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番外編:クレセットとメリーナ
クレセットとメリーナ:2
しおりを挟む翌日。
クレセット様は髪を黒に、私は栗色に染めた。
黒髪のクレセット様は更に凛々しくて、神秘的なお美しさがあって、心臓が痛いほどにドキドキして直視できなかった。
それなのに私の栗色の髪を手に取り、「可愛いよ」と甘く微笑んで口づけるものだから、私はその場にヘナヘナと崩れ落ちてしまった。
そんなことがありながらも、私たちは今、浜辺の牡蠣小屋で焼き立ての海産物に舌鼓を打っている。
(海老と貝を焼くクレセット様、違和感すら美しいわ……)
貸し出されたエプロンをして、トングを持って、網に食材を綺麗に並べてくださる。
「自ら焼くというのも楽しいものだね」
そうおっしゃるクレセット様は、黒髪なのに光を放つほどに輝いていた。
小屋に入るまでは、本当にクレセット様かと思うほどに気配を消していらした。以前おっしゃっていた通り、完璧な平民に擬態していた。それなのに。
(あの眼鏡、特殊な何かなのかしら……)
黒縁の眼鏡を外した途端に、眩しさが復活した。「一緒に食べよう」と私に話しかけてきた男性客も、クレセット様の威圧感に負けて、お店の外に場所を移してしまった。
「メリーナ、貝が焼けたよ」
「ありがとうございます。とても美味しそうです」
しっかりと焼けたホタテを紙皿に乗せて、綺麗にナイフで切ってから私の前に置いてくださる。
お忍びの貴族だと噂していたお店の人たちは、手慣れた様子で食材を焼くクレセット様を見て、「顔が驚くほどにいい平民なのかしらね」と囁き始めている。
(完璧な変装というのは、外見だけではないのね)
クレセット様は貝を切らずにフォークで刺して、そのまま口に運ぶ。周囲と同じ行動が自然とできる演技力。またひとつ、クレセット様の魅力を知った。
***
夕方から馬車で、街の南から中央へと移動する。大きな街の中央地区には、美術館や博物館が集まっていた。
「旅行を楽しんで欲しくて、言えなかったのだが……」
滞在する宿の部屋の前で、クレセット様が重々しくおっしゃる。
そして、何度か迷ってからゆっくりと部屋の扉を開けた。
「今日から私たちは、同室で……ベッドが、ひとつしかないのだが……」
「っ……そ、そうなのですねっ……そうだわ、夫婦なのに別々のお部屋では、不仲だと思われますものね」
この世界の、特に貴族なら、夫婦で同じ寝室が一般的だ。でも私たちは夫婦になった経緯が少し特殊で、何よりクレセット様が私の気持ちを尊重してくださっているから、今も別々のまま。
「こんなに広いのですから、窮屈にはなりませんし、私が一緒でももう大きく軋むことはないと思います。あっ、私はソファで寝ようかしら? ふかふかだものっ……」
ソファに座って、ハッとした。
「……よく眠れそうだわ」
実家の公爵家のベッドより、ふかふか。
これなら普通に寝られるわ……
「メリーナ。ソファは、私が」
「いいえ、クレセット様はベッドでおやすみくださいませ」
「君をここで寝させるわけにはいかないよ」
「私は大丈夫です」
「私が大丈夫ではないのだが」
「夫婦喧嘩……美味しいです……」
つい言い合いになってしまった私たちは、ぽつりと呟くサラさんの声で我に返る。遠くではドロシーとデイジーがこちらを見てにこにこしていた。
「……メリーナ。広いベッドだ。端と端ならいいだろうか」
「ええ……そうですね」
サラさんたちとは気心が知れていても、私はラーナ伯爵家の女主人。今更だけど語調を弱めて背筋を伸ばすと、目の前のクレセット様が「可愛い」とおっしゃって甘い微笑みを浮かべた。
(私の全てを肯定してくださるのよね……)
何をしても、可愛い、好きだとおっしゃってくださるから、私はここまで変われた。
復讐を終えた今も、クレセット様がいてくださるから、前を向いて進んでいける。
(変わることは、嬉しい変化だわ)
そう思うと、自然と気持ちが落ち着いていく。テーブルの上に飾られた花が美しいことにも、ようやく気付けた。
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