26 / 29
番外編:クレセットとメリーナ
クレセットとメリーナ:1
しおりを挟むあの夜会から、一年と三ヶ月が過ぎた。
何かと慌ただしい中、私とクレセット様は予定を調整して、何とか新婚旅行に出ることができた。
行き先は、海の近くの観光地だ。
エメラルドグリーンの海と、晴れ渡る青空。
見惚れてしまうその景色を眺めながらの昼食は、とても贅沢で……そこにクレセット様のお美しさが加わるものだから、心臓がずっとドキドキしていた。
(サーモンのカルパッチョと、パエリアと、ペスカトーレと……)
心臓がドキドキしていてもテーブルに並ぶ料理はどれも美味しくて、少し食べすぎてしまった。
「たくさん食べる君を見ると、安心するよ」
クレセット様はそうおっしゃって、優しく目元を緩める。
私は少し前に、多忙と睡眠不足で胃酸過多になってしまった。キャベツやレタスやブロッコリーばかりを食べていたから、クレセット様はこんなにも嬉しそうなお顔をされている。
「元気になったので、あまり食べ過ぎてはいけないのですが……魚介類は身体にいいですし、食べた分、運動をすればいいのです」
「それなら、この街歩きで相殺されるかな」
「ええ。海に着く頃には、きっと」
低いヒールとはいえ、石畳を歩くのはなかなかに体幹が鍛えられる。
この街は狭い道が多くて、馬車が通れない。この観光地が候補に上がった時に、クレセット様は私を長く歩かせることを心配されていたけれど、運動になるから何も問題ないとお答えした。
(クレセット様は細身なのに、たくさん召し上がられていたわね)
お皿の上のお料理が、気持ちいいくらいに消えていった。
(そうだわ、着痩せするだけで筋肉質なのよね)
直接拝見したことはないけれど、抱きしめられた時にいつも、逞しさを感じている。それならあの量をぺろりと召し上がられても不思議ではない。
そんなことを考えているうちに、波の音が聞こえ始めた。
「綺麗……」
視界いっぱいに広がる眩しい海。白い砂浜。
貴族の保養地ではないから、小さなお店や牡蠣小屋もある。少しだけ元の世界の景色に似ていて、懐かしくなった。
「賑やかでいい雰囲気だ」
「ええ。楽しい気持ちになりますね」
保養地ではなくこの観光地を選んだのは、明るい雰囲気に惹かれたからだ。
クレセット様も、この街の人たちがどんな暮らしをしているのか知りたかったそうで、興味深そうに周囲を見渡していた。
砂浜には降りずに、石畳の道に置かれたベンチに並んで座る。
この世界の貴族令嬢は、砂浜を歩いたりしない。貴族の家に生まれ育ったクレセット様も、砂浜で遊んだ経験がないのかもしれない。
(……浜焼きは、さすがに無理よね)
平民の変装だとおっしゃっていたクレセット様が、あまりに輝いている。シンプルな服装だと余計に高貴な雰囲気が際立って、砂浜にいる人たちの中に入っていくと周囲を萎縮させそうだ。
(貝や海老を網に乗せて焼く、クレセット様……)
想像しようとしても難しい。せめて焼けた魚に塩を振るくらい……それも違和感があるわね……
ふと隣を見ると、クレセット様も何か考え込んでいた。
「メリーナ。明日、あれに挑戦してみないか?」
難しいお顔で示したのは、牡蠣小屋だ。クレセット様は、楽しそうに貝や魚を焼く人たちに興味津々のようだった。
「ええ、ぜひ。今からでもよろしいですよ?」
「残念だが、明日にしよう。今日の君は白百合の妖精だからね」
そうおっしゃって、眩しい微笑みを浮かべる。
白いワンピースとつばの広い白い帽子をそう形容しても違和感がないのは、きっとクレセット様くらいだ。
「私の髪色も目立つようだから、明日は黒に染めようと思う」
「黒、ですか……?」
「似合わないだろうか……」
「いえ、とてもお似合いになるので、今からドキドキしてしまって……」
それに、黒髪のクレセット様がまた見られるなんて……
「メリーナ。私も、明日が楽しみだ」
クレセット様の手が私の頬に触れる。顔をそちらへ向けられると、楽しそうに微笑む湖水色の瞳が私を映していた。
「……クレセット様、意地悪です」
「君が可愛いことを言ってくれたお礼だよ」
今度は甘く微笑んで、私の頬にキスをした。
新婚旅行はまだ始まったばかり。こんな調子で、私の心臓は最終日までもつのかしら……
ドキドキしている私に追い打ちをかけるように、優しく髪を撫でられて、私の顔は真っ赤に茹だってしまった。
244
お気に入りに追加
5,492
あなたにおすすめの小説
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました
まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました
第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます!
結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。
無言で睨む夫だが、心の中は──。
【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】
4万文字ぐらいの中編になります。
※小説なろう、エブリスタに記載してます
私のことが大嫌いらしい婚約者に婚約破棄を告げてみた結果。
夢風 月
恋愛
カルディア王国公爵家令嬢シャルロットには7歳の時から婚約者がいたが、何故かその相手である第二王子から酷く嫌われていた。
顔を合わせれば睨まれ、嫌味を言われ、周囲の貴族達からは哀れみの目を向けられる日々。
我慢の限界を迎えたシャルロットは、両親と国王を脅……説得して、自分たちの婚約を解消させた。
そしてパーティーにて、いつものように冷たい態度をとる婚約者にこう言い放つ。
「私と殿下の婚約は解消されました。今までありがとうございました!」
そうして笑顔でパーティー会場を後にしたシャルロットだったが……次の日から何故か婚約を解消したはずのキースが家に押しかけてくるようになった。
「なんで今更元婚約者の私に会いに来るんですか!?」
「……好きだからだ」
「……はい?」
いろんな意味でたくましい公爵令嬢と、不器用すぎる王子との恋物語──。
※タグをよくご確認ください※
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。