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第三章
二仙山~文昌千住院(一)
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燕青は、旅の時にいつも持ち歩いている行嚢の物を確認し始めた。
麻糸の玉。火打石。一丈(3m四方ほどの厚めの油紙を折りたたんだもの。薄手の毛布。
梁山伯にいた時に、今は亡き仲間の第八十八位地孤星「金銭豹子」湯隆に作ってもらった、特殊な形の蓋付き鉄鍋と、鞘付きで厚いが切れ味の良い小刀。
銅製で非常に薄く、鉄鍋にちょうど入る大きさの器二個。肌着や手拭きなどを入れた大きめの布袋。油。塩。金創膏用の小さな磁器に蓋をしたもの、針と糸を入れた小さな革袋……と、ここまで確認してから、これはあくまで自分1人の野宿を想定した旅の準備であることに気づいた。
初秋なので雪や猛烈な寒さの心配はない。燕青の知る限り青州観山寺のある臨眗までの街道は、黄河を含め大きな川を数カ所と、同じく山を数カ所越える必要がある。
だいたいは村や町、あるいは寺や道観で泊まらせてもらうとしても、何回かは野宿があるかもしれない。当然十三歳の少女を連れての長旅、ましてや野宿など経験したことがないので、一体どんなものを用意すれば良いのか、ここで頭を悩ませることになる。
結局、年長者の翡円翠円姉妹に相談することにし、女院を訪ねた。
入り口の扉を叩くと、ちょうど翠円が開けてくれたので、来意を伝えると、赤面しつつ客間へ通してくれた。翡円が同じく赤面しつつ茶を運んできたので、早速四娘の旅支度の手伝いをお願いしたところ、燕青自身の旅装も整えてくれることになった。
旅の身なりについて相談し、道士である四娘と一緒に旅をするなら、年齢的にも兄妹ということにすること、笠や履き物、四娘の着替えその他の細々したものの手配をお願いするなど、翡円、翠円姉妹とだんだんと打ち解けた話をするようになり、気づけばもう夕闇のせまる時間でになっていた。
打ち解けた分、姉妹二人の視線に、さらに強く秋波が送られてくるのを感じたので、
「やれ、とんだ長話をしてしまいました。そろそろお暇させていただきます」
まだいいじゃありませんか、と引き留めるのをやんわりと断り、男院の部屋に戻ってぐっすりと寝、その後あれやこれやしているうちに出立の日が来た。
少々後ろめたい気持ちはあるが、例の袁兄弟が強奪してきた金銀を、十分な路銀として受け取り、二人とも頭には笠を被り、行囊に手荷物を入れ肩からさげ、祝四娘はさらに陰陽二対の木剣を背負い、紺の道服に黒の長羽織。長い黒髪を赤の薄衣で結い上げて、道中、妙な言いがかりをつけられないよう、前髪を下ろして左目を隠している。
燕青は厚目の袍に縞の裤子、腰には水入れの瓢箪をつるし、足元を半長靴で頑丈にこしらえた。
細かなことは道中おいおい相談することとして、羅真人、一清道人、玉林、紅苑、翡円、翠円姉妹、張嶺らに見送られ、いよいよ燕青と祝四娘の旅の始まりである。
坂道を下りていく二人の姿が見えなくなるとすぐ、玉林と紅苑は羅真人の袖を捕まえ、次は私を行かせてくれ、ずるいずるいと、強行に直談判した。
あまりのしつこさに閉口した羅真人は、後日彼女らにも依頼を出すことになるが、それはまた別の話である。
二仙山の急な坂道を下り、一番下の門を通り過ぎた瞬間、四娘は大きなため息をついた。
「どうした?ほっとしたのか?」
「うん、本当に行かせてもらえるとは信じられなかったから、今やっと実感がわいた|よ」
