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第二章 荒野の隠れ家と魔族の女
⑥イブナの依頼
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魔獣。
人にも魔族にも使役されることなく、独自のなわばりと生態系を持つ、文字通り魔力を有した獣たちだ。
俺の知る限り言葉を話す種族はいないはずだが、高度な知性を宿したものもいるという。
太古には、様々な文化圏で神の遣いとして崇められてもいた。
魔物の一種に過ぎないとも、竜族や天狼族といった幻獣たちの亜種だとも言われているが、専門的なことはよく分からない。
俺は魔導士ではないし、魔王軍との戦いにはさして関わりもなかったからな。
だが、魔族にとっては魔獣の存在は、無視できない価値があった。
魔族がこの大陸で生きるのに必須の魔核は、もともと、魔獣の心臓と血液を主たる材料として造られている。
特殊な工房で、魔族の中でも専門の術師たちの手によって製造されているという。
「つまり、グリフォンの心臓を魔核の代わりにしようって考えてるのか?」
イブナの説明を聞き、彼女の考えを確認する。
「ああ。魔核が創り出される以前、氷の大陸から追放された魔族は魔獣を狩り、魔力の満ちた血をすすり、心臓を喰らって生き延びていたと聞く。魔核ほど安定して乱魔の病を抑えられずとも、代用にはなるはずだ」
「大陸から追放された魔族、か。はじめて聞くな」
「わたしも詳しいことは知らないし、今はあまり関係がない。話を先に進めていいか?」
「あ、ああ。すまない」
いったいどれくらい昔の話なのだろう。
少なくとも、俺が生まれるはるか以前のことだろう。
……そういえば、イブナとその妹も、幾つなんだろうな。
見た目の年齢は俺と同年代程度に見えるから、なんとなくそんなふうに接しているが、魔族は長命な寿命を持つ種族だ。
もしかして、数百年単位でへだたっている可能性もある。
それをたずね、再び話の腰を折る愚行は犯さず、イブナの話に集中する。
いつか、それとなく聞いてみたい気もするが……。
「……わたしはこのヒト族の大陸の前線で戦い続けた。この大陸の地理なら、他のどの魔族たちよりも熟知している」
「へたすると俺たちよりも詳しいかもな」
「そうかもしれない。そして、この平原の北方に位置するバルモア山脈に、グリフォンの巣穴があることも知っている」
「山脈に向かうため、ブルガオル平原を横切る途中だったのか」
「そうだ。不覚にも、ヒト族のならず者たちに見つかり追われる羽目になってしまったがな。あとはおまえも知っているとおりだ」
このブルガオル平原からでも、北の空に目を向ければバルモア山脈の稜線がうっすらと見える。
一両日も歩けばたどり着ける場所だ。
健常な足であれば、だがな。
イブナがごろつきたちに追われていたときの、ふらつく足取りを思い出す。
一度けつまずいたら立ち上がれないほどに、彼女は衰弱していた。
そんな足で険しい山道をのぼり、そして――、
「お前ひとりでグリフォンを狩るつもりだったのか?」
「他に手段が思い浮かばなかった」
「無謀なことを……」
魔獣の強さは、野盗程度とは比較にならない。
俺も実際に戦った経験はないが、伝え聞くかぎり、いかに魔族でも簡単に倒せる相手ではないだろう。
立っているのもやっとの状態でグリフォンを狩るなど、自殺行為としか言いようがなかった。
「分かっている」
俺の言葉に、イブナは歯噛みしてうなずいた。
「すべてはわたし自身が招いたこと。これも魔王陛下に逆らった罰と思えば死など怖ろしくもない。しかし……」
「妹のことまでは、そんなふうに割り切れない、か?」
イブナは恥じ入るように目を伏せながらも、こくりとうなずいた。
いじらしくもあるその様は、人間のものとなんら変わりない。
