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第五章 魔道研究所襲撃
⑨幻視
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シャンナは戦士としての修練を積んでおらず、とても苦痛に耐えられないだろう。
それに彼女の潜在的な魔力は膨大なもので、魔核挿入時に何が起こるか分からない。
背後からイブナが抑え込み、俺が可能なかぎり素早く魔核を挿入する。
それが最善だ、とイブナは言う。
「凍れる大陸から連れられたときは、全身を拘束されたうえ、大勢の魔術師たちの手によって挿入されました。万一にも、儀式を終えるまえにわたしが衰弱死しないよう……」
シャンナは昏い笑みを浮かべて言う。
彼女にとって、思い出したくない記憶なのだろう。
身体が小刻みに震えている。
「心配するな、シャンナ。わたしとマハトの手にかかれば一瞬で終わる」
「はい。姉様とマハトさんのことは信じています。けど……」
シャンナはうつむき気味に返す。
「わたしのこの力が、姉様たちを傷つけるような予感がして……それが不安です」
我知らずだろう、彼女は固く唇を噛んでいた。
だが、あえてイブナはぞんざいに、それを無視した。
「つまらんことを言うな。さっさと始めるぞ」
「ちょっ、ねえさ……きゃああぁっ!?」
イブナはためらうシャンナの上衣を手早く引っぺがしていた。
……この光景、たしか二度目だったな、などということをぼんやり思う。
今度は俺も目をそらすわけにはいかなかった。
「ま、マハトさん……。心の準備というか、あまりまじまじと見られると、気恥ずかしいものが……」
「す、すまん」
シャンナは両腕で上半身をかばいながら、背中を丸めている。
そんな反応をされては、俺もどうしていいか分からなかった。
「がまんしろ。わたしだって顔から火が出るような思いをこらえたんだ」
「とてもそうは見えませんでしたが!?」
かくいうイブナもまだ、半裸のままだ。
魔族の姉妹の、ヒトのものとは微妙に異なる薄い緑の肌があらわになっている。
自分のことはこの際置くが、たしかにハイカルには見せたくない光景だ、と思う。
「マハト、魔核は持ったな」
「ね、姉様、痛い、痛いですからっ!」
「こんな程度の痛みなどすぐに分からなくなる。こらえろ」
イブナはシャンナの背後に回り、羽交い締めにしていた。
組打ちの相手をした俺だから分かることだが、とてもシャンナに引きはがせるような技ではない。
イブナは片腕をシャンナの細い首に回して、彼女の耳元にささやきかける。
「こらえきれなくなったら、わたしの腕を強く噛め。少しは気がまぎれる」
「そんなこと……」
「遠慮するな。さあ、マハト。頼んだぞ」
あまり長引かせても、かえってシャンナの恐怖心を募らせてしまうだろう。
俺はうなずきを返し、シャンナと向き合う。
イブナのときと比べ、彼女の心が乱れ、恐怖心に満ちているのを感じる。
こんな姿を見ると、戦とは無縁の、普通の少女のようだ。
イブナが彼女を戦場に立たせまいとした気持ちが、分かるような気がした。
イブナは結界を張るように、自身の魔力を高めていく。
それはうっすらとした光となり、シャンナを包みこむ。
「シャンナ。できるかぎりゆっくり呼吸してくれ。おまえの姉を信じるんだ」
「は、はい……。お願いします、マハトさん」
シャンナの身体から、少しずつ力が抜けていく。
もたれかかるように、イブナに全身を預ける。
まだ緊張は全身から抜けきっていないが、これ以上をシャンナに望むのは酷というものだろう。
イブナが「今だ」と目で合図を送ってくる。
俺はかすかにうなずき返し、そっと魔核の先端をシャンナに押し当てた。
それだけで魔力の奔流が腕に伝わってくる。
「う、ああぁぁぁぁ!!」
喉が枯れるほどの絶叫が響く。
イブナが、全身に絡めた四肢に力を込める。
シャンナはその中でのたうち、身もだえた。
手足が別の生き物であるかのように暴れ回り、イブナの拘束を解こうとする。
イブナも全力でそれをおさえこんでいる。
ここで俺がためらえば、苦痛を長引かせるだけだ。
一息に魔核を体内に差し込む。
「……ぐッ」
思わず上げた苦悶の声は、俺自身の口から出たものだった。
シャンナは絶えず悲鳴を上げ続けている。
イブナのときには感じなかった、得体のしれない巨大な力が手の中の魔核を押し戻そうとする。
無理にでも力を込めると、俺の頭にも激痛が走った。
魔術師ならぬ俺でも、油断したらこちらが飲み込まれてしまいそうな警戒心が湧きたつ。
シャンナは、内にある、こんな巨大な存在と常に戦っているのか……。
戦士ならぬ彼女が必死で苦痛をこらえている。
イブナも、全力で彼女を支えている。
俺が、ここで負けるわけにはいかなかった。
「ぐっ、おおおぉぉ!」
無意識に雄叫びを上げていた。
目の前に白い光が膨らみ、頭が焼けるように熱い。
意識が飛びかける。
シャンナのうちにある巨大な魔力が、俺とイブナの存在をかき消そうとするように、荒れ狂った。
押し負ける……!