「そうか。ではまずいくつか決め事を相談しよう。まずお互いの呼び名だが、お前は綽名《あだな》の『小融』でいいだろうけど、俺のことは何と呼ぶ?」
「兄妹なのに『燕青さん』じゃ変だよね確かに。あだ名の『浪子』も変だし。『青兄さん』とか『青兄』とかでどう?」
「よし、それで行こう。ただし第三者にはおれは『小乙』と自称する。小融は普通に二仙山の道士で、俺は山のふもとの黄崖関村に住んでいることにしておこう」
「わかった」
「行先もそのまま、青州の観山寺、ということでいいだろう。もしはぐれたり人探ししたりする時に、そういう情報はお互いに意外と役にたつものだ。」
「ふうん。今日はどのあたりまで行く予定?」
「それこそ、黄崖関村を抜けて四十里(二十㎞)くらい行くと、文昌という少し大きめの村がある。そこに千住院という道観があるらしい。真人様の紹介状を見せれば泊めてくれるそうだから、今日は初日だし無理せずまで。そこから先は、泊まったところや途中の村で聞いて考える」
「ふぅ、四十里か。歩くだけで半日はかかるわね」
「行けそうか?」
「見くびらないでよ、小さくても体力には自信があるわ」
通りすがりの牛や馬、犬や猫、老若男女、ありとあらゆる風景、生き物や草花が新鮮に見えて仕方がないようだ。楽しんで歩けば足取りも軽い
文昌までの行程半ばほど、道の辺にちろちろと清水が流れている。その川端の柳の大木の下で、少し休んで昼食をとることにした。
食堂のおばさんが作ってくれた粽の、竹の皮の包みを開きつつ、燕青は好奇心にまかせて聞いてみた。
「小融のその木剣なんだが、どういうものなんだい?」
四娘は口いっぱいに粽を頬張りながら、座ると邪魔になるため、背中から外していた双剣を持ち上げて説明を始めた。
「これ、ただの木剣じゃなくて、『崑崙の千年樹』でできた桃剣なんだよ」
「崑崙の千年樹?」
「そう、崑崙山に生える桃の木のうち、千年以上経た木でできてるの。鋼よりも硬いし、そもそも桃の木だから、剣自体に魔除けの働きがあるんだ」
「ほぉ、それは貴重なものだな(っていうか崑崙山って本当にあるのか?)」
「二仙山に古くから伝わる宝物の一つらしいんだけど、みんな持っているだけで『気』が吸い取られて具合が悪くなっちゃうんだよ。あたしはなぜかあまり感じないから、宝の持ち腐れにするのはもったいないというので使わせてくれてるんだ」
「二本あるのは?」
「こっちの柄の黒い方が『陽』の気を持つ『東王父』で、こっちの柄の白い方は『陰』の気を持つ『西王母』って言うの」
「はて、俺の知識じゃ、陽が白で陰が黒、という感じなんだが?」
「うん、剣自体から陽や陰の気を発しているので、柄を逆の気の色にすれば、打ち消しあって使いやすくなるんだ。でも他の人は、剣本体の気に当てられてしまって、具合が悪くなるみたいなんだよね」
「はぁ、なるほど。仙術ってのはなかなか難しいものだなぁ」
「鬼や魔物は陰の気の塊だから、陽の気の『東王父』で祓うことができるし、弱い相手なら、陽の気を付与した飛刀を打ち込んで倒せるんだけど、『東王父』の力でも足りない場合、『西王母』の助けを借りて、陽の気を強くすることができるの」
燕青とて陰陽五行の一般的な知識はあるが、具体的な使い方となるとさっぱりわからない。すでに一つめの粽を平らげ、二つめを笑顔で頬張っているこの幼い顔の少女の頭にはいったいどれだけの仙術の知識が詰まっているのやら、底知れぬものを感じた。
