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本編
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オフィスビルの12階。社宅には何度か来ていたが、会社に来るのは久しぶりだ。
会社に近づこうとすると滝のように汗が噴き出すのも、鹿賀さんとの引っ越しで慣れたのか、いつの間にかなくなった。それでも本社となると緊張するが、鳩貝と話していたおかげか、少なくとも表面上はおかしなことにはなっていないと思う。
「あの、さ。今日って、手続きだけだよね?」
「うん?」
「あ、えっと……課長に会ったりとか、そういうのない?」
空いている小会議室に通されながら、念のため確認する。
「ないよ。会いたければ内線入れてみるけど」
「いや、いい、いいよ。ほら、こんな格好だし」
慌てて両手を広げる。掃除するだけだと思っていたから、動きやすく汚れてもよいパーカーで来ていた。
それに、会わなくて済むなら会いたくなくて訊いたのだ。
「鳩ちゃん以外に会わなくていいなら、その方がいい」
「あはは。わかったわかった。じゃあこれ書いてね」
住所変更の届出と、休職者情報の申請書。ボールペンと共に机に置いて、鳩貝が部屋を出て行った。
書き慣れない新しい住所を、スマホを見ながら記入する。鹿賀さんの家。なんとなく、胸のあたりがそわそわムズムズする。
住所は社宅から鹿賀さんの家に。休職中の療養場所は、実家からの変更だ。同じように書き進めていたら、鳩貝が戻ってきた。
「書けそう?」
「うん。これさ、緊急連絡先を同居の人にしておいてもいいかな」
「あ、さっきの人?」
特に名指ししたわけではないが、先ほど社宅で鹿賀さんに会っているから話が早い。「そう」と頷いた。
「血縁者じゃないんだけど……俺に何かあったら、一番に知ってるのはあの人だからさ」
「えーっと、大丈夫じゃないかな?多分。一応、備考欄にご家族の連絡先も書いておいて」
「了解」
「本人との関係」欄に、同居人と書き込む。
この2か月の間で会社から緊急連絡が入るようなことはなかったから、滅多に連絡なんてないと思うけど。今になって、鹿賀さんが父親に話を通しておいてくれたことのメリットを実感する。もしも俺に何かあって、会社から鹿賀さん経由で父に連絡が行ったとしても、親に怒られることはないだろう。
「思ったより元気そうで安心した」
鳩貝の声に、紙から顔を上げた。いつもの元気いっぱいな声ではなくて、独り言のような言葉。
「ごめんね。心配かけたね」
「体調、どう?ご飯食べられてる?」
「うん、大分マシになってきたかな。食欲も普通にあるよ」
突然涙が出ることも、この一週間ほどはなかったように思う。手伝ってもらいながらだが、引っ越し作業もできたし。
「そっか、よかった。今度さ、ご飯行こうよ」
「いいね。またこっち来たらね」
「あ、今遠いのか」
社交辞令だと思って軽く答えると、書類を覗き込まれる。
「大宮あたりだったら出やすい?」
「うん、まあ」
「じゃあ、今度連絡するね」
中間にある都市を出され、鳩貝が本気で誘ってくれているのだと驚いた。わざわざ出てきてくれるのか。
今更引っ込みもつかず、書き終えた書類を提出して会社を出た。
会社に近づこうとすると滝のように汗が噴き出すのも、鹿賀さんとの引っ越しで慣れたのか、いつの間にかなくなった。それでも本社となると緊張するが、鳩貝と話していたおかげか、少なくとも表面上はおかしなことにはなっていないと思う。
「あの、さ。今日って、手続きだけだよね?」
「うん?」
「あ、えっと……課長に会ったりとか、そういうのない?」
空いている小会議室に通されながら、念のため確認する。
「ないよ。会いたければ内線入れてみるけど」
「いや、いい、いいよ。ほら、こんな格好だし」
慌てて両手を広げる。掃除するだけだと思っていたから、動きやすく汚れてもよいパーカーで来ていた。
それに、会わなくて済むなら会いたくなくて訊いたのだ。
「鳩ちゃん以外に会わなくていいなら、その方がいい」
「あはは。わかったわかった。じゃあこれ書いてね」
住所変更の届出と、休職者情報の申請書。ボールペンと共に机に置いて、鳩貝が部屋を出て行った。
書き慣れない新しい住所を、スマホを見ながら記入する。鹿賀さんの家。なんとなく、胸のあたりがそわそわムズムズする。
住所は社宅から鹿賀さんの家に。休職中の療養場所は、実家からの変更だ。同じように書き進めていたら、鳩貝が戻ってきた。
「書けそう?」
「うん。これさ、緊急連絡先を同居の人にしておいてもいいかな」
「あ、さっきの人?」
特に名指ししたわけではないが、先ほど社宅で鹿賀さんに会っているから話が早い。「そう」と頷いた。
「血縁者じゃないんだけど……俺に何かあったら、一番に知ってるのはあの人だからさ」
「えーっと、大丈夫じゃないかな?多分。一応、備考欄にご家族の連絡先も書いておいて」
「了解」
「本人との関係」欄に、同居人と書き込む。
この2か月の間で会社から緊急連絡が入るようなことはなかったから、滅多に連絡なんてないと思うけど。今になって、鹿賀さんが父親に話を通しておいてくれたことのメリットを実感する。もしも俺に何かあって、会社から鹿賀さん経由で父に連絡が行ったとしても、親に怒られることはないだろう。
「思ったより元気そうで安心した」
鳩貝の声に、紙から顔を上げた。いつもの元気いっぱいな声ではなくて、独り言のような言葉。
「ごめんね。心配かけたね」
「体調、どう?ご飯食べられてる?」
「うん、大分マシになってきたかな。食欲も普通にあるよ」
突然涙が出ることも、この一週間ほどはなかったように思う。手伝ってもらいながらだが、引っ越し作業もできたし。
「そっか、よかった。今度さ、ご飯行こうよ」
「いいね。またこっち来たらね」
「あ、今遠いのか」
社交辞令だと思って軽く答えると、書類を覗き込まれる。
「大宮あたりだったら出やすい?」
「うん、まあ」
「じゃあ、今度連絡するね」
中間にある都市を出され、鳩貝が本気で誘ってくれているのだと驚いた。わざわざ出てきてくれるのか。
今更引っ込みもつかず、書き終えた書類を提出して会社を出た。
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