ルシード_α

倉名まさ

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ルシード_α

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 ベッド脇の間接照明が淡い光を作る薄暗い寝室に、わたしの嬌声が響く。
 この淫らで甘い声が、自分の中から出てくることがどうしても信じられなかった。
 けど、声をあげるのを抑えられない。

 わたしの上を温かな指が、ざらつく舌が滑り、休むひまを与えてくれない。
 間断なく攻め立てられ、時にはくすぐったいようなもどかしさに背筋が痙攣し、時には津波のような快楽の波に押し流される。
 全身は汗ばみ、髪が乱れのもよだれが垂れるのも気にする余裕がなかった。

 甘く、それでいてたくましい声が耳元でわたしの名を何度もささやく。
 吐息とともに耳朶に伝わるその声を聞くだけで、全身がぞくぞくと震えてしまう。

 自分の意志とは無関係に脚が広がってゆき、秘部をさらす。
 まるで動物みたいなだらしない格好。
 恥ずかしいはずなのに、その羞恥心すら快楽に変わっていく。

 わたしの願望をすぐに汲み取り、”彼”の指が、舌が足の付け根へと滑りおりていく。
 でも、すぐには核心に触れない。
 ゆっくりと、周縁を触れるか触れないかの力でなぞっていく。
 焦らされるほど、熱望が胸の奥底からせりあがる。
 “早く触って”そう叫びそうになった。

 でも、けっきょくは”彼”にされるがままになってしまう。
 “彼”にすべてを委ねることが、一番気持ちよくなれる道なのだと、本能的に分かっていたから。

 とうとう、わたしの一番敏感な部分を舌がなぞった。
 脳が痺れるような快感に、頭が真っ白になる。
 腰が浮かび上がったのを、ぼんやりと自覚する。

 そこからは容赦のない攻めが続いた。
 わたしは自分でも信じられないくらい甲高いあえぎ声をあげていた。
 何度も、何度も……数えるのもバカバカしくなるほど絶頂に達する。
 少し休ませて! そう思っても”彼”の攻めは止まない。

 それが、わたしの心からの本心ではないからだ。
 わたしの奥底にある、獣のような欲望はもっともっと快楽を欲しがっていた。
 与えられれば与えられるほど、より激しく、深く、むさぼろうとする。

 もうろうと白く飛びかけた意識の中。
 指や舌とは明らかに違う、硬く、熱を帯びた”彼”のものがわたしの割れ目をなぞるのを感じた。
 “いや” 口から出かかった言葉を飲み込む。
 “止めて”そう命じれば、”彼”は動きを止めてしまう。
 

 とうとう、わたしは”彼”を拒まなかった。
 “彼”の男根がゆっくりとわたしを差しつらぬき――
 わたしの理性は吹き飛び、自分の上げた絶叫に近いよがり声が、別人のもののようにどこか遠くから響いて聞こえた。


 ☽☽☽


 はぁ……。
 汗と唾液と、その他いろんな液体でぐしょぐしょになったシーツをネットに入れて洗濯機に放りこみ、わたしは深々とため息をついた。
 、やってしまった。
 シャワーを浴び、着替えを済ませてもまだ、身体の火照りは抜けていなかった。

 ちらりと、部屋の片隅でいまは微動だにしなくなった“彼”に視線をやる。
 整ったなかにも、どこか親しみを感じさせるような柔らかな顔立ち。
 すらりと痩せているのに引き締まった肉体。
 しなやかに柔らかく、けれどたくましく力強い四肢。
 まるで女の理想を立体化したような姿だ。
 いや”ような”じゃない。
 まさにそれは、大量の女ユーザーのアンケートをもとに造られた理想形そのものなのだ。

 女性向け性行為専用アンドロイド、”ルシード_α”。
 それが”彼”の名だ。
 なんというか……自分のことを棚にあげて言うのもなんだけど、”彼”を見ていると人類の欲望もここまできてしまったかという感じがする。

