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第五章 魔道研究所襲撃
③闘技場
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階段を降りてすぐに大きな扉があり、開けた先には不可思議なほどに広い空間が広がっていた。
天井は半円状に、綺麗にならされている。
床はタイル張りで、装飾などは一切ない。
俺たちがヴィオーラの森で身を潜めた洞穴よりも広いくらいだった。
巨大な実験場……。
いや、闘技場とでも呼んだほうがふさわしいだろうか。
「なんなんだ、ここは?」
「分からない。以前俺が来たときには見なかった。俺が来なかっただけか、新しく造られたのか……」
「禍々しい気配は四方から感じます。いつでも動けるよう、警戒を」
シャンナの言葉に、俺とイブナは無言でうなずく。
言われるまでもなく、この異様な光景を前に、すでに警戒心は最大限に高まっていた。
二頭のグリフォンと対峙したとき――いや、それ以上の嫌な予感が肌につきまとう。
うかつには中に踏み込まず、扉の前で周囲をうかがう。
すると、俺たちの到来を予期していたように、前方からゆっくりと足音が近づいてきた。
ついで、手を叩く乾いた音がする。……これは拍手、か?
いずれも、この空間の中で反響し、異様に大きく響いた。
このドーム状の部屋の、俺たちとは反対側の通路から、一人の男の影が姿を現した。
「くくくくっ、部下から報告を受けたが、随分と暴れ回ってくれたようじゃないか」
世間話でもするような軽い口調。
俺たちが斬った相手の中には、この男の部下となる魔術師も少なくない数含まれているはずだが、彼にとっては「少し不便になった」程度の認識でしかないだろう。
顔には笑みを貼りつかせ、怒りの色は微塵も感じられなかった。
研究所所長、魔導士ハイカル。
禿げ上がった頭部と真っ赤に充血した目のせいで、どこか魔物めいて見える男だ。
その瞳には狂気を宿し、仮面のような枠冠を頭に装着している。
さらには、俺にはなんのためのものだかも分からない、ゴテゴテと機械じみた魔道具を、白衣の上のそこかしこに身につけており、それが彼の身じろぎに合わせてうごめいていた。
何か、甲殻類のなれの果てが彼の身体に寄生しているかのような、不気味な光景だった。
年齢はよく分からない。異常なまでに血色の悪い肌が老人めいて見せるが、挙動は意外なほどに素早く、実際はまだ若い男なのかもしれない。
まさか、探していた首が向こうから現れるとは思わなかった。
余計な問答はしない。
俺は剣を構え、まっすぐにハイカルに向かって駆ける。
「マハトッ!」
ドームの中央付近に達したとき、イブナが警戒の声を上げた。
同時、俺は後ろへと跳んだ。
横から炎の魔術が飛来した。それだけではない。
電撃、氷柱、床から土槍、真空の刃。
あらゆる攻撃魔法が同時に俺に襲いかかる。
「ぐっ……」
全てはかわしきれなかったが、直撃は避けた。
手足に傷を負うが、致命傷には遠い。
「マハト、大丈夫か!?」
「大事ない。かすり傷だ」
イブナの呼び声に応えながら、俺は左右を見回した。
俺に魔術を放ったはずの相手の姿は見えなかった。
――なんだ、今のは!?
不穏な予兆はずっと続いていた。
不意打ちの警戒を怠ったつもりもない。
だが、相手の気配も殺気もまったく感じられなかった。
魔法のトラップが発動した、という感触とも違う。
周囲を警戒しながら、イブナたちもゆっくりと俺のところにやってきた。
離れたところから見ていたイブナにも、攻撃の正体は分からなかった様子だ。
「君は……なんだっけか。見かけたことがある気もするな」
ハイカルは何事もなかったかのように、声をかけてきた。
「……元勇者隊の隊長、マハトだ」
「そうか、勇者隊か。……まあ、そんなことはどうでもいい」
勇者隊隊長と聞いて、どうでもいいものと切り捨てるのは軍の中でもこの男くらいのものだろう。
人類の裏切り者として賞金首になっていることも、認識しているのかどうか……。
もっとも、俺にとっても、それはどうでもいいことだがな。
「それよりも君が連れてきてくれた魔族だ。これほど上質なサンプルは滅多に……」
奇しくも、俺が化けて喋ったのと似たようなことを、ハイカルは口走りかけた。
だが、彼は突如、驚愕に目を見開き、言葉を途切れさせた。
「な、なんだ、これは……!?」
その視線は俺の後方、イブナとシャンナに注がれていた。
いや、よく見ればその目はただ、シャンナ一人を見据えている。
「……なんという膨大な力だ! 魔族にしてもありえん!? こんな……こんなことが……」
ハイカルは、もはや俺の存在など忘れてしまったかのように、呆然とつぶやく。
シャンナの魔力容量が、魔族としても異常に高いものだということは、イブナから聞いていた。
彼女の幻術や予知の力で、俺もその片鱗は見ていた。
だが、彼の驚きようはただ事ではなかった。
たとえ人類と魔王軍の全面衝突を目のまえで見ても平然としていそうな男が、明らかに動揺している。
やがてそれは、狂気じみた笑いに変わる。
