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第三章 魔獣の住まう山脈
⑦帰還
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日がかたむく前には、俺は自力で起き上がれるまでに回復した。
イブナも、もう止めなかった。
「……呆れるほどの頑丈さと強運だな」
「それはお互い様だろ」
メスのグリフォンを圧倒して見えたイブナだが、無傷ではなかった。
生々しい傷跡が全身に残っている。
だが、それも見る見るうちに回復していた。
乱魔の病にさえ冒されていなければ、魔族の自然治癒能力はヒトのそれよりも遥かに高い。
数多の戦場に立つ彼女の肌が美しいままなのも、それゆえかもしれない。
俺は、二体のグリフォンの死骸に目をやった。
ともに首に致命傷を受け、大量の血を流しながらも、その巨体はいまなお威厳を感じるものだった。
「そう言えば、グリフォンの心臓は?」
「もう喰らった。おまえが気絶してるうちにな。シャンナの分もこのとおりだ」
そう言って、イブナは両の手で何かを掲げた。
それが氷漬けにされたグリフォンの心臓だった。イブナの魔術による処置だろう。
こぶし大よりも一回り大きいそれは、心臓と聞いて想像するような、グロテスクなものではなかった。
水晶のような氷の中で、紅い宝玉のごとく輝き、主の胸を去った今も脈打っているような生命力を感じる。
魔術師ならざる俺でも、それが高位の魔法薬に匹敵する効果を持つものと言われれば、納得してしまう代物だった。
それにしても、もうそれだけの処置を済ませているとは……。
気を失ったのはわずかのあいだだと思っていたが、自覚している以上に長いこと寝ていたのかもしれない。
「二体現れたのは、結果的に好都合だったな」
俺はイブナの持つ心臓に目を向けながら言う。
「生き残ったから言えることだ。すまない。正直、複数体を同時に相手する可能性など想定していなかった」
「いいさ。想定したところで、対策の立てようもなかっただろう?」
「それはそうだが……」
振り返ってみれば、かなり無茶苦茶な戦いだった。
死の境に触れたのは一度や二度ではない。
いくつもの幸運が重なり、奇跡的に勝利を収めた。
そんな戦いだった。
魔族との戦とは違う厳しさがあった。
もう一度、地に横たわるグリフォンたちの姿を見やる。
イブナとその妹を救うためとはいえ、思えばこいつらには憐れなことをした。
グリフォンたちにはなんの罪もない。
勝手になわばりに侵入して殺害したのだから、彼らが地獄で俺たちを恨みに思ったとしても、なんの釈明もできない。
「墓くらい作ってやるか」
俺の呼びかけに、イブナは肩をすくめて答えた。
「必要ないさ。豊富な魔力を含んだこいつらの死骸は、やがて地に還り、山脈を豊かにする。生命とはそうやって巡るものだ」
「なるほどな。それは魔族の死生観なのか?」
「さあな。わたしの個人的な考えに過ぎないかもしれない。そういうヒト族こそ、殺めた命をそうやって一々気に病むのか?」
俺が何か答える前に、イブナは自分ですぐに否定する。
「……いや、おまえが飛びぬけて甘い男なんだろうな」
それで人類の敵扱いされて放浪の身になったくらいだ。
俺は何も反論できなかった。
「とはいえ、わたしもこの魔獣たちのお陰で生き返ったような心地だ。きっと妹も……。二度までも命を救われたマハトへの恩はもちろんだが、こいつらの命に生かされたということも、生涯忘れないとわたしは誓おう」
イブナは目を細めた。
俺のことをどうこう言うが、彼女のほうこそ、俺の魔族のイメージを根底から覆すような存在だった。
魔族がこんな優しい顔をするなど、勇者隊にいたなら一生知ることもなかっただろう。
「そうだな。おまえの妹を助けられなかったら、グリフォンたちにも申し訳が立たない。弔う間もないが、そろそろ行くか」
「もう動けるのか?」
「ああ。そういうおまえは平気か?」
「無論。言っただろう、生まれ変わったような心地だと」
多少の強がりもあるだろうが、確かにイブナの様子はこれまでとはまったく違う、確かな力強さを感じるものだった。
「すまない。結局、戦いのほとんどをおまえに任せる形になってしまった」
メスのグリフォンをほぼ単独で倒しておきながら、イブナは心底申し訳なさげに、俺に頭を下げる。
「この恩には必ず報いる。ヒト族に追われる身になったおまえがこの先することを、全力で助ける。――たとえ、それが我が同族に仇なす行為となったとしても」
「そう気負うなよ。俺だって、これからどうするか分かってないんだから……」
まるで主君に忠誠を誓うようなイブナの物言いに、俺は苦笑する。
「それを見出すためにも尽力しよう。しかし、今しばらく無理をさせる……」:
「わかってる。イブナの妹のもとに向かおう。それで初めて、おまえの依頼は完遂だ」
イブナはもう一度、深々と頭を下げた。
***
そして、俺たちは魔獣の亡骸をあとに下山を開始した。
念のため、グリフォンの血は採れるだけ集め、水袋などに詰めておく。
今度は二人で荷を分け持った。
往路の約半分の日程で、俺たちはブルガオル平原へと戻る。
イブナはこれでも本調子ではないはずだが、乱魔の病で死にかけていた頃とは、まったく別人のような動きだった。
俺も傷の痛みが残るなどと言っていられない。
駆けに駆けた。
俺の隠れ家にも立ち寄ったが、荷の整理だけして、ほとんど休む間もなく再出発する。
そして、ブルガオル平原をさらに南へ突っ切った。
道中、魔物にも何度か遭遇したが、俺とイブナの敵ではなかった。
人や魔族には一切会わない。
