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第二章
二仙山紫虚観(二)
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「方臘軍との戦いでは多くの兄貴たちが四十人足らずを残して討ち死にしました。生き残った者のうち、宋江さまや盧俊義さま、呉用さまなどは官職を受け栄達されました。野に下った方も多く、武松兄貴は片腕を無くされて、今は病気の林冲兄貴を杭州の六和寺で看病してます。李俊の兄貴は、早々に官軍に見切りをつけて、童威、童猛兄弟と共に南方に向かったと聞いています。」
「そうか、で、燕青よ、お主はなぜこの薊州に?」
「はい」燕青はそこで下を向き唇を噛んだ。瞬時ためらい、顔を上げて
「私も……」苦悶の表情で、吐き出すように言った。
「私も、李俊の兄貴が正しいと思いました!宋江さまや私たちが、いくら宋国の為に命がけで戦っても、奸臣たちが幅をきかせ、私たちは犬死にさせられる。それどころか、いずれは捨てられ、命まで狙われるかもしれない。だったら、官軍なんかにこだわるべきじゃない、と」
「狡兎死して走狗烹らる、じゃな」と、羅真人がつぶやいた。
「狡賢い兎がいなくなれば優秀な猟犬は不要になり、殺されて食べられてしまう」という故事である。田虎、王慶、方臘といった大規模反乱軍を、梁山泊軍が滅ぼした今、梁山泊の面々はむしろ目の上のこぶ、いずれ粛正されるだろう、という意味になろうか。燕青はうなづき、
「だから私も、大恩ある盧俊義様を必死に徹夜で口説きました。このまま官軍に残ってもろくなことはない、すでに大事を遂げたのだから、どこか田舎でのんびり暮らしましょうと。でも盧俊義さまは、故郷に錦を飾りたかったのでしょう。どうしても翻意させることはできませんでした。結局、私は盧俊義様の元をお暇いたしました。」
燕青は元々は孤児である。北宋の四都の一つ、「北京大名府」の大きな質屋の主人だった、梁山泊序列第二位、天罡星を持つ「玉麒麟」こと盧俊義に拾われ、商売のこと、江湖(世間)のこと、何より少林拳の手ほどきを受けながら、息子のように育てられた。「小乙」というのも、小さい頃からの呼び名である。
その彼が、盧俊義と袂を分かつ決断をするのは、裏切りのように感じられて仕方がないのだ。「入雲龍」公孫勝には、燕青の複雑な気持ちがよく分かった。
「そうか……それはお前のような義理堅い男には辛かっただろうな」
「はい……官軍を抜けてから、行く当てはないけれど、蓄えた路銀には余裕があったので、どこか落ち着ける町を探そうと旅に出ました。途中で金国がこの燕雲十六州から遼軍を追い出し、宋国に返還した、という話を聞きまして、そういえば『入雲龍』の兄貴が薊州の二仙山にいらっしゃると思い出し、お会いしてみようと向かっていた途中だったのです」
「なるほど、その途中で小融に出会い、助けてくれたと。なかなかの合縁奇縁じゃのぉ」
羅真人が笑いながら長髯をしごいている。さらに続けて、
「と、いうことは当面なにか決まった行き先はない、ということじゃな?」
「はあ、まあそういうことで」
「好、ならば」羅真人の細い目が急に見開いた。
「どうじゃろうか。一生とは言わぬが、しばらくわしの食客としてここで暮らしてみんかの?」
「は?食客?」燕青は突然の申し出に面食らった。
「いやなに、先ほどあのならず者を懲らしめたのを見たが、おぬしの腕前は相当のものじゃ。そんじょそこいらの相手には負けんじゃろう。どうかの、わが二仙山の道士たちの鏢師(護衛)になってくれぬか」
一清道人がそれを聞いてパン、と膝を叩いた。
