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第九十六話 王国の使者

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 カズマは、もう一方の反抗勢力、北部のスオミ王国国境のサン・カンタンに向かった。
 サン・カンタンは、割と狭い領土であるが、山脈を背にして銅鉱山のある裕福な伯爵領である。
 サン・カンタン伯爵は、金髪にお髭の立派な体格をした武人であるが、今回の騒動で自領に帰り、様子を見ていた。
 ゲルマニアの侵攻は、どちらかと言うと人ごとだったし。
 オルレアン公爵領、バロア侯爵領を蹂躙したが、その周辺にまで手が出せなかったこともあって、自領に立て籠ることにした。
 それが良かったのか、サン・カンタン伯爵領にはさしたる影響もなかった。
 距離にして二〇〇キロ以上も離れているし。
 王都からは登城せよと言う、訳のわからん通知が届いた。
 成り上がりものの男爵からの手紙である。

「レジオ男爵など知らん。成り上がり者であろう、ほっておけ。」

 家令の差し出す手紙にも、鼻もくれず、ソファにどさりと身を投げた。
 今や、王国は混乱の極みである、いっそ領土ごとスオミ王国に寝返るかとも思っているが、山脈が邪魔であまり旨味がない。
 向こう七つの山塊が邪魔をする。

 銅鉱山を握っているうちは、どこの領土からも重要視されることは間違いがないので、わが領土の安堵は疑っていなかった。

 周囲から、獅子伯爵と呼ばれる偉丈夫は、執事の差し出したワイングラスを持って息巻いた。
「何人たりとも、わが領土に土足で入ることは許さん。
 美しい刺繍の入った胴衣に、レースの入った大きな襟。
 その襟が、ふわりと揺れる。
「御意。」
 執事も虎の威を借る狐、追従に余念がない。
 主従は、ほがらかに笑った。
「殿の勇名には、国王ですら恐れるでしょう。」
 伯爵は、執事のあからさまな持ち上げにも、にやりと笑って見せた。
「ばかなことを。」
 そう言いながら、まんざらでもない顔をして見せた。
「いっそのこと、殿が国王におなりになればよろしいのに。」
 伯爵は、鼻で笑った。

 収入が安定して、莫大な富を持っているサン・カンタン伯爵は、周囲からも殿さまと持ち上げられていた。
 専門の兵士を五〇〇人も持っている。
 それで、ますます周囲の貴族から、頼りにされているのだ。
 銅鉱山の収入は、他領の追随を許さず、一人勝ちの状態である。
 おかげで、伯爵の城はマゼランの城より大きい。
 頑丈な石造りの、黒々とした城は、荘厳であたりを威圧している。
 金があふれているので、貧しい周辺貴族への貸付けだけでも、膨大な額になる。
 それだけでも理不尽な要求に抵抗できないのだ。
 伯爵は、ワインをあおって、顔を上に向けた。

 そこへ、伝令兵があわてて駆けこんできた。

 もたらしたのは、恐ろしい一言。



「ドラゴンであります!ドラゴンが、わが領に侵入しました!」



 伯爵は、ぐでっていたソファから飛びあがった。
「ど、ドラゴンだと!兵士と冒険者を全員集めるのだ!」
 執事はひきつった顔で、部屋を駆けだして行った。
「ははあ!」
 続々ともたらされる伝令。 
 詳細が上がるたびに、伯爵の顔色は赤から青へ、やがて白から土気色へと変貌して行った。
「だめだ、ブルードラゴンと言えば、伝説の巨大竜ではないか、しかも空を飛んでいる。」
 伯爵は、その頑丈そうな自分の肩を、両手で抱いた。
「どうしますか?」
「どうもこうも、矢も届かず、魔法も効かないような化け物だぞ、逃げるしかあるまい。」
「領民二万五千人はどこへ?」
「そうだな、とにかく東に逃げよう、西も北も山脈でダメだ。」
「では、そのようにふれを出します。」

