親愛なる女王陛下へ

狭雲月

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恋文――返信。

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「何故……何故ですか」

 男はそう呟くしかなかった。
 本来なら自分の首と胴が離れている時刻のはずだった。

 その証拠に遠くから聞こえてくるのは、教会の鐘の音四つの繰り返し。
 咎有って死す者への最後の鎮魂――斬首刑が無事に執り行われた合図。
 民衆は、男の死を持って女王陛下の世が盤石であると安心する筈の音。
 男にとっては自分の死が悪名を持って、永遠に史実に綴られる愛の幕開けになるはずだったのに。

 そう、筈だった。
 なのに依然と男の首と胴はつながったままだ。

 これが愛の証と分るのは、手紙を受け取った愛しいあの方だけでいい。
 一生に一度の命を懸けた告白。
 こんなちっぽけな自分があの方の心に強く刻みこまれる最期の機会。
 彼女の為に、哀れな男が死ぬ。
 優しい彼女は決して哀れな男を忘れないだろう。

 それが彼女を裏切った真の目的。

 そんな至福の時を失って、男は茫然とした。
 ただその小さくも大きな願いの為に、血反吐を吐くほどの嘘を重ね、薄汚い事に長年手を貸していたのに。



 なのに。


「何故――身代わりを?」

 虜囚用の拘束具が付いた椅子。
 その椅子に座り、両腕で顔を覆っていた男は、顔を上げると、ここに居るべきではない目の前の人物を暗い目で見つめた。
 じゃらり。と静かな部屋に響く、両腕を拘束している枷を繋げる鎖の音、その冷たさと重さが、現実だと非情にも男に語っていた。
 反逆者として繋がれた地下牢から目隠しのまま連れ出され、処刑場に連れていかれると思いきや、連れてこられたのは高貴な身分のお方が幽閉される牢。
 そこへ訪れた深いフードをかぶって、顔も見えない人物。
 この部屋に入っても一言も口を利かないが、男には入ってきた瞬間から十分すぎる程、誰なのか分かっていた。だから問うた。

「お前に……生きていて、ほしかった……からだ」

 問いに答える声は怒りの為なのか、それとも動揺か、震えている。
 久しぶりに聞く声が、渇いた男の心に心地よく染み込んでくる。

 男の願いを潰したのは、最初で最後の恋文ともいえる手紙を受け取った相手だ。
 処刑されたのは、男が告発文に一番初めに名を綴った伯爵。
 目的の為に手を組んだとはいえ、男にとって一番唾棄すべき相手。
 そんな伯爵が自分の身代わりとなって処刑された。
 愛の証を、汚された。
 憎悪する理由が、また一つ増える。すでに死んだ人間だというのに、憎い。憎くて、憎くてたまらない。
 彼女が処刑する、初めての男になるなんて。
 許しがたい。
 代わってくれと、叫びたい衝動に駆られる。
 もし拘束されていないのなら、処刑代の前に伏せ確実に処刑の身代わりを申し出ていただろう。


「俺は、死にたかったんですよ……。
 このまま生きていたら、貴女がこれから出会う沢山の存在の中に埋没してしまうような存在だから。
 ……そんなのは耐えられない!
 貴女に殺されて……忘れない存在になる事こそが、俺の望みなのです、陛下」

 今一時。
 情けをかけて生かしてもらうより大事なことだと、胸の内を絞り出すように告白する。

 昔の事が思い出される。
 手合わせをした、その時彼女の剣が男の肩をかすめた。
 才能はないとはいえ、男は曲がりなりにも武人の出。厭々ながらでも修めた技量は天と地ほどの差があり、本来ならあり得ないミス。
 真剣な彼女の瞳に見惚れていた、一瞬の油断。
 その油断が招いた痛みは、自らが初めて人を傷つけたという、恐れと、怯えた瞳で甘美なものとなった。
 男の事だけを考え、男の事だけを心配し、男に心が埋め尽くされる。
 その昂揚感。