 初めて同趣旨のアンドロイドが誕生したのは、男性向けの女性型としてだった。
 なぜか和風な名前で”更紗_初号機”と名付けられたそれが販売された時、世間では猛烈なバッシングの嵐が荒れ狂った。
 “女性差別だ”、 “品性下劣”、”性犯罪を著しく助長する”、などなど、フェミニスト団体、人権保護団体、人工知能研究会、ありとあらゆる組織が販売差し止めを迫った。

 それでも人の欲望とは止められないもの。
 “更紗_初号機”は猛批判を浴びながらも、同時に飛ぶように売れた、らしい。
 そして、性行為専用アンドロイドはその後も改良に改良を重ね、とうとう女性向けの機種が誕生した。
 一説には”女性差別だ”との声をかわすために開発されたのだとも言う。
 事実”ルシード_α”が販売されたとたん、一部の団体からの批判の声はぴたりと止んでしまった。

 世論の風よけに造られたにしては、その性能はすさまじい。
 一ユーザーとして、はっきり断言できた。
 しかしながら、“彼”は性行為以外には何もできない。
 料理も洗濯もできないし、買い物中重い荷物も持ってくれないし、おはようのあいさつすらしてくれない。何もしていないときは、等身大の動かぬ人形が部屋の片隅にあるのは、かなり異様な光景だった。
 わたしは彼が家に来てから、友人も家族も一度たりとも家に招いたことはなかった。

 代わりに性行為に極振りされたその性能は、人類最高峰の叡智の結晶……のムダ使いと言えるだろう。

 “彼”は行為中、わたしの心拍数、体温、呼吸を正確に読み取り、つど最適解となる愛撫を選択する。
 まるで医療行為のような正確さなのに、それを機械的と思わせないスムーズさで。
 それも、回数を重ねるたびにわたしの性向をインプットし、改良されていく。
 いまではすっかりわたし専用にカスタマイズされ、”彼”にとってわたしを絶頂に導くのは赤子の手をひねるより簡単になってしまったことだろう。
 皮ふや舌先の感触は人間のそれと酷似しているのに、ヒトには不可能な微振動機能が備わり、ヒトの舌では届かないはずの箇所まで愛撫できてしまう。
 言うまでもなく、男根は理想の形状と硬さを持ち、決して萎えることはない。
 分泌される潤滑油は、もちろん唾液のような細菌は含まれておらず、人体に安全無害なことが保証されている。

 “ルシード_αを知ってしまったら、もう彼氏には戻れない”
 メーカーの売り文句は誇張でも比喩でもなく、事実そのものだった。
 ルシード_αは、それまで女性向けに発売されたアダルトグッズとは別次元の存在だ。
 もし“彼”を購入しなければ、決して知ることのなかったであろう快楽。

 もちろん、購入にはものすごく抵抗があった。
 これに手を出すことは、人としてのなにかを捨てる気がしてならなかった。

 でも……。
 結婚までいくものだと思っていた彼氏と別れて数年が経ち……。
 独り身の夜はあまりにも長すぎた。

 たまたま、女性用アダルト動画でルシード_αのレビューを”実践”付きで上げているユーザーを見つけ……。
 わたしの奥底でくすぶっていた”女”に火がついた。
 ほろ酔い気味で動画を見ていたこともあって、ためらいを振り切って勢いで購入をクリックしてしまった。

 それが期待外れなものだったらどんなにか良かっただろう。
 結果はもう、言わなくても分かるはずだ。
 動画で伝わるルシード_αのすごさは、実物の何百分の一にも過ぎなかった。
 わたしはすっかり、その快楽の沼に溺れた。
 一週間に一度、週末密かに楽しんでいたものが、三日に一度に縮まり、気づけば毎日”彼”との性交に浸っていた。

 何度でも言うが、その快感は”彼”相手でなければ決して得られないものだ。
 飽くことなくわたしの身体は燃えあがり――
 終わったあと、罪悪感とも恐怖ともつかない感情にとらわれる。

