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春の章 出会いと冷めたまなざし
第6話 なんで睨むさ……
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雲間から青空がひろがり、遠くの山々が雄大な稜線を形作っている。
新緑芽吹くなだらかな平野を曲がりくねりながら、道は続いていた。
景色はどこまでも遠くて、広い。
春の鳥が鳴きかわす声が聞こえてくるほかには、人の影も形もない。
のどかだ。
のどかで平和で……。
正直、タイクツな光景だった。
「ふわ~あ」
思わず大きなあくびが漏れる。
とがめるように、わたしの愛馬が「ひひん」と軽くいなないた。
真っ白な毛並みの軍用馬で、その名をスペルディアという。
もちろん、お気に入りの騎士道ロマンス小説に登場する馬から取って名づけた。
宮廷騎士隊に入隊したときから与えられた、わたしの相棒だ。
領地となるカナリオ村に向かう旅の途中だった。
いたたまれない宮廷での日々は過ぎ……。
やっと、領地赴任の勅命がくだったのだ。
孤児院で十八年、宮廷騎士となってから六年――。
わたしは、生まれてからずっと過ごした王都をあとにした。
任地であるレイデン地方のカナリオ村までは、ひと月あまりの旅程だ。
道中、何度かゴブリンやオークといった魔物に襲われたりもしたけど、スペルディアといっしょに軽く蹴散らした。
それくらいしか、刺激らしい刺激もなかった。
休息と食料調達のため立ち寄った宿場町も、用が済めばさっさと出立した。
各地方それぞれの町並みや人の暮らしはそれなりに興味の湧くものだったけど、どの町も王都の規模とは比べものにならないし、物見遊山の旅をしているわけではないのだ。
仮にも領主が現地に赴任しようというのに、従者もいない。
荷物を預かってくれるのは、愛馬のスペルディアだけだ。
宮廷でともに過ごした彼といっしょというのが、せめてもの救いだった。
退屈を持てあましているわたしとは対照的に、旅のあいだスペルディアはごきげんだった。
彼にとっては、窮屈な騎士団の厩舎よりも、大自然のなかのほうが野性を刺激されていいのかもしれない。
何度か、周囲に何もない高原で、彼の気のすむままに駆けまわらせてやったりもした。
王都を経ってから二十日あまり。
時間の感じかたが、旅立つまえとはまるで違った。
さいわいなことに、わたしが入隊してから宮廷騎士団が遠征しなければならないような、他国との大きな戦は起こったことがない。
けれど、いつでも対応できるよう、野宿や強行の訓練は積んでいる。
その訓練に比べれば、任地への旅は、あくびが出るほど楽なものだった。
すべてがゆっくりと、のんびりと感じられて、かえって落ち着かない。
焦る気持ちと退屈な思い。
そんな相反する感情にさいなまれる。
「なんだかなぁ……」
まわりに誰もいないと、無意味なひとり言も増えてくる。
宮廷で騎士団の同僚たちに揉まれながら、必死であがいていた日々が懐かしかった。
同僚たちからは鋼鉄戦姫とうとまれ、うまくいかないことのほうが多い毎日だったけれど、充実はしていた。
騎士になることは自分の夢であり憧れだったのだから、たいていの苦労は耐えられた。
「それなのに、どうして……」
ヒマを持てあまし過ぎると、人間ろくなことを考えない。
カオフマン宰相にハメられた、あの屈辱的な謁見が、脳裏に何度もよみがえる。
もし、ザッハード家の不正に気づいたとき、わたしがもっと用心深かったら……。
一人で突っ走らず、ヴァイスハイト団長に相談していたなら……。
賄賂にカオフマン宰相が関与しているという、動かぬ証拠が見つかるまでガマンできたなら……。
きっと、結果は違うものになっていたはずだ。
後悔したところで、あとの祭りだった。
「はぁ……。なんでこんなことになっちゃったのかな」
緑の山々が広がる周囲には誰もいない。
わたしはナターシャ様に憧れて創りあげた声音ではなく、素の口調でスペルディアに話しかけた。
彼は「さあ?」とでも言うように鼻を鳴らすだけだった。