そんな予兆が脳裏をよぎった。
――情けないものよの。
不意に、気を失いかけた俺の頭の中に、声が響いた。
イブナのものとも、シャンナのものとも違う。
厳かにして、威圧感のある声だった。
――なに……ものだ……?
俺の疑問を、声の主は鼻で笑ったようだった。
答える必要はない、と気配が伝えてくる。
――未熟なものどもだが、いたしかたない。我が器、いましばし、ぬしらに預けるぞ。
その言葉とともに、不可思議な気配が遠ざかっていく。
同時、荒れ狂うような痛みが、嘘のように消えた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
激しく肩で息をする。
戦場を駆けめぐったような疲労感が全身を襲い、顔を上げられない。
額から垂れる汗をぬぐう気力も湧かなかった。
魔核の挿入が、これほどまでの大事だとは知らなかった。
時間にすれば一瞬のできごとのはずだが、長い戦いを終えたかのような気分だった。
魔王軍が、この大陸の魔力濃度を作り変え、魔核なしでも生きられる世界を創りあげようとしているのは、魔核の挿入に耐えきれない魔族たちもいるからなのかもしれない。
そうでなくても、こんな所業を積極的に行いたいとは思わないに違いない。
また一つ、魔族のことを肌身で知れた、という想いがあった。
「……よくやってくれた、マハト」
イブナも、肩で大きく息をつきながら、声をかけてくる。
彼女が自身の魔力と気力でもってシャンナをおさえてくれていなかったら、俺も耐えきれなかっただろう。
「……成功、したのか?」
「ああ。今はシャンナの体内の魔力も安定している」
シャンナはイブナの腕の中で気を失い、ぐったりと身を横たえていた。
額に貼りついた前髪を、イブナが優しくかきわける。
「シャンナは大丈夫なのか?」
「気絶しているだけだ。問題ない」
シャンナの息はぞんがい、落ち着いた、穏やかなものだった。
気力を使い果たして眠る姿は、幼子のようにも見える。
イブナの言うとおり、大事はなさそうだった。
「水を汲んでくる。少し休んでてくれ」
「……ああ。すまない」
「そろそろハイカルの使い魔を入れた布袋も見にいったほうがいいかもな。狐か何かに持っていかれているかもしれない」
「放っておけ。それならそれでせいせいする」
イブナの言葉に苦笑を返し、俺は足がふらつきそうになるのをこらえ、近くの小川まで向かった。
水袋を満たして戻ると、イブナはすでに上衣をまとっていた。
シャンナは気絶したままだが、マントにくるんで寝かせている。
「なあ、イブナ」
「なんだ?」
「おまえには、声が聞こえたか?」
「声?」
「ああ。女のもののようだが、不思議と威厳のある声だった」
魔核をシャンナの身に挿入したときのことを、イブナに話した。
口に出してみると、おぼろげに誰かの姿を幻視したような気もする。
だが、イブナには聞こえていなかったらしい。
彼女の顔が、かすかに不安げに曇った。
「その声はシャンナの中から聞こえてきた、とおまえは言うんだな?」
「ああ、はっきりとはしないけどな……。なにか、心当たりはないのか?」
シャンナが気絶しているのをさいわいに、イブナに問う。
けれど、彼女はただ首を横に振るだけだった。
「こいつの異常な魔力には何か秘密がある、ということか……」
「心配するな。目を覚ませば、いつものシャンナに戻ってるはずだ」
