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婚約解消して未練はないが、後悔はある(カイル視点・その後)
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しおりを挟む「クレア嬢?」
ふるふると首を横に振って、……え、私は今、婚約を断られたのか……?
私じゃないと嫌だと言ったのに……?
まさか、私の勘違い?
「カイル様っ……ごめんなさいっ……」
えっ、私は、むしろ嫌われている?
「一年後、二年後に……私を、好きでいてくださるはずがないと……ずっと、怖かったんです……」
そんなことはない。十年後でも百年後でもずっと好きだ。自信しかない。
ああ、衝撃のあまり声に出ていない。
「何年も先に……カイル様が、待っていてくださるはずが……」
まだ信じてくれていない。だがそれだけ、昨年の婚約破棄に傷付いているということだ。
それなら私がすることは、これからもクレア嬢に愛を伝え続けること。
「でも、私は……カイル様を……誰にも、渡したくない……」
……何、だと……?
ぶつかる小さな衝撃。柔らかな感触。ふわりと香る、甘い花の香り。
彼女の方から抱きついてくれたのだと気付くまでに、時間がかかった。
途端に心臓が痛い。ドクドクと脈打つ鼓動。きっと彼女にも伝わっている。
「早い方が……。例え一年でも……カイル様の婚約者でいたい……です……」
一年?
まさか。私の愛はその程度では終わらない。
「百年単位で考えて欲しい」
やっと声に出せたのがこのタイミングだった。
重い。私にも分かる。
「百、年……?」
ああ、引いている。せっかくクレア嬢が前向きに考えてくれたのに。
「……嬉しい」
脳内で慌てる私に返ったのは、花が綻ぶような笑顔だった。
この笑顔に、何度も恋に落ちる。
私の使命は、運命は、彼女しかない。
「クレア。カイル君。婚約を飛ばして結婚式でもいいかな?」
「いけません。順を追って進めなければ、心ない人間に邪推されて傷付くのはクレア嬢です」
「カイル君は、見た目より随分と律儀で真面目だね」
私は、顔がいい。顔がいい分、遊んでいそうに見える。本当は一途だというのに。
「私の目的は、最初から変わっていませんので」
私の使命。
「これからも私は、クレア嬢の盾であり、剣であり続けます」
言葉という剣は、既に磨き抜かれている。
私の顔と、王族の血という強固な盾もある。
物理的な剣術もこの二年で学んだが、クレア嬢に出会った翌日から、本格的な襲撃を想定した戦い方も学んでいた。
「クレア嬢」
「はいっ……」
そばに置いていた仕事鞄から、小箱を取り出す。
機会が訪れればいつでも求婚できるようにと作っていた指輪が、つい先日完成したのだ。
彼女の前に片膝をつく。そっと指輪の箱を開けた。
「どうか私と、……結婚していただけませんか」
「っ……はいっ、カイル様っ……」
クレア嬢は何度も頷き、ぎゅっと目を閉じる。
頬を伝う涙は、この世のどの宝石よりも美しかった。
「カイル様……大好き、です……」
この日見た彼女の笑顔を、愛の言葉を、私は一生忘れない。
***
半年後。
晴れて婚姻を結んだ私は、侯爵家の後継者として日々激務に追われていた。
「義父上っ、私のいないところで契約書にサインをしないでくださいとあれほどっ……」
「小さな額だし急ぎだからと、押し切られたんだよ……」
「押し切られないでくださいっ……こんなの、急ぎの案件じゃないですからっ」
激務の理由は、仕事以外のこれだ。
「それと義母上っ、この請求書は何ですかっ、騙されてますよっ」
「やっぱりそうよねぇ……高いと思ったのよ……」
「思ったなら買わないでくださいっ」
「やめようとは思ったのよ……。でも店主のご子息が病気で薬代がいるから、買って欲しいって泣き付かれてねぇ……」
「それは詐欺の常套句ですからっ……」
そんな手に引っかかる者がいるとは思わなかった。
頭を抱える。頭が、もう物理的に痛い。