人間界のせせこましい権力闘争なんて、彼には無関心のできごとだろう。
でも、ほかに話相手もいないのだから、グチくらい真剣に聞いてほしいものだ。
「はぁ……」
ため息ばかりが出る。
けれど、そんな旅路も、もうすぐ終わりのはずだ。
地図によれば、目的のカナリオ村の近くまで来ているのは間違いない。
とっくに、カナリオ村が属するレイデン地方には入っている。
せっかくなら、日が暮れる前に到着してしまいたかった。
それにしても……。
町や村はおろか、耕作地すらほとんど見かけない。
目に見えるのは山々や森や広原……。人の手がつかない自然ばかりだった。
想像どおり――いや、それ以上のド田舎だ。
そんな代わり映えのしない光景の中にいると、時間も距離も感覚が失せてくる。
少しずつ西にかたむく日差しだけが、時が動いていることを教えてくれていた。
その太陽が、西の山の上にさしかかったころ。
やっと景色に少しばかり変化があらわれはじめた。
遠くに畑地がちらほらと見える。
たぶん、目指すカナリオ村の畑だろう。
まだ点のようだけど、畑仕事に精を出しているらしい人たちの姿も見える。
わたしは、ちょっとだけ気持ちを引き締め直した。
領地経営の任務をまっとうすれば、宮廷騎士に返り咲ける可能性はあるのだ。
となれば、目の前のことに全力を尽くすしかない。
考えてみれば、騎士道ロマンス小説の主人公は誰しも、苦難のときを経験している。
魔の島に流刑になり、敵軍にとらわれ、妖精の森に迷い込み……。
順風満帆の活躍ばかりのヒーローなんて、騎士道ロマンス小説の中には一人もいなかった。
そんな絶体絶命のピンチを経たのち、見事な逆転劇を見せ、真の騎士として活躍するのだ。
もちろん、ナターシャ様だって例外じゃない。
あの人もまた、無実の罪を着せられ、宮廷を一度追放されていた。
そう思うと、いまのわたしにそっくりだ。
ならば、わたしも逆に考えよう。
この逆境は、わたしが騎士として華麗に復活するチャンスなんだ、と。
きっと、団長が言っていたのも、そういうことなんだ。
……けど、領地経営って、具体的になにをしたら成功なんだろう?
実はそんな根本的なとこから、よく分かってなかった。
騎士物語の小説にも、あまりそういう場面は登場しなかったし……。
まあ、いいや。
村にたどり着いて現地を見てみれば何か思いつくかもしれないし、着いてから考えよう。
そんなてきとうなことを思いながらさらに進むと……。
風に乗って、どこかから、水の音が聞こえてきた。
首を巡らせてみると、道の左手に川が見えた。
そこそこの距離があってもせせらぎが聞こえるくらい、大きな川だ。
そして――
カナリオ村の者だろう。
一人の少女が、川のほとりに身をかがめていた。
薄い肌着姿で、亜麻色の長い髪を水にひたし、洗っている。
遠目にも、細身の体のラインがくっきりとよく見える格好だった。
宮廷貴族が見たら卒倒するような姿だが、田舎の村ならではの、おおらかさを感じる。
そしてそれは、はっと目が冴えるような美しい光景だった。
まるで、ロマンス小説の挿絵から抜け出したようだ。
昼日中の光景でありながら、満月の夜の幻影が少女の背後に見えるような気がした。
幻想的とすら思えるその姿に、わたしは吸い寄せられたように目がはなせなかった。
と、彼女もこちらに気づいた様子だ。
顔をあげ、遠くてもはっきりと分かる強いまなざしで、わたしの顔を見ている。
恥じらうというよりも、睨みつけていた。
美しく整った顔立ちなぶん、かえってその表情にはすごみがあった。
キッとわたしに厳しい目を向け、肌着の胸元を両手で隠すようにかきあわせる。
そして、わたしから背を向け、視線を避けるように、足早に木立の中にまぎれ—―少女の姿は見えなくなった。
「うぅ……」
そのキツい視線が、やけに胸に刺さった。
少女が見えなくなってからも、頭からはなれない。
覗き魔だとでも思われたのだろうか……。
遠目にはわたしの性別が分からなかったのかもしれない。
とはいえ、彼女の美しさに見惚れていたのも事実だ。