そして、俺たち二人はイブナの妹シャンナが残されているという、ヴィオーラの森へと足を踏み入れた。
イブナも、もう止めなかった。
「……呆れるほどの頑丈さと強運だな」
「それはお互い様だろ」
メスのグリフォンを圧倒して見えたイブナだが、無傷ではなかった。
生々しい傷跡が全身に残っている。
だが、それも見る見るうちに回復していた。
乱魔の病にさえ冒されていなければ、魔族の自然治癒能力はヒトのそれよりも遥かに高い。
数多の戦場に立つ彼女の肌が美しいままなのも、それゆえかもしれない。
俺は、二体のグリフォンの死骸に目をやった。
ともに首に致命傷を受け、大量の血を流しながらも、その巨体はいまなお威厳を感じるものだった。
「そう言えば、グリフォンの心臓は?」
「もう喰らった。おまえが気絶してるうちにな。シャンナの分もこのとおりだ」
そう言って、イブナは両の手で何かを掲げた。
それが氷漬けにされたグリフォンの心臓だった。イブナの魔術による処置だろう。
こぶし大よりも一回り大きいそれは、心臓と聞いて想像するような、グロテスクなものではなかった。
水晶のような氷の中で、紅い宝玉のごとく輝き、主の胸を去った今も脈打っているような生命力を感じる。
魔術師ならざる俺でも、それが高位の魔法薬に匹敵する効果を持つものと言われれば、納得してしまう代物だった。
それにしても、もうそれだけの処置を済ませているとは……。
気を失ったのはわずかのあいだだと思っていたが、自覚している以上に長いこと寝ていたのかもしれない。
「二体現れたのは、結果的に好都合だったな」
俺はイブナの持つ心臓に目を向けながら言う。
「生き残ったから言えることだ。すまない。正直、複数体を同時に相手する可能性など想定していなかった」
「いいさ。想定したところで、対策の立てようもなかっただろう?」
「それはそうだが……」
振り返ってみれば、かなり無茶苦茶な戦いだった。
死の境に触れたのは一度や二度ではない。
いくつもの幸運が重なり、奇跡的に勝利を収めた。
そんな戦いだった。
魔族との戦とは違う厳しさがあった。
もう一度、地に横たわるグリフォンたちの姿を見やる。
イブナとその妹を救うためとはいえ、思えばこいつらには憐れなことをした。
グリフォンたちにはなんの罪もない。
勝手になわばりに侵入して殺害したのだから、彼らが地獄で俺たちを恨みに思ったとしても、なんの釈明もできない。
「墓くらい作ってやるか」
俺の呼びかけに、イブナは肩をすくめて答えた。
「必要ないさ。豊富な魔力を含んだこいつらの死骸は、やがて地に還り、山脈を豊かにする。生命とはそうやって巡るものだ」
「なるほどな。それは魔族の死生観なのか?」
「さあな。わたしの個人的な考えに過ぎないかもしれない。そういうヒト族こそ、殺めた命をそうやって一々気に病むのか?」
俺が何か答える前に、イブナは自分ですぐに否定する。
「……いや、おまえが飛びぬけて甘い男なんだろうな」
それで人類の敵扱いされて放浪の身になったくらいだ。
俺は何も反論できなかった。
「とはいえ、わたしもこの魔獣たちのお陰で生き返ったような心地だ。きっと妹も……。二度までも命を救われたマハトへの恩はもちろんだが、こいつらの命に生かされたということも、生涯忘れないとわたしは誓おう」
イブナは目を細めた。
俺のことをどうこう言うが、彼女のほうこそ、俺の魔族のイメージを根底から覆すような存在だった。
魔族がこんな優しい顔をするなど、勇者隊にいたなら一生知ることもなかっただろう。
「そうだな。おまえの妹を助けられなかったら、グリフォンたちにも申し訳が立たない。弔う間もないが、そろそろ行くか」
「もう動けるのか?」
「ああ。そういうおまえは平気か?」
「無論。言っただろう、生まれ変わったような心地だと」
多少の強がりもあるだろうが、確かにイブナの様子はこれまでとはまったく違う、確かな力強さを感じるものだった。
「すまない。結局、戦いのほとんどをおまえに任せる形になってしまった」
メスのグリフォンをほぼ単独で倒しておきながら、イブナは心底申し訳なさげに、俺に頭を下げる。
「この恩には必ず報いる。ヒト族に追われる身になったおまえがこの先することを、全力で助ける。――たとえ、それが我が同族に仇なす行為となったとしても」
「そう気負うなよ。俺だって、これからどうするか分かってないんだから……」
まるで主君に忠誠を誓うようなイブナの物言いに、俺は苦笑する。
「それを見出すためにも尽力しよう。しかし、今しばらく無理をさせる……」:
「わかってる。イブナの妹のもとに向かおう。それで初めて、おまえの依頼は完遂だ」
イブナはもう一度、深々と頭を下げた。
***
そして、俺たちは魔獣の亡骸をあとに下山を開始した。
念のため、グリフォンの血は採れるだけ集め、水袋などに詰めておく。
今度は二人で荷を分け持った。
往路の約半分の日程で、俺たちはブルガオル平原へと戻る。
イブナはこれでも本調子ではないはずだが、乱魔の病で死にかけていた頃とは、まったく別人のような動きだった。
俺も傷の痛みが残るなどと言っていられない。
駆けに駆けた。
俺の隠れ家にも立ち寄ったが、荷の整理だけして、ほとんど休む間もなく再出発する。
そして、ブルガオル平原をさらに南へ突っ切った。
道中、魔物にも何度か遭遇したが、俺とイブナの敵ではなかった。
人や魔族には一切会わない。
そして、俺たち二人はイブナの妹シャンナが残されているという、ヴィオーラの森へと足を踏み入れた。
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