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夏の章 領地経営とふたり暮らし

第19話 嵐の夜

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 昼までは、おだやかな天候だった。
 うっすらとくもり、風が少し強かったけれど、酷暑《こくしょ》が続いていたので、むしろ過ごしやすいくらいだった。

 わたしは、朝から郊外の畑地を見回っていた。
 領主として就任してからの、いつもの日課だった。
 けど、畑で働いていた男たちは、あわただしい様子で耕作を切りあげはじめた。

 そして、四方に支柱を打ちつけ、大きな布で畑をおおっていく。
 どこの畑地でも、似たようなことをしていた。

「これは?」

 わたしはその作業を手伝いながら問う。

「へえ。夜には強い嵐がきます。その対策でさぁ」
「嵐? ほんとか?」

 わたしには兆候が何も感じられなかった。
 けれど、彼らは当然のことのようにうなずく。

「これはかなり荒れますな」
「だなぁ。領主様も早くお戻りになったほうがいい」

 わたしには分からないが、彼らの長年の経験からそう断じるのであれば、素直にしたがっておいたほうがいいだろう。
 屋敷に戻る前に厩舎《きゅうしゃ》にも寄ってみたけれど、スペルディアも落ち着かない様子だった。
 厩舎の管理人も、いつもより厳重に、木の扉を二重に閉め、かんぬきをしていた。

 わたしには、少しおおげさ過ぎるように思えた。
 まるで魔物が襲ってくるようなものものしい警戒体制は、どこか滑稽にすら見えた。

 けど、その夜には、舐めていたことを後悔するハメになった。

 ◇◆◇

 すさまじいのひと言につきる、嵐の一夜だった。

 レイデン地方の晩夏特有の現象だそうで、王都では経験したことのないものだ。
 屋敷の中にいてもバリバリと家鳴りがやまず、壁も天井もわたしをおどしつけ続ける。
 風がうなり、雨粒が叩きつける。
 そして何より――、

 どがあぁぁぁん。

「ぴゃあぁっ!?」
 
 雷鳴がとどろくたび、変な悲鳴が出る。
 領主としての威厳もへったくれもなかった。

 奥歯が鳴り、涙目になるのをどうしても止められない。
 怖い、怖すぎる。

 ――わたしは白薔薇の騎士ナターシャ。雷なんて、恐れるに足りない。怖くない、怖くない、怖くない、怖くない、怖くない……。

 そう必死で自分に言い聞かせる。
 でも……。

 ピカ、ゴロッ、どかぁぁん。

「みゃあぁぁ!?」

 雷鳴が轟音を立てると、あえなく撃沈する。
 怖い、やっぱり怖いよぉ……。
 広すぎる館の造りが、恐怖を倍増させていた。

 鋼鉄戦姫こうてつせんきと呼ばれたこのわたし。
 何を隠そう、かみなりが、かなり苦手だった。

 けど、宮廷にいた頃はここまで怖くなかった。
 ちょっとビクっとなるていどで済んでいたのに、カナリオ村の雷鳴はなんでこんなに恐ろしいのだろう……。

「レイリア様の喉からも、そんな女の子みたいな悲鳴が出るんですね」
「ぐぬぬ……」

 そりゃ、悲鳴にまでナターシャ様をならった声音なんて作れない。
 雇い主が本気で怯えているというのに、カレンはのんきなものだった。
 
 もっとも、屋根が飛ばないよう重しを載せてもらう大工を手配したり、食料や汲み置いた水を村の者に運んでもらったり、窓に戸板をはめたり……と、嵐の対策を全部やってくれたのはカレンだ。

 彼女を恨むのは筋違いではある。
 それは分かる。
 理屈では、十分、分かってるんだけど……。

「なあ、これ、屋敷に落ちたりしないのか!?」
「さあ?」
「さあって……ひうぅっ!」
「そのときは痛みを感じる間もなく黒焦げでしょうから、あまり気にしても仕方ないかと思います」
「そうは言っても……。んぎゃああっ!? なあなあ、これ、風で屋敷がぺしゃんこになったりしないか!?」
「そのときは村ごと全滅ですね。ここが一番頑丈な造りでしょうから」

