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「ただいま、メリーナ」
「お帰りなさいませ、っ……!」

 十日ぶりに戻られたクレセット様は、出迎えた私をみんなの前で抱きしめた。

「会いたかった……」

 頬を撫でられ、甘い微笑みを間近で浴びる。更には額や目元にキスをされて、心臓が痛いほどに脈打った。
 思わず周りを見ると、みんな見ないふりをしてくれていた。


 私の部屋のソファに並んで座り、肩に触れたクレセット様は、寂しげなお顔をされた。
 前回お会いした時から、肩回りが少しだけ痩せたのだ。

「頑張っているね、メリーナ」

 私としてはまだポヨポヨでたくましい肩に、クレセット様はまるで壊れ物のように触れる。

「……手首が半分になっているが、きちんと食べているのか?」

 急に深刻なお顔で私の手首を掴んだ。

「ええ、食べていますよ。手首はむくみが酷かったので、それを取るだけで効果が現れやすかったのです」
「むくみ……」
「脂肪だけでなく、余分な水分で太っている場合もあるのです。こまめに水分補給をしながら運動や半身浴をして流れを良くし、身体の代謝を上げて……」

 つい語ってしまい、ハッとする。クレセット様には全く必要のない情報だった。


「君の知識は素晴らしいね。人体をよく理解している」

 私の手首をにぎにぎと握りながら、感心した声を出された。

「今まで読んでいた中には、医学書も?」
「ええ、その……少しですが」

 そういえば、この国のダイエットは食事を野菜とスープだけにして、ひたすら耐えるものだった。もしかしたら、このダイエット法は医師の領域ではないだろうか。

「医学書を理解し、応用できるとは……」

 クレセット様はまた深刻なお顔をした。


「メリーナ」
「はい」
「提案なのだが、…………君に、教師を付けてもいいだろうか」

 何度か迷い、そう告げられた。

「先生を、付けていただけるのですか……?」

 私は驚いた声を出してしまった。

「君が望めば、だが……。君が復讐を遂げた後も、伯爵夫人としての生活が続くだろう? 私も失念していたのだが、式典など参加を避けられない行事には、夫婦で参加しなければならない。君に負担ばかり強いることになり、申し訳ないのだが……」
「嬉しいですっ。ありがとうございますクレセット様っ」

 教育を受けられる。嬉しさのあまりクレセット様に飛びついた。
 乳母から教わっていた頃はまだ幼くて、難しいことは覚えられなかった。後から本を読んだものの、独学では不安な部分もある。

 特に他国の言語は苦手で、前世の記憶が蘇る前はほとんど勉強していない。それに、発音や生きた会話は、どうしても学べなかった。


「……メリーナ。今まで教師がいたことは?」
「幼い頃に一ヶ月だけいたのですが、突然解雇されて……。それきり先生は付けて貰えませんでした」
「その教師が来たのは、君が幾つの頃だろうか。何かおかしなことはなかったか?」

 問われて、記憶を辿る。

「私が、七歳の頃です。一ヶ月ほどして先生の用意されたテストを受けたのですが、それを見た先生はすぐに公爵のところへ持って行って……確かに慌てた様子で、おかしかった気もします」

 十年以上前のことなのに、先生の表情はきちんと記憶にある。メリーナは、ずっと人の顔色を窺っていたから……。

「公爵が言うには、あまりに酷い点数で先生を雇うのが勿体ないとのことでした。リリアに先生を付けた時期でしたから、私にも世間体を気にして付けただけではないかと思いますが……」
「その教師の名は」
「お名前は……申し訳ありません。私は、ナナ先生と呼んでいました……。ベラーディ領西部の農村地帯出身で、平民の出だとおっしゃられていたことしか覚えていません」

 たった一ヶ月の間、週に二度しか会えなくて、そこまで深い話はしていなかった。


「君が所作やテーブルマナーの基礎が出来ているのは、乳母殿から?」
「はい。以前は商家のお子さんの先生をしていたそうで、乳母の教え方はとても上手でした」
「ベラーディ領出身なのだろうか」
「出身は首都だと聞きました。商家からの紹介状で公爵家に雇われたのだと……」

 そこで、違和感を覚える。

「……商家からの紹介状で、公爵家に雇い入れられるものなのでしょうか」

 高位の貴族は、乳母も子爵家以上の者を雇う。公爵家にもなれば、伯爵夫人以上の者が選ばれるはず。

「……すみません。私を育てる人なら、身分の高い人は困るからですよね」
「私も、すまない。取り調べのようになってしまったね」

 苦笑して、私の髪を優しく撫でてくださる。


「メリーナは、何から学びたい?」
「ダンスがいいです。ダンスだけは、一度も教わったことがないので」

 いつも壁際で眺めるだけだった。音楽に合わせて踊る人々の姿に、ずっと憧れていた。あの華やかな中に飛び込んでいけたらと、夢見たこともある。

「あ……ですが、もっと痩せてからにしますね。足首に負担がかかってしまいますから」
「そういった危険もあるのか……」

 クレセット様にまた深刻なお顔をさせてしまう。

「念のため、ダンスは最後にします」
「そうして貰えると私も安心だよ。君の足首ももう、半分になっているのだろうからね」

 心配そうに足首の辺りに視線が注がれる。
 ふとクレセット様の手が膝に触れて、すぐに離された。

「すまないっ……」
「え、いえ、夫婦ですし、……膝も負担がくるので、頑張って痩せますねっ」
「そうか、それも大変だ、応援しているよ、メリーナ」

 いつかのようにお互いにしどろもどろになる。

(夫婦……夫婦なのよね……)

 交際期間も婚約期間もない夫婦生活。クレセット様が必要以上に私に触れないのは、心臓への負荷の他に、私の気持ちを考えてくださっているからだ。

(クレセット様、とても紳士的な旦那様だわ……)

 改めてクレセット様の素晴らしさを知り、ますます好きになった。


「あの……マナーのおさらいもしたいですし、他国の言語はほとんど分からないので、そちらからお願いしてもよろしいでしょうか」
「勿論だよ。最高の教師を用意しよう」

 優しく微笑んでくださったクレセット様に抱きしめられた時には、まさか語学の先生が……お義母様だなんて、予想もしていなかった。

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