なんでこんなにショックを受けるのか、自分でもよく分からなかった。
そんなわたしの内心が伝わったのか、スペルディアがあきれたようにいなないた。
新緑芽吹くなだらかな平野を曲がりくねりながら、道は続いていた。
景色はどこまでも遠くて、広い。
春の鳥が鳴きかわす声が聞こえてくるほかには、人の影も形もない。
のどかだ。
のどかで平和で……。
正直、タイクツな光景だった。
「ふわ~あ」
思わず大きなあくびが漏れる。
とがめるように、わたしの愛馬が「ひひん」と軽くいなないた。
真っ白な毛並みの軍用馬で、その名をスペルディアという。
もちろん、お気に入りの騎士道ロマンス小説に登場する馬から取って名づけた。
宮廷騎士隊に入隊したときから与えられた、わたしの相棒だ。
領地となるカナリオ村に向かう旅の途中だった。
いたたまれない宮廷での日々は過ぎ……。
やっと、領地赴任の勅命がくだったのだ。
孤児院で十八年、宮廷騎士となってから六年――。
わたしは、生まれてからずっと過ごした王都をあとにした。
任地であるレイデン地方のカナリオ村までは、ひと月あまりの旅程だ。
道中、何度かゴブリンやオークといった魔物に襲われたりもしたけど、スペルディアといっしょに軽く蹴散らした。
それくらいしか、刺激らしい刺激もなかった。
休息と食料調達のため立ち寄った宿場町も、用が済めばさっさと出立した。
各地方それぞれの町並みや人の暮らしはそれなりに興味の湧くものだったけど、どの町も王都の規模とは比べものにならないし、物見遊山の旅をしているわけではないのだ。
仮にも領主が現地に赴任しようというのに、従者もいない。
荷物を預かってくれるのは、愛馬のスペルディアだけだ。
宮廷でともに過ごした彼といっしょというのが、せめてもの救いだった。
退屈を持てあましているわたしとは対照的に、旅のあいだスペルディアはごきげんだった。
彼にとっては、窮屈な騎士団の厩舎よりも、大自然のなかのほうが野性を刺激されていいのかもしれない。
何度か、周囲に何もない高原で、彼の気のすむままに駆けまわらせてやったりもした。
王都を経ってから二十日あまり。
時間の感じかたが、旅立つまえとはまるで違った。
さいわいなことに、わたしが入隊してから宮廷騎士団が遠征しなければならないような、他国との大きな戦は起こったことがない。
けれど、いつでも対応できるよう、野宿や強行の訓練は積んでいる。
その訓練に比べれば、任地への旅は、あくびが出るほど楽なものだった。
すべてがゆっくりと、のんびりと感じられて、かえって落ち着かない。
焦る気持ちと退屈な思い。
そんな相反する感情にさいなまれる。
「なんだかなぁ……」
まわりに誰もいないと、無意味なひとり言も増えてくる。
宮廷で騎士団の同僚たちに揉まれながら、必死であがいていた日々が懐かしかった。
同僚たちからは鋼鉄戦姫とうとまれ、うまくいかないことのほうが多い毎日だったけれど、充実はしていた。
騎士になることは自分の夢であり憧れだったのだから、たいていの苦労は耐えられた。
「それなのに、どうして……」
ヒマを持てあまし過ぎると、人間ろくなことを考えない。
カオフマン宰相にハメられた、あの屈辱的な謁見が、脳裏に何度もよみがえる。
もし、ザッハード家の不正に気づいたとき、わたしがもっと用心深かったら……。
一人で突っ走らず、ヴァイスハイト団長に相談していたなら……。
賄賂にカオフマン宰相が関与しているという、動かぬ証拠が見つかるまでガマンできたなら……。
きっと、結果は違うものになっていたはずだ。
後悔したところで、あとの祭りだった。
「はぁ……。なんでこんなことになっちゃったのかな」
緑の山々が広がる周囲には誰もいない。
わたしはナターシャ様に憧れて創りあげた声音ではなく、素の口調でスペルディアに話しかけた。
彼は「さあ?」とでも言うように鼻を鳴らすだけだった。
人間界のせせこましい権力闘争なんて、彼には無関心のできごとだろう。
でも、ほかに話相手もいないのだから、グチくらい真剣に聞いてほしいものだ。
「はぁ……」
ため息ばかりが出る。
けれど、そんな旅路も、もうすぐ終わりのはずだ。