「ああ、そうだな……」
「それに、何があってもおまえが付いてる。過保護なおまえが、妹をどこかにやったりしないだろ?」
「だれが過保護だ。自分の甘さを棚にあげるな」
イブナが声に出して小さく笑い、俺もそれに釣られた。
今はハイカルの目もなく、シャンナも依然目を覚まさない。
こうしてイブナと二人だけで話すのは久しぶりな気がする。
そもそも、イブナと出会ってからもそれほどの日が経ったわけではないのに、初めてブルガオル平原で衰弱した彼女を見かけたのが、遠い日のできごとのようだった。
不思議な気分だった。
「……長い旅になりそうだな」
自然と口からそう漏れた。
イブナは笑みを浮かべたまま、首を縦に振る。
「魔核もこうして手に入った。おまえには感謝することばかりだな」
「俺だって、一人で生きていたら、どうしていいか分からなかった」
俺たちは、まだ何を成し遂げたとも言えない。
けれど、感慨が湧くのをおさえきれなかった。
こうしてイブナとシャンナの二人とともに生きていられる。
次の旅の目的地がある。
それだけでも、奇跡のような気がしてくる。
シャンナが目覚めたら、長旅の準備が必要となるだろう。
ハイカルからも、まだまだ引き出したい情報は数多くあった。
人間と魔族の戦いの推移も、確認しなくてはならない。
やるべきことは山積しているはずだが、今はまだ動きたくない気分だった。
全身の疲労感ゆえか。
シャンナの立てる穏やかな寝息が、そんな気分にさせるのか。
あるいは、俺の横にいるイブナの笑みに釣りこまれているせいか。
この先に何が待ち受けているとしても、数奇な運命を経て出会ったこの魔族の姉妹となら。
イブナとシャンナの二人と一緒なら、きっと乗り越えていける。
そんな根拠のない想いが胸に去来するのに、俺はしばし身をゆだねていた。
それに彼女の潜在的な魔力は膨大なもので、魔核挿入時に何が起こるか分からない。
背後からイブナが抑え込み、俺が可能なかぎり素早く魔核を挿入する。
それが最善だ、とイブナは言う。
「凍れる大陸から連れられたときは、全身を拘束されたうえ、大勢の魔術師たちの手によって挿入されました。万一にも、儀式を終えるまえにわたしが衰弱死しないよう……」
シャンナは昏い笑みを浮かべて言う。
彼女にとって、思い出したくない記憶なのだろう。
身体が小刻みに震えている。
「心配するな、シャンナ。わたしとマハトの手にかかれば一瞬で終わる」
「はい。姉様とマハトさんのことは信じています。けど……」
シャンナはうつむき気味に返す。
「わたしのこの力が、姉様たちを傷つけるような予感がして……それが不安です」
我知らずだろう、彼女は固く唇を噛んでいた。
だが、あえてイブナはぞんざいに、それを無視した。
「つまらんことを言うな。さっさと始めるぞ」
「ちょっ、ねえさ……きゃああぁっ!?」
イブナはためらうシャンナの上衣を手早く引っぺがしていた。
……この光景、たしか二度目だったな、などということをぼんやり思う。
今度は俺も目をそらすわけにはいかなかった。
「ま、マハトさん……。心の準備というか、あまりまじまじと見られると、気恥ずかしいものが……」
「す、すまん」
シャンナは両腕で上半身をかばいながら、背中を丸めている。
そんな反応をされては、俺もどうしていいか分からなかった。
「がまんしろ。わたしだって顔から火が出るような思いをこらえたんだ」