勇者隊の隊長として戦い続けていたなら、魔族のこんな一面を、決して知ることはなかっただろう。
それを知れたのが、自分自身が追われる身となってからというのは、皮肉な話だがな。
ともかく、これで知りたいことはすべて聞けた。
「話は分かった。その依頼、引き受けよう。魔獣グリフォンの心臓、俺が手に入れてやる」
俺があまりにもあっさりと言ったからだろう。
イブナは一瞬「何を言われたのか分からない」という顔で俺の目を見た。
「本気なのか? いかに英雄マハトとはいえ、命懸けの戦いになるのだぞ」
「それを承知のうえで、おまえは俺に依頼したんだろ?」
「それはそうだが……」
まだイブナは信じられないという面持ちだった。
「しかし、見返りはなんだ。身一つで逃亡したわたしには、差し出せるものはこの首くらいしか……」
「そんなものは望んじゃいない」
苦笑して、イブナの言葉を遮る。
見返りは何、か。
正直なところ、俺自身分からなかった。
だが、成り行きとはいえ一度は命を救った相手だ。
ここで見捨てるのは、あまりにも気が引ける。
妹のため、同族すべてを敵に回してでも戦おうという気高き戦士。
それを見捨ててしまえば、ハディードの街で騎士隊長マルキーズに逆らった意味がない。
そんな気がした。
これは、自分が自分であるための選択だった。
目の前で戦乱に苦しむ者がいる。
それを救うのが曲がりなりにも、かつて勇者と呼ばれていた自分の務めだ。
たとえ、それが魔族であろうとも。
けど、その想いを真正面から伝えるのも、気恥ずかしいものがあった。
「見返りというなら、仲間を得られることかもしれないな」
「仲間、だと?」
「ああ。立場は違うが、俺たちはどうやら居場所のない逃亡者同士らしい」
「逃亡者……。もう英雄ではない、と言っていたな」
「ああ。あの男たちが俺をなんと呼んでいたか、覚えているか?」
イブナは視線を宙に向け、ややあって答えた。
「人類の裏切り者、マハト……」
「そうだ」
俺はうなずき、自分の身に何が起こったのか、手短に話した。
話を聞き終えたイブナの顔は、複雑な表情を浮かべていた。
「不思議だな。まるで自分自身のことを聞かされているようだった」
「俺もおまえの話を聞いたときは、まったく同じことを思った」
「おまえたちヒト族も、同族に手をかけたりするのか……」
まったく逆の立場ながら、不思議と同じような経緯で反逆者の汚名を着せられた俺とイブナ。
俺たちは、人の世界にも魔族の世界にも居場所がない者同士だった。
「おまえはこの先、どこでどうやって生きていくつもりだったんだ?」
イブナの問いに、俺は首を振る。
「何も当てはない。結局、ハディードの街での虐殺も止められなかった。俺がこの手で何ができるかも今は分からない。……けれど、まずは生きることだ。それで何ができるかは、生き延びてから考えればいい」
イブナも無言でうなずきを返した。
「だから、共に生きる仲間ができるなら、これほど心強いことはない」
「魔族と人間でも、か?」
「関係ないさ」
とっさに返した自分自身の言葉が、思いがけず胸を打つ。
関係ない、か。
勇者隊という立場を失くし、魔王軍から逃亡する魔族と出会い――。
人と魔族という垣根を取り外した世界が、はじめて見えた。
もし、この先俺に何かができるとすれば、それが一つの大きな契機になるような気がした。
故郷を魔族との戦乱で失った、胸の痛みは決して消えない。
俺もイブナも、相手の同族を誰よりも多く手にかけた。
それでも今は、この誇り高く、妹思いの戦士を救いたいと思う。
「……すまない」
俺の内心が、イブナにも伝わったようだった。
彼女の瞳が揺らぐ。
ほんの一しずくだけ、その目の端から涙がこぼれた。
「絶望さえしなければ、生きてさえいれば、誰かのために、何かができると分かったんだ。おまえのおかげでな。――おまえも、おまえの妹も、絶対に死なせはしない」