「なるほど、燕青は義侠心に篤く江湖(世間)の知恵もあり、万能とすらいえる器用な男で、絶対的に信頼できる。どうだろう燕青、わしからもお願いしたい。嫌になったらいつでも辞めてもらって結構だ。頼む、そうしてくれ」
燕青は考えた。確かに、師匠であり父と慕う盧俊義や、梁山泊の他の仲間と別れてからこれまで、当てもなく流浪してきた。そして今後どうしたいかも決まっていない。
宋国は、皇帝も役人も軍隊も全く信用ならない。かといって今さら賊軍に入る気も、ましてや現在宋国を脅かしている金(女真)国や遼国に付くつもりなどさらさらない。
はて、おれはいったい、これからどう生きていこうか……
「……わかりました。しばらくご厄介になります。よろしくお願いします」
と、頭をさげた。聞いて羅真人と一清道人は相好を崩した。
「ありがたい、これでわしも羽化登仙の修行に集中できる」
「うかとうせん?」
「さよう、わしももうすぐ百歳になる。そろそろ俗世から離れて仙界に登りたいのじゃよ。じゃが後進を託すべき一清めがおぬしら梁山泊に取られていたせいで、なかなかそちらに手が回らなかったのじゃ。じゃが一清もすでに、秘技『五雷天罡正法』を極め、龍虎山の洟垂れに勝るとも劣らぬ仙術を身につけた。もう後進の憂いはなくなったのじゃが、あいにく一清から下の弟子たちは、まだまだ修行の途中」
「へぇ、さっきの四娘なんか、あんなに小さい体で凄い能力でしたけど、あれでもまだまだですか?」
「そこよ。この二仙山は現在、坤道(女性道士)」が五人、乾道(男性道士)が一清含めて八人修行しておるだけの貧乏道観よ。仙術についてはどこへ出してもひけ取らぬよう教えているが、なにせ江湖の事情に疎い。鬼や魔物を祓うことはともかく、依頼の場所への行き帰りや、出先でのあれこれが心配なのじゃよ」
なるほど。先ほど見た猲狙を倒せと言われても困るが、道士の行き帰りの護衛ならばできるかもしれない。そう燕青が考えたところで、一清が後を続けた。
「ここで暮らす道士たちは、先の四娘も含めほとんどが、戦災孤児など身寄りのない子で、真人様はそういう子らを自立させたいとお考えだ。だからできるだけ独力で祓いの依頼を受けさせたいのだが、毎度真人様や私が付いていっては、道士としての成長が望めない。だからおぬしに、祓い以外の部分で鏢師になってほしいのだよ」
自身も孤児だった燕青は、身寄りの無い者が独り立ちする不安をよく知っている。ならば力になってやろうと、無言で力強く頷いてみせたのである。
「護衛してもらうのは坤道と子供の乾道に限る。もし祓いの段で、そやつらが命を落としたとしても、おぬしの責任は一切問わぬ。行かせた我らの責任だと思っておる」
「一清よ、例の観山寺の依頼から始めてもらうのはどうかの?」
「観山寺?」
「左様、青州に観山寺という古刹があっての。そこの常廉和尚はわしの昔なじみの男なんじゃが、そやつから寺に起きた怪異を解決してくれ、と依頼が来ておったのでな」
薊州から青州となるとかなりの距離だ。直線でも千里(約五百㎞)弱ある。歩けば片道二週間というところか。まぁ旅自体は別にかまわない。むしろ野に伏し山に寝、石に枕し流れに漱ぐ、そんな暮らしは好きだし、ここに来るまでに何度も野宿はしてきたあてのない流浪より、目的地がある旅の方がどれほど心強いことか。
「分かりました。で、どなたの護衛をすれば?」
「そうさの。いきなり二人も三人も護衛してくれ、は大変だからまずはお試しでひとりだけ……となると、顔見知りにもなったことだし、先ほどの四娘でどうじゃろうか」
「あれですか……あれは坤道五人の中でも一番のお転婆ですが、迷惑では?」
「あはは、大丈夫でしょう。『黒旋風』の兄貴ほどではないと思います」