「とてもそうは見えませんでしたが!?」
かくいうイブナもまだ、半裸のままだ。
魔族の姉妹の、ヒトのものとは微妙に異なる薄い緑の肌があらわになっている。
自分のことはこの際置くが、たしかにハイカルには見せたくない光景だ、と思う。
「マハト、魔核は持ったな」
「ね、姉様、痛い、痛いですからっ!」
「こんな程度の痛みなどすぐに分からなくなる。こらえろ」
イブナはシャンナの背後に回り、羽交い締めにしていた。
組打ちの相手をした俺だから分かることだが、とてもシャンナに引きはがせるような技ではない。
イブナは片腕をシャンナの細い首に回して、彼女の耳元にささやきかける。
「こらえきれなくなったら、わたしの腕を強く噛め。少しは気がまぎれる」
「そんなこと……」
「遠慮するな。さあ、マハト。頼んだぞ」
あまり長引かせても、かえってシャンナの恐怖心を募らせてしまうだろう。
俺はうなずきを返し、シャンナと向き合う。
イブナのときと比べ、彼女の心が乱れ、恐怖心に満ちているのを感じる。
こんな姿を見ると、戦とは無縁の、普通の少女のようだ。
イブナが彼女を戦場に立たせまいとした気持ちが、分かるような気がした。
イブナは結界を張るように、自身の魔力を高めていく。
それはうっすらとした光となり、シャンナを包みこむ。
「シャンナ。できるかぎりゆっくり呼吸してくれ。おまえの姉を信じるんだ」
「は、はい……。お願いします、マハトさん」
シャンナの身体から、少しずつ力が抜けていく。
もたれかかるように、イブナに全身を預ける。
まだ緊張は全身から抜けきっていないが、これ以上をシャンナに望むのは酷というものだろう。
イブナが「今だ」と目で合図を送ってくる。
俺はかすかにうなずき返し、そっと魔核の先端をシャンナに押し当てた。
それだけで魔力の奔流が腕に伝わってくる。
「う、ああぁぁぁぁ!!」
喉が枯れるほどの絶叫が響く。
イブナが、全身に絡めた四肢に力を込める。
シャンナはその中でのたうち、身もだえた。
手足が別の生き物であるかのように暴れ回り、イブナの拘束を解こうとする。
イブナも全力でそれをおさえこんでいる。
ここで俺がためらえば、苦痛を長引かせるだけだ。
一息に魔核を体内に差し込む。
「……ぐッ」
思わず上げた苦悶の声は、俺自身の口から出たものだった。
シャンナは絶えず悲鳴を上げ続けている。
イブナのときには感じなかった、得体のしれない巨大な力が手の中の魔核を押し戻そうとする。
無理にでも力を込めると、俺の頭にも激痛が走った。
魔術師ならぬ俺でも、油断したらこちらが飲み込まれてしまいそうな警戒心が湧きたつ。
シャンナは、内にある、こんな巨大な存在と常に戦っているのか……。
戦士ならぬ彼女が必死で苦痛をこらえている。
イブナも、全力で彼女を支えている。
俺が、ここで負けるわけにはいかなかった。
「ぐっ、おおおぉぉ!」
無意識に雄叫びを上げていた。
目の前に白い光が膨らみ、頭が焼けるように熱い。
意識が飛びかける。
シャンナのうちにある巨大な魔力が、俺とイブナの存在をかき消そうとするように、荒れ狂った。
押し負ける……!
そんな予兆が脳裏をよぎった。
――情けないものよの。
不意に、気を失いかけた俺の頭の中に、声が響いた。
イブナのものとも、シャンナのものとも違う。
厳かにして、威圧感のある声だった。
――なに……ものだ……?
