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第七章
青州観山寺(二)
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ここまでの話を聞いて燕青もさすがに不安になってきた。
「なぁ小融、さすがにこれはお前の手に余るんじゃないか?というかその……なんだか妖を祓うのと違うというか」
聞いた四娘は、待ってましたとばかりの笑顔で振り向き、立てた人さし指を振りながら
「チッチッチッ。分かってないなあ青兄は。逆にこれこそあたしがやるべき仕事なのよ」
首を傾げる燕青に、四娘は羅真人の考えを話してくれた。
まずひとつは、寺の僧侶、つまり男だけで対応したからこうなったのではないか、という推測。
もうひとつは、青年から中年にかけての、精力盛りの年齢層がやられているのではないか、という推測。
つまり、四娘は女だし子供だが腕利きで、しかもちょうど旅に出たがっているから都合がよかろうと、出発前に羅真人から因果を含められてきたのである。
午後、まだ日の高いうちに、いよいよその怪しげな経堂に乗り込むことになったので、四娘と燕青は、宿坊の一室に入り身支度を始めた。
燕青は筒袖の黒い袍衣の上から袖なしの胴衣を羽織り、犢鼻褌を締め直して緑縞の裤子の上から脚絆を巻き、腰には赤い蜀錦の袍肚(腰巻き)を巻きつけ、八ツ乳の麻沓の紐を締め直す。
髻をしっかりと結い、幞頭頭巾で髪を包んだ。
四娘は紺の道服の上に飛刀を納めた黒の長羽織、白の裤子の上から紺の裙子、腰には赤い玉帯を巻き、黒い天鵞絨の半長靴で足拵えをする。
長い髪は高く結ってまとめあげ、簪代わりに五寸ほどの長さ、親指ほどの太さの、黒光りする棒を差し込み、さらに水色の薄紗の布でまとめた。背中には「西王母」「東王父」雌雄一対の桃剣を背負い、何枚かの黄色い紙に、辰砂で神咒を書いた霊符を懐にいれ、ひとつ深呼吸。
さて、「ござんなれ」である。
常廉を先頭に、四娘、燕青と続き、その後ろを数人の僧侶が従って経堂へと向かった。
他の棟同様、唐朝末期に建てられたという古経堂は、一辺が六丈(十八m)はある大きな建物で、五段ほどの石段を登った所に観音開きの扉がある。
入口はひとつだけ、あとは日光が入って経文が日焼けしないよう、四方が分厚い板で覆われている。湿気防止のための通気用窓は幾つかあるが、普段は内側から板がはめ込んであり、さらに格子も入っているので、もし換気のために開けていたとしても、壊さずに人が通り抜けることはとうていできない。
石段に近づくほどに、燕青はなにやら背中から腰や下腹部にかけて、妙にむず痒いものを感じていた。弟子達は経堂から四丈(十二m)ほど離れた場所で見守っている。常廉和尚も何やらきな臭い顔をしている。おそらく燕青同様、怪しげな感覚になっているのだろう。だが四娘には特に変わった様子は見られない。
石段を登り、常廉が錠前を開け、重い扉を押し開けると、中からむっとする熱気とともに、埃のにおい、それから何やら饐えたような匂いが吹き出てきた。
燕青と常廉は思わず袖で鼻と口元を覆った。
ところが四娘はその妖風にひるむ気色も見せず、仁王立ちのまま
「いるわね」
とつぶやき、左目にかかった前髪を掻き上げ耳にかけた。
現れた「浄眼」が、湖のごとき透き通った蒼色に輝く。
「はっきりとはわからないけれど、ここにかなり強力な奴がひそんでいるのは感じます」
そう言った四娘の口元は口角が上がり、不適な笑みが浮かんでいた。
「ほぉ、やはり魔物か何かがいるのかの?」
燕青と常廉は階段の下で待機している。それでも歯を食いしばり、気持ちを引き締めていないと、堂内に引き込まれそうになるのだ。
四娘はひとり、経堂の中心に歩み入り、四方をぐるりと見渡した。やはり女の四娘には、淫らな気持ちは起きないようだ。もしくはやはり年齢的なものなのか。
部屋の四面共に、天井まで何段にも分けて棚が据えつけてあり、経の巻物や本が、汗牛充棟の言葉通りにびっしりと詰まっている。
棚の一番下には新旧取り混ぜて長櫃が所狭しと置かれてある。
長年気持ちを込めて読まれてきた巻物や本には、歴代の僧侶の念が籠もっている。それが「気」となり堂内に薄っすらと充満していて、四娘の目には様々な色の霧のように見えている。
ただほとんどはいわゆる「陽の気」だ。お堂の中で、最も強い「陰の気」はどこから出ているか?