「ふっ、ふはははははは、なんと素晴らしい! こんな魔族が存在したとは! それにキサマ、その身に魂をもう一つ宿しているな。くくくくっ、実に興味深い」
イブナが彼の視線から隠すように、シャンナを後ろにかばった。
「……どういう意味ですか?」
シャンナが低い声で問いつめる。
ちらりと振り向くと、彼女は深刻に思い詰めた顔で、ハイカルの目を見返していた。
彼女の、初めて見る表情だった。
「そうかそうか、表の意識は無自覚か。なんとも面白い」
「答えてください! あなたは何を知ってるのですか!?」
シャンナの悲痛な叫びも、ハイカルには聞こえていないかのようだった。
なおも、一人つぶやき続ける。
「今日は我が研究、最良の日となるかもしれんな。なんとめでたきことか。軍人どもの退屈な要求に答えてきた甲斐があったというものだ」
喜色に唇を歪ませ、ハイカルは声を張り上げた。
「おまえたち、なんとしてでもこの魔族の娘を生け捕りにするのだ! 大きいほうと男は殺してかまわん!」
そう言い捨て、ハイカルはきびすを返す。
「待て、逃げるな!」
俺はもう一度、ハイカルに刃を向ける。
だが、数歩も行かぬうちに、魔力の盾に遮られた。
――見えざる障壁。
いつの間に張り巡らされたものか、まったく気づかなかった。
「逃げる? 私はどこへも行かぬよ」
「なにッ」
「この研究所には私の研究の成果すべてがある。この場を捨て、ムダに生き長らえたところでなんになろう?」
その言葉には、思いがけない力強さがあった。
俺はこのハイカルという男の本質を知らずにいたのではないか。
俺たちとも人類の軍とも異なるが、この男なりの信念があり、生き様がある。
それに殉ずることにかけては、戦士たちにも劣らぬものを持っているのかもしれない。
そう感じた。
「私は特等席でよく観察させてもらおう。あの魔族の娘の存在に比べれば色褪せてしまうが、君たちの戦いぶりというのも、それなりに興味深くはある」
だが、ハイカルのことをこれ以上考える余裕は、俺たちにはなかった。
彼が姿を消すと同時、扉が倒れるような、あるいは牢が壊れるような派手な音が、四方八方から聞こえた。
そして、幾つもの影が姿を現し、俺たちを取り囲む。
俺に魔術を放ったのもこの者たちだろう。しかし……、
「なんだ、こいつらは……」
俺はその異様な姿に息を呑んだ。
天井は半円状に、綺麗にならされている。
床はタイル張りで、装飾などは一切ない。
俺たちがヴィオーラの森で身を潜めた洞穴よりも広いくらいだった。
巨大な実験場……。
いや、闘技場とでも呼んだほうがふさわしいだろうか。
「なんなんだ、ここは?」
「分からない。以前俺が来たときには見なかった。俺が来なかっただけか、新しく造られたのか……」
「禍々しい気配は四方から感じます。いつでも動けるよう、警戒を」
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言われるまでもなく、この異様な光景を前に、すでに警戒心は最大限に高まっていた。
二頭のグリフォンと対峙したとき――いや、それ以上の嫌な予感が肌につきまとう。
うかつには中に踏み込まず、扉の前で周囲をうかがう。
すると、俺たちの到来を予期していたように、前方からゆっくりと足音が近づいてきた。
ついで、手を叩く乾いた音がする。……これは拍手、か?
いずれも、この空間の中で反響し、異様に大きく響いた。
このドーム状の部屋の、俺たちとは反対側の通路から、一人の男の影が姿を現した。
「くくくくっ、部下から報告を受けたが、随分と暴れ回ってくれたようじゃないか」
世間話でもするような軽い口調。
俺たちが斬った相手の中には、この男の部下となる魔術師も少なくない数含まれているはずだが、彼にとっては「少し不便になった」程度の認識でしかないだろう。
顔には笑みを貼りつかせ、怒りの色は微塵も感じられなかった。
研究所所長、魔導士ハイカル。
禿げ上がった頭部と真っ赤に充血した目のせいで、どこか魔物めいて見える男だ。
その瞳には狂気を宿し、仮面のような枠冠を頭に装着している。
さらには、俺にはなんのためのものだかも分からない、ゴテゴテと機械じみた魔道具を、白衣の上のそこかしこに身につけており、それが彼の身じろぎに合わせてうごめいていた。
何か、甲殻類のなれの果てが彼の身体に寄生しているかのような、不気味な光景だった。
年齢はよく分からない。異常なまでに血色の悪い肌が老人めいて見せるが、挙動は意外なほどに素早く、実際はまだ若い男なのかもしれない。
まさか、探していた首が向こうから現れるとは思わなかった。
余計な問答はしない。
俺は剣を構え、まっすぐにハイカルに向かって駆ける。
「マハトッ!」
ドームの中央付近に達したとき、イブナが警戒の声を上げた。
同時、俺は後ろへと跳んだ。
横から炎の魔術が飛来した。それだけではない。
電撃、氷柱、床から土槍、真空の刃。
あらゆる攻撃魔法が同時に俺に襲いかかる。
「ぐっ……」
全てはかわしきれなかったが、直撃は避けた。
手足に傷を負うが、致命傷には遠い。
「マハト、大丈夫か!?」
「大事ない。かすり傷だ」
イブナの呼び声に応えながら、俺は左右を見回した。
俺に魔術を放ったはずの相手の姿は見えなかった。
――なんだ、今のは!?
