすぐそばにいた、上半身裸の小太りの男が大振りの白い椀を置いて立ち上がり、燕青の方に近づいてきた。
「ああ、だらしねぇ格好ですまねぇな。俺が依頼を出した辛岱だ。よく来てくれたな」
燕青は拱手して頭を下げ、
「辛親方でいらっしゃいますか。私は小乙と申します。こちらの炭鉱に何やら妖しい化け物が出て人を害しているので祓ってもらいたい、という依頼をいただいたので、道士ふたりを連れて参りましたが、間違いありませんかね?」
「道士って、まさかあのお嬢ちゃんたちかい?! 止しねぇ止しねぇ、危ねぇって。あんな可愛いらしい女の子たちの手に負える相手じゃねえぞ」
「へぇ、虎だの狼だのなら、お門違いなんで引っ込みますがね。化け物が出たとうかがいましたんで」
「仕方ねぇなぁまったく。まぁ遠くから来たんだ。詰め所で一服してくれ、説明するから」
3人は辛岱に案内され、炭鉱町に入っていった。赤ら顔であちこち傷だらけの厳つい容姿とは裏腹に、気さくで面倒見がよいらしく、歩きながらいろいろと教えてくれた。なんでも、炭鉱の規模は景州でも指折りの大きさで、労働者とその家族合わせて数百人が暮らしているらしい。
肉体労働者向きの、質より量という気の置けない飯屋や、石炭掘りの汚れを落とす公衆浴場、大都市に石炭を運ぶ人夫向けの宿など、ちょっとした町を形成しているのである。
ただ、家の中には人の気配はするが姿は見えず、町全体がどんよりと沈滞した雰囲気なのである。粗末な家々の窓が薄く開けられ、燕青一行の姿を興味津々で見つめているが、目が合うとぱたりと窓を閉じられてしまうのだ。かなり警戒されているらしい。
やがて一行は坑道の入り口にほど近い詰め所に着いた。中には鏨だのもっこだの松明だの、うずたかく積み上げられている。木造の粗末な椅子に腰掛けた辛岱は説明を始めた。
「さっきは失礼したな。悪く思わないでくれよ、なんせもう2週間も炭鉱に入れてねぇから賃金ももらえてなくてみんなぴりぴりしてんだ。酒でも飲まなけりゃやってらんねぇ」
ただでさえ化け物に鉱員が数人食い殺され、親方の立場としては安全が確保されないうちには誰ひとり坑道には入れたくない。だが、篭山炭鉱を支配している知県(県知事のこと)の郭照叡は、早く掘れもっと掘れとしきりに催促してくるらしい。
「俺たちは別に手抜きしてるわけじゃねぇんだ。だから郭の野郎にあの化け物をなんとかしてくれと、ずっと頼んでいるんだが全然なしのつぶてよ。仕方ねぇから、俺たちで金を出し合って、以前世話になったことのある二仙山の道士様にお願いしたってわけよ」
ここで燕青は、玉林と四娘に目配せをする。お前たちの出番だぞ、と。
気づいた玉林が、もっともらしい顔を作り、辛岱に話しかけた。
「なるほど、それはお困りですね。ではその化け物について、もう少し詳しくお話を」
と切り出したその時、さきほどまでひっそりしていた表が急に騒がしくなった。入り口に人影が見えたかと思うと、いきなり乱暴に引き開けられた。
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