やがて四娘の目は、部屋の一隅の棚に止まった。
ゆっくり歩み寄り、何層にも積まれた巻物の一番上の一本を掴みあげ、じっと見つめてから扉の近くへと持ってきた。
「これですね。他の巻物とは明らかに質も強さも違う」
燕青も常廉もうなづいた。他の巻物とは雲泥の差の「気」の圧力が感じられたからである。巻物を持った四娘が近づくにつれ、燕青と常廉は股間の一物が意味もなく固くなってくるのを感じ、二人は慌てて階段から離れ、遠くから声をかけた。
「おい小融、何だかその、おかしなことになってないか?」
「大丈夫だよ。でもこの巻物から出てるのは、間違いなくものすごく強い陰の気だから気をつけて」
「妖か何かを封じ込んである経文とかじゃろうかの?」
「わかりません。とにかく開いてみますが、もしもの時のためにお二方はもっと離れてください。」
四娘は自分の腰に縄を巻きつけ、片端を燕青に握らせ、建物から三丈(九m)ほど離れてもらった。万が一の時には、引っぱり出してもらうためである。
準備が出来たのを確認してから、四娘はゆっくりと巻物を開き始めた。五寸ほど開いたあたりで、裸足の絵が見えてきた。文字ではなく絵が描かれているらしい。そのまま伸ばしていくと、薄衣をまとった女性の絵であった。
下半身から胸の辺りまで開くと、豊満で魅惑的な肢体が明らかになり、さらに上まで開くと、美しい女性の全身立像が現れた。うっとりするような美人で、まるで天女を描いたかのようである。
ふっくらとした顔立ちに綺麗に結われた髪。くっきりと大きな目には潤んだ瞳、すっきりと通った鼻。ぽってりと肉厚の唇が微笑みを浮かべ、そこからちらりと見える白い歯。
女の四娘ですら目を奪われ、嫉妬を感じる美貌である。腕利きの絵師によるものだろう。薄衣の描き方が巧みで、まるで衣の下の肌が透けて見えるようだ。全身の曲線、胸の双丘とその真ん中の、薄桃色の隆起、尻の豊かな肉置き、触った感触すらわかりそうな太股の内側……
(わたしもいつかこんな風になれるのかな?)
四娘は仕事を忘れ、食い入るように見とれてしまった。
「おい小融、大丈夫か?」
燕青の呼びかけで我に返った四娘は、改めて美人画を見つめ直した。
髪型や服装は今風ではなく、かなり昔のもののようだ。そうであっても見る人をひどく魅了する妖艶な絵である。どう考えてもこんな淫らな絵が、禅寺の経堂にあるのがおかしい。それに最初の怪異は二ヶ月前だというが、なぜそれまでは誰も被害に遭っていなかったのか?