 カレンの冷静さが心底うらやましい。
 そして、うらめしい……。
 
 夜になると、ますます嵐は強まった。
 昼ごろから暗くはあったが、あたりの闇が濃くなると、風雨の気配が化け物じみて感じられる。
 巨人が終始、館をがたがたと揺さぶり、無数の手でごつごつと叩きまわっているみたいだ。
 そして、轟音と閃光とともに、稲光が間断なく落ちてくる。

「ぎぃゃああっ。ちょっ、い、いまのは物凄かったぞ!? む、村に落ちたんじゃないか!?」
「いえ。音と光に少し間がありましたから、もう少し遠いのではないかと……」

 わたしとカレンはいま、屋敷の食堂にふたりでいた。
 ふだんは村のほかの者たちの食習慣にならい、朝、昼二食で済ましているが、今夜だけはカレンが簡単な夕食を作ってくれた。
 せっかく食料を買いこんだから、とカレンは言っていたけど、たぶんそれだけが理由じゃない。

 きっと、怯えるわたしに、少しでも長くいっしょにいる時間を作ろうと、配慮してくれたのだろう。
 もし、いつものとおり一人で部屋に戻っていたら、いまごろ恐怖とショックで頭がどうにかなっていたかもしれない。

 彼女の気づかいは、ほんとにありがたい。
 ありがたいんだけど……。

 できればもう少しだけ、いっしょにいるときは優しくしてほしかった……。
 カレンはいつもどおり淡々としている……ようでいて、かみなりに怯えるわたしの姿をちょっと楽しんでいるような気がするのは、わたしの邪推だろうか?

「さて、もう夜もけてきました。そろそろ部屋に戻ります」
「も、もう寝るつもりか、カレン?」
「ええ。嵐のあとは、きっと仕事がたくさんあるはずです。レイリア様も、もうおやすみになられては?」

 カレンは無情にも、食堂の席を立とうとする。
 彼女の言うことは、いちいちもっともだ。

 嵐が去ったなら、村の被害状況を見て回らないといけない。
 人的被害が起こってないかを最優先で確認し、畑や家屋の状態もあらため、必要があれば早急に修理や保障の計画を立てるべきだ。

 けど、それはそれ、これはこれだ。
 いまは、この嵐の夜の恐怖に打ち勝つことが、大問題だった。

「なあカレン……」
「なんでしょう?」

 小首をかしげるカレンに、わたしはためらいながらも懇願した。

「そのぅ……今日はわたしの部屋でいっしょに寝てくれないか?」
「はぁ?」

 うぅ……。
 カレンの心底あきれかえった顔が、胸に痛い。
 それでもわたしは、前言を撤回する気になれなかった。

  とにかく、一人きりにしてほしくない。
 カレンはいつものように、ため息をつく。

「その分の特別お手当はでますか?」
「むっ、がめついことを……」
「冗談です。……仕方ないですね。今晩だけですよ」
「……すまない。恩に着る」

 完全にカレンの手のひらの上だった。
 悔しいけれど、怖いもんは怖いのだからしょうがない。

 わたしはビクビクと肩をすぼめながら、カレンに手を引いてもらい、二階の自室に向かう。
 部屋に入ろうとしたその前に、カレンが思い出したように振り返った。

「ところで、お手洗いは済ませましたか、レイリア様?」
「いや、まだ……。その、付いてきてくれないか、カレン」
「はぁ……。そうおっしゃるような気がしていました」

 屋敷のかわやは離れにある。
 しっかりした造りの渡り廊下のおかげで、濡れる心配はない。
 けど、とにかく暗くて怖い。
 渡り廊下の恐ろしさは、屋敷の中にいるときの比じゃなかった。
 
 叩きつけるような激しい風雨が、魔物の吠え声のようだ。
 廊下は真っ暗闇で、手にした燭台の灯りだけでは、あまりにも心もとない。
 そして、そんな暗闇を圧倒する稲光が、突然目をくらませるのだ。

 もはや手を引いてもらうだけじゃ、まっすぐ歩くこともままならず、カレンにすがりつき、震えながら渡り廊下を進む。
 さすがにトイレの中にまでついてきてもらうわけにはいかず、廊下で待っていてもらった。

