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後編

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 その後。
 俺こと、カスージョが魔王陛下への忠誠心に目覚めたところで、原作マンガの中では、しょせん端役。
 勇者パーティーの快進撃は、なかなか止まらなかった。

 原作知識を駆使して、勇者たちの動向を先回りし、色々と魔王陛下に助言はしてみたものの、正史を完全に覆すまでにはなかなか至らなかった。

 けれど、まったくのムダでもない。
 原作ではすでに死んでいるはずの魔王軍の配下がまだ活躍していたり、逆に勇者側で本来今後活躍するはずの勢力を撃破したりといった違いは生まれている。

 その甲斐あってか、あたしの忠誠心はほかの幹部たちにも認められ、過去のカスージョから完全に生まれ変わった、と魔王軍の中でも評判だった。

 いや、他の誰かのことはどうでもいい。
 それより――、

「カスージョ。余にはそなただけが頼りじゃ」

 俺の腕の中で、魔王アジュラザード様が甘えた声で言う。
 玉座の間では、けっして見せないようなお姿だった。

「もったいないお言葉でございます」

 言葉では謙遜しながらも、俺は魔王陛下の前髪を優しく撫でる。
 そう、俺はアジュラザード様の溺愛を一身に受けていた。

 いまもこうして、何人《なんぴと》たりとも侵入を許されないはずの、陛下の私室に招かれていた。
 ソファに並んで座り、頭をもたれる魔王陛下の小さなお身体を、両腕で抱きとめている。
 君臣の垣根を越えて、まるで姉か母親のように慕ってくれる。

 俺の腕の中で安らぐアジュラザード様は、あまりにもか細い。

 考えてみたら、魔王軍は男社会。
 魔王陛下は絶大なるお力を持ったお方とはいえ、この人間界に現界されて間もなく、こんな幼い子どものような姿をしている。

 人間界では自身の絶大な魔力を十分にコントロールできず、いつも病に冒されているような状態だ。

 威厳に満ち満ちたそのお姿の裏では、人知れず孤独な不安を抱えてもいたのだろう。
 同性である俺にだけは、そんなか弱いお姿も見せてくれる。
 マンガを読むだけでは知れなかった、陛下の一面だ。 

 転生前の男としてのファン魂と、転生後の女魔族としての母性愛から、俺は魔王様に骨抜きにされていた。
 そして、きっと、魔王様も俺のことを……。

 原作からは完全に逸脱しているけど、こんな蜜月の日々がずっと続けば……。
 そう願わずにはいられない。

 けど、当然ながらそんな願いは叶わない。
 どんなに辛くても、これは人類と魔王軍の戦争なのだ。
 その終わりは、俺の予想よりもずっと早く訪れた。

 ◇◆◇

 魔王城、軍議の間。
 ここで、魔王アジュラザード様を中心に、あたしと六魔将軍の面々が伝令からの報告を聞いていた。
 六魔将軍と言っても、すでに半数は勇者パーティーに撃破され、残るは俺、カスージョと、雷獣帝レアオン、暗黒騎士団長タルタロスの三人が残るのみだった。

「大変です! 勇者パーティーが魔紅炉に侵入しました!!」
「なんだと!?」

 伝令からの報告に会議の場は騒然となった。
 俺も、その知らせに動揺を隠せなかった。

 ――バカな、早すぎる!?

 俺たち魔族は、この人間界では自分たちに備わった圧倒的な魔力を十分に操れない。
 これまで、勇者パーティーに負けてきたのも、そういう地の利が向こうにあったからだ。

 その状況を改善するため、魔紅エネルギーと名づけられた、魔界の魔力とよく似た性質の動力炉が開発されていた。
 その炉を中心に据えた、巨大な研究施設こそが魔紅炉であった。

 つまり、我々魔王軍の膝元まで、勇者たちが進軍してきたということに他ならない。
 原作では「魔紅炉編」は、かなり終盤のほう。
 正史であれば、まだ、勇者たちは魔紅炉に到達できるレベルではなかったはずだ。

 俺が、魔王軍のためにアレコレ画策して、原作ルートを回避し続けたのが、勇者パーティーの方にも影響を与えてしまったのか……。
 どうやら勇者たちは、俺の策に対抗して、原作にないスピードで力をつけているようだ。

 マズい。
 このままでは、愛しき魔王陛下の命までもがあやうい。
 原作では、魔紅炉編の後は、いよいよクライマックス、魔王城攻略編が始まってしまう。
 そこまで話が進んだなら、俺がいかに原作知識を持っていようと、彼らを止めるのは困難だ。
 かくなるうえは……。