 かすり傷だけでも、この思い。 
 彼女が女王となり、処刑する一番初めの人間になれば、心優しい彼女の事だ

 ――――絶対ニ忘レラレナイ。

 病んでいた。
 それこそが至上の喜びだと、道を閉ざされた男の最終目標だった。
 それ覆された今は、抜け殻でしかない。

「お前は、私にとってすでに忘れられない、大事な存在だ」

 彼女は涙ながらにいった。
 それが昔からの知り合いに働く心理だとしても、心が震える。
 でも駄目だ、震えるだけで根元からは揺り動かされない。
 男が欲しいものは、もっとも強い――揺るがない気持ち。
 これから一生、心の中に残った一部が全部に成る程の想い。
 
「私は、お前に生きていて欲しい――」
「俺は貴女の心だけでなく……身も頭の先からつま先まで全て欲しいんです、よ?」

 ただ生きているだけなら――死んでいるのと同じだ。
 いや、彼女の心の中に巣食う機会を失った今の男には、その機会が再び巡ってこないと焦がれ渇望し。
 手に入れられない現実に苛まれながら、生きているだけで地獄に居るに等しい。
 焦がれて、焦がれて、この身の内から焼き尽くされそうな、想い。
 それを目の前の相手に見せれるものならば見せたかった、彼女が望むなら、生きながら心臓でさえも抉り差し出しただろう。


 でも今の男は、顔に苦悶の表情を浮かべる事しかできない。
 それが現実。


「生きていたとしても貴女は去ってしまう、俺をここに取り残して忘れてしまう。
 一思いに貴女の手で……いや貴女は手を汚さなくていい。
 貴女が命令すれば……今、ここで俺は死ぬ。それを見ていてください、全てを」

 男は、ただ乞う。
 自分に許された範囲で願える幸せを。

「最初から私に居たのはお前だけだ! お前だけ……っ、他の臣下は全部弟のモノだった。
 初めから私に全て捧げていたのはお前だけ! そんなお前を疑うはずはないっ、私は……私は
 お前に生きていてほしい」

 初めて聞く、彼女の胸の中の激情。
 男は沈黙する。
 それは……自分が欲している感情なのか、それとも。
 いや、そんなはずがない。
 彼女が俺を――愛する、何てこと、と。


「いいえ、貴女の温情はわかってます」
「分ってない! 私はお前が好きだ」
「臣下として? はは、それこそ俺の望むものじゃない」
「違う……どう言えば、お前の中の闇は晴れるのだ。こんなに好きなのに」

 ――好き。

 普通の人間への打ち明けたのなら最上の応え。
 告げられた言葉は、その言葉を求めていたはずの男の上面をさらりと流れる。

 告げられて――男は悟った。

「私は欲深いんですよ。一時より永遠を望むのです」

 頭では理解している。
 彼女は本気だ。
 純粋に、慕ってくれているという事も。

 しかし、これから男は牢の中で一生暮らす。
 日の当たる場所で、輝いていく彼女を見る事も出来ないまま。
 彼女の訪れだけを頼みに。
 心は益々淀み腐っていくだろう。

 好き。
 そんな気持ちなら――いらない。
 男が欲しいのは揺るがない、全て。
 流れない、大樹のように根が地中深く蔓延るような気持ち。
 

「それは目の前の私が望んでもダメなのか、私よりもお前は自分の心をとるのか」
「そんなに俺を苦しめたいんですか、あなたは……罪作りな人だ」
「……お前が信じないなら証明しよう」
「証明?」