「ひいぃん!」
「レイリア様、怖いのは分かりましたけど、わたしもいいかげん眠いので、早くお済ませください」
「わ、分かってる。けどぉ……」

 帰り道もカレンにしがみつきながら戻った。
 嵐に慣れるどころか、だんだん怖いのが悪化している気がした。

 部屋に戻ってからも、震えが止まらなかった。
 自分でも、何にそんなに怯えているのか分からない。
 けど、怖くてしかたなかった。

 カレンにあきれられるのも無理ないだろう。
 それを気にする余裕もなかった。

 そんなわたしの肩をトントンとカレンが叩く。

「あの、レイリア様」
「な、何……?」

 もう、ナターシャ様になりきった声を作ることもできなかった。
 涙目になって、彼女の顔を振り返る。
 と、カレンは至近距離で--

「わっ!」

 かつて彼女から聞いたことのない、大声を出した。

「ひゃあッ!」

 冗談ぬきで、わたしの身体は、床からくるぶし分くらいまで飛び上がった。
 そのまま心臓が口から飛び出るかと思った。

「な、なんのマネだ!?」

 叫びながらも、まだ胸がバクバク言っている。
 カレンは淡々と返してきた。

「わたしも小さいころ、同じことを兄たちにされましたので……」
「その意趣返しをわたしにするのはどうかと思うぞ!?」

 声をあらげて、断固抗議する。
 目尻に涙を浮かべたままでは、あまり迫力はないかもしれないけど……。

 よほどそんなわたしの顔がおかしかったのか……。
 カレンは――くすくすと声を漏らして笑っていた。

「か、カレンが……笑った?」

 目の前の光景がすぐには信じられなかった。
 あのカレンが……?

 あきれるか、怒るか、冷めたまなざしで見つめるか、よくて無表情しか見たことのない彼女が……笑っている!?

「まだ怖いですか? レイリア様?」
「へっ?」

 そう言われてみると、びっくりはしたけれど、雷や風雨の音がさきほどまでよりも気にならなくなっている。
 本気でカレンに抗議しているうちに、怖いのもどこかにいってしまった感じだ。
 怒りで恐怖の感情が上書きされたというか……。

 もしかして、カレンは最初からこれを狙って……?

「……あまり怖くなくなった気がする」
「そうですか。それはよかったです」

 もうカレンは、いつもの無表情にもどっていた。
 もし、自分に怒りを向けさせることで恐怖を忘れさせてくれたなら……。

 なんて献身的な世話係なんだろう。
 感謝してもしきれない。

「ありがとう、カレン。また君に一つ教えられたな」
「はぁ……」
「村人たちのことをほんとに大事に思うなら、ときにはあえて憎まれ役を買って出ることも、領主にとっては必要なんだろうな」
「そんな大げさな話ではないと思いますが……。それでは、わたしはこれで」

 そう言って、カレンはきびすを返す。

「ちょ、ちょっとどこへ行く気だ!? いっしょに寝てくれる約束だろう?」
「……もう怖くないのでは?」
「怖い! まだ怖い! ちょっとマシになっただけだ!」

 わたしの必死の訴えが通じたのか……。
 カレンは肩をすくめながらも、部屋の中に戻ってきてくれた。

 ふたりで簡単な寝巻に着替え、ベッドにもぐりこむ。
 ランプの灯を消すと、嵐の轟音がいっそう強く感じられた。

 わたしのベッドはきっと、この村では一番ぜいたくな作りをしているんだろう。
 それでも、さすがに二人で並んで寝るには、ややせまかった。

 どうしても、背中や、腕、脚が触れ合う。
 カレンの身体は、寝巻きごしにも火照って感じられた。

 終始わたしから背を向けたまま眠り、けっしてこっちに顔を向けようとはしない。
 それでも、そのぬくもりが、いまはありがたかった。

「……もう、こういうのはこれきりにしてくださいね」
「あぁ、すまない、カレン」
「べつにいいですけど……。おやすみなさい、レイリア様」
「ああ。おやすみ、カレン」

 いまだ嵐の轟音と雷鳴はわたしをおどし続ける。
 けれど、すぐそばにある、ぬくもりに守られ……。

 わたしは、いつしか眠りに落ちていた。
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