決意を込めて、俺はイブナに告げた。
人にも魔族にも使役されることなく、独自のなわばりと生態系を持つ、文字通り魔力を有した獣たちだ。
俺の知る限り言葉を話す種族はいないはずだが、高度な知性を宿したものもいるという。
太古には、様々な文化圏で神の遣いとして崇められてもいた。
魔物の一種に過ぎないとも、竜族や天狼族といった幻獣たちの亜種だとも言われているが、専門的なことはよく分からない。
俺は魔導士ではないし、魔王軍との戦いにはさして関わりもなかったからな。
だが、魔族にとっては魔獣の存在は、無視できない価値があった。
魔族がこの大陸で生きるのに必須の魔核は、もともと、魔獣の心臓と血液を主たる材料として造られている。
特殊な工房で、魔族の中でも専門の術師たちの手によって製造されているという。
「つまり、グリフォンの心臓を魔核の代わりにしようって考えてるのか?」
イブナの説明を聞き、彼女の考えを確認する。
「ああ。魔核が創り出される以前、氷の大陸から追放された魔族は魔獣を狩り、魔力の満ちた血をすすり、心臓を喰らって生き延びていたと聞く。魔核ほど安定して乱魔の病を抑えられずとも、代用にはなるはずだ」
「大陸から追放された魔族、か。はじめて聞くな」
「わたしも詳しいことは知らないし、今はあまり関係がない。話を先に進めていいか?」
「あ、ああ。すまない」
いったいどれくらい昔の話なのだろう。
少なくとも、俺が生まれるはるか以前のことだろう。
……そういえば、イブナとその妹も、幾つなんだろうな。
見た目の年齢は俺と同年代程度に見えるから、なんとなくそんなふうに接しているが、魔族は長命な寿命を持つ種族だ。
もしかして、数百年単位でへだたっている可能性もある。
それをたずね、再び話の腰を折る愚行は犯さず、イブナの話に集中する。
いつか、それとなく聞いてみたい気もするが……。
「……わたしはこのヒト族の大陸の前線で戦い続けた。この大陸の地理なら、他のどの魔族たちよりも熟知している」
「へたすると俺たちよりも詳しいかもな」
「そうかもしれない。そして、この平原の北方に位置するバルモア山脈に、グリフォンの巣穴があることも知っている」
「山脈に向かうため、ブルガオル平原を横切る途中だったのか」
「そうだ。不覚にも、ヒト族のならず者たちに見つかり追われる羽目になってしまったがな。あとはおまえも知っているとおりだ」
このブルガオル平原からでも、北の空に目を向ければバルモア山脈の稜線がうっすらと見える。
一両日も歩けばたどり着ける場所だ。
健常な足であれば、だがな。
イブナがごろつきたちに追われていたときの、ふらつく足取りを思い出す。
一度けつまずいたら立ち上がれないほどに、彼女は衰弱していた。
そんな足で険しい山道をのぼり、そして――、
「お前ひとりでグリフォンを狩るつもりだったのか?」
「他に手段が思い浮かばなかった」
「無謀なことを……」
魔獣の強さは、野盗程度とは比較にならない。
俺も実際に戦った経験はないが、伝え聞くかぎり、いかに魔族でも簡単に倒せる相手ではないだろう。
立っているのもやっとの状態でグリフォンを狩るなど、自殺行為としか言いようがなかった。
「分かっている」
俺の言葉に、イブナは歯噛みしてうなずいた。
「すべてはわたし自身が招いたこと。これも魔王陛下に逆らった罰と思えば死など怖ろしくもない。しかし……」
「妹のことまでは、そんなふうに割り切れない、か?」
イブナは恥じ入るように目を伏せながらも、こくりとうなずいた。
いじらしくもあるその様は、人間のものとなんら変わりない。
勇者隊の隊長として戦い続けていたなら、魔族のこんな一面を、決して知ることはなかっただろう。
それを知れたのが、自分自身が追われる身となってからというのは、皮肉な話だがな。
