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番外編:クレセットとメリーナ

クレセットとメリーナ:1

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 あの夜会から、一年と三ヶ月が過ぎた。
 何かと慌ただしい中、私とクレセット様は予定を調整して、何とか新婚旅行に出ることができた。
 行き先は、海の近くの観光地だ。

 エメラルドグリーンの海と、晴れ渡る青空。
 見惚れてしまうその景色を眺めながらの昼食は、とても贅沢で……そこにクレセット様のお美しさが加わるものだから、心臓がずっとドキドキしていた。


(サーモンのカルパッチョと、パエリアと、ペスカトーレと……)

 心臓がドキドキしていてもテーブルに並ぶ料理はどれも美味しくて、少し食べすぎてしまった。

「たくさん食べる君を見ると、安心するよ」

 クレセット様はそうおっしゃって、優しく目元を緩める。
 私は少し前に、多忙と睡眠不足で胃酸過多になってしまった。キャベツやレタスやブロッコリーばかりを食べていたから、クレセット様はこんなにも嬉しそうなお顔をされている。

「元気になったので、あまり食べ過ぎてはいけないのですが……魚介類は身体にいいですし、食べた分、運動をすればいいのです」
「それなら、この街歩きで相殺されるかな」
「ええ。海に着く頃には、きっと」

 低いヒールとはいえ、石畳を歩くのはなかなかに体幹が鍛えられる。
 この街は狭い道が多くて、馬車が通れない。この観光地が候補に上がった時に、クレセット様は私を長く歩かせることを心配されていたけれど、運動になるから何も問題ないとお答えした。


(クレセット様は細身なのに、たくさん召し上がられていたわね)

 お皿の上のお料理が、気持ちいいくらいに消えていった。

(そうだわ、着痩せするだけで筋肉質なのよね)

 直接拝見したことはないけれど、抱きしめられた時にいつも、逞しさを感じている。それならあの量をぺろりと召し上がられても不思議ではない。
 そんなことを考えているうちに、波の音が聞こえ始めた。


「綺麗……」

 視界いっぱいに広がる眩しい海。白い砂浜。
 貴族の保養地ではないから、小さなお店や牡蠣小屋もある。少しだけ元の世界の景色に似ていて、懐かしくなった。

「賑やかでいい雰囲気だ」
「ええ。楽しい気持ちになりますね」

 保養地ではなくこの観光地を選んだのは、明るい雰囲気に惹かれたからだ。
 クレセット様も、この街の人たちがどんな暮らしをしているのか知りたかったそうで、興味深そうに周囲を見渡していた。

 砂浜には降りずに、石畳の道に置かれたベンチに並んで座る。
 この世界の貴族令嬢は、砂浜を歩いたりしない。貴族の家に生まれ育ったクレセット様も、砂浜で遊んだ経験がないのかもしれない。


(……浜焼きは、さすがに無理よね)

 平民の変装だとおっしゃっていたクレセット様が、あまりに輝いている。シンプルな服装だと余計に高貴な雰囲気が際立って、砂浜にいる人たちの中に入っていくと周囲を萎縮させそうだ。

(貝や海老を網に乗せて焼く、クレセット様……)

 想像しようとしても難しい。せめて焼けた魚に塩を振るくらい……それも違和感があるわね……
 ふと隣を見ると、クレセット様も何か考え込んでいた。

「メリーナ。明日、あれに挑戦してみないか?」

 難しいお顔で示したのは、牡蠣小屋だ。クレセット様は、楽しそうに貝や魚を焼く人たちに興味津々のようだった。

「ええ、ぜひ。今からでもよろしいですよ?」
「残念だが、明日にしよう。今日の君は白百合の妖精だからね」

 そうおっしゃって、眩しい微笑みを浮かべる。
 白いワンピースとつばの広い白い帽子をそう形容しても違和感がないのは、きっとクレセット様くらいだ。


「私の髪色も目立つようだから、明日は黒に染めようと思う」
「黒、ですか……?」
「似合わないだろうか……」
「いえ、とてもお似合いになるので、今からドキドキしてしまって……」

 それに、黒髪のクレセット様がまた見られるなんて……

「メリーナ。私も、明日が楽しみだ」

 クレセット様の手が私の頬に触れる。顔をそちらへ向けられると、楽しそうに微笑む湖水色の瞳が私を映していた。

「……クレセット様、意地悪です」
「君が可愛いことを言ってくれたお礼だよ」

 今度は甘く微笑んで、私の頬にキスをした。

 新婚旅行はまだ始まったばかり。こんな調子で、私の心臓は最終日までもつのかしら……
 ドキドキしている私に追い打ちをかけるように、優しく髪を撫でられて、私の顔は真っ赤に茹だってしまった。



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