 人間ではないものからしか得られない快楽。
 それは本当に身をゆだねてもいいものなのだろうか?
 役目を終え、動かぬ人形と化したルシード_αを見るたび不安に駆られる。
 “彼”にハマればハマるほど、まっとうな恋愛などというものから遠ざかっていく気がする。
 もう自分には人間の恋人などできはしないのではないか。

 ルシード_αとの性交は止めよう。少なくとももっと頻度は抑えよう。
 行為の後は決まってそう決心するのだが、24時間以上その決意が持ったためしがなかった。
 夜が訪れると同時、わたしの身体はルシード_αを求める。

 もうこれは、中毒と呼べるレベルに達してしまったのかもしれない。
 性行為専用アンドロイド相手でしかイケない淫乱な身体。
 こんなわたしに好意を寄せてくれる人間の男の人なんて、もうどこにもいないのかもしれない。


 ☽☽☽


 けど、そんなわたしの悲嘆はあっさり終わりを告げた。
 彼氏ができたのだ。

 もう一生涯そんな縁はないだろう、と思っていたのに付き合うとなったらあっさりしたものだった。
 相手は職場の五歳も年下の後輩だ。
 わたしの男性遍歴からすれば意外な相手といえるかもしれない。
 我ながら面食いな自覚はあったし、年上かせいぜい同い年の相手としかいままで付き合ったことはなかった。
 彼は、そんなわたしのタイプからすればかなり的外れな相手だった。

 わたしよりも背が低いし、お世辞にもハンサムなほうだとは言えない。
 けど、彼のことは入社した時から嫌いじゃなかった。
 年上のわたしと付き合おうというのに背伸びしたところは全然なくて、まっすぐで、どこか少年めいたところのある奴だ。
 告白は彼のほうからだけど、いつの間にかお互い自然と惹かれあっていた感じだ。
 心臓がバクバクするようなときめきを覚える男性ではない代わり、一緒にいてほっとするような相手だった。
 週末、どんな場所でデートをしても、彼となら自然体で、楽しいひと時を過ごせた。

 ただ……セックスだけは避けていた。
 もちろん、わたしがルシード_αの購入者であることは彼には告げていない。
 浮気には当たらないかもしれないけど、ドン引かれたりしたら最悪だ。
 彼と付き合うようになってからルシード_αとの性交頻度は減らしていたけどゼロにはならない。
 理性とは別の部分が、どうしても”彼”を求めていた。

 女の性を知り尽くし、望むすべての快楽を与えてくれるルシード_α。
 きっとそれと引き比べたら、彼氏との情事は物足りなく感じてしまうことだろう。
 それが怖かった。

 “人間とのセックスはこんなものか”
 もしそう思ってしまったなら、自分がなにかおぞましい化け物に変わったみたいだ。
 彼氏のこともわたし自身のことも否定する結果になりかねない。
 そう思うと怖くてしかたないのに、わたしはルシード_αの利用を止められないでいた。

 奥手なフリをして、わたしはその日が来るのをそれとなく引き延ばし続けていた。
 けど、季節が一つ移り変わる頃にはもう、限界が訪れていた。

 彼はなりふり構わず、ストレートにわたしをホテルに誘った。
 ちょっと洒落たフレンチの店でディナーとささやかなワインを楽しんだ後。
 彼はわたしと別れようとはしなかった。
 翌日は仕事も休みで、特別な用事もない。
 夜の街灯でもはっきりそれと分かるほど顔を真っ赤にして、わたしと一泊を過ごすことをおそるおそる申し出た彼を拒むことなど、わたしにはできなかった。
 とうとう、この日がきてしまったのだ。


 ☽☽☽


 悲しいことに、わたしの不安は的中してしまった。
 彼の手つきはたどたどしく、それでいて乱暴だった。
 もちろん、わたしを傷つけようとしてそうしているわけじゃないことは分かってる。
 ただ少し、経験が足りないだけだ。
 年上の女として、どうして欲しいか口にして伝えるべきなんだろう。

