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第一話 受付嬢レベッカ
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せまく、うす暗い一室だった。
外は春まっさかりの陽気だというのに、この部屋ではその気配が微塵《みじん》も感じられない。
換気のために設けられている窓も、背の高い書棚にさえぎられ、日が差さない。
冒険者ギルドの一室だ。
冒険者たちが出入りする表側は、木造の安酒場のような造りだが、カウンターの奥にこのような殺風景な一室があることを知る者はほとんどいない。
通称、事務処理部屋。
ギルド関係者以外は立ち入り禁止区域なうえに、使用しているのは職員の中でもほとんど、一名だけだった。
「んぎゃあぁぁ~!!!」
そのほぼ唯一の使用者が奇声をあげた。
冒険者ギルドの受付嬢レベッカだ。
背が低く、全体的に子どものような体型の少女だった。
銀の髪を肩まで伸ばし精一杯大人っぽく見せようとしているものの、トレードマークになっている右目の片眼鏡《モノクル》が、丸い顔立ちと大きな目をかえって強調して見えた。
見る人が見れば、彼女の体型の特徴がドワーフ族の女性のものであることに気づくだろう。
ヒトよりも長命な種族で、彼女が見た目通りの子どもとは限らないとも、思い当たるはずだ。
長机とセットの椅子に座り、書類の山と格闘している最中だった。
先ほどから、淡々と事務作業をしているかと思えば、時おり「ふぎゃああ~!」だの「むぎいぃぃ~!」だの、発情期のネコのような奇声を上げていた。
そうでもしないと、本気で発狂しかねなかった。
「これ! 半年前に発行されたギルド本部からの要請じゃないですか!? ああもう、急いでクエストを立てないと。ああ! 『天狼の牙』さんたちのAランク昇格の報酬まだ支払ってなかったの!? クレームもんですよ!? って、紅魔石の採集クエストいつまで募集かけてるんですか!? とっくにもうこれ終わったヤツ!?」
声をあらげているが全部ひとり言だ。
聞く者は他にいない。
それでも文句は止まらず、時には謎の絶叫に変わる。
「はぁ。早く冒険者さんたちの顔が見たい……」
そっとため息をついた。
本来であれば、いまごろはギルドのカウンターに座り受付嬢の仕事をしているはずだったのだ。
手にした書類は恐ろしいほどのスピードと正確さで処理されていくが、それでも書類の山はまだまだ大量にあった。
「あ~、もう。こうなる前になんで手を付けとかないかな~、マスターは~?」
レベッカのぼやきは止まない。
ウワサをすればなんとやら。
彼女が口に出した“マスター”が、部屋のドアを開けて、背後から呼びかけた。
「調子はどうだい、レベッカくん。差し入れにプリン買ってきたけど……」
レベッカはまなじりを吊り上げて、彼を振り返った。
「な~んでマスターがのんきにおやつ買いに行ってるんですか!? これ、マスターの仕事ですよね?」
マスターと呼ばれた男は「いやいやまあまあ」とあいまいな笑みを浮かべて、頭をぼりぼりかいている。
冒険者ギルドマスター、エドアルド。
立派な黒いあごひげに、オールバックになでつけられた髪。
長身にカーキ色のチョッキがよく似合っていて、見た目だけならギルドマスターという呼び名がしっくりくる、ダンディな渋さを醸しだす男だった。
だが、レベッカから叱られて困り笑いを浮かべているいまの彼に、威厳なんてものはどこにもない。
「だって、君がやった方が僕より十倍くらい早いし正確なもんだから……」
マスターの返答にレベッカは頭を抱えてうなった。
「あーもう! せめて人雇いましょうよ、マスター! ギルドに事務処理できる人間が一人だけとか、おかしいですよ!?」
「う~ん。そうは言っても、君ほど優秀な人間がそう見つかるとも思えないしなぁ。ダリアくんは元々受付係志望で入ってきた子だし……」
「わたしだって受付ですよ!」
よもや忘れられてはいないだろうな。
そんな思いを込めて、レベッカは叫んだ。
マスターの口にしたダリアというのは、レベッカの同僚の名前だった。
ギルドの表看板を担い、冒険者たちと接するのが二人の役目だった。
シフト制で、レベッカが非番の際はダリアが受付を担う。
そういう仕組みになっていた。
それがいつの間にか、レベッカ一人、ギルドの受付と事務作業の両方を担うようになっている。
ある時、山と抱えた書類を抱えたエドアルドの姿を見かねて、「手伝いましょうか?」と声をかけたのが運の尽きだった。
本人も無自覚だったが、レベッカの事務処理能力の腕は、王宮の秘書官にも劣らないレベルだった。
仮に高級秘書の試験を受けたとしても、彼女なら合格するだろう。