それを聞いた一清と羅真人は、顔を見合わせてぷっと吹き出した。
「ふふふ、そりゃもっともだ」
「黒旋風」李逵……「天殺星」という物騒な名の星を持つ、梁山泊一の暴れん坊である。かつて羅真人を殺そうと企み、逆に散々な目に遭わされたことがあるのだ。
「では、小融を呼んできましょう」
「そうか、で、燕青よ、お主はなぜこの薊州に?」
「はい」燕青はそこで下を向き唇を噛んだ。瞬時ためらい、顔を上げて
「私も……」苦悶の表情で、吐き出すように言った。
「私も、李俊の兄貴が正しいと思いました!宋江さまや私たちが、いくら宋国の為に命がけで戦っても、奸臣たちが幅をきかせ、私たちは犬死にさせられる。それどころか、いずれは捨てられ、命まで狙われるかもしれない。だったら、官軍なんかにこだわるべきじゃない、と」
「狡兎死して走狗烹らる、じゃな」と、羅真人がつぶやいた。
「狡賢い兎がいなくなれば優秀な猟犬は不要になり、殺されて食べられてしまう」という故事である。田虎、王慶、方臘といった大規模反乱軍を、梁山泊軍が滅ぼした今、梁山泊の面々はむしろ目の上のこぶ、いずれ粛正されるだろう、という意味になろうか。燕青はうなづき、
「だから私も、大恩ある盧俊義様を必死に徹夜で口説きました。このまま官軍に残ってもろくなことはない、すでに大事を遂げたのだから、どこか田舎でのんびり暮らしましょうと。でも盧俊義さまは、故郷に錦を飾りたかったのでしょう。どうしても翻意させることはできませんでした。結局、私は盧俊義様の元をお暇いたしました。」
燕青は元々は孤児である。北宋の四都の一つ、「北京大名府」の大きな質屋の主人だった、梁山泊序列第二位、天罡星を持つ「玉麒麟」こと盧俊義に拾われ、商売のこと、江湖(世間)のこと、何より少林拳の手ほどきを受けながら、息子のように育てられた。「小乙」というのも、小さい頃からの呼び名である。
その彼が、盧俊義と袂を分かつ決断をするのは、裏切りのように感じられて仕方がないのだ。「入雲龍」公孫勝には、燕青の複雑な気持ちがよく分かった。
「そうか……それはお前のような義理堅い男には辛かっただろうな」
「はい……官軍を抜けてから、行く当てはないけれど、蓄えた路銀には余裕があったので、どこか落ち着ける町を探そうと旅に出ました。途中で金国がこの燕雲十六州から遼軍を追い出し、宋国に返還した、という話を聞きまして、そういえば『入雲龍』の兄貴が薊州の二仙山にいらっしゃると思い出し、お会いしてみようと向かっていた途中だったのです」
「なるほど、その途中で小融に出会い、助けてくれたと。なかなかの合縁奇縁じゃのぉ」
羅真人が笑いながら長髯をしごいている。さらに続けて、
「と、いうことは当面なにか決まった行き先はない、ということじゃな?」
「はあ、まあそういうことで」
「好、ならば」羅真人の細い目が急に見開いた。
「どうじゃろうか。一生とは言わぬが、しばらくわしの食客としてここで暮らしてみんかの?」
「は?食客?」燕青は突然の申し出に面食らった。
「いやなに、先ほどあのならず者を懲らしめたのを見たが、おぬしの腕前は相当のものじゃ。そんじょそこいらの相手には負けんじゃろう。どうかの、わが二仙山の道士たちの鏢師(護衛)になってくれぬか」
一清道人がそれを聞いてパン、と膝を叩いた。
「なるほど、燕青は義侠心に篤く江湖(世間)の知恵もあり、万能とすらいえる器用な男で、絶対的に信頼できる。どうだろう燕青、わしからもお願いしたい。嫌になったらいつでも辞めてもらって結構だ。頼む、そうしてくれ」
燕青は考えた。確かに、師匠であり父と慕う盧俊義や、梁山泊の他の仲間と別れてからこれまで、当てもなく流浪してきた。そして今後どうしたいかも決まっていない。
