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第二部 第一章

二仙山~篭山炭鉱(一)

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 縮地法しゅくちほうのまばゆい光が消え、二仙山紫虚観にせんざんしきょかんの前に、燕青えんせい祝四娘しゅくしじょう、子狐姿の己五尾きごび白兎馬はくとばが姿を現した。

「たった1ヶ月ぶりなのに、何もかもみな懐かしい感じがするわね」
「そんなに懐かしいなら、もう旅に出なくてもいいんじゃないかい?」
 ニヤニヤして燕青が聞く。
 
「何言ってんのよ。ちょっと休んだらまたすぐ旅に出るわよ。この旅でずいぶん成長したでしょ?」
「ああ、確かにな。背は全然伸びてないけど」 
「むっ!」

「あと胸もな」
「むむむっ!」
 歯ぎしりした四娘だが、何を思ったかすっと横を向き大声で

「そうよねぇ、旅のあいだちっとも胸とかんでくれなかったもんねぇ!」
「ば、ばか何を」

 慌てて四娘の口を手で塞いだ燕青だったが、後ろから強烈な殺気を感じ、恐る恐る振り返ると、青筋の立った禿頭はげあたまからしゅうしゅう湯気を放ち、握った払子ほっすからバチバチ雷光を発している羅真人らしんじんが、引きつった笑顔を微動だにさせず立っていた。

「2人ともおかえり、お疲れじゃったの……ところで燕青どの、胸とか揉むとか、どういうことかお聞かせ願えるかな、んん?」   

 青ざめた燕青は必死に
「いえ違います誤解ですやましいことは何もしてません! なあおい四娘何とか言ってくれ」
「ええ師父しふ、わたしは疚しいことは何もされてませんよ、わ・た・し・は、ですけどね! 」
 と、四娘は狐姿の己五尾きごびをキッと睨んだ。
 
「左様か、ならば良いが、ところでこの魔物は何じゃ一体?」
 怒りを静めたとおぼしき羅真人は、やっと表情を緩めて己五尾のことを聞いてきた。
                                                                                      !
「それねぇ、元々は妲己だっき眷属けんぞくらしいけど、青兄ぃが色事師いろごとしの能力を最大限に! 発揮して配下にした助平狐よ。ちょっとあんた、本当の姿を現して師父に挨拶しなさいよ」

(だからその色事師いろごとしはやめろっての)
 燕青はひどく赤面した。 

 四娘が促すと、子狐はその場でひょいととんぼをきった、かと思うとあっという間に等身大の妖艶な美女姿に変化へんげしたのである。

わらわは妲己様の尻尾の妖力から生まれた己五尾きごびと申す。燕青どのに折伏しゃくぶくされて配下になった者でおじゃる。以後お見知りおきを」

 殊勝な顔で頭を下げたはいいが、人の姿になるととたんに例の淫気いんきが漏れ出してきた。それを感じとった羅真人は苦虫を噛み潰したような顔つきになり、なにやらむずむずしてきた燕青は慌てて「挨拶が済んだら狐に戻れ!」と叫ぶ。

 非常に不服そうな表情で、己五尾はもう一度何やらつぶやいてから宙返り。子狐のかたちに戻ると淫気がやっと消えたので、燕青はほっとした。

「おぬしらはつくづく困り事を持ち込んでくれよるのぉ」
 羅真人は腕組みをしてはぁぁと長いため息をついた。
「申し訳ありません。ですがこの己五尾は狐の姿でしたらご迷惑はおかけしないかと」
「そやつだけの話ではないわ」

「おう燕青、無事に戻ったか」
 また別の声がした。一清道人いっせいどうじんこと「入雲龍にゅううんりゅう公孫勝こうそんしょうの声だ。振り返った燕青が
「兄貴、ただいま戻りまし……た? えっ? 」 

 現れた一清道人の片腕に、しっかりと王扇太夫おうせんだゆうがしがみついていたのである。
「あ、あれ?太夫お久しぶりです。で、これは?」
「う、うむ」
 一清道人が柄にもなく気まずい顔をして視線を外している。