『ご注進!』
 また伝令である。
『ドラゴンは、城門の十キロ前方に現れました!』
「なんと!目と鼻の先ではないか!」
「これでは避難できません。」
 サン・カンタン伯爵は、あわてて窓に向かった。
 城は三階建て、その高い窓から前方にふわりと降り立つ青い影が、ここからでも確認できた。
「十キロ離れてあの大きさか!」
「いかがしましょうか?」
「いかがもなにも、さっさと逃げるぞ!家など壊れても建て直せばよいが、命はそうはいかん。」
 実にお金持ちらしい考えである。

「御意!」

 屋敷の全員が駆け出した。
 東に向けて、一目散である。

 地響きを立てて歩き出す、巨大な竜は大きな羽を広げて、その巨体を見せつけるように進んでくる。
 伯爵は、恥も外聞もなく逃げることを選んだ。
 まちがいなく正しい選択である。
 ただし、悪乗りしたメルミリアスに対しては、決断が遅すぎた。
「ドラゴン、加速しました!」
 そう、メルミリアスは地面を駆けだしたのだ。
 だんだんだん!
 一足ごとに、地面が揺れる。
 走る人々は、その振動でバウンドして動けなくなった。
 十キロの距離を、わずか二~三分で駆け抜けられては、逃げを打つ暇もない。
 激しい地響きと、地震のような振動が迫り、そのまま城門が破壊された。
 巨大なブルードラゴンの体当たりを受けては、まるで、砂の楼閣である。
 弾き飛ばされた城門の石材は、まっすぐに飛んで領主の館を直撃した。

 がきんがきんと、この世のものとも思えないような破壊音が響き、領主館をぐらぐらと揺する。
 あまりの衝撃に、領主館はぐずぐずと半壊した。
 正面は、すでにその形を保っていない。
 頭を抱えてうずくまっていたサン・カンタン伯爵は、なんとか命長らえたようである。
 しかし、そのソファから向こうは、壁すら立っていなかった。

 城門からメインストリートに足を踏み入れたブルードラゴンは、天に向かって咆哮した。

「あんぎゃあああああああ!」

 びりびりと、領都の家々の壁を震わせて、その咆哮は空に消えた。

 古い家などは、それだけでガラガラと崩れていく。

「だ、だめだこの領土はおしまいだ…」

 腰が抜けて、動けない伯爵は、脂汗を流しながらブルードラゴンを見つめた。
 ズシンズシンと、竜が進むたびに振動が起こり、足に近い家はがらがらとこわれていった。
「な!なぜこの館を目指してくるのだ!」
 伯爵の疑問ももっともだが、メインストリートのつきあたりに、領主館が立っているのだから仕方があるまい。

 やがて、領主館前の広場で、ブルードラゴンは歩みを止めた。
 石造りの建物で囲まれたマルクト広場は、サッカーコートくらいの広さがある。
 その広場に足を踏み入れたドラゴンは、くるりと周りを見回した。

 長い尻尾は、まだ城門にある。

 立ち止まると、さらに一声咆哮する。

「きしゃああああああ!」

 その口には、恐怖の塊のような青い光が収束を始めた。
「あわあわあわあああわわわわわわわ」
 なにを言っているのかわからない声が漏れる。
 サン・カンタン伯爵は、自身の命の尽きるときを知った。



 しかし、ブルードラゴンは、その口を山脈に向けて打ち出す。
 山脈は、溶けて溶岩を吐きだし、爆発を起こして四散する。
 ドラゴンの破壊光線は、そのままスオミ王国の上空に向けて飛んで行き、減衰して四散した。
 強力なドラゴンのブレスは、超高温を発し、岩石はそのまま岩石蒸気となって上空に舞い上がる。
 やがて冷えて、細かいホコリとなってスオミ王国に向かって、風に乗る。
 山脈に近い人々は、何が起こったかわからないが、少なくとも自分の命が助かったことに感謝した。
 スオミ王国でも、その様子は観測され、自領へ向けてのドラゴンの攻撃に戦慄した。
 スオミ王国でも、溶岩の渦を巻く様子が観測され、解け降ちる山に、地獄を見た。
 もはや、どこに逃げ場を得るのか、スオミの人々にはわからなかった。
 サン・カンタン伯爵領の次は、自国であるからだ。