いろいろ考えているうちに、ふと絵の中の美女がゆらり、と揺れたように見えた。何を感じたか、四娘は巻物を堂の壁の釘に吊し、距離を取って身構えた。
「どうした、小融?」
燕青が呼びかけた瞬間、分厚い経堂の扉が凄まじい勢いで閉まり、燕青の握っていた綱が挟まってちぎれ飛んだ。
「なぁ小融、さすがにこれはお前の手に余るんじゃないか?というかその……なんだか妖を祓うのと違うというか」
聞いた四娘は、待ってましたとばかりの笑顔で振り向き、立てた人さし指を振りながら
「チッチッチッ。分かってないなあ青兄は。逆にこれこそあたしがやるべき仕事なのよ」
首を傾げる燕青に、四娘は羅真人の考えを話してくれた。
まずひとつは、寺の僧侶、つまり男だけで対応したからこうなったのではないか、という推測。
もうひとつは、青年から中年にかけての、精力盛りの年齢層がやられているのではないか、という推測。
つまり、四娘は女だし子供だが腕利きで、しかもちょうど旅に出たがっているから都合がよかろうと、出発前に羅真人から因果を含められてきたのである。
午後、まだ日の高いうちに、いよいよその怪しげな経堂に乗り込むことになったので、四娘と燕青は、宿坊の一室に入り身支度を始めた。
燕青は筒袖の黒い袍衣の上から袖なしの胴衣を羽織り、犢鼻褌を締め直して緑縞の裤子の上から脚絆を巻き、腰には赤い蜀錦の袍肚(腰巻き)を巻きつけ、八ツ乳の麻沓の紐を締め直す。
髻をしっかりと結い、幞頭頭巾で髪を包んだ。
四娘は紺の道服の上に飛刀を納めた黒の長羽織、白の裤子の上から紺の裙子、腰には赤い玉帯を巻き、黒い天鵞絨の半長靴で足拵えをする。
長い髪は高く結ってまとめあげ、簪代わりに五寸ほどの長さ、親指ほどの太さの、黒光りする棒を差し込み、さらに水色の薄紗の布でまとめた。背中には「西王母」「東王父」雌雄一対の桃剣を背負い、何枚かの黄色い紙に、辰砂で神咒を書いた霊符を懐にいれ、ひとつ深呼吸。
さて、「ござんなれ」である。
常廉を先頭に、四娘、燕青と続き、その後ろを数人の僧侶が従って経堂へと向かった。
他の棟同様、唐朝末期に建てられたという古経堂は、一辺が六丈(十八m)はある大きな建物で、五段ほどの石段を登った所に観音開きの扉がある。
入口はひとつだけ、あとは日光が入って経文が日焼けしないよう、四方が分厚い板で覆われている。湿気防止のための通気用窓は幾つかあるが、普段は内側から板がはめ込んであり、さらに格子も入っているので、もし換気のために開けていたとしても、壊さずに人が通り抜けることはとうていできない。
石段に近づくほどに、燕青はなにやら背中から腰や下腹部にかけて、妙にむず痒いものを感じていた。弟子達は経堂から四丈(十二m)ほど離れた場所で見守っている。常廉和尚も何やらきな臭い顔をしている。おそらく燕青同様、怪しげな感覚になっているのだろう。だが四娘には特に変わった様子は見られない。
石段を登り、常廉が錠前を開け、重い扉を押し開けると、中からむっとする熱気とともに、埃のにおい、それから何やら饐えたような匂いが吹き出てきた。
燕青と常廉は思わず袖で鼻と口元を覆った。
ところが四娘はその妖風にひるむ気色も見せず、仁王立ちのまま
「いるわね」
とつぶやき、左目にかかった前髪を掻き上げ耳にかけた。
現れた「浄眼」が、湖のごとき透き通った蒼色に輝く。
「はっきりとはわからないけれど、ここにかなり強力な奴がひそんでいるのは感じます」
そう言った四娘の口元は口角が上がり、不適な笑みが浮かんでいた。
「ほぉ、やはり魔物か何かがいるのかの?」
燕青と常廉は階段の下で待機している。それでも歯を食いしばり、気持ちを引き締めていないと、堂内に引き込まれそうになるのだ。
四娘はひとり、経堂の中心に歩み入り、四方をぐるりと見渡した。やはり女の四娘には、淫らな気持ちは起きないようだ。もしくはやはり年齢的なものなのか。
部屋の四面共に、天井まで何段にも分けて棚が据えつけてあり、経の巻物や本が、汗牛充棟の言葉通りにびっしりと詰まっている。
棚の一番下には新旧取り混ぜて長櫃が所狭しと置かれてある。
長年気持ちを込めて読まれてきた巻物や本には、歴代の僧侶の念が籠もっている。それが「気」となり堂内に薄っすらと充満していて、四娘の目には様々な色の霧のように見えている。
ただほとんどはいわゆる「陽の気」だ。お堂の中で、最も強い「陰の気」はどこから出ているか?