行く末がそら恐ろしくもあり、まだ幼いのに気の毒な気もし、複雑な気持ちで見つめる燕青の心を知ってか知らずか、屈託のない明るい声で「そろそろ行こうか、青兄」と呼びかける四娘である。
麻糸の玉。火打石。一丈(3m四方ほどの厚めの油紙を折りたたんだもの。薄手の毛布。
梁山伯にいた時に、今は亡き仲間の第八十八位地孤星「金銭豹子」湯隆に作ってもらった、特殊な形の蓋付き鉄鍋と、鞘付きで厚いが切れ味の良い小刀。
銅製で非常に薄く、鉄鍋にちょうど入る大きさの器二個。肌着や手拭きなどを入れた大きめの布袋。油。塩。金創膏用の小さな磁器に蓋をしたもの、針と糸を入れた小さな革袋……と、ここまで確認してから、これはあくまで自分1人の野宿を想定した旅の準備であることに気づいた。
初秋なので雪や猛烈な寒さの心配はない。燕青の知る限り青州観山寺のある臨眗までの街道は、黄河を含め大きな川を数カ所と、同じく山を数カ所越える必要がある。
だいたいは村や町、あるいは寺や道観で泊まらせてもらうとしても、何回かは野宿があるかもしれない。当然十三歳の少女を連れての長旅、ましてや野宿など経験したことがないので、一体どんなものを用意すれば良いのか、ここで頭を悩ませることになる。
結局、年長者の翡円翠円姉妹に相談することにし、女院を訪ねた。
入り口の扉を叩くと、ちょうど翠円が開けてくれたので、来意を伝えると、赤面しつつ客間へ通してくれた。翡円が同じく赤面しつつ茶を運んできたので、早速四娘の旅支度の手伝いをお願いしたところ、燕青自身の旅装も整えてくれることになった。
旅の身なりについて相談し、道士である四娘と一緒に旅をするなら、年齢的にも兄妹ということにすること、笠や履き物、四娘の着替えその他の細々したものの手配をお願いするなど、翡円、翠円姉妹とだんだんと打ち解けた話をするようになり、気づけばもう夕闇のせまる時間でになっていた。
打ち解けた分、姉妹二人の視線に、さらに強く秋波が送られてくるのを感じたので、
「やれ、とんだ長話をしてしまいました。そろそろお暇させていただきます」
まだいいじゃありませんか、と引き留めるのをやんわりと断り、男院の部屋に戻ってぐっすりと寝、その後あれやこれやしているうちに出立の日が来た。
少々後ろめたい気持ちはあるが、例の袁兄弟が強奪してきた金銀を、十分な路銀として受け取り、二人とも頭には笠を被り、行囊に手荷物を入れ肩からさげ、祝四娘はさらに陰陽二対の木剣を背負い、紺の道服に黒の長羽織。長い黒髪を赤の薄衣で結い上げて、道中、妙な言いがかりをつけられないよう、前髪を下ろして左目を隠している。
燕青は厚目の袍に縞の裤子、腰には水入れの瓢箪をつるし、足元を半長靴で頑丈にこしらえた。
細かなことは道中おいおい相談することとして、羅真人、一清道人、玉林、紅苑、翡円、翠円姉妹、張嶺らに見送られ、いよいよ燕青と祝四娘の旅の始まりである。
坂道を下りていく二人の姿が見えなくなるとすぐ、玉林と紅苑は羅真人の袖を捕まえ、次は私を行かせてくれ、ずるいずるいと、強行に直談判した。
あまりのしつこさに閉口した羅真人は、後日彼女らにも依頼を出すことになるが、それはまた別の話である。
二仙山の急な坂道を下り、一番下の門を通り過ぎた瞬間、四娘は大きなため息をついた。
「どうした?ほっとしたのか?」
「うん、本当に行かせてもらえるとは信じられなかったから、今やっと実感がわいた|よ」
「そうか。ではまずいくつか決め事を相談しよう。まずお互いの呼び名だが、お前は綽名《あだな》の『小融』でいいだろうけど、俺のことは何と呼ぶ?」