宋国は、皇帝も役人も軍隊も全く信用ならない。かといって今さら賊軍に入る気も、ましてや現在宋国を脅かしている金(女真)国や遼国に付くつもりなどさらさらない。
はて、おれはいったい、これからどう生きていこうか……
「……わかりました。しばらくご厄介になります。よろしくお願いします」
と、頭をさげた。聞いて羅真人と一清道人は相好を崩した。
「ありがたい、これでわしも羽化登仙の修行に集中できる」
「うかとうせん?」
「さよう、わしももうすぐ百歳になる。そろそろ俗世から離れて仙界に登りたいのじゃよ。じゃが後進を託すべき一清めがおぬしら梁山泊に取られていたせいで、なかなかそちらに手が回らなかったのじゃ。じゃが一清もすでに、秘技『五雷天罡正法』を極め、龍虎山の洟垂れに勝るとも劣らぬ仙術を身につけた。もう後進の憂いはなくなったのじゃが、あいにく一清から下の弟子たちは、まだまだ修行の途中」
「へぇ、さっきの四娘なんか、あんなに小さい体で凄い能力でしたけど、あれでもまだまだですか?」
「そこよ。この二仙山は現在、坤道(女性道士)」が五人、乾道(男性道士)が一清含めて八人修行しておるだけの貧乏道観よ。仙術についてはどこへ出してもひけ取らぬよう教えているが、なにせ江湖の事情に疎い。鬼や魔物を祓うことはともかく、依頼の場所への行き帰りや、出先でのあれこれが心配なのじゃよ」
なるほど。先ほど見た猲狙を倒せと言われても困るが、道士の行き帰りの護衛ならばできるかもしれない。そう燕青が考えたところで、一清が後を続けた。
「ここで暮らす道士たちは、先の四娘も含めほとんどが、戦災孤児など身寄りのない子で、真人様はそういう子らを自立させたいとお考えだ。だからできるだけ独力で祓いの依頼を受けさせたいのだが、毎度真人様や私が付いていっては、道士としての成長が望めない。だからおぬしに、祓い以外の部分で鏢師になってほしいのだよ」
自身も孤児だった燕青は、身寄りの無い者が独り立ちする不安をよく知っている。ならば力になってやろうと、無言で力強く頷いてみせたのである。
「護衛してもらうのは坤道と子供の乾道に限る。もし祓いの段で、そやつらが命を落としたとしても、おぬしの責任は一切問わぬ。行かせた我らの責任だと思っておる」
「一清よ、例の観山寺の依頼から始めてもらうのはどうかの?」
「観山寺?」
「左様、青州に観山寺という古刹があっての。そこの常廉和尚はわしの昔なじみの男なんじゃが、そやつから寺に起きた怪異を解決してくれ、と依頼が来ておったのでな」
薊州から青州となるとかなりの距離だ。直線でも千里(約五百㎞)弱ある。歩けば片道二週間というところか。まぁ旅自体は別にかまわない。むしろ野に伏し山に寝、石に枕し流れに漱ぐ、そんな暮らしは好きだし、ここに来るまでに何度も野宿はしてきたあてのない流浪より、目的地がある旅の方がどれほど心強いことか。
「分かりました。で、どなたの護衛をすれば?」
「そうさの。いきなり二人も三人も護衛してくれ、は大変だからまずはお試しでひとりだけ……となると、顔見知りにもなったことだし、先ほどの四娘でどうじゃろうか」
「あれですか……あれは坤道五人の中でも一番のお転婆ですが、迷惑では?」
「あはは、大丈夫でしょう。『黒旋風』の兄貴ほどではないと思います」
それを聞いた一清と羅真人は、顔を見合わせてぷっと吹き出した。
「ふふふ、そりゃもっともだ」
「黒旋風」李逵……「天殺星」という物騒な名の星を持つ、梁山泊一の暴れん坊である。かつて羅真人を殺そうと企み、逆に散々な目に遭わされたことがあるのだ。
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