 けど……、ルシード_αならわたしが何も言わなくても察してくれる。わたしの望みを感じてくれる。
 たとえ、どれだけ言葉で伝えても彼には正確には伝わりきらないだろう。
 ルシード_αならもっと優しく、どこまでも丁寧に触れてくれる。
 ルシード_αならもっと深くわたしの欲望を引きずりだしてくれる。
 ルシード_αなら……ルシード_αなら……。

 どんなに意識を切り替えようとしても、比較するのを止められない。
 そんな自分がイヤでイヤでたまらなかった。

 とうとうわたしは、彼の手をおざなりに押しのけてしまった。
 “もういい。大丈夫だから”そんな冷たい言葉とともに……。

 かわいそうに。
 彼の顔ははっきり青ざめて、どうしていいのか分からずにうろたえていた。
 大の大人がいまにも泣き出しそうだ。
 裸の背中がひどく小さくちぢこまって見えた。
 “すみません”消え入りそうな声でそうつぶやいている。

 ああ、わたしはなんてひどい女なんだろう。
 彼のことを傷つけ、プライドをズタズタに踏みつけてしまった。
 もう、彼との甘い日々もこれきりかもしれない。
 でも……どうしても、もう一度彼の手に身をゆだねる気にはなれなかった。


 ☽☽☽


 なんとか彼をなぐさめたくて、わたしは半ば無意識に手を伸ばしていた。
 彼の髪を撫でる。
 長時間のうちに乾いたワックスで、かえってぼさぼさになってしまった彼の髪の感触が、わたしの手の中に流れ落ちる。

 その時、わたしの中に電流のようななにかが走った。
 彼の上半身を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
 “今度はわたしがしてあげる”
 気づくと、わたしはそうささやきかけていた。
 困惑する彼を半ば無理やり、ベッドのうえで仰向けに寝かしつけた。

 ――ルシード_αならどうするだろう。
 さっきからずっと頭の中で繰りかえされた思いが、逆の意味をもって響く。
 彼はどう触れられるのが気持ちいいだろう。どんなふうに口づけたなら、彼の快感を引き出せるのだろう。
 彼の不安を包みこむように、わたしは優しく彼の身体を愛撫する。
 その息遣い、心臓の鼓動、肌のぬくもり、そのすべてが伝わってくる。
 彼がどうして欲しいのか、その欲望も――。

 全部ルシード_αがわたしにしてくれたことと同じだ。
 もちろん、男の快楽と女の快楽では仕組みが違うことは分かってる。
 でもきっと、本質は同じだ。

 その証拠に、彼の息遣いから不安が消えて色気を帯びはじめた。
 快感に集中しはじめたのが分かる。
 わたしはもっともっと奥深くまで、彼に快楽の波を送り続けた。
 気持ちいい、それ以外なにも考えられなくなるように。

 彼がどこをどうして欲しいのか、手に取るように伝わってくる。
 けど、それをストレートに叶えてあげたりはしない。
 女と違って、男の快感は一度射精をしてしまえばしぼんでしまう。
 だから、徹底的に焦らし、小刻みに快楽を与え続け、時にはそれからあえて遠ざけ、彼を弄ぶ。
 そして最後の最後に、どこまでも深く、大きな絶頂を彼に贈るのだ。

 彼のものを口に含む。
 その口から女の子みたいな切ない喘ぎ声が漏れた。ひとたびあげると、もう声を抑えられなくなっていた。

 ――楽しい。

 わたしは心からそう思っていた。

 彼の悦びが、わたしの快感に変わっていく。
 まるで快楽のさざ波が指先や、触れている肌を通して自分のものになるみたいだ。
 性交に、こんな楽しみ方があるのを、初めて知った。
 わたしにこんな技術が身についていたことも、いまこの時初めて知った。
 仰向けになった彼にまたがり――
 わたしは自分の中に彼のものを招いた。

 ルシード_αを購入して良かった。
 わたしは初めて、心の底からそう思っていた。
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