「燕青さま、四娘さま。その節は大変お世話になりました。あなた方には何とお礼を言ってよいやら」 

 王扇太夫が深々と頭を下げる。暫くぶりに見る姿は以前にも増して健康そうで、身に付けている物は質素だが、何やら表情に幸福感が漂っている。

 2人を見た羅真人が渋い顔で
「おぬしらが送ってきたこの女性と、一清めができてしまってのぉ。近々、祝言《けっこんしき》をあげることになっておるのだ」

 聞いて四娘が目を輝かせ
「えー!素敵だわ、おめでとう王扇太夫……あ、もう太夫じゃないわね。王扇おうせんさま、よかったですね。一清師兄もおめでとう!」

「お、おう。ありがとうな小融」
 ぼりぼり頭を掻く一清道人。燕青も喜びながら
(一清の兄貴もなかなか隅に置けねぇなぁ)
 と心中ニヤニヤしている。

「恩人であるおぬしらが戻ってくるのを待って、式を挙げることになっておったのじゃよ。では式は至近の吉日……6日後とする。左様心得よ」

 羅真人が振り向いた先には、一清と王扇に続いて出迎えに来た面々。翡円翠円ひえんすいえん姉妹、秦玉林しんぎょくりん孫紅苑そんこうえん、|張嶺(ちょうれい)など大勢の道士が詰めかけていて、真人の言葉を聞き一同頭を下げた。

「一休みしたらわしの部屋へ来なされ。旅の報告をしてもらおう。あ、そこの己五尾きつねもな」

 きゃあきゃあかしましく騒ぎながら立ち去っていく四娘と女館の面々を見送り、燕青は羅真人、一清道人、王扇とともに三清観へと向かった。あとからちょこちょこと子狐もついてくる。

「王扇さん、本当によかったですね。俺が言うのも何ですが、兄貴は信頼できる方です」
「はい、それはもう……わたくしが元遊女というのもご承知の上で、本当に良くしてくださいまして」

「ところで李承りしょうさんはどうなりましたか?」
「あのは……わたくしには見えませんでしたが、一清さまによれば嫁入りが決まったのを聞いて、嬉しそうな顔であの世に旅だったそうです」

 道士である一清には、李承の霊が見えていたのだ。何にしてもこの世の気がかりがなくなって
安心できたのだろう。最後まで優しいだったんだなと、燕青は胸が熱くなった。 

 旅装を解いて羅真人らしんじんの部屋に、燕青、四娘、己五尾と一清道人が集まった。四娘が塩賊の子供を助けたこと、王扇を脚抜けさせた話、川賊せんぞくを懲らしめたこと、飲馬川の周侗しゅうとう老人との出会い、などについて話したのち、本来の目的であった青州観山寺せいしゅうかんざんじ常廉じょうれん和尚からの依頼についての説明まで半刻(1時間)ほどかかった。

 その後己五尾を折伏しゃくぶくした話になったのだが、四娘が経堂から放り出された後のことについて、
「そこから後はあたしよくわからないから青兄せいにい説明してよね」
 四娘がふくれっつらで振ってきたので燕青は途方にくれてしまった。

「あるじどの、わらわが説明しようかの?あのめくるめく官能のひとときについて」
「おまえは余計なことを言わなくていいから!」

 慌てて己五尾を叱りつける燕青の動揺する様子で、何を悟ったか羅真人がにやにやしながら
「よいよい、なんとなくわかったわい。なるほど、それで色事師いろごとしとな、ふむふむ」
 うなづきながら見てくる。四娘は四娘でますますむくれて己五尾をにらみつけている。

(勘弁してくれよまったく)
 穴があったら入りたい、とはこのことか。身の置き所がない様子を見て羅真人が助け船を出してくれた。  
 
「まぁよかろう。何にしても小融しょうゆうはよくやった。燕青どのも鏢師ひょうしとしてよくぞ小融を守ってくださった。そのうえ人助けやら狐助きつねだすけやら、わしの想像を超える大活躍。心底感謝いたしますぞ……色事師の件はちょっとおいといて」 
 
師父しふ、あたし合格でしょうか?」
 四娘は背筋を伸ばし、しおらしく羅真人に尋ねた。

 羅真人は己五尾きごび払子ほっすで指し示し、
「ふむ、おぬしらの連れてきたこの己五尾とやら、わしと龍虎山の洟垂れ小僧の二人がかりで、北岳恒山ほくがくこうざんに再封印した、『四凶しきょう』の魔物『窮奇きゅうき』に、勝るとも劣らぬ妖力ようりょくを持っておる。それを懐柔かいじゅうし連れてくるなんぞ、なまなかな道士にできることではない。よくやった、と言ったじゃろ」 

(うっし! )
 卓の下で拳を握りしめた四娘。
「じゃあ、また祓いの旅に出てもいいでしょ? 師父」 

「うむ、一清めの結婚式のあと、また依頼を果たしに行ってもらおう。但し次回は別の者にも経験を積ませたい。小融、玉林、紅苑のうち2人お願いしてよろしいかな、燕青どの? 」

「まぁ……乗りかかった船です。妖物ばけものはともかく、人間相手のことならなんとか頑張りましょう」

(とはいえ、あの小融はねっかえりだけでなく、ほかにも連れて歩くとなると……うーむ)
 引き受けはしたが少々頭の痛い燕青であった。
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