やがて四娘の目は、部屋の一隅の棚に止まった。
ゆっくり歩み寄り、何層にも積まれた巻物の一番上の一本を掴みあげ、じっと見つめてから扉の近くへと持ってきた。
「これですね。他の巻物とは明らかに質も強さも違う」
燕青も常廉もうなづいた。他の巻物とは雲泥の差の「気」の圧力が感じられたからである。巻物を持った四娘が近づくにつれ、燕青と常廉は股間の一物が意味もなく固くなってくるのを感じ、二人は慌てて階段から離れ、遠くから声をかけた。
「おい小融、何だかその、おかしなことになってないか?」
「大丈夫だよ。でもこの巻物から出てるのは、間違いなくものすごく強い陰の気だから気をつけて」
「妖か何かを封じ込んである経文とかじゃろうかの?」
「わかりません。とにかく開いてみますが、もしもの時のためにお二方はもっと離れてください。」
四娘は自分の腰に縄を巻きつけ、片端を燕青に握らせ、建物から三丈(九m)ほど離れてもらった。万が一の時には、引っぱり出してもらうためである。
準備が出来たのを確認してから、四娘はゆっくりと巻物を開き始めた。五寸ほど開いたあたりで、裸足の絵が見えてきた。文字ではなく絵が描かれているらしい。そのまま伸ばしていくと、薄衣をまとった女性の絵であった。
下半身から胸の辺りまで開くと、豊満で魅惑的な肢体が明らかになり、さらに上まで開くと、美しい女性の全身立像が現れた。うっとりするような美人で、まるで天女を描いたかのようである。
ふっくらとした顔立ちに綺麗に結われた髪。くっきりと大きな目には潤んだ瞳、すっきりと通った鼻。ぽってりと肉厚の唇が微笑みを浮かべ、そこからちらりと見える白い歯。
女の四娘ですら目を奪われ、嫉妬を感じる美貌である。腕利きの絵師によるものだろう。薄衣の描き方が巧みで、まるで衣の下の肌が透けて見えるようだ。全身の曲線、胸の双丘とその真ん中の、薄桃色の隆起、尻の豊かな肉置き、触った感触すらわかりそうな太股の内側……
(わたしもいつかこんな風になれるのかな?)
四娘は仕事を忘れ、食い入るように見とれてしまった。
「おい小融、大丈夫か?」
燕青の呼びかけで我に返った四娘は、改めて美人画を見つめ直した。
髪型や服装は今風ではなく、かなり昔のもののようだ。そうであっても見る人をひどく魅了する妖艶な絵である。どう考えてもこんな淫らな絵が、禅寺の経堂にあるのがおかしい。それに最初の怪異は二ヶ月前だというが、なぜそれまでは誰も被害に遭っていなかったのか?
いろいろ考えているうちに、ふと絵の中の美女がゆらり、と揺れたように見えた。何を感じたか、四娘は巻物を堂の壁の釘に吊し、距離を取って身構えた。
「どうした、小融?」
燕青が呼びかけた瞬間、分厚い経堂の扉が凄まじい勢いで閉まり、燕青の握っていた綱が挟まってちぎれ飛んだ。
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