「カイル様……」
頭が痛いあまり、妖精の声が聞こえてきた。
「カイル様……?」
「……クレア?」
本物の妖精、いや、クレア……いや、妻の声だった。
まだ私を呼び捨てに出来ない、可愛い妻の癒やしの声だ。
「あの……そちらの請求書のお品、返品して参りました」
「っ……クレアが、交渉を……?」
「はい。店主さんは独身でした……。マルル王国の宝石にしては彩度と透明度が低く、正規ルートを使用したとおっしゃっていましたのに、鑑定書の押印は原産の赤土インクではありません。……とお伝えしたところ、全て返金してくださいました」
にっこりと笑い、後ろに控えていた使用人も笑顔で金貨を見せる。
常に護衛につけている私の友人も、その後ろでいい笑顔をしていた。
「クレアっ……素晴らしい交渉術だっ」
「ふふ、ありがとうございます」
感動のあまり抱きしめる。
クレアが、立派に人と話をした。交渉をして成功した。
「カイル様に褒めていただきたい一心で、がんばりました」
「偉いぞっ」
子供にするように頭を撫でる。
クレアはこうして撫でられるのが好きだと言った。今も私の背に腕を回して、嬉しそうに頬を擦り寄せている。
「クレアっ?」
ガクリと力の抜けた身体を支え、ソファに運んだ。
「すみません……カイル様のお顔を見たら、緊張が……」
私の元で、緊張の糸が切れる。可愛いにもほどがあるだろう。
それに、頑張った理由が、私に褒められたいから。
「可愛いな……」
交渉が出来るほどに人と話せるようになっても、可愛い。
好きだ。好きなあまり、婚約期間五ヶ月あまりで結婚式を挙げてしまった。
「だが、すまない……。クレアを守るのは私の役目なのに……」
交渉も私がするべきだった。
この請求書にも、もっと早く気付くべきだった。
「いつも、たくさん守られています」
ふわりと花が綻ぶような微笑み。
「私も、カイル様のお役に立ちたいのです。カイル様の……妻、ですから」
頬を染めて微笑む。
私の妻が……あまりにも可愛い。
「クレア……」
「カイル様……」
滑らかな頬に触れる。
桜色の唇には、まだ数えるほどしか触れていないが……。
「クレアは、祖父の才能を受け継いだようだね」
「そうですね。あなたも才能はあるのですけどねぇ」
「交渉になると緊張して頭が真っ白になるからなあ」
「駄目ですよねぇ」
「駄目だなあ」
ぼそぼそと聞こえた声。
「っ……」
二人きりではなかった。クレアに押し返され、我に返る。
「……義父上方は、まさかわざと……?」
今までのとんでもない契約や請求書の数々も、何らかの計算の上で……?
「カイル様、申し訳ございません……。お二方の天然は、本物でございます……」
長年侯爵家に仕えている執事が、自分事のように頭を下げた。
彼もいた。ずっと。
「なるほど、天然か……」
物は言い様。
気弱とぼんやりした性格が、可愛く……見えるものか。クレアなら可愛いが。
「ぁ……あのっ……失礼しますっ……」
「クレアっ」
走り去って行くクレアに、ガクリと項垂れた。
守ると言っておきながら、私は……。
「……義父上。もう二度と、決して、絶対に、一人で契約書にサインはしないでください。義母上には、外出の際に私の選んだ護衛をつけます。分かりましたか?」
「ごめんね、カイル君……」
「迷惑をかけて申し訳ないわ……」
二人とも本当に反省はしている。いつもそれを繰り返すだけで。
護衛は、顔の威圧感の強い屈強な男にしよう。騙す気が起きないように。それでいて目利きの……よし、わりといる。
「では私はこれで」
書類を持ち、足早に部屋を出る。
今すべきことは、クレアへの謝罪だ。そして愛を伝えること。もう一度交渉の成功を褒めること。
言葉で伝え合う大切さを、私はもう知っている。
こうして少しずつ、私たちは夫婦になっていく。
これからも、ずっと……百年単位で、そばにいられるように。
―END―
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