 ――そんな事、出来るはずがない。
 そう鼻で笑おうとした、男に返ってきた言葉は、信じられないものだった。


「私の初めてをお前に捧げる」

 ――女は初めての男を忘れられないというしな。
 そう呟きながら、深いフードのついた外套を脱ぐと、最上の絹で作られた簡素なナイトドレスが現れた。
 彼女の体の曲線をしっかりと見せつけるその服装は、彼女の夫となるものしか見る事の出来ないあられもない姿。
 シャンパンゴールドの色はまるで手の届かない太陽のように目映い。
 それが段々と男に近づいてくる。
 その意味が、男にわからない筈がない。
 喉が妙に渇いて、鳴る。

「貴女に囲われろというのですか」
「私の為に生きてくれ」
「俺に――ここで陛下の訪れを待つだけの男娼になれと?」

 そういう意味ではないことは分かっている。
 でも彼女を傷つけたい。言葉で傷つけるしかない、刻み込むために。

「ち、違う――!!」

 男の下世話な物言いに、彼女は狼狽えるが、瞬時に持ちこたえた。
 覚悟したように。

「いや、そうだな……私は、多分どこかの王族を王婿(おうせい)として迎え入れるだろう」
 美しい唇から紡がれる残酷な言葉。
 この体と……もしかしたら心までも手に入れられるまだ見ぬ「誰か」に。
 男は想像だけで胸をかきむしるような嫉妬の炎が灯る。

 そんな思考に気を取られている間に、光が床に落ちた。
 男がはっとすると、触れる程近くにある目映い光よりも更に目をくらませる、白い肢体。
 普通の貴族の女性とは違った、柔らかいだけではなく、訓練で健康的に引き締まった体。

「そんな目をするな」

 白い指が、男の頬を撫で、首筋、下肢へと伸びる。
 見せつけられていただけで、張りつめていたそこに。
 彼女を汚したいという思いが、汚したくないという相反する気持ちにあっさりと覆される。
 知識はあっても、実物を触るのは初めてなのだろう。
 男の下履きを寛げ、見える欲望の塊。
 その醜悪さを目の当たりにしてひるんだ表情に……それでも止まらぬおぼつかない手つきに男はあっさりと降伏し、彼女を白濁の液体で汚す。
 それでも変わらぬ、まっすぐな瞳で見つめられる。
 あの頃のように。

「安心しろ。生むのはお前の子だけだ……私が産む子が、次の王だ」

 先程から信じられない言葉の連続に。
 本当は先程無事に処刑され、その刹那が見せる、自分に都合のいい夢かと男は疑った。
 一度降伏した雄は、先ほどより確かな手つきで、再び彼女の手によって瞬く間に硬くさせられて。男に乗り上げた彼女の髪と同じ色の茂みに沈み込んでいく。

「よく見て、お前がこれで初めての男、だっ……んっ……ん!」

 男に乗りかかる、目の前に彼女の豊満な胸が躍る。
 手が伸びそうになり、鎖の冷たさに阻まれるが男は止められなかった。
 届かなくても、伸ばす、足掻く……滑稽なまでに。

「連綿と連なる王家の血筋。
 それに……お前が入れば、王位簒奪はなったものだ」

 男の血が、王家を繋ぐ。
 それこそ断頭された反逆者よりも酷い国家転覆。
 刻み続けられる、忘れられない愛の証。

「それでは、それではっ……お前の憂いは晴れ、ないのか? 私の事を信じないのか?」

 っつ、と男を中に受け入れるために苦しげな声で訴える。優しいキスをすると、男の頭をだきしめた。
 男はもどかしい腰つきで、目の前に広がる手が届かぬ双丘に夢中で舌を這わす。
 びくびくと震える彼女の中がじんわりと温かく、潤ってくるのを感じながら。

「お前が何と言おうと、お前は私のモノだ……愛している、レーディン」

 その甘く切なく自分の名を呼ぶ声に。
 必死で男の顔を胸に掻き抱く感触に。
 無条件に迎え入れてくれる彼女の肢体に。
 脚に流れる、確かなあかしに。


 一生に一度の恋文の答えを貰った男は
 ああ、今この時死ねたら……俺はどれだけ幸せかと思った。


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