ともかく、これで知りたいことはすべて聞けた。
「話は分かった。その依頼、引き受けよう。魔獣グリフォンの心臓、俺が手に入れてやる」
俺があまりにもあっさりと言ったからだろう。
イブナは一瞬「何を言われたのか分からない」という顔で俺の目を見た。
「本気なのか? いかに英雄マハトとはいえ、命懸けの戦いになるのだぞ」
「それを承知のうえで、おまえは俺に依頼したんだろ?」
「それはそうだが……」
まだイブナは信じられないという面持ちだった。
「しかし、見返りはなんだ。身一つで逃亡したわたしには、差し出せるものはこの首くらいしか……」
「そんなものは望んじゃいない」
苦笑して、イブナの言葉を遮る。
見返りは何、か。
正直なところ、俺自身分からなかった。
だが、成り行きとはいえ一度は命を救った相手だ。
ここで見捨てるのは、あまりにも気が引ける。
妹のため、同族すべてを敵に回してでも戦おうという気高き戦士。
それを見捨ててしまえば、ハディードの街で騎士隊長マルキーズに逆らった意味がない。
そんな気がした。
これは、自分が自分であるための選択だった。
目の前で戦乱に苦しむ者がいる。
それを救うのが曲がりなりにも、かつて勇者と呼ばれていた自分の務めだ。
たとえ、それが魔族であろうとも。
けど、その想いを真正面から伝えるのも、気恥ずかしいものがあった。
「見返りというなら、仲間を得られることかもしれないな」
「仲間、だと?」
「ああ。立場は違うが、俺たちはどうやら居場所のない逃亡者同士らしい」
「逃亡者……。もう英雄ではない、と言っていたな」
「ああ。あの男たちが俺をなんと呼んでいたか、覚えているか?」
イブナは視線を宙に向け、ややあって答えた。
「人類の裏切り者、マハト……」
「そうだ」
俺はうなずき、自分の身に何が起こったのか、手短に話した。
話を聞き終えたイブナの顔は、複雑な表情を浮かべていた。
「不思議だな。まるで自分自身のことを聞かされているようだった」
「俺もおまえの話を聞いたときは、まったく同じことを思った」
「おまえたちヒト族も、同族に手をかけたりするのか……」
まったく逆の立場ながら、不思議と同じような経緯で反逆者の汚名を着せられた俺とイブナ。
俺たちは、人の世界にも魔族の世界にも居場所がない者同士だった。
「おまえはこの先、どこでどうやって生きていくつもりだったんだ?」
イブナの問いに、俺は首を振る。
「何も当てはない。結局、ハディードの街での虐殺も止められなかった。俺がこの手で何ができるかも今は分からない。……けれど、まずは生きることだ。それで何ができるかは、生き延びてから考えればいい」
イブナも無言でうなずきを返した。
「だから、共に生きる仲間ができるなら、これほど心強いことはない」
「魔族と人間でも、か?」
「関係ないさ」
とっさに返した自分自身の言葉が、思いがけず胸を打つ。
関係ない、か。
勇者隊という立場を失くし、魔王軍から逃亡する魔族と出会い――。
人と魔族という垣根を取り外した世界が、はじめて見えた。
もし、この先俺に何かができるとすれば、それが一つの大きな契機になるような気がした。
故郷を魔族との戦乱で失った、胸の痛みは決して消えない。
俺もイブナも、相手の同族を誰よりも多く手にかけた。
それでも今は、この誇り高く、妹思いの戦士を救いたいと思う。
「……すまない」
俺の内心が、イブナにも伝わったようだった。
彼女の瞳が揺らぐ。
ほんの一しずくだけ、その目の端から涙がこぼれた。
「絶望さえしなければ、生きてさえいれば、誰かのために、何かができると分かったんだ。おまえのおかげでな。――おまえも、おまえの妹も、絶対に死なせはしない」
決意を込めて、俺はイブナに告げた。
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