けれど、そんな貴重な人材をギルドから流出させるのを惜しんだマスターは、そのことをレベッカには教えていなかった。
レベッカ自身、冒険者ギルドの受付を天職と考えていたから、王宮で働こうなんて気持ちは微塵もない。
いちおう、エドアルドも自分の仕事をレベッカに押しつけるのは申し訳ないという意識はあるのか、ギリギリまで自分でやろうとして溜めこむ。
溜めこんで溜めこんで、けっきょく「ムリ!」と諦め、最終的にはレベッカに全部放り投げる。
ギルド本部への報告期日と、決算日がすぐ間近にせまっていた。
彼女にとっては、最初から任されていたほうがまだマシだった。
表で活躍している冒険者たちが気にかけることはないが、実際のところ、冒険者ギルドの業務処理は楽ではない。
ギルドから発行されるクエストは冒険者の命がかかわることでもあり、市民の生活を守る大事な案件が少なくない。
冒険者ギルド本部から提出を求められるレポートだけでも、ひどく煩雑なものだった。
その上、冒険者ギルドというのは、町の議会からも予算を頂戴している、半官半民の組織でもある。
ヘタな仕事をしては、予算の半減や本部からの監査につながりかねない。
「まあまあ。ほら、ボーナスはずむからさ」
エドアルドはそんなレベッカの苦悩などどこ吹く風で、へらへらしていた。
レベッカはトゲを含んだ声で返す。
「まあ、職員の給与明細作ってるのもわたしですし……。やろうと思えば自分のボーナス、桁二つ分くらい上乗せできますけどね」
「やめて! それ僕気づけないから」
情けないことこのうえない懇願をするエドアルド。
レベッカははぁ、と大仰にため息をつき、
「プリン、机の端に置いといてください」
諦めきった声でそう告げた。
もうそれきりで、マスターのことは頭の中から追いやり、再び書類の山と格闘する。
エドアルドも、これ以上何か話しかけても彼女の怒りを買うだけだと分かっている様子で、そうっとプリンを置き、部屋を後にした。
「せめて、冒険者さんのリストをもう少し整理してくれませんかね。名前もランクもバラバラで……。って、あれ、この方……もしかして」
レベッカは冒険者リストをパラパラとめくりながらため息をついていたが、ふと、一人の冒険者のステータスに目を止め、じっくりと見入った。
「……クラスは盗賊純特化《シーフ・スペシャル》。……間違いない。こんなスゴイ人がうちのギルドに所属してたのに、気づかなかったなんて。……ああ、もったいない」
真剣な顔つきになって、一人そうつぶやいていた。
外は春まっさかりの陽気だというのに、この部屋ではその気配が微塵《みじん》も感じられない。
換気のために設けられている窓も、背の高い書棚にさえぎられ、日が差さない。
冒険者ギルドの一室だ。
冒険者たちが出入りする表側は、木造の安酒場のような造りだが、カウンターの奥にこのような殺風景な一室があることを知る者はほとんどいない。
通称、事務処理部屋。
ギルド関係者以外は立ち入り禁止区域なうえに、使用しているのは職員の中でもほとんど、一名だけだった。
「んぎゃあぁぁ~!!!」
そのほぼ唯一の使用者が奇声をあげた。
冒険者ギルドの受付嬢レベッカだ。
背が低く、全体的に子どものような体型の少女だった。
銀の髪を肩まで伸ばし精一杯大人っぽく見せようとしているものの、トレードマークになっている右目の片眼鏡《モノクル》が、丸い顔立ちと大きな目をかえって強調して見えた。
見る人が見れば、彼女の体型の特徴がドワーフ族の女性のものであることに気づくだろう。
ヒトよりも長命な種族で、彼女が見た目通りの子どもとは限らないとも、思い当たるはずだ。
長机とセットの椅子に座り、書類の山と格闘している最中だった。
先ほどから、淡々と事務作業をしているかと思えば、時おり「ふぎゃああ~!」だの「むぎいぃぃ~!」だの、発情期のネコのような奇声を上げていた。
そうでもしないと、本気で発狂しかねなかった。
「これ! 半年前に発行されたギルド本部からの要請じゃないですか!? ああもう、急いでクエストを立てないと。ああ! 『天狼の牙』さんたちのAランク昇格の報酬まだ支払ってなかったの!? クレームもんですよ!? って、紅魔石の採集クエストいつまで募集かけてるんですか!? とっくにもうこれ終わったヤツ!?」
声をあらげているが全部ひとり言だ。
聞く者は他にいない。
それでも文句は止まらず、時には謎の絶叫に変わる。
「はぁ。早く冒険者さんたちの顔が見たい……」
そっとため息をついた。
本来であれば、いまごろはギルドのカウンターに座り受付嬢の仕事をしているはずだったのだ。
手にした書類は恐ろしいほどのスピードと正確さで処理されていくが、それでも書類の山はまだまだ大量にあった。
「あ~、もう。こうなる前になんで手を付けとかないかな~、マスターは~?」
