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 クレセット様との初めての旅行。
 旅行自体初めての私を気遣って、クレセット様は領内の別荘を旅行先に選んでくださった。
 途中で休憩を挟みながら、二時間ほど馬車を走らせた場所。


「綺麗……」

 別荘から見える風景に、思わず溜め息がこぼれた。
 陽射しを反射してキラキラと輝く湖。その周囲には青々とした木々が並び、そこから少し高い場所にこの別荘が建っている。

「素敵な場所ですね、クレセット様」
「気に入って貰えて嬉しいよ」

 クレセット様は私の手を取り、別荘には入らずに邸宅の横へと回り込む。

「わあ……」

 また感嘆の声がこぼれた。
 色とりどりの花が咲き誇る庭。それだけでも美しいのに、その向こうには湖が見えた。
 日除けの傘が立つ場所には椅子ではなく、ソファが置かれている。そばのテーブルにはアフタヌーンティーが用意されていた。


「疲れているだろうから、ソファを用意させたよ」
「お気遣いありがとうございます」

 正直に言うと、椅子は少しつらかった。クレセット様は私をソファに座らせてくださってから、大きなクッションをいくつかソファと私の背の間に入れる。

「ありがとうございます。とても楽になりました」

 固さのあるクッションに柔らかなクッションが重ねられ、全身を預けても身体が倒れすぎずにゆったりできる。
 クレセット様は優しく微笑んでくださって……その向こうに、サラさんがニコッと明るい笑顔を見せた。
 サラさんと、ドロシーとデイジーも一緒だ。ドロシーとデイジーは湖を見て目をキラキラさせていた。

(自由時間をたくさんあげなくちゃね)

 せっかく素敵な場所に連れてきてくださったのだから、三人にもゆっくりして貰いたかった。


「料理長が、野菜と果物を使ったデザートだと言っていたが……これはトマトか?」
「こちらは人参の甘さを活かしたケーキに、トマトを添えました。こちらがオレンジと黒すぐりのジュレです。スコーンには洋梨のソースをかけてお楽しみください」

 スッと料理長が現れて説明をしてくれる。
 料理長とメイド長は、使用人たちと共に朝早くにこちらに来て、準備をしてくれていた。

「どれも砂糖をほとんど使ってません。大根と生姜のクッキーは喉にもよく身体も暖めてくれるという、奥様のお知恵です」
「メリーナの。それは素晴らしいな」
「私は提案しただけで、料理長が考えてくださったのですよ」
「いやいや、奥様にご提案いただかなかったら、大根と合わせようなんて思い付きませんって!」
「旦那様、奥様。失礼いたしました」

 ラフな口調になった料理長は、メイド長に耳を引っ張られて連れて行かれてしまった。


「あれほど仲が良かったのか」
「結婚して十年と聞きましたが、お互いに想い合っているそうですよ」
「十年か。……私たちも、あのようにありたいものだな」
「はい、クレセット様」

 あの二人のようにいられたら、とても嬉しい。
 料理長は、話す度に惚気てくれる。メイド長はクールに見えて、料理を美味しいと言うと嬉しそうに微笑んで、多くは語らないけれど瞳がとても優しくなる。
 心が繋がっている夫婦は、とても素敵だ。



 デザートをいただきながら、景色を眺める。そよぐ風が頬を撫で、緩やかな時間に、移動の疲れも癒されていく。

「メリーナ。私が君を初めて見たのは、三年前だった」
「そんなに前だったのですか?」

 驚いてしまう。クレセット様は、一目惚れだとおっしゃっていた。それなら三年も想ってくださっていたということだ。

「あの教会には、仕事の帰りに立ち寄っただけだった。そこで君の笑顔に一目惚れして、神父に君のことを尋ねたよ」

 だから私が子供たちと仲良くなれる前を知っていらしたのだと、以前のお話を思い出す。
 私は十五歳だったから、クレセット様は十九歳。その頃のクレセット様も素敵な男性だったのだろうと想像した。

「実際は、王太子の婚約者だったのだが。それでも君に会いたくて、神父は顔馴染みだという理由を付けて何度も立ち寄った。……その君と、こうして夫婦になれた。夢のようだよ」

 私の髪を撫で、柔らかく微笑んでくださる。


「クレセット様……。私を見つけていただき、ありがとうございます」

 あの教会は、貴族の馬車が通る場所ではない。クレセット様が大変なお仕事をされているからあの道を通られて、私を見つけてくださった。
 クレセット様は優しく瞳を細めて、風で顔にかかった髪をそっと払ってくださる。

「君の元に通うために、神父には男爵家の長男と名乗っていたのだが」
「男爵家、ですか?」
「……無理があったか」
「ええ、すみません……クレセット様の高貴な雰囲気は、隠しきれるものではありませんもの」

 サラさんが平民のふりをしようとした時以上に、とても無理だと思ってしまう。

「仕事では上手くいくのだが……。そうか、君は私の変装を見たことがなかったね。今度、完璧な平民に擬態した私を見せてあげるよ」

 クレセット様の変装。それならきっと、完璧なお姿なのだろう。「楽しみにしています」と心からの言葉を返すと、自然な流れで額に口付けられた。


「君が……不名誉な仕打ちを受けた、あの夜会の日。私に参加を勧めたのは、神父だった」
「神父様、ですか? ……そうでした。殿下に参加するよう命じられて、嬉しくなって神父様にお話したのでした……」

 夜会にはほとんど出たことがないからと、自分の立場は伏せたままで。

「私の君への気持ちに、最初から気付いていたそうだ。夜会なら話ができるだろうと、姿を見るだけでも行った方がいいと勧められたよ」

 神父様からは、そんなことは一度も聞いたことが……いえ、クレセット様が隠していらしたから、存在を私に伝えなかったのだ。

「君が王太子妃になれば、教会には来られなくなる。君の姿を近くで見られるのも最後かもしれないと思い参加したのだが……神父には、いくら感謝を述べても足りないな」

 クレセット様は私を抱き寄せ、頬を撫でた。




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