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第一章
薊州顕星観~二仙山(二)
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大男は、玉砂利の上を音も無く走り寄ってきた若者に驚き、後方に跳びすさった。
いったいどっから現れやがった、何にしてもこいつの軽功(身軽で素早い功夫)は油断ならねえと、大男は身構えた。
少女は少女で、尻餅をついたままいきなり目の前に現れた若者の背中を、ぽっかり口を開けて見つめている。
「てめえ何者だ、そのガキの仲間か?」
大声を張り上げる男に向かい、若者は拱手(片手の拳をもう片手で包むように行う挨拶)し、極めて穏やかな表情を作り、静かな口調で話しかけた。
「袁の兄ぃ、お初にお目にかかります。私は小乙と申す通りがかりの者です。まぁちょいとお気を鎮めなさって、話をきいてくだせえ」
大男は気勢をそがれ両手を下ろした。少女ははっと我に返り、急いで立ち上がって小乙の背後に隠れた。飛刀は構えたままだが、剣を抜く様子は見えない。
「たまたま聞こえちまったんですが、この子は魔物退治に来ただけで、別にあなた方袁ご兄弟ともめたいわけじゃなかった。それなのにいきなり攫うだの手籠めにするだの、売り飛ばすだの言ったあなた方にも、非があるんじゃござんせんか?」
「そうよそうよ!あんたらが悪いんじゃない、自業自得よ!」
元気を取り戻した少女が、小乙の背中から囃し立てる。小乙と名乗った若者は、内心(せっかく相手を落ち着かせて、穏便に済ませようとしてるのに黙っててくれよ)と、背中で手をひらひらさせて制しようとしたが、少女は開放感からかますます強気になり、大男に向けて赤ん目をしている。小乙は小さくため息をついて続けた。
「それにここいらで名高い袁兄弟が、子供相手に本気にならなくても。ほんの十歳になるかならないかの小さな……痛っ!」
少女が握りこぶしで小乙の背中を叩いたのである。
「失礼ね!これでももう十三歳なんだから、子供じゃないわよ!」
(絶対十三には見えないって)小乙は心の中でぼやいた。
大男は怒りに血管が浮き出るほど顔を真っ赤にし、
「ふざけやがって、やい、小乙とか言ったな。俺ぁ袁大朗ってえ、ここいらじゃちいと知られた男だ。ガキの頃から五人揃って、強請集りかっぱらい、押し込み火付け強盗人殺しと、やりたい放題やってきたんだ。てめえみてえなチビの若僧が何言おうったって聞く耳なんぞ持たねえ。そのガキと一緒に切り刻んで、一斤(約六百㌘)いくらで肉屋に売ってやるから覚悟しやがれ!」
そう啖呵を切り、両手を挙げて構えを作った。
(どうやら穏便に済ませられそうにないな……)
小乙は覚悟を決め、後ろ手で合図し少女を離れさせ、足場を固めた。
戦いになると見た他の四人も、てんでに若者を煽りはじめた。
「頼むぜ兄貴、そんなチビ相手にもならねえだろうがよ」「やい色男、カッコつけてできたが、おめえ死ぬぜ」「おいガキ、助かったとか思ってんじゃねえぞ、そいつのあとはおめえだ。俺たちのお仕置きはキツいぜえ、へ、へへ」「やい、兄貴はでかいだけじゃねえぞ、少林拳の使い手なんだぜ」
それを聞いた小乙は構えを解き、「袁の兄ぃも少林門なのか?」と呼びかけてから、足を揃えて両手を持ち上げ、「昂頭独立」の「開門式」を行った。
「開門式」とは、拳法の流派によって異なる套路(修行で行う型)の最初の部分で、これを見ればだいたいどの流派の系統なのかがわかる。小乙がおこなったのは、大男と同じ少林拳の開門式である。同派であることを示せば、争いが避けられるかもしれない、と考えたのだ。
だが大男は構えを解かず、「やい小乙、てめぇの師匠は誰だ?」と問いかけてきた。
小乙は「虎田の皿」と応えた。袁大朗は少し考え、「盧か、知らねえな」とせせら笑った、「虎田の皿」は、「盧」の字を分解した一種の隠語である。もし師匠を知っていれば争いを避けられるかとも思ったが、それも叶わぬようだ。
「行くぜ!」
大朗(だいろう)は叫ぶと同時に、滑るような歩法で小乙に向かって跳び込んできた。
左、右と、次々に音をたてて拳が小乙の顔面、胴体を襲う。小乙は顔は避け、胴体は払い、全ての拳をいなしていく。
下から大朗の左足が跳ね上がり、胴体に強烈な前蹴りが飛んできた。