レベッカのぼやきは止まない。
ウワサをすればなんとやら。
彼女が口に出した“マスター”が、部屋のドアを開けて、背後から呼びかけた。
「調子はどうだい、レベッカくん。差し入れにプリン買ってきたけど……」
レベッカはまなじりを吊り上げて、彼を振り返った。
「な~んでマスターがのんきにおやつ買いに行ってるんですか!? これ、マスターの仕事ですよね?」
マスターと呼ばれた男は「いやいやまあまあ」とあいまいな笑みを浮かべて、頭をぼりぼりかいている。
冒険者ギルドマスター、エドアルド。
立派な黒いあごひげに、オールバックになでつけられた髪。
長身にカーキ色のチョッキがよく似合っていて、見た目だけならギルドマスターという呼び名がしっくりくる、ダンディな渋さを醸しだす男だった。
だが、レベッカから叱られて困り笑いを浮かべているいまの彼に、威厳なんてものはどこにもない。
「だって、君がやった方が僕より十倍くらい早いし正確なもんだから……」
マスターの返答にレベッカは頭を抱えてうなった。
「あーもう! せめて人雇いましょうよ、マスター! ギルドに事務処理できる人間が一人だけとか、おかしいですよ!?」
「う~ん。そうは言っても、君ほど優秀な人間がそう見つかるとも思えないしなぁ。ダリアくんは元々受付係志望で入ってきた子だし……」
「わたしだって受付ですよ!」
よもや忘れられてはいないだろうな。
そんな思いを込めて、レベッカは叫んだ。
マスターの口にしたダリアというのは、レベッカの同僚の名前だった。
ギルドの表看板を担い、冒険者たちと接するのが二人の役目だった。
シフト制で、レベッカが非番の際はダリアが受付を担う。
そういう仕組みになっていた。
それがいつの間にか、レベッカ一人、ギルドの受付と事務作業の両方を担うようになっている。
ある時、山と抱えた書類を抱えたエドアルドの姿を見かねて、「手伝いましょうか?」と声をかけたのが運の尽きだった。
本人も無自覚だったが、レベッカの事務処理能力の腕は、王宮の秘書官にも劣らないレベルだった。
仮に高級秘書の試験を受けたとしても、彼女なら合格するだろう。
けれど、そんな貴重な人材をギルドから流出させるのを惜しんだマスターは、そのことをレベッカには教えていなかった。
レベッカ自身、冒険者ギルドの受付を天職と考えていたから、王宮で働こうなんて気持ちは微塵もない。
いちおう、エドアルドも自分の仕事をレベッカに押しつけるのは申し訳ないという意識はあるのか、ギリギリまで自分でやろうとして溜めこむ。
溜めこんで溜めこんで、けっきょく「ムリ!」と諦め、最終的にはレベッカに全部放り投げる。
ギルド本部への報告期日と、決算日がすぐ間近にせまっていた。
彼女にとっては、最初から任されていたほうがまだマシだった。
表で活躍している冒険者たちが気にかけることはないが、実際のところ、冒険者ギルドの業務処理は楽ではない。
ギルドから発行されるクエストは冒険者の命がかかわることでもあり、市民の生活を守る大事な案件が少なくない。
冒険者ギルド本部から提出を求められるレポートだけでも、ひどく煩雑なものだった。
その上、冒険者ギルドというのは、町の議会からも予算を頂戴している、半官半民の組織でもある。
ヘタな仕事をしては、予算の半減や本部からの監査につながりかねない。
「まあまあ。ほら、ボーナスはずむからさ」
エドアルドはそんなレベッカの苦悩などどこ吹く風で、へらへらしていた。
レベッカはトゲを含んだ声で返す。
「まあ、職員の給与明細作ってるのもわたしですし……。やろうと思えば自分のボーナス、桁二つ分くらい上乗せできますけどね」
「やめて! それ僕気づけないから」
情けないことこのうえない懇願をするエドアルド。
レベッカははぁ、と大仰にため息をつき、
「プリン、机の端に置いといてください」
諦めきった声でそう告げた。
もうそれきりで、マスターのことは頭の中から追いやり、再び書類の山と格闘する。
エドアルドも、これ以上何か話しかけても彼女の怒りを買うだけだと分かっている様子で、そうっとプリンを置き、部屋を後にした。
「せめて、冒険者さんのリストをもう少し整理してくれませんかね。名前もランクもバラバラで……。って、あれ、この方……もしかして」
レベッカは冒険者リストをパラパラとめくりながらため息をついていたが、ふと、一人の冒険者のステータスに目を止め、じっくりと見入った。
「……クラスは盗賊純特化《シーフ・スペシャル》。……間違いない。こんなスゴイ人がうちのギルドに所属してたのに、気づかなかったなんて。……ああ、もったいない」
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