「おのれ勇者どもめ。我らの計略に勘付きおったか!」
「あれを破壊されては、我らの世界侵略に大きな支障をきたす。早急に対処せねば……」

 レアオンとタルタロスが歯噛みしながらも言う。

「――いえ、いっそ破壊してしまいましょう」

 俺は静かな声でふたりに告げる。

「何を言っている、カスージョ!?」
「……正気か!?」

 俺の発言にふたりはさらに色めき立つ。
 ただひとり、魔王陛下だけは何かに気づいたように「はっ」と目を見開いた。

「魔紅炉は巨大な魔のエネルギーの塊。暴発すれば、周囲一帯の生命を根絶やしにするほどの破壊力を秘めているわ。いかに勇者たちが強運の持ち主だと言っても、その爆発に巻き込まれて生きていられるはずがない……」
「そ、それは……。しかし、魔紅炉を暴発させることなど、できる者は……」
「そう。誰もいないでしょう。魔王陛下に次ぐ、絶大なる魔力を持つ、このあたし以外は」

 レアオンの言葉に、あたしは決然とうなずいてみせる。

「なっ、ならぬ! それはならぬ!!」

 ガタン!
 と、アジュラザード陛下が、椅子を蹴倒して立ち上がった。

 その顔は痛々しいほどに蒼白だった。
 俺は幼子に言い聞かせるように、ゆっくりと諭す。

「陛下、おこらえください。何よりも、勇者たちの殲滅こそが優先事項。魔紅炉の再建など、その後でどうとでもなりましょう」
「炉の心配などはしておらぬ! おぬし、勇者たちを道連れに自爆するつもりじゃな!?」
「…………」

 俺は否定の言葉を返せなかった。
 レアオンたちも、沈痛な面持ちで息を呑んでいる。

「もとより、この身は魔王陛下の悲願成就のためにあるもの。そのいしずえとなれるのでしたら、たとえ炉とともにこの身が粉々に砕けようとも、本望にございます」

 原作では、カスージョはこの魔紅炉爆破の策を思いつきながらも、自分では手をくだしたがらなかった。

 部下たちを魔力で操って、遠隔操作で魔力を送り込み、なんとか爆発させようとするも、それがなかなかうまくいかない。
 グダグダやってるうちに、勇者たちは魔紅炉を脱出し、無駄に炉を吹き飛ばすだけの結果に終わった。

 それと同じ轍は踏めない。
 勇者たちを確実に抹殺しようと思ったら、俺が至近距離から、直接魔紅炉のコアを暴発させるしかない。

「ダメだ! 余にはおぬしが必要だ。断じてならぬ!」

 まるで子どもが駄々をこねるように、魔王陛下は涙声で叫ぶ。
 そのお姿に、ウッと胸を打たれた。
 自分の目がらしも熱くなってくる。

「それほどまでに、あたしのことを想ってくださっているのですね」

 俺は、陛下へと歩み寄り、目線を合わせるように、かがみ込んだ。

「愛しております、アジュラザード陛下」

 そして、その愛らしい唇に、そっと自分の唇を重ねる。
 小さな、けれどたしかな弾力を持った柔らかな感触が伝わってくる。

「……ッ!?」

 魔王陛下は目を丸くし、頬を赤く染めた。

「カスージョ、なんということを!?」
「不敬であるぞ!」

 さすがのラオネルとタルタロスも動揺している。
 実を言うと、俺も、自分がやったことにびっくりだ。

 感極まって我を失っていた。
 俺、魔王様にキスしてしまったのか!?

 けど、唇に残る温かな感触に、心が落ち着いてくる。
 ……これで覚悟も決まった。

「レアオン、タルタロス」

 俺が目で合図すると、ラオネルたちは意図を察したようだ。

「陛下、ご無礼をお許しください」
「何卒、カスージョの決意をお汲みください」

 言いつつ、アジュラザードの両脇をがっしりと抑えこむ。
 キスに呆然としていた陛下は、一瞬、反応が遅れた。

「な、何をする、貴様ら!? ええい、はなせッ!!」

 陛下は暴れようとするも、本来の力を取り戻してないお姿では、最側近のふたりの羽交い絞めをほどけなかった。

「行くな、カスージョ、戻れっ!!」

 陛下の悲痛な叫びに胸が痛くなる。
 けど、それをこらえ、俺はラオネルたちに目を向けた。

「レアオン、タルタロス。陛下のことを頼んだわ」

 ふたりは無言でうなずきを返した。
 レアオンは獅子の顔で、人間には表情がよく分からない。

 タルタロスはフルフェイスの兜に素顔を隠している。
 けれど、ふたりの目からはたしかに、俺《カスージョ》への畏敬の念を感じられた。

 俺は彼らに背を向け、軍議の間をあとにした。
 振り向けば、未練が残る。

 だから、足早に向かう。
 勇者一行がいるはずの、戦場へと。

 見ていろ、勇者ども。
 このカスージョ、たとえこの身が砕けようとも、愛しき魔王陛下には指一本触れさせはしない。
 もう、死亡フラグ回避なんてどうでもいい。

 勇者打倒のため、悪の限りを尽くし華々しく散ることこそ、宿命じゃないのか。
 それが魔王様のためなら、死も恐ろしいものとは感じなくなっていた。


 それが、悪の女幹部である、この俺の生き様だ。
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