小乙が軽く後ろに跳ぶと、大朗の蹴りは空を切った。かと思うとその足がそのまま下に降り、同時に右足が入れ替わって前に出る。そのままの勢いで大朗はさらに距離をつめ、右拳で上段を、左拳で中段を同時に狙い、猛烈な勢いの剛拳を繰り出した。大朗の得意技「排山倒海」である。
「死んだ!」見ていた少女は目をつぶった。が、肉を打つような音は聞こえない。少女が目を開けると、小乙は大朗の両拳を「双推手」で外側にはじき出し、そのまま「蛇纏手」を使って軽く曲げた掌で手首を押さえ込んでいた。
「ちいっ!」大朗は素早く拳を引きつけ、そのまま右手の掌底を顎に、左の掌底を胴体に突き出すとともに、右足を伸ばし小乙の金的に蹴りをとばした。三カ所を同時に攻める技であるが、その瞬間小乙は身を屈め、下から大朗の蹴ってきた踵を跳ね上げ、そのまま片足立ちになった左足を丸く刈り込むように「後掃腿」で払ったのだ。
たまらず仰向けに宙に浮いた大朗の手首を捕らえ、背中から落ちた瞬間、腕を巻き込むように背後に捻じあげ、そのままうつ伏せに押さえ込んだ。
「くそ、放せ、放しやがれ!」
ジタバタと藻掻《もが》けども、体の小さな小乙の、どこにそんな力があるものなのか、ピクリとも動けない。これは「擒拿術」と呼ばれる武術の一種で、関節を極めたり、経穴や急所を押さえて相手の動きを制圧する技である。
「なぁ袁の兄ぃ、こっちゃあ別にあんたと揉めたいわけじゃねぇんだ、諦めてここから立ち去っちゃぁくれねぇかい?」
背中に乗り、右手をねじり上げながら小乙が聞く。
「それとも、このままここで死ぬかい?」
小乙(しょういつ)は大郎の太い首の後ろの「気兪穴」の経穴を、じわじわと親指で押し込みながら尋ねた。膝でも同時に背骨の「命門穴」の急所を押さえつけている。
小乙の親指が五分(一、五㎝)ほど首にめり込んだかと思うと、「ぐわぁ痛てぇイテェ! わかった! 諦めて出てく! 出てくから放してくれぇ! 」
どれほど痛いものなのか、大郎ほどの豪胆な大男が、耐えきれずボロボロ涙を流しながら叫んだ。
「動くな!」
少女の声が響き、「ぐふっ!」といううめき声。小乙が振り返ると、さっきまで座り込んでいた男が腹を押さえて悶絶し、胃液を吐き散らしている。その足下に矢をつがえたままの弓が落ちている。どうやらこの男がこっそり後ろから小乙を射ようとしたのに気づいた少女が、玉砂利を土手っ腹に打ち込んだらしい。
「他の奴らも、妙な動きをしたら同じめに遭わすよ!」
少女が、「どうだ」と言わんばかりに、掴んでいる玉砂利を男たちに見せながら睨みつける。
いったいどっから現れやがった、何にしてもこいつの軽功(身軽で素早い功夫)は油断ならねえと、大男は身構えた。
少女は少女で、尻餅をついたままいきなり目の前に現れた若者の背中を、ぽっかり口を開けて見つめている。
「てめえ何者だ、そのガキの仲間か?」
大声を張り上げる男に向かい、若者は拱手(片手の拳をもう片手で包むように行う挨拶)し、極めて穏やかな表情を作り、静かな口調で話しかけた。
「袁の兄ぃ、お初にお目にかかります。私は小乙と申す通りがかりの者です。まぁちょいとお気を鎮めなさって、話をきいてくだせえ」
大男は気勢をそがれ両手を下ろした。少女ははっと我に返り、急いで立ち上がって小乙の背後に隠れた。飛刀は構えたままだが、剣を抜く様子は見えない。
「たまたま聞こえちまったんですが、この子は魔物退治に来ただけで、別にあなた方袁ご兄弟ともめたいわけじゃなかった。それなのにいきなり攫うだの手籠めにするだの、売り飛ばすだの言ったあなた方にも、非があるんじゃござんせんか?」
「そうよそうよ!あんたらが悪いんじゃない、自業自得よ!」
元気を取り戻した少女が、小乙の背中から囃し立てる。小乙と名乗った若者は、内心(せっかく相手を落ち着かせて、穏便に済ませようとしてるのに黙っててくれよ)と、背中で手をひらひらさせて制しようとしたが、少女は開放感からかますます強気になり、大男に向けて赤ん目をしている。小乙は小さくため息をついて続けた。
「それにここいらで名高い袁兄弟が、子供相手に本気にならなくても。ほんの十歳になるかならないかの小さな……痛っ!」
少女が握りこぶしで小乙の背中を叩いたのである。
「失礼ね!これでももう十三歳なんだから、子供じゃないわよ!」
(絶対十三には見えないって)小乙は心の中でぼやいた。
大男は怒りに血管が浮き出るほど顔を真っ赤にし、
「ふざけやがって、やい、小乙とか言ったな。俺ぁ袁大朗ってえ、ここいらじゃちいと知られた男だ。ガキの頃から五人揃って、強請集りかっぱらい、押し込み火付け強盗人殺しと、やりたい放題やってきたんだ。てめえみてえなチビの若僧が何言おうったって聞く耳なんぞ持たねえ。そのガキと一緒に切り刻んで、一斤(約六百㌘)いくらで肉屋に売ってやるから覚悟しやがれ!」