地図によれば、目的のカナリオ村の近くまで来ているのは間違いない。
とっくに、カナリオ村が属するレイデン地方には入っている。
せっかくなら、日が暮れる前に到着してしまいたかった。
それにしても……。
町や村はおろか、耕作地すらほとんど見かけない。
目に見えるのは山々や森や広原……。人の手がつかない自然ばかりだった。
想像どおり――いや、それ以上のド田舎だ。
そんな代わり映えのしない光景の中にいると、時間も距離も感覚が失せてくる。
少しずつ西にかたむく日差しだけが、時が動いていることを教えてくれていた。
その太陽が、西の山の上にさしかかったころ。
やっと景色に少しばかり変化があらわれはじめた。
遠くに畑地がちらほらと見える。
たぶん、目指すカナリオ村の畑だろう。
まだ点のようだけど、畑仕事に精を出しているらしい人たちの姿も見える。
わたしは、ちょっとだけ気持ちを引き締め直した。
領地経営の任務をまっとうすれば、宮廷騎士に返り咲ける可能性はあるのだ。
となれば、目の前のことに全力を尽くすしかない。
考えてみれば、騎士道ロマンス小説の主人公は誰しも、苦難のときを経験している。
魔の島に流刑になり、敵軍にとらわれ、妖精の森に迷い込み……。
順風満帆の活躍ばかりのヒーローなんて、騎士道ロマンス小説の中には一人もいなかった。
そんな絶体絶命のピンチを経たのち、見事な逆転劇を見せ、真の騎士として活躍するのだ。
もちろん、ナターシャ様だって例外じゃない。
あの人もまた、無実の罪を着せられ、宮廷を一度追放されていた。
そう思うと、いまのわたしにそっくりだ。
ならば、わたしも逆に考えよう。
この逆境は、わたしが騎士として華麗に復活するチャンスなんだ、と。
きっと、団長が言っていたのも、そういうことなんだ。
……けど、領地経営って、具体的になにをしたら成功なんだろう?
実はそんな根本的なとこから、よく分かってなかった。
騎士物語の小説にも、あまりそういう場面は登場しなかったし……。
まあ、いいや。
村にたどり着いて現地を見てみれば何か思いつくかもしれないし、着いてから考えよう。
そんなてきとうなことを思いながらさらに進むと……。
風に乗って、どこかから、水の音が聞こえてきた。
首を巡らせてみると、道の左手に川が見えた。
そこそこの距離があってもせせらぎが聞こえるくらい、大きな川だ。
そして――
カナリオ村の者だろう。
一人の少女が、川のほとりに身をかがめていた。
薄い肌着姿で、亜麻色の長い髪を水にひたし、洗っている。
遠目にも、細身の体のラインがくっきりとよく見える格好だった。
宮廷貴族が見たら卒倒するような姿だが、田舎の村ならではの、おおらかさを感じる。
そしてそれは、はっと目が冴えるような美しい光景だった。
まるで、ロマンス小説の挿絵から抜け出したようだ。
昼日中の光景でありながら、満月の夜の幻影が少女の背後に見えるような気がした。
幻想的とすら思えるその姿に、わたしは吸い寄せられたように目がはなせなかった。
と、彼女もこちらに気づいた様子だ。
顔をあげ、遠くてもはっきりと分かる強いまなざしで、わたしの顔を見ている。
恥じらうというよりも、睨みつけていた。
美しく整った顔立ちなぶん、かえってその表情にはすごみがあった。
キッとわたしに厳しい目を向け、肌着の胸元を両手で隠すようにかきあわせる。
そして、わたしから背を向け、視線を避けるように、足早に木立の中にまぎれ—―少女の姿は見えなくなった。
「うぅ……」
そのキツい視線が、やけに胸に刺さった。
少女が見えなくなってからも、頭からはなれない。
覗き魔だとでも思われたのだろうか……。
遠目にはわたしの性別が分からなかったのかもしれない。
とはいえ、彼女の美しさに見惚れていたのも事実だ。
なんでこんなにショックを受けるのか、自分でもよく分からなかった。
そんなわたしの内心が伝わったのか、スペルディアがあきれたようにいなないた。
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