「兄妹なのに『燕青さん』じゃ変だよね確かに。あだ名の『浪子』も変だし。『青兄さん』とか『青兄』とかでどう?」
「よし、それで行こう。ただし第三者にはおれは『小乙』と自称する。小融は普通に二仙山の道士で、俺は山のふもとの黄崖関村に住んでいることにしておこう」
「わかった」
「行先もそのまま、青州の観山寺、ということでいいだろう。もしはぐれたり人探ししたりする時に、そういう情報はお互いに意外と役にたつものだ。」
「ふうん。今日はどのあたりまで行く予定?」
「それこそ、黄崖関村を抜けて四十里(二十㎞)くらい行くと、文昌という少し大きめの村がある。そこに千住院という道観があるらしい。真人様の紹介状を見せれば泊めてくれるそうだから、今日は初日だし無理せずまで。そこから先は、泊まったところや途中の村で聞いて考える」
「ふぅ、四十里か。歩くだけで半日はかかるわね」
「行けそうか?」
「見くびらないでよ、小さくても体力には自信があるわ」
通りすがりの牛や馬、犬や猫、老若男女、ありとあらゆる風景、生き物や草花が新鮮に見えて仕方がないようだ。楽しんで歩けば足取りも軽い
文昌までの行程半ばほど、道の辺にちろちろと清水が流れている。その川端の柳の大木の下で、少し休んで昼食をとることにした。
食堂のおばさんが作ってくれた粽の、竹の皮の包みを開きつつ、燕青は好奇心にまかせて聞いてみた。
「小融のその木剣なんだが、どういうものなんだい?」
四娘は口いっぱいに粽を頬張りながら、座ると邪魔になるため、背中から外していた双剣を持ち上げて説明を始めた。
「これ、ただの木剣じゃなくて、『崑崙の千年樹』でできた桃剣なんだよ」
「崑崙の千年樹?」
「そう、崑崙山に生える桃の木のうち、千年以上経た木でできてるの。鋼よりも硬いし、そもそも桃の木だから、剣自体に魔除けの働きがあるんだ」
「ほぉ、それは貴重なものだな(っていうか崑崙山って本当にあるのか?)」
「二仙山に古くから伝わる宝物の一つらしいんだけど、みんな持っているだけで『気』が吸い取られて具合が悪くなっちゃうんだよ。あたしはなぜかあまり感じないから、宝の持ち腐れにするのはもったいないというので使わせてくれてるんだ」
「二本あるのは?」
「こっちの柄の黒い方が『陽』の気を持つ『東王父』で、こっちの柄の白い方は『陰』の気を持つ『西王母』って言うの」
「はて、俺の知識じゃ、陽が白で陰が黒、という感じなんだが?」
「うん、剣自体から陽や陰の気を発しているので、柄を逆の気の色にすれば、打ち消しあって使いやすくなるんだ。でも他の人は、剣本体の気に当てられてしまって、具合が悪くなるみたいなんだよね」
「はぁ、なるほど。仙術ってのはなかなか難しいものだなぁ」
「鬼や魔物は陰の気の塊だから、陽の気の『東王父』で祓うことができるし、弱い相手なら、陽の気を付与した飛刀を打ち込んで倒せるんだけど、『東王父』の力でも足りない場合、『西王母』の助けを借りて、陽の気を強くすることができるの」
燕青とて陰陽五行の一般的な知識はあるが、具体的な使い方となるとさっぱりわからない。すでに一つめの粽を平らげ、二つめを笑顔で頬張っているこの幼い顔の少女の頭にはいったいどれだけの仙術の知識が詰まっているのやら、底知れぬものを感じた。
行く末がそら恐ろしくもあり、まだ幼いのに気の毒な気もし、複雑な気持ちで見つめる燕青の心を知ってか知らずか、屈託のない明るい声で「そろそろ行こうか、青兄」と呼びかける四娘である。
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