そう啖呵を切り、両手を挙げて構えを作った。
(どうやら穏便に済ませられそうにないな……)
小乙は覚悟を決め、後ろ手で合図し少女を離れさせ、足場を固めた。
戦いになると見た他の四人も、てんでに若者を煽りはじめた。
「頼むぜ兄貴、そんなチビ相手にもならねえだろうがよ」「やい色男、カッコつけてできたが、おめえ死ぬぜ」「おいガキ、助かったとか思ってんじゃねえぞ、そいつのあとはおめえだ。俺たちのお仕置きはキツいぜえ、へ、へへ」「やい、兄貴はでかいだけじゃねえぞ、少林拳の使い手なんだぜ」
それを聞いた小乙は構えを解き、「袁の兄ぃも少林門なのか?」と呼びかけてから、足を揃えて両手を持ち上げ、「昂頭独立」の「開門式」を行った。
「開門式」とは、拳法の流派によって異なる套路(修行で行う型)の最初の部分で、これを見ればだいたいどの流派の系統なのかがわかる。小乙がおこなったのは、大男と同じ少林拳の開門式である。同派であることを示せば、争いが避けられるかもしれない、と考えたのだ。
だが大男は構えを解かず、「やい小乙、てめぇの師匠は誰だ?」と問いかけてきた。
小乙は「虎田の皿」と応えた。袁大朗は少し考え、「盧か、知らねえな」とせせら笑った、「虎田の皿」は、「盧」の字を分解した一種の隠語である。もし師匠を知っていれば争いを避けられるかとも思ったが、それも叶わぬようだ。
「行くぜ!」
大朗(だいろう)は叫ぶと同時に、滑るような歩法で小乙に向かって跳び込んできた。
左、右と、次々に音をたてて拳が小乙の顔面、胴体を襲う。小乙は顔は避け、胴体は払い、全ての拳をいなしていく。
下から大朗の左足が跳ね上がり、胴体に強烈な前蹴りが飛んできた。
小乙が軽く後ろに跳ぶと、大朗の蹴りは空を切った。かと思うとその足がそのまま下に降り、同時に右足が入れ替わって前に出る。そのままの勢いで大朗はさらに距離をつめ、右拳で上段を、左拳で中段を同時に狙い、猛烈な勢いの剛拳を繰り出した。大朗の得意技「排山倒海」である。
「死んだ!」見ていた少女は目をつぶった。が、肉を打つような音は聞こえない。少女が目を開けると、小乙は大朗の両拳を「双推手」で外側にはじき出し、そのまま「蛇纏手」を使って軽く曲げた掌で手首を押さえ込んでいた。
「ちいっ!」大朗は素早く拳を引きつけ、そのまま右手の掌底を顎に、左の掌底を胴体に突き出すとともに、右足を伸ばし小乙の金的に蹴りをとばした。三カ所を同時に攻める技であるが、その瞬間小乙は身を屈め、下から大朗の蹴ってきた踵を跳ね上げ、そのまま片足立ちになった左足を丸く刈り込むように「後掃腿」で払ったのだ。
たまらず仰向けに宙に浮いた大朗の手首を捕らえ、背中から落ちた瞬間、腕を巻き込むように背後に捻じあげ、そのままうつ伏せに押さえ込んだ。
「くそ、放せ、放しやがれ!」
ジタバタと藻掻《もが》けども、体の小さな小乙の、どこにそんな力があるものなのか、ピクリとも動けない。これは「擒拿術」と呼ばれる武術の一種で、関節を極めたり、経穴や急所を押さえて相手の動きを制圧する技である。
「なぁ袁の兄ぃ、こっちゃあ別にあんたと揉めたいわけじゃねぇんだ、諦めてここから立ち去っちゃぁくれねぇかい?」
背中に乗り、右手をねじり上げながら小乙が聞く。
「それとも、このままここで死ぬかい?」
小乙(しょういつ)は大郎の太い首の後ろの「気兪穴」の経穴を、じわじわと親指で押し込みながら尋ねた。膝でも同時に背骨の「命門穴」の急所を押さえつけている。
小乙の親指が五分(一、五㎝)ほど首にめり込んだかと思うと、「ぐわぁ痛てぇイテェ! わかった! 諦めて出てく! 出てくから放してくれぇ! 」
どれほど痛いものなのか、大郎ほどの豪胆な大男が、耐えきれずボロボロ涙を流しながら叫んだ。
「動くな!」
少女の声が響き、「ぐふっ!」といううめき声。小乙が振り返ると、さっきまで座り込んでいた男が腹を押さえて悶絶し、胃液を吐き散らしている。その足下に矢をつがえたままの弓が落ちている。どうやらこの男がこっそり後ろから小乙を射ようとしたのに気づいた少女が、玉砂利を土手っ腹に打ち込んだらしい。
「他の奴らも、妙な動きをしたら同じめに遭わすよ!」
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