 山脈はドロドロに溶け、裾野の森は広範囲に火災を起こし、たくさんの動物や魔物が逃げ惑っている。

「うわあああああ!なんと言うことだ!山脈が!」
 すっぱりと山脈が切り取られ、向こう側のスオミ王国の領土がかすみ見えている。
 ゆがんだ景色は、高熱にゆらゆらと揺れて見える。
 あまりの高熱に、周囲の森林に火がついて燃え上がっている。
 生木も何も、関係ない。
 一気に燃え上がった。
「火事だ!山林火災が広がっている!」
 まさに、災害規模の魔獣である、ブルードラゴン。
 ブルードラゴンは、山脈に向けて白い風を吹き付けた。
 上空から、煮えたぎる溶岩と、燃え盛る火災に覆いかぶさると、その勢いを一気に鎮火させた。
 急速冷凍の魔法であろう。
 魔力の容量が、無尽蔵と言えるほどのドラゴンだからこそ、こう言う芸当も可能である。


 やがて、ドラゴンの頭の上に、蒼い人影が立つのが見えた。
 領民は、頭をかかえたまま、ひとりふたりとその人影を見上げた。

『サン・カンタン伯爵!これにまいれ!』

 風の魔法により、領都全体に声が響いた。
 まるで、竜が声を発しているようだ。
 サン・カンタン伯爵は、恐る恐る館から顔を出した。
 その顔はすすけて、豪奢な衣装も汚れてしまった。
「こ、ここに。」
 すると、ドラゴンの頭から、蒼い影が飛び降りて来た。

「右大臣、カズマ=ド=レジオである。」
「は?」
「間の抜けた顔をしている場合ではないぞ、サン・カンタン伯爵。」
「あ、いや…」
「国の代表たる右大臣である!頭が高い!」
「ははー!」
 サン・カンタン伯爵は、あわてて跪いた。
「さて、サン・カンタン伯爵よ、そのほう再三の登城通知になぜ上京せぬ。」
「あの、いや、それは…」
「それがため、わざわざ右大臣たる私が訪問するに至った、この件に関して申し開きがあるなら伺おう。」
 居丈高に話すカズマであるが、まるで反発と言う心が湧いてこない伯爵。
「いえ、まだスオミ王国が…」

「スオミ王国なら、ただいまの災害で、何も言うまいよ。それから?」
 ゆっくりと声を発するカズマであるが、伯爵は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
 あれこれ言い訳をするのは得策でない、伯爵はひっくり返った声で告げた。
「ははっ!直ちに推参つかまつります!」
 カズマは、満足そうに頷いた。
「よろしい、素銅など持参のうえ、上京されるがよかろう。」
「はは!」
 伯爵は、かしこまって平伏した。
 カズマは、にやにやと笑いながら伯爵に告げる。
「ああそうそう、ストラスブール辺境伯は、責任を取って切腹したぞ。」

「あいえ?」
 伯爵は、間の抜けた顔を上げた。

「お主はどうする?」
「そそそ右大臣殿!どうかどうか、お許しを!」
「ふむ、隠居して、出家でもなさるがよろしかろう。」
「へ、へへえええ~!」
 立派な体格の偉丈夫が土下座するさまに、領民も戦慄し、こぞってその場で平伏した。
「即刻次代の領主を立て、お主の隠居届と共に上京されたし、では、これにて立ち帰る!」
 カズマは、ドラゴンの頭に飛びあがると、ブルードラゴンを促した。
 ドラゴンは、ふわりと舞い上がり、西の空に向けて飛び去って行った。

「な、なんだったのだ今のは…」
「ゆ、夢でござる。」
 家臣の一声に、一同おおきなため息をはいたのであった。

「どうだ、ガスは抜けたか?」
「おおよ、よい余興であった。」
「それはよかった、帰ったら約束の報酬を渡そう。」
「うむ、そうしてくれ。」


転んでもただでは起きない、サン・カンタン伯爵は、山脈にできた巨大な溝を使って、スオミ王国との貿易を始めて、また儲けたらしい。
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