不穏な予兆はずっと続いていた。
不意打ちの警戒を怠ったつもりもない。
だが、相手の気配も殺気もまったく感じられなかった。
魔法のトラップが発動した、という感触とも違う。
周囲を警戒しながら、イブナたちもゆっくりと俺のところにやってきた。
離れたところから見ていたイブナにも、攻撃の正体は分からなかった様子だ。
「君は……なんだっけか。見かけたことがある気もするな」
ハイカルは何事もなかったかのように、声をかけてきた。
「……元勇者隊の隊長、マハトだ」
「そうか、勇者隊か。……まあ、そんなことはどうでもいい」
勇者隊隊長と聞いて、どうでもいいものと切り捨てるのは軍の中でもこの男くらいのものだろう。
人類の裏切り者として賞金首になっていることも、認識しているのかどうか……。
もっとも、俺にとっても、それはどうでもいいことだがな。
「それよりも君が連れてきてくれた魔族だ。これほど上質なサンプルは滅多に……」
奇しくも、俺が化けて喋ったのと似たようなことを、ハイカルは口走りかけた。
だが、彼は突如、驚愕に目を見開き、言葉を途切れさせた。
「な、なんだ、これは……!?」
その視線は俺の後方、イブナとシャンナに注がれていた。
いや、よく見ればその目はただ、シャンナ一人を見据えている。
「……なんという膨大な力だ! 魔族にしてもありえん!? こんな……こんなことが……」
ハイカルは、もはや俺の存在など忘れてしまったかのように、呆然とつぶやく。
シャンナの魔力容量が、魔族としても異常に高いものだということは、イブナから聞いていた。
彼女の幻術や予知の力で、俺もその片鱗は見ていた。
だが、彼の驚きようはただ事ではなかった。
たとえ人類と魔王軍の全面衝突を目のまえで見ても平然としていそうな男が、明らかに動揺している。
やがてそれは、狂気じみた笑いに変わる。
「ふっ、ふはははははは、なんと素晴らしい! こんな魔族が存在したとは! それにキサマ、その身に魂をもう一つ宿しているな。くくくくっ、実に興味深い」
イブナが彼の視線から隠すように、シャンナを後ろにかばった。
「……どういう意味ですか?」
シャンナが低い声で問いつめる。
ちらりと振り向くと、彼女は深刻に思い詰めた顔で、ハイカルの目を見返していた。
彼女の、初めて見る表情だった。
「そうかそうか、表の意識は無自覚か。なんとも面白い」
「答えてください! あなたは何を知ってるのですか!?」
シャンナの悲痛な叫びも、ハイカルには聞こえていないかのようだった。
なおも、一人つぶやき続ける。
「今日は我が研究、最良の日となるかもしれんな。なんとめでたきことか。軍人どもの退屈な要求に答えてきた甲斐があったというものだ」
喜色に唇を歪ませ、ハイカルは声を張り上げた。
「おまえたち、なんとしてでもこの魔族の娘を生け捕りにするのだ! 大きいほうと男は殺してかまわん!」
そう言い捨て、ハイカルはきびすを返す。
「待て、逃げるな!」
俺はもう一度、ハイカルに刃を向ける。
だが、数歩も行かぬうちに、魔力の盾に遮られた。
――見えざる障壁。
いつの間に張り巡らされたものか、まったく気づかなかった。
「逃げる? 私はどこへも行かぬよ」
「なにッ」
「この研究所には私の研究の成果すべてがある。この場を捨て、ムダに生き長らえたところでなんになろう?」
その言葉には、思いがけない力強さがあった。
俺はこのハイカルという男の本質を知らずにいたのではないか。
俺たちとも人類の軍とも異なるが、この男なりの信念があり、生き様がある。
それに殉ずることにかけては、戦士たちにも劣らぬものを持っているのかもしれない。
そう感じた。
「私は特等席でよく観察させてもらおう。あの魔族の娘の存在に比べれば色褪せてしまうが、君たちの戦いぶりというのも、それなりに興味深くはある」
だが、ハイカルのことをこれ以上考える余裕は、俺たちにはなかった。
彼が姿を消すと同時、扉が倒れるような、あるいは牢が壊れるような派手な音が、四方八方から聞こえた。
そして、幾つもの影が姿を現し、俺たちを取り囲む。
俺に魔術を放ったのもこの者たちだろう。しかし……、
「なんだ、こいつらは……」
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