俺の疑問を、声の主は鼻で笑ったようだった。
答える必要はない、と気配が伝えてくる。
――未熟なものどもだが、いたしかたない。我が器、いましばし、ぬしらに預けるぞ。
その言葉とともに、不可思議な気配が遠ざかっていく。
同時、荒れ狂うような痛みが、嘘のように消えた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
激しく肩で息をする。
戦場を駆けめぐったような疲労感が全身を襲い、顔を上げられない。
額から垂れる汗をぬぐう気力も湧かなかった。
魔核の挿入が、これほどまでの大事だとは知らなかった。
時間にすれば一瞬のできごとのはずだが、長い戦いを終えたかのような気分だった。
魔王軍が、この大陸の魔力濃度を作り変え、魔核なしでも生きられる世界を創りあげようとしているのは、魔核の挿入に耐えきれない魔族たちもいるからなのかもしれない。
そうでなくても、こんな所業を積極的に行いたいとは思わないに違いない。
また一つ、魔族のことを肌身で知れた、という想いがあった。
「……よくやってくれた、マハト」
イブナも、肩で大きく息をつきながら、声をかけてくる。
彼女が自身の魔力と気力でもってシャンナをおさえてくれていなかったら、俺も耐えきれなかっただろう。
「……成功、したのか?」
「ああ。今はシャンナの体内の魔力も安定している」
シャンナはイブナの腕の中で気を失い、ぐったりと身を横たえていた。
額に貼りついた前髪を、イブナが優しくかきわける。
「シャンナは大丈夫なのか?」
「気絶しているだけだ。問題ない」
シャンナの息はぞんがい、落ち着いた、穏やかなものだった。
気力を使い果たして眠る姿は、幼子のようにも見える。
イブナの言うとおり、大事はなさそうだった。
「水を汲んでくる。少し休んでてくれ」
「……ああ。すまない」
「そろそろハイカルの使い魔を入れた布袋も見にいったほうがいいかもな。狐か何かに持っていかれているかもしれない」
「放っておけ。それならそれでせいせいする」
イブナの言葉に苦笑を返し、俺は足がふらつきそうになるのをこらえ、近くの小川まで向かった。
水袋を満たして戻ると、イブナはすでに上衣をまとっていた。
シャンナは気絶したままだが、マントにくるんで寝かせている。
「なあ、イブナ」
「なんだ?」
「おまえには、声が聞こえたか?」
「声?」
「ああ。女のもののようだが、不思議と威厳のある声だった」
魔核をシャンナの身に挿入したときのことを、イブナに話した。
口に出してみると、おぼろげに誰かの姿を幻視したような気もする。
だが、イブナには聞こえていなかったらしい。
彼女の顔が、かすかに不安げに曇った。
「その声はシャンナの中から聞こえてきた、とおまえは言うんだな?」
「ああ、はっきりとはしないけどな……。なにか、心当たりはないのか?」
シャンナが気絶しているのをさいわいに、イブナに問う。
けれど、彼女はただ首を横に振るだけだった。
「こいつの異常な魔力には何か秘密がある、ということか……」
「心配するな。目を覚ませば、いつものシャンナに戻ってるはずだ」
「ああ、そうだな……」
「それに、何があってもおまえが付いてる。過保護なおまえが、妹をどこかにやったりしないだろ?」
「だれが過保護だ。自分の甘さを棚にあげるな」
イブナが声に出して小さく笑い、俺もそれに釣られた。
今はハイカルの目もなく、シャンナも依然目を覚まさない。
こうしてイブナと二人だけで話すのは久しぶりな気がする。
そもそも、イブナと出会ってからもそれほどの日が経ったわけではないのに、初めてブルガオル平原で衰弱した彼女を見かけたのが、遠い日のできごとのようだった。
不思議な気分だった。
「……長い旅になりそうだな」
自然と口からそう漏れた。
イブナは笑みを浮かべたまま、首を縦に振る。
「魔核もこうして手に入った。おまえには感謝することばかりだな」
「俺だって、一人で生きていたら、どうしていいか分からなかった」
俺たちは、まだ何を成し遂げたとも言えない。
けれど、感慨が湧くのをおさえきれなかった。
こうしてイブナとシャンナの二人とともに生きていられる。
次の旅の目的地がある。
それだけでも、奇跡のような気がしてくる。
シャンナが目覚めたら、長旅の準備が必要となるだろう。
ハイカルからも、まだまだ引き出したい情報は数多くあった。
人間と魔族の戦いの推移も、確認しなくてはならない。
やるべきことは山積しているはずだが、今はまだ動きたくない気分だった。
全身の疲労感ゆえか。
シャンナの立てる穏やかな寝息が、そんな気分にさせるのか。
あるいは、俺の横にいるイブナの笑みに釣りこまれているせいか。
この先に何が待ち受けているとしても、数奇な運命を経て出会ったこの魔族の姉妹となら。
イブナとシャンナの二人と一緒なら、きっと乗り越えていける。
そんな根拠のない想いが胸に去来するのに、俺はしばし身をゆだねていた。
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